11 『跳躍作戦』(2)
八月下旬。
勇者軍は南間道南端入り口に到達した。ここまでは極めて順調であった。虎人族からの襲撃が一度あったきりで、それ以外は戦闘らしい戦闘は無かったのだ。
勇者は眼前にそびえ立つツァルカ山脈の山々を見た。そこは竜族の住まう領域である。
(竜かあ。一度見てみたいものだ。知性が高いから人語を話せると言っていたな。話してみたい)
そんなことを勇者は考えていた。
目を凝らして見ると、険しい山肌と木々の間に一本の道が通っていた。その道には何と石畳が敷いてあったのだ。今は斥候を出して、その道が何処まで続いているか探らせている。
後続の輜重隊が追いつき、荷物をまとめて離脱させる者はここで別れる。それら全部を済ませて一晩休息を取ってから、明日勇者たちは南間道に入る予定だった。
「ここまで来ちまった、信じられねえ。帝国の西の果てだぜ」
と感嘆しているのはメレンコスである。セルセラが勇者を見て笑った。
「南間道かあ、勇者様はこれが目的だったんだね」
「ああ、今まで黙っていたのは申し訳なかったが、何処から
そう勇者がパーティの面々に言うと「それでこそ勇者様」とリリンが褒めた。
勇者は部下の幹部たちを集めて、自分は岩の上に立って宣言した。
「諸君、ここまで御苦労だった。我々は明日、南間道に入りツァルカ山脈を越える。そして帝国の首都スラミヤに向かい、これを落とし、戦争を終わらせるっ! 皆、俺に力を貸してくれっ」
それを聞いて、おおおおっと兵士から歓声が上がった。
兵士たちは、ここでやっと勇者が何をするつもりなのかが分かったのだ。その壮大な作戦に勇者軍の全員の心が震えた。おそらくこの作戦は歴史に残るに違いなかった。そうして今まで無敗の勇者である。成功を疑う者は誰もいなかったのだ。
その夜、勇者は夕食に酒の配給を増やした。士気を上げるのと、山を越えるために幾分かでも荷物を減らしたかったのである。
勇者の幕舎で、メレンコス、セルセラ、リリンは四人で夕食をとっていた。
久しぶりに酒が付き、皆で杯を酌み交わした。
(俺は元の世界では未成年なんだが、この世界では関係ないか。魔族も殺しているしな……)
こっちに来てからの事を考えると勇者は気持ちが落ち込んだ。
異世界で勇者などと言われると、血沸き肉躍る冒険活劇を思い浮かべるが、実際に自分がやっている事はといえば殺し屋のそれだった。
魔王軍対勇者という構図だと、いかにもこちらが正義であると思えるが、最初に戦争を始めたのは実は王国側だと知ってからは、それほど魔族たちが悪いとは思わなくなっていた。
戦争の大義など、どんな風にでも取って付けられるという事を目にしたあとでは、どの様な言い訳をしても自分だけは
アルペルンを占領した直後に、勇者は王女に「帝国に停戦を持ちかけては?」と提案したことがある。そのときミリアネス王女は、
「わが両親を殺した帝国と和平を結ぶなど、あり得ないことです」
と言って勇者の提案を突っぱねた。ミリアネス王女の両親はパラスナ陥落時に亡くなっている。
勿論間接的には帝国のせいともいえるが、勇者がこの世界に来る前の出来事でもありその時の状況を調べて貰うと、全く帝国に関係の無い不幸な事故だったとのことであった。
それがいつの間にか帝国が殺したことになっている。誰がそう言って何故王女はそれを信じたのか。勇者はぐいと杯を傾けて一気にそれを
セルセラは勇者の隣に座っていた。その反対側はリリンだ。勇者の正面にはメレンコスがあぐらをかいていた。
(今日の勇者の飲み具合は良くないわね。機嫌が悪いのかしら)
そうセルセラは思っていた。
世間一般には王国を救った勇者だの、
