4 ヴェルラードの裁定

 「よくもおめおめとこの屋敷の門をくぐれたものだな……」

 日本風に言うなら『敷居をまたぐ』と同じ意味だろうとシエルは思った。

 場所はパンラウムの屋敷の玄関先である。


 この屋敷に到着したとき、以前と同じように使用人の全員が並んで出迎えてくれた。そしてシエルと一通りの挨拶を終えたあとに荷物を屋敷内に運び込み、それが終わると各人は自分の部署に戻っていった。そそくさと。

 馬車と引き連れてきた多数の馬は”おやっさん”と不機嫌そうな顔の少年が、ため息をつきながら全頭を何処どこかへ連れていった。

 それで今玄関先にいるのは、地に伏して首を垂れているタタロナとイェーナと、それを睥睨へいげいしている厳しい表情のヴェルラード、その後ろに黙して控えているカラサンドラとそれをはらはらしつつ見守っているシエルの五名のみだった。


 静かなときが流れる。その場の緊迫した空気とは裏腹に、屋敷をとりまく風景はのどかで辺鄙ないつものパンラウムであった。シエルは何事も無く早く終われば良いなと、そう思っていたのである。が。 


 そのヴェルラードの言葉に対してタタロナとイェーナは頭を下げるのみで何も言わなかった。その姿を冷たい目でヴェルラードは見下ろしていたが、ふんと鼻でわらったあとに吐き捨てるように言った。

 「すがったのか。自分たちが殺そうとした相手に。恥も外聞も無く」

 シエルは目を見張った。ヴェルラードのこんな苛烈かれつな言葉を聞くのは初めてだったからだ。

 「姫様は素直でお優しい方だからな。大方、涙でも流してだましたのか」

 タタロナとイェーナは身じろぎもせず、何も喋らない。

 「だま――」

 シエルは驚いた。ヴェルラードの、タタロナとイェーナに対する悪感情に。こんなにも憎んでいたのかと。ふたりを。


 「何とか言ったらどうだ」

 「……」

 それでもタタロナとイェーナのふたりは全く口を開こうとはしなかった。

 ヴェルラードの冷たい視線がふたりを射抜く。

 「反省の言葉も無いのか。ふん、貴様たちの性根が見えたわ。カラサンドラ」

 「何でしょう」

 カラサンドラは静かにヴェルラードの言葉に受け答える。

 「私の剣を持ってきてくれないか。部屋の物入れの中にあるのだが」

 「! ヴェルラード、それは……」

 「頼む」


 シエルが見ていると、カラサンドラは小さくため息をつき、屋敷の中に入って行った。え、まさかとシエルが思っていると、長剣を両手で持ったカラサンドラが現れてそれをヴェルラードに手渡して、自分は元の位置に控えた。

 ヴェルラードは受け取った剣をすらりと抜いた。そして鞘をぽいと投げ捨てる。

 からんからんからん。

 と音を立てて鞘は中庭に転がった。

 (ヴェルラード、敗れたり!)

 とシエルは心の中で思ったが、そんな場合じゃあないとあらためて三人を見る。

 剣を持った爺と、膝を着き首を垂れて裁きを待っているタタロナとイェーナ。それはどう見ても処刑人と処刑されるひとのだと、シエルは身を震わせる。

 (まさか、爺……斬ったりしないよ、ね? それ、ポーズだよね?)

