第29話
僕はパイクさんに少し話を聞き、名前を一つだけ覚えた。
あとは……周囲を見回すと、井戸が壊れた時に吹っ飛んできたのだろう。近くに落ちていた、井戸の水をくみ上げる桶を持ってきて、ムンセさんの前に置いた。
まあ必要になるかどうかわからないけど、念のためだ。
「なんであるかこれは?」
ふふん、と余裕の笑みを浮かべつつも、ほんの少しの怯えが見える。
これならまあ……上手く行くかな?行くと良いなぁ。気が進まないなぁ。
けれど僕は心とは裏腹に、意図的ににっこりと笑う。
こういうのは、笑いながらやった方が良いと知っているからだ。
なので、何の特別な事でもなく、これから食事をするとか、お風呂に入るとか、そういう日常の事をやるかのように、言葉を告げた。
「では、拷問を始めますね?」
ムンセさんは一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに僕をにらみつけてくる。敵の捕虜となった人間が拷問されるなんて戦時下ではよくある話だ。
武人を名乗るムンセさんなら、そういう事も覚悟していたのだろう。
「好きにするがいい、だが、我は痛みで口を割るような弱さは持ち合わせてないのである。武人として死ぬまで耐え抜いてやるである!」
武人として、か。
こういう人は国の為に死ぬのも誉れだと思ってる場合が多いので、「痛みに耐える」なんてのはむしろ美学なのだと聞いた記憶が蘇る。なるほどそのタイプか。
となると……まずは観察する。どんな方向から攻めるのが効果的なのか。
目につくのはやはり、その服だ。
鎧を着てはいるが、その下に着ている……どう言えばいいのか…僧侶の法衣のような服。その服が、真っ白なのだ。
かといって新品かと言えばそうではない。そもそも戦場に新品を着てくる人間はほぼ居ない。確実に汚れるし、なにより新しい服は固くて動きづらい。
大抵は着なれた動きやすい服装で、かつ汚れても良いものを着てくる。
そう考えると、ムンセさんの服は圧倒的に綺麗すぎる。新品でも無いのにここまで綺麗ということは……
「ムンセさん、綺麗好きなタイプですか?もしかして、潔癖とか?」
返事はない、けど、反応で何となくわかる。このタイプはそうだ。
「そうですねぇ……じゃあ、ムンセさんへの拷問は汚物まみれにしましょう」
ニコニコと、笑いながら僕は話を続ける。
「外の畑の近くに、肥溜めがあったんですよ。肥料にするために、この町の人たちの排泄物を集めてあるんです。あそこに、頭から突っ込みましょう」
ムンセさんの額から汗が流れ始める。
「あ、そう言えば馬や牛も居たから、その糞もありましたね、それも混ぜると良いかもしれません」
どんどん顔が青ざめていくムンセさん。潔癖の人間には想像するだけで苦痛だろう。
「前にも潔癖の人を同じ拷問にかけたんですけどね?あまりの臭さと気持ち悪さにすぐに吐いちゃったんですよ。だから、その人が吐いた吐瀉物を人糞に混ぜて、その人の口の中に返してあげたんです。そしたら、泣きながら永遠に吐いてましたよその人、あはははっ」
言ってる自分でも気持ち悪いが、笑いながら言う僕の狂気に、その光景をリアルに思い浮かべてしまったのか、想像だけで吐いてしまうムンセさん。
僕は、あらかじめ用意しておいた桶でそれを受け止める。念のために置いといてよかったー。
桶に溜まった吐瀉物はそれはもう見るのも嫌だが、あえてそうして目の前に貯めることで、これからこの拷問が自分の身に降りかかるのだというリアル感を与える。
僕はそれを持ち上げて、ムンセさんの頭上に持っていき、少し桶を傾ける。
「じゃあまずはどうします?これを頭からかけて、シャンプーしましょうか。きっと匂いがこびりつくだろうなぁ」
「や、やめるである!よくもそんな人間の尊厳を踏みにじるような行為を!!」
そう言われると心が痛むけど、そんなことも言っていられない。
「良いですかムンセさん。あなたが僕らの言う事を聞いてくれないなら、これから僕はあなたを汚物まみれの拷問にかけて、あなたがそれに耐えきれず泣きわめいている様子をこれで記録します」
ポーチの中から取り出したのは、映像記録魔法アイテム「アトデマタミレール」。ネーミングセンスは気にしないでほしい。
「それは!そんな貴重品をどうして持ってるのである!?」
映像記憶魔法は使える魔法使いが少なく、アイテムもあまり出回らない高級品だ。
「どうして持ってると思います?」
「そんなこと、知るはずがないである!」
そりゃそうだ。
「まあともかく、僕はあなたを殺しません。汚物まみれのあなたを、惨めに悶え苦しみ泣き叫ぶ映像と共に、ガイザに送り返します。良かったですね、あなたは一躍有名人だ。作戦に失敗したうえに、敵の拷問で汚物まみれにされた将軍として、一生ガイザに名を残すでしょうね?」
