15 大勝のあとで

 シエルはパンラウムの屋敷の自分の部屋で、これからどう行動すれば良いかを考えていた。現在のシエルの動かせる兵は次の通りであった。


 オーク部隊八千名(シエル軍主力)

 パンラウム常備兵(魔人族)千名(農民兵は動員していない)

 トルフ子爵軍千名(犬人族)(パニャの実家)

 グルッツィオ子爵軍千名(狼人族)(カプラの実家)

 セルセレーテ子爵軍五百名(巨人族)(ワテレーラの実家)

 チシュナル子爵軍千名(狐人族)(ナスニアの実家)

 ベニグリムド男爵軍二百名(有翼族)(帝国西部の一領主)

 カーニッド男爵軍五百名(虎人族)(帝国西部の一領主)

 マルクリフ男爵軍五百名(蜥蜴人族)(帝国西部の一領主)

 小領主混成軍千名(種族は色々)(帝国西部の領主たち)

 計一万四千七百名。


 取り敢えずこれ以上兵数が増える見込みは無かった。勿論農民を動員すれば『兵数』は増やせる。しかしシエルはそれをやりたくなかったのだ。

 兵は現在も錬成中である。注文しておいた装備も徐々に整いつつあった。補給は勇者軍から分捕った食糧を加えて十二分に備蓄した。今年の冬を越すには十分だろう。


 シエルはお茶を口に含んだ。今日のシエル担当はパニャだった。イェーナもタタロナも兵の訓練に掛かりきりになっている。特にイェーナは同族であるベニグリムド男爵の有翼族の訓練を受け持って張り切っていた。

 シエルはこの有翼族には空中偵察と命令伝達をやって貰おうと考えていたのだ。ただ意外だったことに、彼らの誰もイェーナほど高く、速く飛ぶことは出来ないことが分かった。イェーナの能力はずば抜けていたのだ。


 セルセレーテ子爵軍の巨人族五百名は戦車と見立てた。彼らには壁のような分厚く大きな盾を持たせた。そして一列に並ばせて進軍させると、まるで城壁が移動するようで圧巻であった。ただ側面は弱いので回り込まれないように手当てする必要はあった。

 犬人族、狼人族、狐人族、虎人族の兵士たちはやたらと走りまわりたがった。しかもてんでんばらばらにである。種族特性なのかもしれなかった。

 彼らに『協調』を教えこませ、肩を並べて戦わせるにはことさらに苦労した。その他に数は少ないが様様な種族が参陣していて、シエルはそれを見て、

 「あーいかにも魔族軍っぽい」

 と思ったのであった。


 「お茶は如何いかがですか?」

 と、パニャが尋ねてきた。「頂戴」とシエルが答えると、魔石ポットからカップに注いでくれた。良い香りが周りに広がる。

 ふうとシエルはため息をついた。配下の兵士たちにはとりあえず『南間道の戦い』で戦いの洗礼は受けさせた。だがそれはいわゆる奇襲であった。

 自軍の兵士たちが敵と正面からがっぷり四つに組んだときに、どの程度力を発揮するのかはいまだ未知数だった。オーク部隊は実績があるのである程度予測は出来たが他はどうだろうか。

