7 『アイロス城下の戦い』(2)

 アスティ侯爵は自室の寝台で横になっていたが、ふと違和感を感じた。何となく、外がざわめいている気がしたのだ。それでぱっちりと目が覚めてしまい、寝台から起き上がった。

 時計を見ると第二刻(午前四時)を少し過ぎた時刻であった。

 部屋の外に出て窓から眺めると、東の空がぼんやりと明るくなっていた。夜明けはもう直ぐである。

 そのとき、城壁を守る指揮官から「何かがおかしい」という報告が来た。アスティ侯爵は身支度を整えてその報告があった北城壁に向かった。


 「敵陣で何かが動いているのですが、暗くて良く分からんのです」

 北城壁の防衛指揮官はそう言って外の陣地を指さした。アスティ侯爵はそこがべネテス公爵の陣だと承知していたが、確かに何かおかしい。と考えて、その違和感に気付いた。

 「べネテス公爵軍は火をかないのか?」「……ああ、そう言えば」

 アスティ侯爵の指摘に指揮官はやっと気が付いた。公爵の陣には明かりがひとつも無かったのだ。その暗闇の中で、何かがうごめいている。そしてかすかに音が聞こえるのだった。


 四半刻もするとその微かな音も止み、うごめくものも無くなった。べネテス公爵の陣地は静けさを取り戻した。

 (一体何だったんだ……)

 アスティ侯爵は目を凝らし、耳を傾けたが結局何も分からなかった。彼はやや不気味に感じたが、あと半刻もすれば夜が明けるだろう。そうすれば何があったのか分かるだろうと思って城の中に引き上げようとした。

 ちょうどそのときに、東城壁の方から剣戟の音が聞こえ始めたのである。


 「戦闘かっ」

 アスティ侯爵は駆け出した。夜明け直前というのは最も奇襲に適した時間である。アスティ侯爵はセネディ侯爵軍が城壁に攻めよせてきたのだと思った――のだが。

 東城壁上は静かだった。アスティ侯爵は東城壁の防衛指揮官に尋ねる。

 「何処で戦闘が行われているんだ?」

 東城壁の防衛指揮官は眼下を指さして言った。

 「セネディ侯爵の陣内で戦闘が行われているようです。同士討ちでしょうか?」

 「同士討ち?」

 アスティ侯爵はいぶかし気な目つきでそこを凝視する。ちょうど日の出が逆光となって影を作り、えらく見づらい。

 半刻後、辺りがすっかり明るくなる頃に、戦闘は終了したらしいと分かった。

 そして、アスティ侯爵がそこで見たものは――


 「青鬼族オーク⁉ 青鬼族オークの兵士が如何どうしてここにいるんだ?」

 青鬼族オークの生息域は大アマカシ河の西岸である。東岸であるここにいるのはそれだけでおかしいのだ。

 整然と隊列を組んだ青鬼族オークの部隊はさらに移動する。今度は南城壁へと。


 青鬼族オークの部隊に合わせてアスティ侯爵も城壁の上を南に移動する。と、そこへ件の北城壁の防衛指揮官がやってきて報告してきた。

 「べネテス公爵軍が壊滅していた、だと⁉」

 アスティ侯爵は目を剥いた。北城壁の防衛指揮官はひとをやってべネテス公爵軍の陣地を確認したところ、多数の戦死者が陣地内を埋め尽くしていたそうだ。と、今度は東城壁の防衛指揮官が、セネディ侯爵軍が全滅していることをアスティ侯爵に伝えた。

