18 ベネターレ陥落(3)

 『猫』は避けなかった。というより、この狭い通路内では避けようもなかった。

 勇者は彼女の手を狙った。持っている短剣をはじき飛ばすのだ。もしここが彼のリュミラーデを存分に振える場所だったなら、彼は難なくそれをこなしただろう。だがこの場所は如何いかんせん、狭すぎたのだ。


 正面からだけの勇者の単調な剣筋に『猫』は完璧に対応した。そして力は無いが敏捷さだけはたっぷりとある彼女は、その二本という数の利点と、手数の多さを生かして逆に勇者を押し込んだのだ。

 (刃に触っても駄目というのがさらに厄介だ、うおっ!)

 この場所の狭さが防御すらもろくに取れない勇者に、いずれこの攻撃を避けられなくなるという予感をさせたのだった。


 『猫』の刃が勇者をかすめた。

 勇者は必死になってかわしているが、移動出来る余地は殆どなく、加えて『猫』はこのような戦闘は得意らしかった。

 勇者は『猫』を見る。

 こちらに対して全く憎しみも敵愾心てきがいしんも感じられない。ただ、義務を果たしているだけのような、そんな表情だった。だが。


 勇者は一瞬目を閉じ、開いた。

 再び開いたときには、勇者は既に覚悟を決めていた。

 相手の少女を無傷で無力化するという選択を放棄する、という覚悟である。

 勇者は一旦後ろに跳んで『猫』との距離を取った。

 「勇者……」という心配そうなリリンの声が背後から聞こえてきた。『猫』は身をかがめた。肉食獣が獲物に飛び掛かる前の、あの動作である。


 たんっ。と、『猫』が跳んだ。右手の短剣の切っ先は正確に勇者の喉笛を捉える――瞬刻、勇者は腕を畳んで聖剣リュミラーデを真上に斬り上げた。

 『猫』の右腕が肩の付け根から空中に飛んだ。

 「かあっ!」

 『猫』が気を吐き、今度は左の短剣が勇者の頸動脈をかすめた――刹那に勇者の手首がくるりと回り、リュミラーデの刀身が綺麗な円を描いて『猫』の左二の腕を寸断した。

 斬り飛ばされた『猫』の二本の腕が通路の天井と壁に当たり、階段に落ちる。

 と、そのときには『猫』の身体は前に傾いで、ずだんと地に伏してずるずると階段を滑り落ちていき、その途中で止まっていた。

 勇者は少女に勝った。が、その表情は歪んで、まるで負けたときのそれであった。

 その勇者の目が、階段の途中に突っ伏している少女を見て大きく開かれる。


 「血が、白?」

 そういう種族もあるのかと、勇者はうつ伏せになっている『猫』を見て思った。その疑問にリリンが答える。

 「人造人間ホムンクルスです、勇者」

 「人造人間? これが?」

 勇者はあらためて『猫』を見る。外見上人間(彼女は猫人族だが)と全く変わらなかった。

 「主人の言いつけを守ることしか出来ない、可哀想な子たちです」「……」

 リリンの言葉に勇者は沈痛な面持ちをする。と、いきなり『猫』の目がぱちっと開いた。

 「同情なんていりません。お金は欲しいですが」

 勇者とリリンのふたりは思わず寄り添った。『猫』は再びゆっくりと目を閉じる。

 「私に勝ったのですから、さっさと行ったらどうです?」

 そう言って『猫』は動かなくなった。

 勇者とリリンは先に進むことにした。


 ある距離まで近づいて、猛然とメレンコスは突進し始めた。武技、『盾攻撃シールドバッシュ』を敢行したのだ。

 対してグスタフは動かない。セルセラは、グスタフが左右どちらかにサイドステップを踏んだときに矢を射ようと待ち構えていた。狙いは膝である。片足を奪えば、それでこの戦闘は終わりである。