前回の戦いだって終わってみれば完勝だったが、一歩間違えれば自分たちの方が全滅するところだったのだ。運よくリリンの魔術が完璧に発動したから良かったものの、そうでなければ――と思ってセルセラは思わず自分の身体を抱いた。
その後の貴族たちの無視っぷりはまあ良い。いや、良くは無いが予測された反応だったのでセルセラはふん、と鼻を鳴らしただけだった。だが、ミリアネス王女が「良くやりました」の一言で済ますのは如何なものだろうか。
セルセラが見る限り、勇者は王女の為だけに戦っている様に思える。非常に気に入らない事だが。王国が滅亡一歩手前の時期の、勇者や私たちと一緒に戦っていた頃の王女とは、今の彼女は別人に思える。勇者は彼女に勝利を捧げ続けてきたが、それがごく当然の事としてミリアネス王女は受ける様になってしまった節がある。そんな都合のいい事ばかりではないのだ、本当は。
勇者が王国の土地を解放する度に
セルセラは勇者をちらりと横目で見た。勇者の目は
酒に酔っているからなのか、現在の自分の境遇を思ってそうなっているのかは、セルセラには分からなかったが、多分両方だろうと見当をつけた。
おそらく勇者は人族として
そうして勇者を外した貴族軍は一体何をやっているのかといえば、もう三か月以上もベネターレを落とせずに右往左往しているのである。ふん、とまたセルセラは鼻を鳴らした。
のろまな貴族軍はベネターレで引っかかって、いつまでも愚図愚図としていれば良いとセルセラは思ったのだった。
飲み始めて結構な時間が経ったなとセルセラは感じた。
リリンはと見るとこっくりこっくり舟を漕いでいた。彼女は体力があまり無い。それでも勇者の手助けになろうと、ここまで頑張ってきたのだ。セルセラは彼女を見て微笑んだ。
聖女アンジェリカは、ミリアネス王女の世話にかこつけて従軍しなくなったが、清々したとセルセラは心から思った。もう荒野を
セルセラはメレンコスに目配せをして、リリンを連れて行って貰う事にした。メレンコスはさすがに酒が強い。ひょいと小柄なリリンを抱くと、おやすみと言って出て行った。多分彼女は朝まで起きないであろう。
勇者も既に首を垂れている。彼は酒に全く強くなかった。飲み慣れていないとも言えた。セルセラは目を細めた。口元には優し気な笑みが浮かんでいる。
セルセラはこの愛おしい少年の慰めとなるならば、自分は何でもするつもりだと、寝台に寝かしつける為に勇者の肩を担いだのだった。
聖花歴千百十四年八月二十一日。小雨。
早朝。ツァルカ山脈の麓では深い霧が発生していた。その霧がやや晴れたかと思ったら
先頭は勇者たち。
藪や繁み、木の枝が道に張り出していた。輜重車が通る際の邪魔になるので、それを払いつつ前に進む。足下は上り坂になっているが、石畳は古いといえども
一刻後、勇者軍の全ての部隊が南間道に入り込んだ。先頭から最後尾までの長さは優に一里以上に伸びていた。
雲はどんよりとして低く、ツァルカ山脈の山頂はけぶって見えなかった。リリンが遅れ気味になっている。セルセラとメレンコスはリリンの側に寄って調子を聞いた。
「ちょっと昨日は飲みすぎちゃったみたい」
そう言ってリリンは顔を上げ、目を見張った。セルセラとメレンコスもリリンの視線の先を見た。あっ、とセルセラは声を出した。
斜面からかなり大きな岩が転がり落ちて来たのだ。三人は後ろに飛び退き、岩に気付いた勇者は前方に跳んだ。
ずずずん、と岩が南間道の上に落ちた。
ちょうどそこは両側が岩壁になっており、ひとひとりも通り抜けられない壁になってしまったのだ。セルセラは叫んだ。
「勇者、大丈夫?」
「俺は大丈夫だ! そっちは?」返事は直ぐに返ってきた。セルセラは「こっちもけが人無し!」と返した。
「そうか」と勇者は安心した。
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