13 大敗のあとで(1)

 聖花歴千百十四年九月下旬。

 勇者が帝国西部で大敗を喫したという報は、ベネターレを囲んでいる王国貴族たちを喜ばせた。

 「それはまことなのであろうな? ブルドニル伯? いや”アラン卿”か」

 帝国侵攻軍総司令官であるベリュグ公爵は、その報告をもたらしたアラン卿に再度念を押した。アラン卿と言い直されたアラン卿は苦笑しつつ答えた。

 「はい、間違いは御座いません。勇者軍はその数を三千に減らして、現在はアルペルン郊外で休養しております」

 「これはこれは。確か出発した時は三万おりましたな。それが今や三千と! いやはやいやはや」

 副官のセレジネーレ公爵が手を叩いてはしゃいでいる。それをアラン卿は冷めた目で見ていた。

 (王国軍の失敗を同じ王国軍が喜ぶ。何という愚かしい事をしているのか)


 ベネターレ攻略は何の進展もなく四か月を経過していた。王国軍はベネターレを包囲していると思っているが、実は何本かの抜け道が包囲軍の外に抜けており、帝国はそこから食糧等の補給を行っていたのだった。

 また住民もゆっくりとした進捗しんちょく具合ではあるが、その通路を使って外に避難させていた。現在のベネターレの人口は半分以下に減っている。その様な事も包囲している王国軍は気づいていなかった。


 レメン侯爵領の主都バルダムは先月陥落した。主都の防衛軍はレメン侯爵未亡人が指揮をとっていたのだが、落城の際に殺されてしまったのだ。小さな遺児も一緒に。犯人は農民兵で当然処分された。これでレメン侯爵家に直系はいなくなり、今後侯爵家がどうなるかは分からない。

 レメン侯爵領では王国軍兵士による略奪、暴行が横行している。死んでしまったレメン侯爵の悪行の仕返しらしいが、そこに住む領民に何の罪があるのかはこれまた分からない。

 未亡人母子殺害事件も恨みからの犯行だが、夫人もとんだとばっちりを食ったものだとアラン卿はため息をついた。


 西部方面の侵攻具合はメレドス公爵領の領境が最進出線で、それ以西には軍を進めていない。帝国侵攻軍の本営はベネターレから八里南方にあるホティンの町の貴族宿である。ベリュグ公爵はそこの最上階の帝室御用達の部屋を占有して使っていた。

 帝室や王室専用の部屋は、そうでない限り足を踏み入れないきまりだったのだが、ベリュグ公爵はもうどうでも構わないようだった。

 あのレメン侯爵ですら、貴族宿の王室専用部屋には立ち入っていないのである。


 (本来であれば戦争とはいえその様な事は許されないのだが、もはや歯止めが効かなくなっているんだ)

 アラン卿は上級貴族の増長はどこまでいってしまうのか、眉をひそめるのだった。

 それはともかくアラン卿は、侵攻作戦失敗以来落ち込みっぱなしの勇者を何とか元気付けようと考えているのだが、なかなか良い妙案が浮かばなくて困っていたのだった。


 「どうして勇者はこの城に逗留とうりゅうしないのですか!」

 怒ったようにして詰問しているのはミリアネス王女である。それにどう答えようかと侍従が苦慮している間に、純白の聖女服に身を包んだ聖女アンジェリカがにこやかに答えた。

 「勇者様はご自身の身を律していらっしゃるのです。ここにきて王女様に会えば、どうしても甘えてしまうと思っていらっしゃるのでしょう」

 「そんなこと――存分に甘えてくれてもいいですのに……」 

 そう言った王女の後半は、ごにょごにょとして聞き取りづらいものであった。もっとも聖女アンジェリカにはしっかりと聞こえていたのだが。


 ここはアルペルン城の最上階に近い、王女に割り当てられた私室である。

 『南間道の戦い』で大敗した勇者にしかし、王女は愛想を尽かさなかった。逆にこの機会に彼を慰めて、お互いの距離を縮めたかったのである。

 ミリアネス王女は出会って以降、何度言っても堅物さを崩さない勇者にいらいらしていたのだ。だから勇者に対しては何となくきつい言い方をしてしまうと反省する一方で、現在珍しく弱気になっている勇者に、これはチャンスと思って接触したいと思っているのである。


