17 ベネターレ陥落(2)
その少女はおかっぱで黒髪の、日本人形のような端正な顔つきをした猫人族であった。ただし表情はなく無機質な印象を与えている。服装から侍女だと知れた。尻尾がふるんふるんと動いている。勇者は頬を
「申しわけないけど、そこをどいて欲しい。その扉の先に行かなきゃいけないんだ」
「『猫』で御座います。お見知りおきを」
「ああ、うん、
そのあとは、無言だった。
勇者はもしかして言葉が通じていないのかと思い、もう一度話そうとしたときに再び猫が口を開いた。
「ここは――」「うん?」
何やら目の前の少女が語り始めるようなので、勇者は耳を傾けた。
「私が仕事をさぼりたいときに良く来る秘密の隠れ場所なのです。そのおかげで今まで一度も御主人に見つかったことは御座いません」
「あ、そうなんだ……」
「御主人が私のことを探し回り『猫ーーー、あの不良猫またいなくなって! きーーー!』という悲鳴は良い子守歌となるのです」
「……」
「それはそうとこの前、今まで使っていた所より安い店を見つけたのですが」
「あの……」
「これで差額分をちょろまかすことが出来るようになったのです。万歳」
「……はあ……」
勇者はまたこの
何故だろう、と勇者は首を傾げるが、今はそんなことをしている場合ではない。
「ちょっとごめんよ、君のこと
勇者は『猫』を跨ごうと、大股で近づいて――
瞬間飛び退いた。きらりと光る剣閃が、危うく勇者の腹部を斬り裂くところだったのだ。
勇者は目を見開いて『猫』を見た。彼女は階段に座ったままだったが、黒い刃のしなった短剣を二本、その両手に持っていた。
「ここは私の縄張り。誰にも渡さないし通さない。ふーーーっ」
結局はこうなるのかと、勇者は深く息をついて腰の聖剣リュミラーデを引き抜いた。
その男は正面入り口に陣取って、まるで動かなかった。
それを取り巻く王国兵たちは相手がひとりで自分たちは圧倒的多数にも関わらず、絶望の念を抱き始めた。目の前の男に全く勝てる気がしなかったのだ。
正面玄関組の王国兵たちは足止めを食っていた。
たったひとりの男の為に。
その男、全身鎧に身を固めた護衛騎士隊長のグスタフは、身じろぎもせずに前方を見
その信じられない武技を目の当たりにしてメレンコスは感嘆の声を上げた。
「すげえなあいつ! ビフィレット公の護衛騎士隊長は次元が違うって噂だったが、まさにその通りだったぜ」
「何感心しているのよ! アイツをどけないと、この城を占領出来ないでしょうが」
セルセラは呆れた。メレンコスは職人技を見ると感心してしまう
大抵の貴族には護衛として騎士が付き従っているが、その中でもビフィレット公(メレドス公爵)の騎士隊長は抜きん出ているとの評判だった。そういう噂だったが、噂は真実だったのである。
「さっきの十人同時に飛び掛かられたときの奴の反応は凄まじかったな! しかもひとりも殺していねえとは、全く脱帽だぜ!」
「アンタ、こっちを勇者に任されたのを覚えてないの? このままじゃ、恥ずかしくて勇者の前に顔を出せなくなるわよ」
そのセルセラの言葉にメレンコスは「おお、そうだったそうだった」と思い出したような顔をした。
それでメレンコスとセルセラのふたりは、王国兵たちの群から抜けて、その男、グスタフの方に近付いて行った。そしてセルセラは言った。
「もうこの戦闘はあなた方の負けよ。さっさと手を上げて貰えると嬉しいんだけど」
「ここでは私の方が優勢なのだが。優勢な者が降伏する理由があるのかね」
そのグスタフの返答にセルセラはうんざりとした。
この男も”戦闘狂”なのかと。第一皇女といい、どうして帝国には面倒な奴ばかりいるのだろうかと。
「お主が王国一の弓使い『聖弓手』セルセラか。隣が”受け専”の『盾戦士』メレンコスだな。私は動かないから、戦いたければそちらから来てくれ」
そうグスタフは言った。全く普段と変わりない声色と口調だった。
(”受け専”なんて、何かいやらしい響きだわ)