 まあまず、ぼろぼろと崩れることだけは無いだろうとシエルは思った。


 「あのお……」

 パニャが上目遣いでおずおずと話しかけてきた。あーもう可愛いなこん畜生と思いつつ、シエルは「何かな」と渋い声(シエル主観)で答えた。

 「お部屋をお掃除してたら、こんなものを見つけたんです」

 とごそごそと侍女服のポケットをまさぐって、取り出したパニャの右手に掲げられていたのは、銀色に光る小さな鍵であった。

 がたん! とシエルは立ち上がった。半眼であるシエルのまなこが大きく見開かれ、それを凝視した。

 「ひいっ⁉」

 パニャは突然の主君の豹変さにおびえた。文字通り”君子豹変す”であった。え、意味が違う? シエルにはそんな用法なぞどうでも良かった。

 問題はパニャの持つ小さな鍵である。もしかしたらそれは、シエルレーネ姫の闇の部分を暴く例の『鍵』かもしれないのだ。

 メガネちゃんの暗い微笑みが、シエルの脳裏によぎった。


 「パニャ、それをよこせ」とシエルは言った。

 「あ、あ……」とパニャはその勢いに怯えて一、二歩後ずさった。シエルは黒檀の長机に手をつき、ひらりとそれを飛び越して、パニャの目の前に降り立った。

 「パニャ、それをさっさとよこすんだ」

 シエルはごく普通に言ったつもりであったが、パニャはその言葉に威圧を感じたらしい、また一、二歩後ずさって首を振り「い、嫌」とつぶやいた。

 「は⁉ 嫌?」


 シエルは素っとん狂な声を上げた。パニャの思いもよらなかった拒否に、シエルの思考は一瞬停止したのだ。そしてシエルのその声に、パニャは再び威圧を感じて混乱したらしい。「嫌あー」と振り向いてシエルの側から逃げようとした。

 シエルはこれまた反射的にパニャに飛び掛かり、押し倒して馬乗りになった。パニャは仰向けに倒れており、涙目でシエルのことを見つめていた。

 (あー、一体何をやっているんだわれは)

 パニャの怯えた表情を見て多少冷静になったシエルは、彼女をなだめるように優しい声で言った。

 「パニャ、その鍵を渡しなさい」

 パニャは首をふるふると振って、余計に鍵をぎゅっと握って渡してなるものか、と決意を固めたようだった。

 シエルはイラっとした。

 そしてどうしても渡しそうにない自分の侍女に業を煮やしたシエルは、両手を振りかぶるとそれをいきなりパニャのわき腹に突っ込んで、おもむろにくすぐり出したのだ!

 「ぎゃははははっ」

 花も恥じらう年頃の乙女には似つかわしくない豪快な笑い声が、シエルの部屋に響き渡った。

 「ほおーれほれほれ、さっさと渡さんかい」

 「あーーーっはっはっはっは、絶対にいやですう~、はあっははははーーー」


 パニャは足をばたばたさせ、スカートをはだけさせた。その姿は全く貴族にはあるまじき乱れっぷりであった。そうしてふたりがしばらくじゃれあっていると、「おっほん」と言う咳払いが聞こえた。シエルとパニャのふたりはその声の方に振り向くと、そこには氷の冷徹さを持った無表情のシェロンヌが立っていた。

 シエルとパニャは無言で立ち上がって、顔を赤くしてぱたぱたと埃を払った。そしてシエルは黒檀机の自分の席に戻り、パニャは一礼して部屋を出て行った。シエルはその際に鍵を回収しておいた。


 部屋に残ったシエルとシェロンヌはつかの間何も喋らず、身じろぎもしなかった。口を開かずにじっと自分を見つめているシェロンヌに、居心地の悪さを感じたシエルは「何か喋れ」と苦い表情で彼女に言った。澄まし顔でシェロンヌは言う。

 「仲が良いのは喜ばしい事なのですが――」

 そこで一旦言葉を切ってからシェロンヌは続けた。

 「階下で婦長が凄い目で睨んでおりましたよ」

 シエルはそれを聞いてあちゃーと思った。そして再教育ブートキャンプ間違いなしのパニャともを思って、安らかに眠れと黙とうを捧げた。が、すぐに切り替えた。


 「ま、それは良いとして、何か報告があるのか」

 「はい、陛下から一度帝都に来れないかという連絡が入りました。それと誕生日おめでとうと」

 シエルはそれを聞いてああ、また自分は歳を重ねたのかと思った。の誕生日は九月三日だった。シエルは国民的ネコ型ロボットの誕生日と一緒だなと感じただけであったが、これだけはどうしても他人事ひとごととしか思えなかったのだ。