 が、聖女アンジェリカがその様な事を許すわけはなかった。

 王女に対しては勇者はこの戦争が終わるまでは、何も求めないという禁欲的な姿勢を貫くようですと伝えつつ、勇者に対しては王女様は、あなたの事は想っていますが、この戦争が終わるまではそれを口には出せません、と言っておいたのだ。

 そうしてお互いを極力会わせなければ、その想いが進展することもなく、なおかつ勇者には戦うべき理由を持たせられるのである。

 「はあ~勇者に会いたい――」

 ミリアネス王女は聖女アンジェリカの黒い思惑に気づいていない。頬杖ついて気だるげにそうつぶやく王女は、ただの年頃の娘に見えるのだった。


 聖花歴千百十四年十月上旬のある日の夕刻。

 街の灯りが外で働く者たちに、自分の家の暖かさを思い起こさせる時刻。

 アルペルンの街中にある一軒の宿屋”勇者の宿り木亭”には、ぽつりぽつりとお客が入って来た。

 美味しいと評判の主人の料理目当ての家族連れや、一杯引っ掛けてから家路につこうとする者、がっつりと料理を食べ、がっつりと酒を飲むために来た体格の良い男たち、そして閑古鳥かんこどりが鳴いていた頃からの常連たちと、そこには渋い顔をした勇者パーティの面々がいた。


 「お、お久しぶりです、メレンコス様、セルセラ様、リリン様!」 

 「ああ、ミューシャも元気そうでなによりだね。うん」

 と、セルセラが気もそぞろな返事をすると、ミューシャは尻尾をぴん! と立てて、

 「な、名前を憶えていただいちゃって恐悦至極でありました!」

 と、どもりながら緊張しつつ答えた。

 「まあ今夜はゆっくりやるからよ、まずは酒持って来てくんねえか」

 とメレンコスがやはりやる気がなさそうな感じで注文を出す。

 ミューシャは「はいっ!」と元気良くそれを受けて厨房に戻っていった。


 「はあ~」

 と、王女ミリアネスと同じ様なため息をついて円卓に突っ伏すセルセラ。初めて勇者パーティの面子を間近で見たお客は、

 「あれが聖弓手セルセラだぜ。やっぱり美人だよなあ」

 などと話している。

 性格が知れている年配の常連陣からは既に『残念美人』という称号を貰っているセルセラだが、正体がばれる前の外見そとみの良さは一級品であった。ただし今日はあまり初見の客にサービスする気は無いようであった。

 賢者リリンももう少し愛想が良ければ美少女と言っても良かった。ただし仏頂面が標準の状態デフォルトである彼女には、現状はなかなか独特な層のファンが付いているのみであった。が、当然の如く本人は何ら気にしていない。


 メレンコスは、と話をしようとしたところでミューシャが酒を持ってきた。エールっぽい何かであった。三人は木の器をぶつけることもなく、めいめいに飲み始めた。ミューシャがおずおずと尋ねた。

 「あ、あの、勇者様は今日も来ないのですか?」 

 それに答えたのはメレンコスだ。「誘ったんだがよ、多分来ねえだろうなあ」との言葉にミューシャはがっかりした。

 シエルの『勇者水虫疑惑』の話を聞いてもなお、ミューシャの『勇者崇拝』は衰えていなかったのだ。


 ”勇者の宿り木亭”店内はわいわいがやがやと楽しそうな雑音で一杯だった。ただし、勇者パーティの円卓付近を除いてだ。

 そこではどよ~んとした波動と、負の空気が渦巻いていた。

 ここに来ていた客はその理由、大方の事情を知っていた。常勝無敗であった勇者軍が帝国領土内で大敗北を喫したのだ。

 半月ほど前に尾羽おはうち枯らした勇者軍が、暗いうちにアルペルンの街中を通過して、東の郊外にある陣所に入ったのだ。そうして敗戦の報はあっという間にアルペルン中に広まった。

