12 『跳躍作戦』(3)

 「困ったな……」

 勇者は通路を遮断した大岩に手をついて、途方に暮れてしまった。ひとは迂回して通れるかもしれないが、これでは輜重車が通過出来ないのだ。

 と、そのときじゃり、と勇者の背後で足音が聞こえた。勇者が振り向くと襤褸ボロをまとった青鬼族オークが三人近づいて来た。勇者はまた厄介な奴らに出会ってしまったと思った。


 その三人の頭目と思われる眼帯をした青鬼族オークが言った。

 「あんちゃん、金目の物をよこしな。そうすれば無事にここを通してやるぜ」

 勇者はこんなところを根城にして、こいつらは果たして食っていけてるのか疑問に思ったが、とりあえず答えた。

 「悪いな、金目の物なんか持っちゃいない。他を当たってくれ」

 青鬼族オークの頭目は手に持った棍棒で指しながら言った。

 「その腰の物でいい。少しは高く売れそうだからな」

 勇者はこいつら聖剣リュミラーデを渡せと言ってきやがったと呆れた。

 (少しは高く、では済まないのだぞ、これは)

 と思っていると、左後方からひゅうと矢が飛んできた。勇者は前に跳んでそれを避ける。

 「ほれほれ、わいらには仲間がいるんだ。命までよこせとは言わんからさっさとそれを差し出せ」

 と言ってぶうんと棍棒を振る。それを勇者はまた跳んで避けた。

 (命まで取らないというのは本当そうだ。倒すのは簡単だが、どうする?)


 勇者は目の前の青鬼族オークに殺気が無いのを気付いていた。こっちが若造だと思って舐めているみたいなのである。こうなると逆に倒しづらくなるのが勇者の性格であった。

 目の前の青鬼族オークは棍棒を振り回して、こちらを追い詰めているつもりだろうが、勇者にはまるで子供の遊び程度にしか思えなかった。が、時々飛んでくる矢は少々厄介であった。その度に勇者は跳んで矢を避ける。

 何時しか勇者は塞がれた大岩からどんどん離されていった。


 『山賊の頭目』を演じているグラフは、内心冷や汗をびっしょりといていた。目の前の少年、勇者の威圧感が半端ないのである。グラフはあらかじめシエルから、囮を演じる際の心構えを聞かされていた。

 「いいか、勇者に本気を出させるなよ。瞬殺されるぞ。それと勇者は甘いから、殺気の無い者は殺そうとはしないだろう。だから殺気は絶対に出すな。いいな、出来る限り本隊から引き離すんだぞ。それといざとなったら武器を投げ捨てて逃げろよ」 

 その通りだった。もし勇者が本気を出せば、自分ら三人は一爪そう(一秒)もかからずに倒されるだろうとグラフは感じたのだった。

 そういう心の中の感情をおくびにも出さずに、グラフは舐めた態度で勇者を引き剥がそうと必死になるのだった。


 雨足が強くなった。

 セルセラは空を見て「最悪……」とつぶやいた。メレンコスは「リリンの魔術で何とかならないのか?」と、小さいが頼れる仲間に声を掛け、リリンは「取り敢えずやってみる」と言って岩から離れる様に皆に指示を出した。

 と、そのとき空から何かが降って来た。また落石かと避けた三人の真ん中には落ちた。

 それが地面に落ちた時は全く音がせず、丸まっていたそれが立ち上がると、ひとだとわかった。少女だった。

 少女はドレスの上に鈍い赤紫色の胴鎧、籠手、甲長靴、兜を着け、手には少女に不釣り合いな長い戦斧ハルバードを持っていた。

 銀色の髪を背中に流している少女は、優雅なお辞儀カーテシーをしてにっこりと三人に微笑んだ。その少女を中心にして三歩の半径内にメレンコス、セルセラ、リリンの三人がいたのだ。


 最も素早く反応したのがセルセラだった。

 彼女は古エルフ語を唱えようとして、胸に何かが生えているのに気がついた。その少女の戦斧の槍の穂が根元まで埋まっていたのだ。

 続いてリリンが火の魔術を発動しようとその少女に顔を向けた。リリンは初級呪文ならば無詠唱ノーシンギング即時発動ノータイムで放つ事が出来るのだ。が、そのリリンの胸にも穴が開いていた。既に血が噴水の様にそこからじょろじょろと噴き出していた。

 メレンコスは吠え――られなかった。背中に背負っていた大盾を正面に構えたときにはもう戦斧の斧が左肩口から心臓まで斬り下げられていたのだ。


 その少女、シエルは斧をメレンコスから抜き取ると、直ぐに近くの勇者軍兵士に無言で踊り掛かっていった。その兵士たちは今何が起こったのか、全く分かっていない様子だった。

 シエルが三人に向けて微笑んでから、まだ五爪と掛かっていなかった。


 雨脚あまあしが強くなり、南間道の石畳の凹みに雨水が溜まっていった。その水たまりに顔を突っ込んで、リリンが倒れていた。メレンコスは両膝をつき、正座する形で空を向いてこと切れていた。ひとり雨に打たれて立っていたセルセラは、思わず下腹部に手をやったが、そこはぐっしょりと濡れていた。自分から流れでた血であった。

 彼女は両目から滂沱ぼうだの涙を流した。

 もう自分の心の臓が停まっているのは分かっていて、残された時間は後、数爪しかないのも理解していた。彼女は大岩の岩肌を見つめ、その向こう側にいる筈の愛しいひとの姿を幻視した。

