16 ベネターレ陥落(1)

 ベネターレの北西千歩の所に小さな森がある。地元民は”風読みの森”と呼んでいたが由来は分からない。この森では風が強い日は木々の間からひょうひょうという独特の甲高い音がした。それが由来のひとつかもしれなかった。


 その”風読みの森”の中で深夜、うごめく影があった。森の中心部には地面に穴が開いており、石組みで崩れないように固められている。そして穴には階段が作られており、その階段を上って次々に人が地上に出てきていた。

 この出てきた人々はベネターレの住民であり、この穴はベネターレ市街地から地下を伸びている避難路であった。ここの避難路の他に北と東にも避難路があった。つまりこの人たちは包囲中の街から避難するために避難路を通って逃げてきたのだ。背中に荷物を背負い、両手にも持って、皆一様に疲れた表情で歩いていた。


 王国軍のベネターレ包囲はいつまで続くかも知れず、領主のメレドス公爵家は、街の住民に対して出来るだけ早く避難するように通達していた。

 街から脱出したあとは、北西にあるユハンナス侯爵領の主都マレンジットに向かうように指示されていた。そしてマレンジットに到着したあとは、個人の希望、状況によってさらに主戦場から離れるように避難することが推奨されていた。


 もうすぐ、街の住民の三分の二の避難が完了するところまできていた。現在のベネターレは、最盛期であった頃のにぎやかな街とは比べるべくもない、閑散とした雰囲気の寂れた街になり果てていた。物資の供給は微々たるもので、それは守備隊の兵士たちに優先的にまわされた。

 それだからこそ住民には早く避難するように勧告されていたのだ。

 街の人々は無事脱出出来たことを喜びつつも、これからどうしていけば良いのか、将来のことを考えて肩を落とすのだった。人々は箇所箇所に配置されている帝国兵の指示に従いながら列を作って歩いていた。


 突然、ざわめきが湧き起こった。列の周囲の木々の間から兵が溢れてきて、帝国兵に武器を突き付けたのだ。帝国兵たちはなすすべもなく 両手を上げて降伏した。王国兵であった。とうとうここの隠し通路が見つかってしまったのかと、避難してきた人々は絶望した。自分たちは戦争奴隷にされてしまうのだ。

 だがしかし、その王国軍の指揮官は意外な言葉を発した。

 「ベネターレの皆さんは、そのまま静かに避難して下さい。われわれは危害を加えません。落ち着いて避難して下さい――」


 王国兵は自分たちを無事に通すつもりだという、思わぬ展開に皆きょとんとしていた。しばらくお互いの顔を見つめ合っていたが、いつ王国兵の気が変わるか分からないとはたと気が付いて、ベネターレの避難民たちはそうなる前に足早に”風読みの森”を去っていくのであった。


 「どうやら上手くいきそうね」

 「ああ、余計な戦闘も起こらなかったし、混乱も無い。奇襲は成功だったな」

 勇者とセルセラの会話であった。

 「じゃあ予定通り地下通路から侵入するぜ」

 とメレンコスが報告にきたので勇者は頷いた。

 勇者一行とその配下の兵士三千人は、ガリルンの情報をもとに暗くなってからこの”風読みの森”の近くに隠れた。そして森の中から人影がぞろぞろと出てきて、北西の方に歩いていくのを見たのだ。

 それらの人々は殆どが民間人と思われ、持てるだけの荷物を抱えていることから避難民と判断出来た。


 大人だけでなく子供、老人も確認出来た。数十人程度の帝国兵を認めたが、住民に対する誘導役だということも分かった。それで出来る限り殺傷は避けて制圧することにしたのだった。

 結果は上手く奇襲が成功して、敵味方双方に死傷者は出ずに地下通路の入り口を確保することが出来た。次の目標はこの通路を使ってベネターレ市街に侵入し、ベネターレを占領することだ。

 勇者は部下の王国兵に混じって地下通路に足を踏み入れた。


 地下通路内では避難民がベネターレを脱出する方向に進む一方、王国兵がベネターレの街中方面に進んでいく光景が見られた。お互いが無言ですれ違う奇妙な光景である。

 やがて地下通路は出口に達したが、勇者が外に出たときには入り口の帝国兵は既に制圧されたあとであった。さすがに挙兵以来ずっとついてきてくれた熟練の部下たちである。絶妙な手腕を発揮して混乱することもなく、手際良くやってのけたらしい。

 その後王国兵が避難民を誘導するという、またしてもおかしな状況を出現させるかたわらで、勇者はベネターレ城を攻略する隊と、城門を制圧して味方を中に引き込む隊に分かれて行動を開始した。勇者パーティはベネターレ城攻略隊である。


 深夜のベネターレ市街の大通りを王国兵たちが静かに進んでゆく。

 物資を節約しているのか、それとも不足しているのかどちらなのか分からないが、ベネターレの市街の明かりはほとんどともされずに、街の建築物があたかも墓石のように暗闇の中に影として浮かび上がっていた。