その言葉に、ムンセさんは激しく動揺した。
「や、やめるである!いっそ殺すのである!命だけでなく、名誉まで奪うであるかこの外道め!!」
「何を言ってるんですか。勘違いされては困ります…ねっ!」
ムンセさんの口の中に、固く丸めたタオルを詰め込む。舌を噛んで自害されるのは僕の望む結末では無いからだ。
「僕はあなたを殺しませんよ。だから、取引しましょう」
「はふはほ?」
「そう、あなたがもし僕の言う事を聞いて、この村から引き揚げてくれるなら……僕の依頼人の名前を教えてあげましょう」
「ひはいひん?」
「おい待て、それはどういう……」
イジッテちゃんが止めに入るのを、僕はゆっくりと制する。きっとイジッテちゃんは僕がポールムちゃんの名前を言うと思ったのだろうけど、そんなバカなことするはずも無いし、そんなことしても何の取引にもならない。
「いいからいいから」
そう口では言いつつ、目で訴える。僕を信じて欲しいと。
「……勝手にしろ」
通じた、のかな?そう信じよう。とは言えこちらとしては、イジッテちゃんが焦って止めに入ってくれたのはむしろ良かった。
だって、これから言う嘘にリアリティが出るから。
「すいませんね、横やりが入って。で、依頼人の話ですけど――――あなたの、お仲間ですよ」
ムンセさんの顔が、一瞬で変わった。
「なんで僕があなたたちが制圧してからすぐにここに来れたと思います?事前に情報を得ていたからですよ。あなたたちの、ガイザ軍の中にいる裏切り者にね…?」
いつからだろうなー僕が平気で、笑顔で嘘が付けるようになったのは。考えたくもないや。
しかしこの嘘は効果があった。ムンセさんの顔色が変わったのがハッキリと確認できたからだ。
「この映像記憶魔法アイテムだってそうですよ。僕のような平凡な人間にそうそう手に入れられるものじゃない。裏切り者の依頼人から、あなたの醜態を記録してばらまいてやれ、と渡されたんです」
「はへは!ほひふははへは!」
誰だ、そいつは誰だ、と言ってるように聞こえる。
「さて、そこで取引です。あなたには二つの選択肢がある。
ひとつ、作戦に失敗したという汚名と一緒に、汚物にまみれた拷問を受けてその醜態を晒され、あなただけではなく、家族、いや一族もろとも一生、死後さえも笑いものにされる。
ふたつ、あなたを陥れた者の名を知り、調査して証拠をつかみ断罪することで、国を裏切っていたスパイを突き止めた功績により、今回の失敗を帳消しに出来る可能性が残るルート。
さて、どちらを選びます?」
ムンセさんの瞳から死を覚悟した色が消えたのを確認して、タオルを外す。
「げほっ……ひとつだけ聞かせるのである。なぜ依頼主の名を明かす?そんなことをして、おぬしたちに何の得があると言うのだ?」
ごもっともな疑問だが、それに対する返しはもう用意してある。
「僕たちはね、もううんざりなんですよ。あんな人間の下で働くのは。人使いは荒いし偉そうだし報酬も安いし。だから、今回はちょうどいいチャンスだったんですよ。この村を救った、という功績を手にジュラル国に亡命出来るじゃないですか。ガイザ軍の情報もそれなりに漏らしますけど、まあそれは勘弁してください。そっちであのクソ野郎の事を調べれば、僕らの持ってる情報がどの程度かはわかるでしょうから、対策も出来るでしょう。こっちは亡命した段階で情報が正しければ、その後はどうなっても知った事ではないですし」
我ながらよく口が回る。こんなありもしない嘘なのにな。
そして、そんな嘘がムンセさんの心をかき乱す。
もう絶望しかないという状況に垂らす、一本の細い糸。
死を覚悟していたハズなのに、上手くやればまた元の地位と名誉がその手に戻るかもしれないという希望、いや欲望。
それはあまりにも蠱惑的で―――――
「――――――わかった。言うとおりにしよう。今は我の命より、国の為に裏切り者を排除することが、武人として生きるべき道である!!」
簡単に引っかかる。
自分の利益の為ではなく、「国の為に」。
そんな気持ち良い言い訳を用意してあげるのが、こういう人には一番効く。
昔、あの人に言われた言葉は本当だったんだなぁ、と改めて実感したけど、同時に、嫌な人の事を思い出したなぁ、と少し心が苦くなった。
ともあれ、これで本当に、クエスト完了、かな?
一安心していた僕の肩を、イジッテちゃんがポン、と叩く。
「お前、あとでいろいろ説明してもらうからな?」
あ、凄い笑顔だ。本当に、笑顔で言われるのが一番怖いんだなー。実感しました!
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