 「信じられん。あの青鬼族オーク部隊がやったというのか? どういうことだ。あの軍は一体……」


 日もすっかり上がった第四刻(午前八時)に、シエルの青鬼族オーク部隊とランド公爵軍はアイロス城南城壁下で対峙していた。

 ランド公爵軍にしてみれば自軍の西側は大アマカシ河、北側はアイロス城の南城壁で、謎の青鬼族オーク部隊が東側に布陣している。南側は森という位置取りであった。

 「一体何だ、あの軍は……」

 起き掛けのランド公爵も、いきなり出現した正体不明の軍隊に困惑していた。


 夜明け直後に部下から東城壁で戦闘が行われていると報告があった。ランド公爵は、(セネディ侯爵が抜け駆けしたのか)と思い、放っておけと命じた。

 アスティ侯爵が出撃して攻撃を掛けるなんてことは考えられなかったからだ。

 そしてしばらくすると戦闘の音は止み、朝起きてみると見知らぬ軍隊が自分たちの東側に布陣していた。ランド公爵にしてみればさっぱりわけが分からなかった。


 ランド公爵は今日の昼前には三軍でアイロス城に総攻撃を掛けて、一挙に落としてしまうつもりだったのだが。しかし――

 「べネテス公爵軍ともセネディ侯爵軍とも連絡が取れんとは……」

 連絡しようにも青鬼族オーク部隊が道を塞いでいるのだ。既に二軍が壊滅しているということをランド公爵は知らなかった。


 と見ると、青鬼族オーク部隊に一旒いちりゅうの旗が掲げられた。それは、

 『角の生えた狐が大きく翼を広げている』

 紋様で、ランド公爵が今まで見たことがなかったものである。急ぎ紋章官を連れて来て確認させたが、やはり彼も一度も目にしたことがないという。

 城壁上のアスティ侯爵も「あれは何処の旗だ」と、正体が掴めなかった。

 これは勿論シエルが自軍の為に新たに創った旗である。ここの戦場で初めてお披露目したものであった。


 青鬼族オーク部隊の最前列にひとりの人物が出てきた。

 その人物はおもむろに兜を脱ぎ――それを見たランド公爵は目を見開いた。

 「! だっだっだっ、第一皇女⁉ 第一皇女の軍だとっ⁉」

 ランド公爵の額に汗が噴き出てきた。


 去年の話になるが、ランド公爵は自分の所に表敬訪問してきた第一皇女をとりこにしようとしたことがあった。だが、それを命じた騎士隊は任務を失敗し……その後の彼らを実際に見たわけではなかったが、現場は酷い有様だったという。

 それはちょうど城を訪れていたリフトレーア王国のストーラ伯爵に上手くそそのかされてやってしまったのだが、ランド公爵は帝国から報復されないかとしばらくは後悔もし、戦々恐々としていたのである。

 幸いにしてその件については騎士たちの身元はばれなかったらしく、帝国からは何の反応もとがめもなかったのだ。

 それでその一件は終わったこととランド公爵は思っていたのだが。

 「やはり見破られていたのか……」

 ランド公爵はストーラ伯爵のことを思い出して苦々しい顔つきになった。


 南城壁上のアスティ侯爵も青鬼族オークの部隊が帝国の第一皇女の軍だということを知った。

 「何故あの方が……救援要請を出したわけでもないのに」

 アイロス城は西側が大アマカシ河に接していた。そこはがら空きだったので、船を出して帝国に助けを求めることも、逃げ出すこともやろうと思えば出来たのである。

 が、同盟を結んでいるわけでもない帝国に援軍を頼んでも、応えてくれる確率は低いだろう。アスティ侯爵はそう判断したのだった。

 そして城を囲んでいる三軍が総攻撃をしてくれば、この城は終わりだと思っていたのだ。


 そもそも『自由四王国連合』は中立をうたって存続してきた勢力であった。それが今回のリフトレーア王国側について戦争に参戦するなど、アスティ侯爵にとってはどうにも我慢がならなかったのである。

 他の三国はその方針で同意したらしいが、そうするとゆくゆくはリフトレーア王国に取り込まれるのが目に見えていたので、それならばいっそのこと、とアスティ侯爵は覚悟したのだった。


 最前列のシエルが右手を上げ、前方に振った。

 青鬼族オーク部隊が前進を開始する。

 と、城壁上からアスティ侯爵がそれを眺めていると、第一皇女がこちらを見てにやりと笑った――気がした。

 青鬼族オーク部隊とランド公爵軍が戦闘に突入する。

 アスティ侯爵は城壁の上で叫んだ。

 「第一皇女殿下と共にランド公爵軍を打ち破るのだ!」

 すぐに「おお!」という声が返ってきて、アスティ侯爵軍は南門から出撃した。


 二方向から攻め立てられたランド公爵軍はあっさり崩壊した。元々自分たちが極めて優勢で、目の前の城はすぐに落ちるものだと思っていたのだ。気の緩んでいた兵士たちはもろかった。

 ランド公爵軍五千のうち三分の一は直接戦闘でたおれ、三分の一は大アマカシ河に追い落とされ、残り三分の一は唯一の逃げ道である南の森に殺到した。だがそこにはアガリーの第一部隊が手ぐすね引いて待ち受けていたのである。


 アイロス城を包囲していた三軍は全滅した。

 べネテス公爵、セネディ侯爵、そしてランド公爵は三名とも戦死した。

 戦いの終わったアイロス城下で、シエルとアスティ侯爵父子は相まみえた。‎そのときシエルはアスティ侯爵に向かって苦笑しながらこう言ったのだ。

 「侯爵どの、もう少し分かりやすく言ってくれれば、助かるのだが」

 その言葉にアスティ侯爵父子は深々と頭を下げるのだった。


 戦闘が終わり、戦場の後片付けが始まった。アイロス城下には数十本の火葬の煙が立った。翌十五日の昼過ぎにはほぼ戦闘の後処理は終わった。攻め込んできた三人の貴族の遺骸は既に返還の為に送り出されている。

 夕方、シエル軍の首脳陣とアスティ侯爵父子はアイロス城の一室で今後の方策を話し合う為に集まっていた。そして話し合いを始めようかというそのときに、イェーナが飛んで帰って来たのだ。

 シエルは随分と早いなと思ったが、息を切らしたイェーナの発した次の言葉に凍り付いた。


 「メレドス公爵軍が、負けました」

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