と唐突にセルセラは何の根拠もなくそう思った。それはそうと、相手は
さて、どちらを使おうかと彼女は矢筒から矢を抜きつつ考える。『威力』か、『命中精度』か。
セルセラの持つ『セルフィーネの矢筒』は神武具である。矢を抜くと、減った分だけ自動的に矢が補充されるのだ。ただしそれには一定の時間が必要だった。
『穿孔』は威力重視の武技だ。相手が金属の全身鎧だろうと、易々と貫通出来るだろう。
『針孔』は命中精度重視の武技である。どんな小さな隙間でも射通せる。
(狙うならバイザーの隙間だけど、彼の目に矢を突き立たせるのは気が引けるわね)
セルセラは『穿孔』を使うことにした。メレンコスが盾を構えてじりっじりっと相手の騎士隊長に近付いているが、それはセルセラが決断するのを待っているのである。
セルセラはメレンコスの陰に移動し、射出の瞬間を相手に見られない位置についた。そして叫ぶ。
「あなたたち、敵の騎士隊長が体勢を崩したら、一斉に飛び掛かって押さえ込みなさい!」
そのセルセラの言葉に王国兵たちがはっとしたかのように動き出す。わらわらと兵士の群れがセルセラの後ろに待機した。
「卑怯だなんて、言わないわよね?」
セルセラはそう挑発する。しかしグスタフの返答は全く
「武人ならば何でも使う。当たり前のことだ」
セルセラはその返事を聞いて眉をひそめる。目の前の敵は全然動じてない。
同じ武器を使えだの一対一にしろだのと騒ぐ、お花畑のおとぎ話にかぶれた輩とはその心構えからして違うと舌打ちしたい気分になった。本当に目の前の男を押さえ込めるのだろうか? セルセラは不安になってきた。
グスタフは失望していた。
眼前の王国兵たちを眺めてみたが、勇者の姿が見当たらなかったからだ。城門の方も同時に騒がしくなったようだが、勇者はそっちかとグスタフは歯噛みした。
ここはハズレだと思い、思わず「あ、チェンジで」と言いたくなった。
大盾を構えて近づいて来るのは勇者パーティのひとり、『盾戦士』のメレンコスである。防御特化型の戦士である彼は、惜しいかな攻撃力がない。それは普段、勇者が担当している役割だからだ。代わって今はそれを『聖弓手』セルセラがやろうとしているのだろう。
だが彼女は気が付いているのだろうか。その位置では弓を使うには距離が近すぎるのだ。グスタフがその気になれば、一足で彼女の所まで到達出来てしまう。所要時間は一爪(一秒)もあれば十分だった。
が、まあそのときは目の前のメレンコスが邪魔するのだろう。それに対弓戦は久しぶりだったので、グスタフはどんな攻撃を仕掛けてくるのか、その点に関してだけは興味があったのである。
勇者は顔をしかめた。ここの通路が狭く、思うように聖剣を操れないからだ。
『猫』は階段上でつまらなそうに座って、勇者とリリンを見ている。向こうから攻撃してくる気はないようだった。
「はあ~」
勇者はため息をついた。こういうやる気のない敵を相手にするのは苦手なのだ。
そのとき、ちょんちょんと背中を突かれた。リリンだった。彼女は勇者にささやいた。
「勇者、私がやりましょう。あの
勇者は完全にばれてると思った。それはともかく、勇者はリリンに対して横に首を振った。汚れ役を他人に押し付けるのは、これもまた勇者の信条に反することだからだ。彼は覚悟を決めた。
「知ってます?」
剣を構えて一歩一歩階段を上る勇者に『猫』は話し掛けた。
「何をだ」
『猫』は黒刃の短剣をかざしながら言った。
「黒猫の爪には毒があるんですよ」
(それは都市伝説だろーが!)
勇者は突っ込みたい気分になった。が、あらためて『猫』の持つ短剣を注視する。そして気付いた。
「……毒刃なんだな、その短剣」
「正解です。だから病気にならないように気を付けてくださいね? おたふくとか」
(突っ込めばいいのか? 突っ込めばいいのか? お約束を待っているのか?)
そう思いつつ勇者は『猫』に向かって跳躍した。
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