第33話
「いかに強力な防具であろうとも、人の手に無いものを吹き飛ばすなど容易いことよ」
テンジンザの言葉通り、イジッテちゃんは僕以上に吹き飛んで、脇道に生える木の枝に引っかかっていた。
「てめぇ!なにしやがる!」
吹っ飛ばされたものの、さすがダメージは無いらしく、すぐに僕のもとに駆け付けようとするイジッテちゃん。
しかしその前に、オーサとタニーが立ちふさがる。
イジッテちゃんは盾だ。腕に覚えのある騎士を振り払えるほどの攻撃力も素早さも持ち合わせてはいない。
「くそっ、どけ小僧ども!テンジンザ!お前、そこまでして……いや、お前はそういうやつだったよなぁ!またか、また私から奪うのか!」
イジッテちゃんがこんなに怒っているのは初めて聴いた。
僕もたいがいイジッテちゃんを怒らせてきたけれど、そういうものとは次元が違う、魂の底から湧き出すような怒りだ。
「儂はこの国の英雄として、国を、国民を守るためなら何でもする。儂の信念はそれだけ、それ以外は些細なことよ。100万の民を守るためには、1人の犠牲を厭わない。全てを救うと宣言出来るほどには自惚れていないつもりだ」
「お前の『正しさ』は聞き飽きたよ!けど、私はそんなものに付き合うつもりはないね!正しい人間しか生きられない世界なんて、くそくらえなんだよ!!」
「……悪いが、議論に付き合う程 暇ではないのでね。短い言葉で曲げられるような脆い信念ではないだろう?お互いに」
テンジンザは僕の眼前に槍を突き付ける。
「少年、儂は寛大だ。そして全てのこの国の民を愛している」
「……その愛が歪んでいるかも、と思ったことはあります?」
「無論だ、愛は常にエゴと共にある。真っ直ぐな愛などあるものか。それでも、歪んだまま貫き通すのが儂の愛だ」
……なるほど、こりゃ議論しても無駄だわ。自覚してる分だけ性質が悪い。
「とはいえ、傷つけずに済むならその方が良いに決まっておる。儂も心苦しいのだ。未来ある少年が、腕を片方失って二度と盾を持てなくなるのは」
なっ……そこまでやるつもりなのか……どうかして…いや、違うな。この人はただひたすらに、目的を達成することだけを考えているんだ。
そしてそれを、国を守ることに向け続けてきたからこそ、今の地位がある。
――――この人の目的が、悪じゃなくて良かったと心底思う。
ただ、その「彼の正義」が、今は僕に向けられているのだ。
「どうだろう、気持ちは変わらないかな?」
「――――正直、怖さでいっぱいですけど……怖いから逃げる勇者ってダサくないですか?」
体と声が震えているのが自分でもわかる。
これはこれでダセぇなぁと思うけれど、逃げるよりはマシだよね?
「なるほど全くその通りだ。それは勇者のすることではない。ではどうだろう、やはり売ってくれぬか?武具の売り買いなど、勇者でもするであろう?」
「申し訳ない。大事なものなんで、売れないんですよ」
「そうか、それは残念だ……慣れれば、それほど悪くはないかもしれんぞ、片腕で生活するのもな」
槍が、大きく振り上げられる。
ああ、逃げられない。剣で止める?無理だ、剣ごと斬り落とされて終わりだ。
くそぅ、腕が片方無くなったら、脱衣ボンバーがウケなくなっちゃうかなぁ……見た人がなんか気ぃ使っちゃいそうだもんなぁ…。
僕の場合は笑ってくれてもいいんですよ!?って根気よく言い続けるしかないかなぁ……全てがスローモーションのように感じられる僅かな時間の中で、なんで僕はそんなことを考えているのか。しょーもないな、僕ってやつは……。
――――って、スローモーションになってるにしても、なかなか痛みが来ないな……?
