閻魔様のいうとおり

明たい子

第1話

 朝。人間は目を覚ます。それは人外と人の間を彷徨う幽霊も魂も神様もキリスト様も悪魔も天使も閻魔様も然り。今日も職務につくため、目を覚ます。

 地界と呼ばれる世界の人間の多くは、朝起きてから支度というものをして、それから栄養を摂取して忘れ物がないか確認して、動く小さな箱にぎゅうぎゅうに押し込められて、毎日働くのだという。実際に見たことはないが、地界調査員の映像データで見たことはある。何度見ても異様な光景だ。どうしてあんな苦痛な思いをしてまで働くのか。そもそも自分が寝泊まりしている場所から動くという観念が理解しがたい。働く場所で寝泊まりすればいい話なのに。

 地界に対する興味はつきないが、そんなに耽っている場合でもない。俺の仕事場は朝起き上がった目の前だ。起き上がると既に仕事が目の前に待っている場合もある。起き上がるときには心して起き上がらなければならない。

 勢いよくできる限りの威圧感を与える顔をして起き上がると、なんと本当に仕事は目の前に待っていた。

 内心朝の天界ニュースを読む時間を奪われたことにうんざりしながら、いつの間にか自分の懐に入っていた巻物に手を伸ばし、広げる。罪状は短く簡潔にまとめられていた。

――電車の線路内に飛び降り自殺――

 そのあとに続く目の前の男の経歴。それと申し訳程度に書かれたこの男への世間からの評価。

 閻魔様はこの男に対する処分を頭で復唱すると、さすがに言い分も聞かずに処遇を決められたと感じるのは気の毒なので、話しかける。

「おい、そこのお前。お前はここがどこかわかるか」

鉄板の話のネタだ。すると、男はひどく驚いた様子で全身を跳ね上がらせる。

「あ、あの……もしかして、よく聞く噂の……閻魔様ですか。本当に大きいとは思いもしませんでした」

「面白いことをいう。随分冷静なようだな。そうだ、俺が閻魔だ。つまりわかるな? ここは、お前の地獄か天国行きかを決める、いわば天界の裁判所だ」

 まぁ、もっとも天界の裁判所は巻物作成のものの偏見が多く反映されているものを見た閻魔様が決めるのだ。つまり、采配は巻物製作員の匙加減一つに任されているといっても過言ではない。仰々しく裁判所と嘯いたが、結果はもう決まっている。反論の余地はない。今までこの地で判決を逆転させたものはいないに等しい。まぁ、地界でいう裁判所も検察というところから上がってきた証拠や説明をもとに判決を下すのだから、ほぼ似たようなものだろう。地界はその分弁護士というものがいるだけありがたいというものだ。

「そうなんですか。僕は、死んだんだ」

 自分の体を不思議そうに見て、触りながら死を実感しようとしたようだ。だが、死んだことに未だ納得がいかないらしい。首をかしげながら周りを見渡す。

「そうだ、お前は死んだのだ。さて、ここにお前の生前の出来事や死に方が書いた巻物がある。興味はあるか」

「興味はあります。聞きたいです」

「いいだろう。しかし、この巻物すべてを読むのには時間がかかりすぎる。俺もそんなに暇じゃない。だから、どうしても知りたいことを3つだけ質問しろ。考える時間をやる」

 そう問いかけると、閻魔様は朝の天界ニュースを読み始めた。天界ニュースを読みたいがために時間を取ったわけではないことを弁明しておく。

 男は目を瞑って腕組みをした。何を問うべきか真剣に考えているのだろう。

 男が腕組みをしたまま随分と時間がたった。そして閻魔様は十二分に天界ニュースが読めたことに満足したのか、鼻歌を歌いながら天界ニュースを閉じる。男は閻魔様のその様子に気が付くと腕組みをやめ、直立不動で口を堅く真一文字にして閻魔様を見つめた。

「決まったか、何を問うのか」

「はい、決まりました」

「簡潔にまとめて言え」

 そう命令すると、閻魔様は巻物を再び懐から取り出し、つまらなさそうに眺めた。

「はい。一つ目は、僕の死んだときの状況についてです」

 閻魔様は長い巻物を手繰り手繰り、その記述を見つけたようだ。

「あぁっと、お前は〇〇〇駅の3番線ホームの端に立っていた。それからっと、突然ふらつき線路内に落ち、電車が直前に迫っている状態で飛び込んだため、車掌はブレーキをかける暇もなく、車両と勢いよく追突。お前の肢体の状態は大きく損壊していたそうだ。つまりほぼ即死と考えれらる。あーっと、長いんだよ……それから、車掌と乗客、ホームにいた人々は混乱に陥りながらも、駅員でお前の死体を回収。その間電車は運転を見合わせ、多くの人々を巻き込んだ人身事故として処理された。以上だ」