 やがて彼女の両目から光が失われ、聖弓手セルセラは立ったまま絶命した。


 南間道の細い山道に沿って、薄く縦に伸びていた勇者軍は、何かが左斜面の山肌から落ちてくるのを見て、最初は土砂崩れかと思った。が、それが武器を持った帝国軍だと知ったとき、パニックが起こった。シエル軍は無言で勇者軍兵士に襲い掛かり、殺戮を開始した。

 シエルは予め勇者がいる先頭とは逆の方向に、勇者軍兵士を追い立てる様に指示した。出来る限り勇者に気づかれるのを遅れさせる為であった。雨が降っているのも好都合であった。音がくぐもって晴れのときより響かないのは、最大限に利用すべき事だった。


 勇者軍は幾つかの群れに分断され、殲滅されていった。隊形、陣形など組みようが無かった。部隊は部隊のていを成しておらず、指揮官もまた指揮すべき部下たちを集める事が出来なかった。そんな混乱しきった勇者軍にも、まとまって抵抗を試みる者たちがいた。

 勇者に挙兵以来ずっと付き従ってきた最古参の者たちである。シエルは強固なまとまりには無理に攻撃しなくても良いと言っておいた。倒すべき、削るべき相手は山ほどいるのだ。

 また勇者軍の後備には輜重隊がいた。それらの輜重車が列をなしていたのだ。そこに襲い掛かって護衛の兵士たちを倒した後は、補助役のシエル軍兵士が道路脇からわらわらと出てきて、兵糧などの補給品を強奪していった。持ちきれない分は火の魔術石を使って燃やすよう命じておいた。


 ぴくりと勇者が立ち止まって南へ顔を向けた。

 何かそちらの方から変な音がしたからであった。

 グラフらはそれが何か知っていたので、注意をらそうとわざと大声で騒ぎ立てた。

 「おらっ、もう観念して武器を渡せや! いい加減鬼ごっこも飽きて来たしよお」

 勇者はそれに答えずに耳をすませていたが、突然目を見開くとだっ、とそちらに駆け出した。

 「おいっ逃げんじゃねえ」

 と行く手を阻もうとした子分役のガフに、勇者は抜く手も見せずに聖剣リュミラーデを一閃させた。

 「馬鹿野郎!」

 グラフは左腕を伸ばして盾で斬撃を受けようとした。

 聖剣リュミラーデは、グラフの盾を両断した。


 突然ぴいーという音が鳴った。

 勇者が気づいたという合図だった。シエル軍の兵士たちは素早く降りて来た山に撤収し始めた。シエルも引き上げることにした。山の斜面を登り、森に入る端で全体を眺めて見た。

 完勝であった。

 勇者軍はほぼ壊滅し、屍を南間道にさらしている。遠く後方を見れば、雨の合間から黒い煙が幾筋も立ち上っていた。所々兵士たちの塊があって動いているのは、勇者軍の中でも古い連中であった。そいつらは生き残ったらしかった。が、そんなに数は多くない。シエルはこの戦果に満足して、森の中に入ろうとした。


 そのとき、首筋にちりっとした感覚を覚えた。シエルは振り返った。視界に入ったのはセルセラの亡骸を抱いてこちらを睨みつけている勇者の憤怒の顔であった。シエルは勇者を認識した。勇者もまたシエルを認識したのだ。

 シエルは顔を戻して森の中へ消えた。直後、後ろで勇者の咆哮が聞こえた。


 後世に伝わるこの『南間道の戦い』は帝国軍の圧勝で終わった。帝国軍の損害は僅かに百名(死傷者含めて)であったのに対して勇者軍の損害は二万名を超えた。

 そうしてひと月後、アルペルンに帰還出来た勇者軍は、四千名を大きく割り込んだのだった。

 この戦いの結果は勇者の生涯で最大の敗北と言われ、逆に帝国の【首狩り姫】ことシエルレーネ姫を一躍表舞台に立たせる契機になるのだった。


 襲撃に参加した部隊が次々に集結地に戻ってくる。その表情は皆晴れやかだった。不敗だった勇者軍を破った彼らは自信に満ち溢れていた。鹵獲ろかくした物資もまた膨大であった。何しろ三万人がひと月以上食っていける量である。残念ながら全ては持ってこれなかったが、それでも凄まじい量を持ち帰ってきたのだ。


 シエルは集結地に戻って来た部隊を確認しつつ、順次帰路につかせた。指揮はシェロンヌである。そうして皆が引き上げた最後に、囮部隊が帰ってきた。グラフたち十名の青鬼族オークである。シエルはにこやかな笑みで労をねぎらおうとして言葉を失った。


 グラフの左ひじの上から先が無かったのだ。

 グラフは頭を掻きながら照れくさそうにつぶやいた。

 「どうも、しくじっちまいやして」

 「大将はあっしをかばってくれたんです」

 と、ガフが泣きそうな声で言った。

 シエルとグラフは向かい合った。シエルは口を開きかけたが、すぐに閉じてグラフに抱きついた。そうして頭を擦り付けて、グラフに言った。

 「済まん、馬鹿な作戦を立てた……」

 とシエルは謝った。


 シエルは深く考えもせず配置を決めた。そうしてグラフがその左手を失った姿をシエルの前に現したときに、初めてそれに気づいたのだ。ゲーム感覚でまたやってしまったと。

 グラフは何も言わずにシエルの頭を撫でた。シエルの目に徐々に涙が溢れ、しゃくり上げて、終いにはわんわんと泣いてしまった。自分の浅はかな考えで、ずっと付き従ってくれた男の左腕を永久に失わせてしまったのだ。償おうとしても償えるものではなかった。

 そこにはシエルとグラフの他にイェーナとタタロナ、そしてガフを始めとした一番古くからシエルと共にいた青鬼族オークたちがいたが、シエルが泣き止むまで誰も身じろぎもしなかったのである。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る