 だからここに来た客たちは、彼らに気を使って話しかけないのである。その気遣いが逆にメレンコスとセルセラには痛かった。リリンがどう感じていたかは分からない。


 三人ともずっとあの戦いの事を考えていた。自分たちが【首狩り姫】ことシエルレーネ第一皇女に殺されたときの事をだ。

 あのとき自分は何も出来なかったと三人とも思った。

 セルセラには精霊を呼ばうことすら出来なかったと悔やませた。

 リリンには呪文を思い浮かべる間もなく殺されたと悔しがらせた。

 メレンコスには盾を構える反応速度が遅すぎたと悔やみきれない思いをいだかせた。

 そうして自分たちは無残なむくろを野にさらし、勇者に救われたのだった。


 勇者に救われて復活した自分たちが見た光景は悪夢そのものであった。

 先ほどまで意気軒昂いきけんこうとしていた勇者軍は、寸時の間に潰滅し、死者の群れと化した。そこから先は思い出したくはなかった。

 連れては帰れない重傷者。魔術薬の数も、治療術師の人数も足りなかった。

 暑い季節である。傷口がどんどん悪化して、軽傷者も次第に重傷者となっていった。それに加えて食糧不足、そして敵中を七十里以上も歩いて帰らねばならなかったのだ。


 きの時とは違って帰りの襲撃は多かった。特に中央湿地帯近辺では毎日のように攻撃された。蜥蜴人族リザード蛇人族ラミア魚人族サハギン緑鬼族ゴブリンまでもが攻撃してきたのだ。

 そうしてひと月後、うのていで何とか味方の占領区域にたどり着き、助かった味方とみれば出発したときの約一割の三千名しか残っていなかったのだ。


 セルセラ、リリン、メレンコスの三人は無言で杯に口をつけた。苦い酒だった。

 だが、勇者はもっと辛かっただろうとセルセラは顔を歪めた。貴族たちからは嘲笑ちょうしょうと非難の的に。市民たちからは失望と憐憫れんびんの情が。そして何よりも勇者軍に入ったという息子の母親からの「人殺し、息子を返せ」という罵倒が、勇者の心を責めさいなんだのだった。


 だから勇者はあの日以来片時も剣を離さずに、鍛錬に没入しているのだ。それを逃避だという者がいれば、では勇者はどうすればよいのだとセルセラは言いたいのである。貴族たちより遥かに親しさを感じる筈の大衆の、時として残酷なまでの無責任さがセルセラには憎かった。

 その批難した母親すらそうだ。古来より味方を殺さなかった将軍など皆無なのである。そして勇者軍に強制されて入った者はいない。皆志願した者たちだった筈だ。それをだまされたなどと、どの口が言うのか。

 軍隊に入る事が一生食いっぱぐれのない、安定した永久就職先だと思っているのなら、それはとんだ間違いである。常勝無敗などというレッテルは簡単にがれ落ちるのだ。 

 ああ、もうやめようと思ってセルセラは喉の奥にぐびっと酒を流し込んだ。


 「こてんぱんにやられたんだって?」

 そう聞いてきたのは宿の主人だ。主人が仕事中に厨房の外に出るのは珍しかった。とセルセラが周りを見れば、殆どの客が引けていた。

 いつの間にか時刻は第十一刻(午後十時)を過ぎていたのだ。宿の主人はカウンター席に座って煙草に火を着けた。その席を見るといつぞやの少女の顔が目に浮かび、思わず微笑んでしまった。あの少女は今何をやっているんだろうか。


 目の前の主人は元冒険者だけあって良い肉の付き方をしていた。腕利きだったと聞く。

 「まあ勝敗は兵家の常というし、あんまり気にしなさんな」

 セルセラはこの主人は分かっている、と思った。勝てば大騒ぎで持ち上げられ、負ければ手のひらを返されて冷たい仕打ちを受ける。

 それは世の習いとはいえそんな風に扱われ続ければ、他人に対して不信に思うようになっても仕方のないことだろう。

 行きつく先は他人を全く受け入れない皮肉屋で冷淡な人物になるか、表面上はにこやかに接してはいても、心の底では常に相手を馬鹿にするようなひとになってしまう。

 セルセラはにはそんな風になって欲しくないと思った。

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