6 『アイロス城下の戦い』(1)

 雪がけ、暖かくなった。冬から春へ。全てのものが動き出す季節となった。

 のどかな春鳥の鳴き声は、血みどろの戦いが再開される序曲である。

 イェーナとタタロナは便所掃除みそぎを終え、シエル直属の侍従となった。屋敷の皆とも以前のようにやっていけているらしく、シエルはほっとしたのだった。


 そんな中、その報がパンラウムの屋敷に届いたのはゼカ歴五〇〇年の四月も十日を過ぎた頃であった。ベネターレのメレドス公爵から早馬が届いたのだ。

 『王国軍が大アマカシ橋を渡ってメレドス公爵領内に侵攻してきた』

 とのことである。シエルは遂にこのときが来たかと思ったが、

 『その数二万』

 と聞いてはてな? と思った。

 (アルペルン郊外の陣所には十万を超える王国軍が駐屯していた筈だが――)

 そこで疑問に思ったシエルは早馬の使者に詳細を聞いてみたのだが、

 「勇者軍だけが単独で攻め込んできたのか⁉」

 と絶句したのである。


 と、しくも同日にタスターデの行政府からも、

 『ランド公爵、べネテス公爵、セネディ侯爵軍が合同してアスティ侯のアイロス城を囲んだ』

 という報告が入ったのである。これはシエルが領主代行に、対岸の自由四王国連合の動向を探っていてくれと依頼しておいたものだ。その内容は、

 『三軍合同で一万五千で包囲中。対するアスティ侯の守兵はおよそ三千』

 というものであった。奇襲された形になったアスティ侯は領内から動員する前に居城を包囲されてしまったらしい。


 シエルは直ちに自分の側近(と呼べる人物たち)を自室に招集した。

 タタロナ、イェーナ、シェロンヌ、グラフ、アガリー、それに爺と婆やである。

 「まずはこの二件の報告についてどうしたら良いか意見を聞かせてくれ」

 とシエルは切り出した。そして最初に口を開いたのはアガリーである。

 「姫さん、実戦に耐える兵力を考えると、どちらか一方にしか兵は出せやせんぜ」

 と言った。シエルはそれに対して、では青鬼族オーク兵は何名出せるんだと尋ねると、

 「三千が良いとこでがす」とグラフが答えた。

 「三千か」とシエルはつぶやいた。駐屯地に青鬼族オーク兵は全部で八千名いるが、その錬成具合の他に支給出来る武器防具類もまだ全ては揃っていなかった。使える兵士が三千という数字は訓練期間を考えるとまずまずと言って良いのだ。


 「ではどちらに出兵するのが良いと思うか? タタロナ?」

 「アスティ侯の方に」「イェーナは?」

 「メレドス公爵は勇者の倍兵がいるんでしょ? だったらアスティ侯かなあ。気に入らないけど」

 イェーナはまだアスティ侯爵の無礼な態度を覚えていたのだ。シエルは侯のあの態度はわざとだと教えたのだが。それでも侯爵を助けようと発言した分、彼女も着実に成長しているようだった。


 次にシエルは本命の人物に声を掛けた。わが軍師である。「シェロンヌ?」

 シェロンヌは顎に手をやりしばらく考えていたが、顔をシエルの方に上げて言った。

 「戦力比から考えますと、考慮するまでもなくアスティ侯の援軍に向かうべきなのでしょうが。姫様には何かご懸念があるのですね? 勇者に対して」

 さすがにシェロンヌは分かっているとシエルは満足し、それに答えた。

 「その通りだ。勇者パ-ティの面々には何をやるか分からない怖さがある。不確定要素が多過ぎるんだ」

 勇者とメレンコスの武技もそうだし、リリンの魔術、そしてセルセラの精霊術などは、単純に兵力差を埋めてしまう力があるのだ。兵力が二倍いるとはいっても過信は出来ない。


 「少なくとも勇者パーティについてはわれほど知悉ちしつしている魔族はいないと自負している。当人たち以外ではな。だからこそ戦う際にはメレドス公爵のそばに付いて助言したかったのだが――」

 あいにく、アスティ侯が同時期に窮地きゅうちに陥ってしまった。メレドス公爵の方に兵を向ければ、戻って来る前にアイロス城は陥落していることだろう。シエルには、どちらか片方にしか助力出来ないのだ。

 と、そのとき、

 「そりゃあさ、可愛い侍従をほったらかしにして毎晩毎晩楽しく酒飲みしてれば、良く分かるよねえ……」

 という恨みがましい誰かさんの小声がちらと聞こえたが、シエルは口の端をほんのちょっとひくっとゆがめただけで何も言わなかった。大人の対応である。

 オ・ト・ナですから! オ・ト・ナですから! 誰かさんとは違うのだよ!