 何が何でも急所を狙わなきゃ駄目なわけじゃない。足の一本、指の数本も落とせば、戦闘力は激減するのである。


 メレンコスとグスタフの相対距離がぐんぐんと縮まる。セルセラはまだか、まだかと狙いをつける。文章で記せば長く感じるが、わずか一爪に満たない時間の中でのことである。

 結局グスタフは左右に避けようとせずに、そのままふたりの大男は激突した!  と、思われたのだが、激突音がない。グスタフは柔らかくメレンコスを受け止めたのだ。

 メレンコスはぎょっとした。

 身構えていた衝撃がなかったからだ。それなのに自分の身体は止まっている。

 セルセラは「ぐっ」っとつまった。ふたりが重なって矢をれないのだ。射た瞬間を見られたら避けられそうな気がしたのでそうしたのだが、それが裏目に出た。

 どうしよう? 自分が左右どちらかに移動するしかないだろうかとセルセラは一瞬迷った。


 と、グスタフが動いた。

 メレンコスが浮いた。実に自然にふわっと浮いたのだ。いつの間にかグスタフは愛剣を鞘に収めていた。両手を自由にして、体術に切り替えていたのだ。

 そしてメレンコスは、そのまま弓を構えていたセルセラの方に来た。

 「げっ」

 セルセラは美貌の『聖弓手』に相応ふさわしくない声を上げた。そしてそのままメレンコスに押しつぶされた。

 「ぐえ~~~」

 またまたセルセラは美貌の『聖弓手』に相応しくない叫び声を上げた。まるで蛙が引き潰されたときのような声だった(本当にそうなのかは分からない)。

 周りの王国兵たち全員は、今の声は聞かなかったことにしようと、目線だけで示し合わせた。


 床に倒れて「いたたたあ」とうめいているセルセラとメレンコスを「ふむ」と眺めたグスタフは言った。

 「まだまだ精進が足りませんな、御二方。人生は短いのです。急がないと、武の頂点には到達出来ませんぞ」

 「誰も彼も武の頂点なんか目指さないって……」 

 セルセラがそう反論すると、グスタフはふっと笑って上を見上げた。その方向は城の司令部、自分の幼い主君のいる方向である。しばらくそちらを見ていたが、

 「抜かれたか」

 と一言つぶやくときびすを返して奥に姿を消した。

 立ち上がったセルセラとメレンコスは、顔を見合わせてぽかんとしていたが、ひとつ頷き合ってからグスタフが去って行った方向に走り出した。

 そして勇者パーティのふたりがいなくなって初めて、その場にいた王国兵たちが慌てて後を追い始めたのである。


 勇者とリリンは扉を抜け、司令室に到達した。

 そこには護衛三人に守られたアスカルがいた。オルフィナとレレアンヌは上級地区の屋敷の方にいるようであった。

 アスカルの顔は強張っていた。また、心なしかやつれてもいた。無理もない、と勇者は同情した。何か月も攻囲に耐え続けていたのだ。今は緊急事態ということで、無理矢理起こされたのだろう。

 その原因の一端が自分にあるのも勇者は承知していたが、戦争なんだとそれを肚の中に収めて、幼い領主代行に勧告した。


 「大勢たいせいは決しました。降伏していただきたい、領主代行どの」

 その勇者の言葉に、アスカルは答えなかった。勇者はやむなくもう一度声を掛けようとしたところで、アスカルが口を開いた。

 「街の住人と部下の身の安全は保障していただけますか?」

 「勇者の名において」

 勇者は即答した。アスカルは目を瞑りこうべを垂れた。そしてしばらくののち顔を上げ、目を開く。

 「分かりました。降伏致します」

 「有難う」

 勇者はほっとした。アスカルを守る護衛たちは苦悶の表情をしたが、何も言わなかった。

 勇者は戦闘を止めねばならないと思い、アスカルに現在戦闘中の城門近辺に共に赴こうと提案した。アスカルは頷いて、護衛と勇者とともに司令室を出ようとしたところでグスタフに出っくわした。


 「もうちょっと、粘って欲しかったですな」

 出口を塞ぐ形となったグスタフは、勇者を見つめた。 

 勇者は一目見て、この男は只者ではないと感じた。凄まじい威圧感を発しているのである。だが、そのようなものに臆する勇者ではない。ごく自然体で彼はグスタフの前に立ち、言った。

 「合意はなされた。城門での戦闘を止めねばならないから、そこをどいてくれないか?」

 「力づくでどかしてみろ、と言ったらどうしますかな」

 勇者は寸刻のためらいもなく答えた。

 「そのように、するだろう」


 その答えを聞いたグスタフから殺気が膨れ上がった。

 勇者以外の全員が、顔を蒼くして後ずさった。勇者はため息をついて言った。

 「あとで必ず相手するから、ここは退いて貰えないか」 

 グスタフはその言葉を聞いて「ふむ」と頷いた。そしてつぶやく。

 「仮にも勇者のげんですからな。約束をたがえることは御座いますまい」

 そう言って脇に退いた。成り行きを見守っていた全員が、深く息を吐いた。


 戦闘が行われている城門前に勇者とアスカルは行き、戦闘を止めさせた。全員がベネターレが降伏したことを知った。王国兵は喜び、帝国兵はうなだれた。

 翌日、総司令官のベリュグ公爵が到着したが、そこにいた勇者の顔を見て舌打ちした。勇者は略奪、暴行、放火を禁じたが、略奪だけは認めて貰わないと兵士たちの間で不満が爆発しますぞとライトマン伯爵が再考を求めた。彼らを制御出来ずに暴発して、より酷い状況になりますぞと言ったのだ。


 アスカルはやむを得ないとそれに同意したが、勇者は街のひとに危害を加えた者は勇者の名において必ず斬ると大音声だいおんじょうで言い放った。その場の誰もが凍り付き、王国兵士たちを一睨みしたあとに勇者はその場を去った。

 ベリュグ公爵はあの平民めがと悔しがったが、勇者は宣言したことは必ず実行すると知っていたので配下の兵には略奪しか許可出来なかった。


 勇者は約束を守った。

 ベネターレが陥落して数日後に、街郊外の荒地で勇者とグスタフのふたりは手合わせを行ったのだ。誰も観客のいない仕合である。見守っていたのは勇者パーティの面々だけであった。

 結果はというと、グスタフは勇者に右手の指を二本斬り落とされて負けたのだった。その際に彼は、

 「まだまだ精進が足らん」

 と言い残してベネターレにも帰らずに、いずこかへとひとりで去って行った。

 グスタフは勇者の頬に一筋の傷をつけた。

 勇者は紛れもなく彼が今までで最強の敵だったと、そう周りに語ったのであった。


 ベネターレの陥落によって、帝国は防衛線を下げざるを得なくなった。

 反対に王国はここを拠点として、帝国の全方位何処でも狙える場所を得た。

 北のトリュートル城(ギルレイア伯爵領)にも、北西の街マレンジット(ユハンナス侯爵領)にも、東の街バルダム(レメン侯爵領)にも、そして南西のパンラウムに至る地域にも、何処でも進出可能な位置である。ここにおいて主導権は、王国側が完全に握ったのだった。

 それはこの戦争が、新たな段階に移ったことを意味したのである。

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