 その根元を勇者たちはベネターレ城目指して進んでいったが、途中帝国の憲兵に何度か出会った。それに対して勇者は暗いことを良いことに最初は味方を装い、近づいてから武力で制圧するという方法で、侵入が露見することもなく勇者たちは無事ベネターレ城の外壁に達したのだった。

 魔人族は夜目が利くという話だったが、一本角の平民出はそれほどでもないらしい。


 とりあえず予定通り部下たちを城の周囲にひそませられて、勇者は安堵のため息をついた。後は城門制圧組と時間を合わせて行動を開始するのみである。

 勇者はちらと顔を上げた。黒々としたベネターレの建築物の間からひときわ高い影が空に伸びている。ベネターレの観光名所、時計塔であった。

 あの時計塔の鐘が鳴ったときが、自分たちが行動を開始するときである。その時刻まであと三十分くらいはあった。勇者は上手くいくことを祈りつつ目をつむるのだった。


 ベネターレの南門の近くに、アラン卿率いる三千名の王国兵たちは待機していた。

 アラン卿は勇者から今回の計画について聞かされており、勇者からベネターレ市街へ突入する役をお願いされたのである。それでここに待機している訳だが、城壁の外からうかがうベネターレの街に異常は無く、いたって静かな夜であった。

 予定通りであれば、勇者たちは既にベネターレに潜入して、作戦開始のときを待っている筈である。


 アラン卿はちらちらと自分の部隊の両側を見た。そこには自分の顔見知りの伯爵ふたりが、自分と同じように突入の瞬間を待っているのだ。彼らにはベネターレに内応する人物を潜ませて門を開ける手はずと言ってある。

 勇者の名を出すよりはよっぽどすんなりと納得するだろうとの配慮だったが、彼らも功績を欲していたらしく、すぐに乗ってきた。さすがに勇者軍と自分の軍だけでは数的に不安だったので、これで一息つける気持ちになったアラン卿であった。


 第十二刻(午前〇時)となり、時計塔の鐘が鳴り始めた。

 勇者らは行動を開始する。ベネターレ城の入り口の門番を静かに制圧して、一行は勇者とリリン、メレンコスとセルセラの二手に分かれた。勇者らが裏手、メレンコスらが正面玄関からで、王国兵たちはメレンコスらについていく。

 正面玄関組はなるべ派手に、裏手組はなるべく静かに、というのが行動の方針であった。


 メレンコスらは発見された守兵との間で戦闘に突入した。

 一方勇者とリリンは裏手にある陰になった岩壁の一部を探っていた。はたから見ればさっぱりわけの分からない行動だが、かちっと音がしてそこの岩壁に穴が開いた。この城の抜け道のひとつである。ガリルンはまたしても正しい情報を勇者にもたらした。

 勇者とリリンはその抜け道にするりと入り込む。中の通路は暗く、かび臭く、ひとひとり通れれば良い幅の狭さだった。光の魔石のカンテラを取り出して足元を照らしつつ勇者とリリンは先に進む。

 この通路が何度も何度も折れ曲がっているのは部屋と部屋の隙間をうようにして造られているからだろう。それでも幾つかの階段を上り、着実に勇者たちは城の最上階に進んでいることを感じることが出来た。


 城門のすぐそばで待機していたアラン卿は、第十二刻の鐘が鳴った直後に城門内部の周辺で小競り合いのような音をとらえた。アラン卿は自分の兵士の中で最も精強な兵士たちを選抜していたが、その者たちをまず城門に向かわせた。

 出来る限り静かに移動したその兵士らは、突然開いた城門に何のためらいもなく身を滑り込ませ、アラン卿がはらはらしつつ見守っていると、ぎぎぎという音がして両開きの扉が大きく開いた。

 アラン卿は手を挙げて振り返り、配下の兵に命を下した。

 「突入せよ!」

 暗闇に潜んでいた王国兵たちが一斉に立ち上がり、城門に向けて走り始めた。続々と続くその兵士群を眺めながらアラン卿は、作戦は成功したと確信するのだった。


 ホティンの貴族宿で寝ていたベリュグ公爵は、早馬でベネターレに対する夜襲が成功し、城門を突破したとの報告を受け、小躍こおどりした。公爵が何処の部隊だと聞くとアラン卿の部隊だという。

 公爵は頷き、全軍に突入するように命令を出した。だが、真夜中のことでもあり、アラン卿と数人の貴族以外の諸侯の兵は、結局明るくなるまで動けなかったのである。


 のちにベリュグ公爵は、突入の手引きをしたのが勇者だったことを知ったがそれを無視し、戦功の第一はアラン卿であると公表した。アラン卿は勇者のことに言及したが、王国貴族の誰もがその話に耳を傾けようとはしなかった。あえて。

 アラン卿は憤慨ふんがいしたが、勇者はこの朋友に対して笑ってもう良いよと慰めた。


 勇者とリリンは薄暗闇の中を進んでいた。そして長い階段があり、その突きに当たりに扉があった。

 彼らは扉を見上げ、足を止めた。何故なら。

 何故なら扉の前の階段の最上段に、座っている一人の少女がいたからだ。

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