10 『跳躍作戦』(1)
『勇者軍に迂回作戦の動きあり』
その報はシエルを小躍りさせた。何故ならそれは勇者軍に打撃を与える絶好の機会であったからだ。だがしかし、もう少し詳しい続報が届くまで大っぴらに動くことは控えた。
予定戦場となるであろう地域にひとを派遣して、細密な地図作成を命じただけである。それには有翼族の協力を得て、上空からの全体図を作ることも含まれた。その予定戦場とはツァルカ山脈を縦断する南間道の、南側入り口近辺地域のことであった。
ゲームにおいて『
どうやら勇者は手持ちの兵力だけで首都を急襲するつもりらしかった。『ホティンの戦い』でも感じたが、王国貴族との確執は、
勿論帝国側としては喜ばしいことであるが、シエルは、同じ日本人としては同情の念を抱いてしまうのである。想像以上に勇者はこの異国の地で孤立していて、それに加えて自分は彼を
とは言ってもシエルに絶対的な優位があるわけではない。こちらも兵の錬成に掛かりっきりであるし、装備も不十分であった。ベネターレが王国軍十万に包囲されて二ヶ月が経つ。
ようやく発令された総動員令は、徐々に効力を発揮して帝国の兵力がじわりとシェトーナ平野に集結しつつあるのだ。それでも王国貴族たちはベネターレ攻略に勇者を参陣させないでいる。
勇者の方もいつまで経っても呼ばれないので、それならこっちはこっちで好きなようにやる、という気持ちなのだろう。だれが吹き込んだか知らないが――ゲームの時は確かガリルンだった――南間道の存在を勇者に教えた者は悪魔の使いともいえるだろう。
小牧長久手の羽柴軍別動隊の末路を日本人なら誰でも知っている筈である。え、知らない? シエルは自分の記憶には
ゼカ歴五〇〇年の七月も終わり頃。
早馬がシエルの許に来て、勇者軍三万が王国軍主力から離脱して、中央湿地帯の北岸をひたすら北西に向かっているとの報告をしていった。
シエルはあらかじめ経路上の諸侯には、勇者軍とは戦闘せずに退避するように申し付けてあった。そのときは何故こんな命令が来るのか不思議だっただろうが、これで意味が分かっただろうとシエルは満足した。
この通達を受けた諸侯は第一皇女の先を見通す能力に、皆恐れおののいたというが、種を明かせばやはりゲーム知識に過ぎないという事実は、当然シエル以外の誰にも分からないのであった。
シエルは予定戦場に仕掛けを
今回予定通りに戦闘が行われれば、初めて勇者軍との直接対決になる。シエルは勇者の武力を思い身震いした。
『パラスナの戦い』、『アルペルン会戦』そして『ホティンの戦い』という大きな会戦で勇者は
対して自分には
狭い戦場で大軍を展開できる余地はあまり無い地形だった。それでシエルは勇者軍と直接戦闘させる部隊は、練度が高いと思われる選抜した五千名と決めた。残りはその攻撃部隊の補助とすることにした。
勇者と勇者軍を切り離すことが最大の肝であり、それが出来なければこの作戦はおそらく失敗するだろう。だがこの『跳躍作戦』シナリオは”初見殺し”だった。シエルもゲームでこのシナリオをやった一回目は、こてんぱんにやられたのだ。おそらくそういうわけで、切り離しは成功するだろうとシエルは見込んだのである。多分。
しかしこの作戦には勇者を引き付けておく囮役が必要不可欠であった。はっきり言ってこの役は貧乏くじであった。イェーナやタタロナであれば勇者への対抗は可能だ。
だが、勇者には一定時間騙されていてもらわねば困るのである。自分の相手は取るに足らない『山賊』だと錯覚させる為に。それには平凡そうに見える者が最適なのである。
散々考えた末にシエルは、不愛想で口の減らないその男に白羽の矢を立てたのだった。
聖花歴千百十四年も八月に入った。
勇者たちは
ウルグルド帝国もシェトーナ平野を外れる中央部から西部は、まだ手付かずの原野、原生林が幅を利かせていて、人家はまれであった。現在勇者軍が進んでいるこの街道も、雨が降れば川になるという。その為に後方の輜重隊は大分苦労をしている様子だった。
勇者とそのパーティは先頭を進んでいる。そろそろ良い時間だと思い、勇者は休止を命じた。兵士たちはやれやれと街道沿いの木陰に身を休ませた。日差しは強かった。セルセラが声を上げた。
「全く戦闘が起らないんだもん、拍子抜けだわ」
「良い事だろう。苦労は少ない方が良いんだ」
と水筒に口をつけながらメレンコスが答えた。
「……疲れた」
とリリンは言葉少なに首を垂れた。彼女は意外と体力が無いのだ。
勇者は仲間たちを見て、(苦労をかけるな)と心の中で謝った。
勇者たちはホティンの野でメレドス公爵とジャリカ皇太子を打ち破ったあと、陣所を設営して休息に入った。勝ったとはいえ、死傷者は三千を超えていたのだ。直ぐに行動を再開するには傷が深すぎた。その横を戦いのときは後方で待機していた貴族軍が追い越していった。
勇者はそれを見て歯ぎしりした。あれほど出撃をぐずっていた貴族たちが、メレドス公爵がいなくなった途端に動き出したからだ。通り過ぎる王国貴族たちは、勇者たちに何の言葉も掛けなかった。そうして彼らはベネターレを包囲したのだった。
(ふん、好きにすれば良い)
と勇者はやさぐれた。ミリアネス王女はアルペルン城に
勇者もそれは賛成だった。戦場では何が起こるか分からないのだ。だが、勇者はあの気の強い王女の声が無性に聴きたかったのである。
ベネターレは一月経っても二月経っても落ちなかった。あの街を守っている帝国軍はメレドス公爵軍の残兵が五千、ユハンナス侯爵の援軍が一万、シレド侯爵とファファー公爵の援軍がそれぞれ五千、他諸々の小領主の軍が合わせて五千の計三万である。
それを王国軍十万で攻め立てて二ヶ月、いまだに落ちる気配はない。メレドス公爵の遺児――まだ十四歳らしい――を先頭に徹底抗戦の構えだった。
その子のことを思うと胸がちくりと痛む勇者だったが、これは戦争なんだと無理矢理それを奥に押し込めた。そんな気配を察してかセルセラとリリンがやたら気を使ってくれたので、本当に有難いと思いつつも、勇者は済まない気持ちで一杯になるのだった。
そうして季節は完全に夏に移行すると思われた六月下旬に、商人のガリルンがとんでもない情報を持ってきた。ブラシア回廊を通るしか帝都スラミヤに行く道が無いと思っていた勇者に、実は帝国西部にツァルカ山脈を抜ける古道が一本あることを教えてくれたのである。
勇者は直ちにアルペルン城に使いを出して、精密な帝国地図を取り寄せた。果たしてその地図には、破線ながらもツァルカ山脈を
勇者はこれだ、と思った。戦争を早期に集結させる為には、敵の首都を落として相手を講和の席に着かせれば良い。
勇者はこの作戦計画に夢中になった。帝都まで必要な兵糧の算出と、それに必要な輜重の数。勇者は二ヶ月で帝都に到達出来ると踏んだ。行軍速度の遅い輜重隊であるが、空になった者から順次離脱すれば良いと思った。そうすれば進めば進むほど身軽になり、進軍は楽になるだろう。
準備は
自分の軍が西方に向かっているのは知られるだろう。だが、その目的までは分かるまい。意表を
しかし、この世界には一人の少女がいたのだ。
勇者よりも勇者を
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