恐る恐る腕をチェックするが、まだ腕はそこにあった。
振り下ろされた槍は―――
「さすがにその辺にしてくださらない?オジサマ」
パイクさんが、腕で槍を掴んで受け止めていた。
「ほう?お嬢さん、何者かな?かなりの使い手とお見受けするが」
「ごめんね、秘密なの。アタシはこの国の住人じゃないから、英雄様の言うことに応える義理もないのよねー」
「そうか、残念だ。しかしお嬢さん。あなた1人で儂に勝てると思っているのかね?」
「まさか、そこまで身の程知らずじゃないわよ。ただ、ちょっと時間が欲しいだけ」
「……なんの時間かな?」
パイクさんは、僕とイジッテちゃんを顎で指し、
「この馬鹿共を説得する時間、かしらね」
「なるほど、ならば待とう。無血開城こそ理想的な勝利だからな」
意外にもあっさりと槍を引くテンジンザ。
手段は選ばないが、自国民を傷つけたいわけじゃない。その言葉に嘘は無いということか。
まあ、どうあがいても僕らが逃げられない……絶対に逃がさない、という自信があるのだろうけど。
「さて、少年。さっそくだけど、さっさとアイツを、あの盾を売りなさい」
あまりにも簡潔に、僕が断り続けたことをやれと、パイクさんは言う。
「どうして、どうしてですか。僕は、イジッテちゃんをただの盾のように扱うなんて……」
パイクさんは、僕の耳元に口を近づけて小さな、しかし力のこもった声で囁いた。
「アンタ、ほんの数時間前にそいつに言われたこと、もう忘れたの?」
パイクさんは、僕に背負われているセッタ君を指さす。
「いい?……アタシたちは、意思があろうと、人の形をしていようと、ただの武具よ。それは絶対に変わらない事実なの」
「そんな、僕はパイクさんのことだって……」
僕の口を、パイクさんの人差し指が塞ぐ。
「アンタのやさしさは嬉しいわ。でもね、アタシたち武具は、持ち主を生かす為に存在するの。当たり前だけど、特に防具はね。盾を守るために持ち主が傷つくなんて、そんなの武具としての誇りを傷つけられたのと同じだわ」
「まったく、その通りじゃよ……」
パイクさんの言葉に同調するように、背負ったセッタ君の声がわずかに聞こえた。
盾のまま声を出したのか、それとも何らかの手段で想いを伝えてきたのかわからないけど、確かに聞こえたんだ。
そして、その言葉は酷く説得力を持っていた。
言っていることは確かにその通りだ、それは理解できる。
でも、感情が邪魔をするんだ。イジッテちゃんを手放したくない。離れたくないと。
「アンタもアンタよ!!冷静になりなイージス!!」
パイクさんが大きく張りのある声で、演説のようにイジッテちゃんに声をかける。
「アンタも盾なら、一番にすることはなんだ!?持ち主を守る事だろ!!アンタの為に少年が傷つく、アンタは、盾として、それを良しとするのか!!!」
まだオーサとタニーに行く手をふさがれているイジッテちゃんは、その声に下を向く。
小さく震え、強く拳を握り締め、感情をコントロールしようとしてるように見えた。
「……うるせぇ……お前なんかに言われなくても、わかってんだよそんなことは…」
吐き出すように呟きながら、イジッテちゃんはゆっくりと歩を進める。
オーサとタニーがそれを再び遮ろうとするが、
「構わぬ、通せ」
テンジンザの声で道を開けた。
そしてイジッテちゃんは歩みを進めてテンジンザの前に立つと、顔を上げて真正面から視線を絡めた。
「ひとつだけ、いいか」
「可能であるなら、望みのままに」
「―――少年に、金をやってくれ。私の価値に見合うと、お前が思う金額で良い」
―――――!!
「イジッテちゃん!!」
しかし、僕の声は届かない。二人の会話を止める力すら、今の僕にはありはしないのだ。
「良いだろう。オータ、今ある金を全て出せ」
「す、全てですか!?しかしそれでは、演習に来た小隊の王都までの帰路を無銭で行軍することになりますよ」
「王都までなら、急げば二晩もあればつくだろう。ついでに野営訓練と、サバイバル訓練ということにすれば金など無くてもなんとでもなるわ」
「しかし、これは国王様から預かった大事な路銀で…」
「だからこそ、国のために本当に必要なものに使うのだ。これ以上の使い道があるか」
「しかし……!」
「それ以上続けるなら、反逆とみなす。儂への反逆は国家への反逆と同義だと思えよ」
「…………わかりました」
それ以上言葉を発することなく、オーサはタニーと視線を交わし、二人で馬にぶら下げていた大きな麻袋を二つ、僕の前に置いた。
中には、今まで見たことも無いような大量の金貨が入っている。
「イージスの盾の代金としてはちと少ないが、冒険者なら10年は金の心配をせずに遊ぶなり己を磨くなり自由に出来るであろう。もし足りないというのなら、王都の城まで来るがいいぞ。儂の財産から追加で同じ額を支払おう」
もし、もしも、これだけのお金を自分の力で手に入れたのなら、僕は狂喜乱舞して脱衣ボンバーをしては新しい服を買う、という行為繰り返しアンネさんに全力で怒鳴り散らかされていたことだろう。
でも、今はあまり嬉しくない。これは、自分の誇りを失って得たお金だから。
「では行こうか。イージス」
「ああ……いや、ちょっとだけ待ってくれ」
イジッテちゃんが近づいてくる。何か、何か言おうと思うのだけど、言葉が出てこない。
何も出来なかった僕に、何をいう権利があるのか。
今だって、本当は何か出来るハズなんだ。
命を賭けて、本気で行動すれば、何か。
でも動けない。さっきの槍が脳裏に焼き付いている。
動いたら死ぬ、その恐怖は体の動きを止めるには充分過ぎたのだ。
僕はまだ、それに勝つことができない、未熟な――――――
「ていやっ!」
突然の衝撃!!僕の固まっていた体は後方に吹っ飛んだが、同時にイジッテちゃんが地面に着地していた。
あれ?今のなんか覚えがある!!ドロップキックじゃない!?顔面にドロップキックくらったんじゃない!?
なんでこのタイミングで!?
イジッテちゃんはなぜか、それはもう今まで見たことが無いようなドヤ顔で倒れた僕を見下ろしながら、言った。
「いつか、迎えに来いよな、勇者様!!」
そして――――イジッテちゃんはテンジンザと共に、僕の元から去っていった―――。
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