 男は何とも言えない顔で黙っている。真一文字に結ばれていた口元は、固く閉じたままだ。

「もう質問はないのか。ないならお前の行き先を言い渡すぞ」

 男ははっとすると慌てて次の質問を投げかけた。

「すみません! まだあります。二つ目は俺の人生の価値についてどう記されていますか」

 閻魔様は怪訝そうに眉をしかめると、巻物を手繰り手繰った。だが、関連する記述は見つからなかったようで、巻物を巻き付ける。

「お前の人生の価値など知らぬ。そんなものを巻物に求めるのか。そんなことを聞くやつは、ただの甘えただ。俺はそんなに暇じゃないし、優しくもないし、偉くもない。閻魔なんてものは所詮操り人形だ。勝手に地界の奴らは偉いとか勘違いしているようだがな。勝手な価値を見出されて、こっちは困ってるんだよ」

 閻魔様は愚痴っぽく答えると、頭を掻きむしりながら呟いた。

「お前の価値は、お前が決めろ。このでくの坊が」

 男はそれを聞くと、ひどく落胆したようだったが、その数秒後顔を上げると、最後の質問を投げかけた。

「では最後に、俺の……俺の家族は、どうしてますか……」

 男は質問をしているはずなのに、気がつけば耳をふさいで蹲っていた。閻魔様はまた頭を掻きむしりながら、巻物を面倒くさそうに手繰り手繰る。

「おい。質問しておきながら耳を塞ぐとは、なんだお前。読まなくていいのか」

「すみません………ちゃんと聞きますから」

「それじゃあまぁ、読むか。家族なぁ、人身事故の死体が息子だと警察に教えられると、泣き崩れたそうだ。それから、これは地界調査員の情報だが、鉄道会社から請求された金額に今は苦しんでいるそうだ。それと、お前の葬儀はしないそうだ」

 閻魔様はさっさと巻物を巻き付けると、懐にしまわずゴミ箱へ投げ捨てた。

 男が閻魔様の回答を耳にすると、一瞬の静寂ののち、その場に笑いながら泣き崩れた。もう、男に救いは残されていないようだ。

「は、は、ははははははははははははぁはぁはぁ………ざまぁみろ、ざまぁみろ!!! お前らはそうだよ、やっぱり人身事故を選んだ俺は間違っていなかった!! 俺が、どれっだけお前らにコケにされてきたかわかるか。泣いたのだって結局は世間体だろ!! なぁ、閻魔様! 俺は、あいつらに悲しみと憎しみと苦しみを背負わせたかったんだ。あいつらの家で死ぬわけにはいかなかった。『俺』という存在をなかったことにされるかもしれないからなぁ。飛び降り自殺? それもよかったかもしれない。だがあいつらに与える苦しみは足りない。無理心中? それじゃあだめだ、あいつらを生かしたまま苦しめることができない。生きながらえる苦しさを存分に味わえ。所詮家族なんて、家族なんて……俺には、血が繋がっている以外、何があったんだ……」

 男は吐き出したいことを吐き出したのか、ただ静かに漆黒の瞳からとめどなく涙を流し、その場に座り込んだ。その姿はまだ魂を抜いていないにもかかわらず、魂を抜かれてしまった屍のようだった。この男を今まで生かしていたものは何だったのか。気づいてみれば皮肉なものだ。

「おい、お前。耳は機能しているな。お前の処遇を言い渡す。地獄行きだ。時間はかかるだろうが、もう一度人生をやり直せる。励めよ」

 閻魔様は決まり文句を言い放つと、昼の天界ニュースを読み始めた。仕事は終わりだとでも言わんとするように。

 どこからともなく2人の地獄の門番が現れると、男の両脇を固め、地獄の門へ引っ張っていった。男はもう自力で足を動かさない。本当によくできた屍のようだ。

 男も門番も閻魔様も言葉はなく、ただずるずると男を引きずる音だけを残して、扉が閉まった。

 また、閻魔様の仕事場には静寂が戻った。閻魔様がめくる昼の天界ニュースの紙の音だけが響く。

 閻魔様はここにきて感情を顕わにする人間が多いので、今日みたいなことには慣れているようだ。ここに来る人々は閻魔様に救いを求める。だが閻魔様は天使でもなければ、神でもなければ、悪魔でもない。

 ただ閻魔様の家系から抜けられなかった操り人形だ。

 閻魔様が初めて仕事をしたのは、今から約20年前。初めての仕事のことはよく覚えている。今日の人間によく似たやつだった。

 閻魔様は閻魔様を後継するのをすぐさまやめようと思った。自分に、閻魔様一人に人間の人生を委ねるのはおかしい、そんなに偉くないと主張した。自分は向いていないと叫んだ。だが、閻魔様は先代にそういうものだと教え込まれた。そして、そういうものだと受け流せるようになった。

 救いを求める人間は多くいるが、救いを求める相手を人間は間違っている。救いを求めるなら巻物製作員に言わなければならない。こんなことは誰にも教えていないが。

 閻魔様は仕事を続けてきた賜物で、今日のような人間にも慣れた。判決も間違っていない。先例通り上手く進めている。

 初めに感じていた感覚がどのようなものかは、失ってしまったが、今は違うものを手に入れた。

 これがいいものかどうかは、俺が判断する。俺は良いものだと教え込まれた。だから、目指すべきところにたどり着けて満足している。


 ドアを叩く音。俺の部下が次の仕事を持ってきた。閻魔様は巻物を受け取ると、威厳たっぷりの顔を作った。

 






 閻魔様はまた、巻物を手繰り手繰り、輪廻を廻す。

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