 シエルは十六歳になった。なったのだが、あまり外見は変わらなかった。目の前のシェロンヌのように私は女性です、という主張が自分には足りないのではないかとシエルはつくづく思った。それを睨んでいると、

 「? どうかしましたか」

 と,シェロンヌが無垢むくな表情で首を傾げるので、頭に来て手を伸ばしてをぎゅっと握ってやった。

 「! ひゃん! な、何をするんですかっ」

 とシェロンヌは珍しく可愛い声を上げて抗議してきた。シエルは表情で「かっとなってやっただけだ。気にするな」と言って背もたれに寄りかかった。

 もしシエルが葉巻を吸っていたら、ぷはーと煙を吐き出していただろう。


 シェロンヌは頬を赤らめて「横暴……」と小さくつぶやいた。

 シエルには確かに『暴君』になる気質が多分にあるようだった。現代日本で言えば『セクハラ親父』ほどの残虐非道さであった。許すまじの精神であった。

 だがここは現代日本ではないのだよとシエルは心の中でうそぶいた。

 シエルがこの世界に来て丸二年になった。転生してきたのは二年前の九月二十二日の夜である。

 シエルは帝城の部屋に差し込む月光の青い光を今でも覚えていた。そうして自分の姿を鏡に映して見たときから全ては始まったのだ、と回想に入ると長くなるからと、シエルはそこで思考を打ち切った。


 「誕生日を祝ってくれただけでは無いのだろう? 後継問題か?」 

 「おそらくはそのように思われます」

 とシェロンヌはそう答えた。ウルグルド帝国の後継者は皇太子のジャリカ兄だったが、『ホティンの戦い』で戦死した。シエルは『ホティンの戦い』の直後に皇帝宛に「シャカル兄を後継者として直ちに公表すべし」と書簡を送ったのだ。

 だがそれから半年近く経った現在においても、いまだ後継者を公表していなかった。、皇帝の悪い癖が出たようであった。決定すべきときに決定しないという悪癖である。

 ジャリカ兄に比べると見劣りはするが、消去法でシャカル兄しかいないのである。ブルセボ兄? 冗談でしょ。それともわれ? もっと冗談きついぜとシエルは思っていた。


 それとも正常な判断が出来ないくらいに病状が悪化したのだろうか。ジャリカ兄が戦死したとき、皇帝も人事不省に陥ったらしい。よほどの衝撃であったのだろう。もしくは皇后が。

 皇后ならば賢者リリンが第七階位の魔術『暗黒球』を使った事を分かった筈である。だから死んだのではなく飛ばされただけだから、もしかしたらある日、ジャリカ兄がひょいと帰ってくるかもしれないと、一縷いちるの望みをたくしているのかもしれなかった。


 シエルはため息をついた。皇后がジャリカ兄を特に可愛がっていたのは知っている。皇后と同じ白い髪、白い肌で最も自分に似た、血を分けた愛息である。

 気持ちは分かる。分かるが、国のトップふたりが思考停止をして現実逃避をするならば、帝国が迎えるのは緩やかな死である。

 宰相はというとファファー公爵からその任を引き継いだユハンナス侯爵である。堅実な方ではあるがどうだろうか。今は危急のときである。ゆっくりと責務に慣れる時間はあまり無いのではなかろうか。

 シエルはこれは一度帝都に出向いて、今現在宮廷がどのようになっているか、自分の目で見て来なくてはならないだろうと思った。


 「シェロンヌ、ベネターレの方は安定しているんだな」

 「はい、現状戦線は安定しており、補給線もしっかりと機能しております」

 「ならば近いうち、北辺に雪が降る前に一度帝都に行って陛下の顔を見てこようと思うのだが」

 「はい、それが宜しいかと存じます」

 そう話は決まった。

 帝都に出発する日時としては、十一月五日にすることにして、そのように向こうには手紙で知らせた。


 そうして出発の準備と留守中の手配を終えて、シエルが帝都に向けて出発しようかという日の前々日に、ベネターレ陥落の報が届いたのだった。

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