 こほんとシエルは若干顔を赤らめつつ尋ねた。

 「アスティ侯から正式な救援要請は来たのか?」

 「いえ、来ておりませぬ」と爺が答えた。

 つまりシエルにはアスティ侯を助ける義理も義務も全くないし、このまま見殺しにしても非難されるいわれはないのだ。シエルはしばらく考えた末に宣言した。

 「われは青鬼族オーク兵三千をもってアスティ侯の救援におもむこうと思う」

 その言葉が発せられると、その場の全員がシエルに対して深く拝礼した。


 三日後のゼカ歴五〇〇年四月十三日。いや、時刻は十四日に変わるかという深夜。シエルたちと青鬼族オーク兵三千名は船上におり、大アマカシ河を渡っていた。

 そして時刻は第一刻(午前二時)になろうかというときに大アマカシ河西岸に上陸したのである。

 「敵兵は?」「誰もおりません」

 夜目の利く魔族の、全く灯火の無い暗闇の中の軍事行動は以後、シエル軍の十八番おはこになるのだがシエル自体は、

 (これってチートじゃないの⁉)

 と憮然ぶぜんとした表情であった。何故自分の主君がそんな顔をしているのか分からないタタロナとシェロンヌは首を傾げていたが、ゲームで散々魔族から夜襲を受け続けたシエルは「そうか、これか、これなんだ」とここにきて納得したのである。納得しつつもその理不尽さは全く受入れ難かったのだ。

 勇者を百回もやった身としては心情的に。


 シエルは青鬼族オーク兵三千名をみっつに分けた。第一部隊がアガリー、第二部隊がグラフ、第三部隊をシエル自らが率いた。カンデラ城以来の古参の青鬼族オーク兵たちは全体に散らばらせてある。部隊間の戦力差はない筈であった。

 アイロス城はその西側を大アマカシ河に接し、北、東、南の三方を城壁で囲っている。その三方面を三つの自由四王国連合の軍が包囲していた。北面がべネテス公爵軍、東面がセネディ侯爵軍、南面がランド公爵軍であり、兵力はそれぞれ五千名、攻囲軍の合計は一万五千名である。


 シエルたちはべネテス公爵軍の陣の下流(北)二里(八キロ)の地点に上陸した。そこから夜明け前にべネテス公爵軍を背後から奇襲するつもりであった。べネテス公爵軍のあとはセネディ侯爵軍、ランド公爵軍と城壁沿いに時計回りで順々に攻撃する予定であった。

 今はその最初の地点に向けて隠密行軍中である。


 シエルはアスティ侯の不機嫌そうな口調を思い出した。いかにも無礼に振舞っていたが、彼は律義に城門の詰め所で自分たちを待っていたのである。その不器用な親父ぽい振る舞いにシエルはアスティ侯が好きになったのだ。もしかすると高慢な森恵族エルフたちも、そんな朴訥ぼくとつな候だから付き合いを続けているのかもしれなかった。

 というところでタタロナが小声でささやいてきた。

 (姫様、あまりイェーナを甘やかさないで下さい)

 シエルはう、うん、とどもった。


 イェーナはこのアスティ侯救援軍に同行していない。シエルがメレドス公爵に書簡を届けてくれとイェーナにお願いしたからだ。それには勇者に対するときの助言が書いてある。その際にイェーナは姫様と離れたくないと散々ごねたが、一日デートすることで何とか納得させたのだ。デートというのはつまり露店の食べ歩きのことである。タスターデにこじゃれた喫茶店があるかどうかは神のみぞ知るところであるが、イェーナなら肉の方が喜ぶだろう。多分。ついでに勇者軍との間に戦闘が起こったら、それを観戦(十分に離れて手は絶対に出すなと命じた)して詳しく教えてくれと言い含めておいた。


(うーん、イェーナの喜ぶ顔が見たいからなんだけど……駄目かな?)

 そうシエルが返すとタタロナは深いため息をついた。そして離れ際に、

 (程々にして下さいね)

 と釘を刺されたのだった。

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