 シエルの胸の鼓動が僅かに速まった。まだ、行方を見守らねばならない。


 「お前たちがこの屋敷に来たときから私は怪しいと思っていた。うわべだけで仕える、そんな体裁だけの臭いが、お前たちからにじみ出ていたからだ」

 そういえば爺と婆や、母様だけはずっとタタロナとイェーナを信用していなかったっけ。シエルは一体彼らが何をもってそう見分けたのか、不思議でならなかった。

 「帝都に私自ら、もしくはカラサンドラを姫様に付き従わせなかったのは、私一代の痛恨事であった。いまだにそのことに関しては悔やんでも悔やみきれぬ」

 そのヴェルラードの言葉に、タタロナとイェーナは更に額を強く床に押し付ける。

 「お前たちが今までに何人に手を掛けたかは知らぬが、そんな人生を歩んできた者がまっとうな最期を迎えられようとは、よもや思っておらぬだろうな」


 そう言ってヴェルラードは剣を上段に構えた。タタロナとイェーナはやはり一言も喋らずに顔を突き出して首を斬られやすいように姿勢を変えた。

 それを見ていたシエルは、もしかしたら爺のことを見誤っていたかもしれないと、ごくりとつばを呑み込んだ。

 「覚悟は良いな」

 と、ヴェルラードはイェーナの首が斬りやすい位置につく。イェーナは全く動かない。シエルの心臓が早鐘のように鳴り出した。額から汗が一筋、流れる。

 (え? まさか……嘘でしょ、嘘、嘘――)

 ヴェルラードの殺気が膨れ上がった。

 「待ってっ!」


 思わずシエルは声を出してしまっていた。

 ヴェルラードはついと顔をシエルに向けた。彼は厳しい表情のまま自分の主君に言った。

 「姫様、この件に関しては手出し無用、口出し無用と伝えた筈ですが」

 「それは……そうだけど……」

 シエルの言葉は先細りとなって消えていった。

 ヴェルラードは仕切り直した。再び剣を上段に構える。殺気が膨れ上がった。

 シエルは完全に理解した。爺はここでタタロナとイェーナを斬るつもりなのだ。

 ゆるすつもりなど全くなかったのだ。ふたりの存在を消し去るつもりなのだ。

 そしてヴェルラードが振り下ろさんとするその瞬間、シエルは叫んだ。

 「めてっ!」


 ぴくりと剣先が動き、止まった。ヴェルラードがまた顔を上げる。シエルははっきりと言った。

 「彼女たちは罪をつぐなおうと、自らの命を絶とうとしたのよ! それをわれが止めたの!」

 「ポーズですよ。一流の暗殺者はぎりぎりまで身を削るものです。信頼される為にはね」

 とヴェルラードはにべもない。

 「われの命を救ってくれたのよ! 暗殺者ならそんなことをしないわ!」

 「自分が完全に疑われなくなるまで手を出さないものなのですよ、一流の暗殺者はね」

 そう言ったヴェルラードは姫様はひとを信じすぎるから、とつぶやいた。

 「……」

 シエルは段々と腹が立ってきた。目の前の頑固な老人にである。

 そしてまた、ひとの話を聞こうともしないその老人は剣を振り上げ始めた。

 

 シエルの頭の中で、何かが切れた。

 「もう、爺の分からずやっ! 馬鹿っ! 大っ嫌いっ!」

 この突然のシエルの言葉にヴェルラードは面食らったようであった。目を見開き、口を半開きにしている。

 「な、な、これほど姫様のことを想っている私のことが大嫌い、ですと?」

 信じられない言葉を聞いたかのように、ヴェルラードは大きく動揺した。

 シエルは必死だった。自分が守らないと、タタロナとイェーナはここで斬られてしまうのだ!

 「もうわれはこのふたりを赦したの! ふたりに命を預けてるのっ! われはふたりと共に生きるの! そう決めたの! そんなことも分かろうとしない分からずやの爺は嫌い! 嫌い! 大っ嫌い!」

 と、思い切り言い放った。その言葉が頭に激突したかのように、ヴェルラードはのけ反った。

 「な、何と!」


 シエルの思わぬきつい反撃に、ヴェルラードはただ茫然とするばかりであった。

 シエルは肩を怒らせて、涙目でヴェルラードを睨みつけている。

 そんなシエルの顔を見たヴェルラードは目を瞑り、眉を下げ、肩を落として深くため息をついた。

 「はあ~、姫様がそこまでおっしゃられるのでしたら、爺はもう何も言いませんぞ……」 

 そして静かな声でタタロナとイェーナに告げた。

 「お前たちには一か月の便所トイレ掃除を命じる。それほどの罪を犯したと知れ。そのあとは、姫様の命に従うが良い」

 そう言うと、抜き身の剣を持ったままヴェルラードはとぼとぼと屋敷の中に消えて行ったのである。


 シエルはぼんやりとヴェルラードのいなくなった方を向いていたが、振り返っていまだ床に伏しているタタロナとイェーナの側に駆け寄って喜色を浮かべて、

 「赦して貰ったよ、良かったね!」

 と言った。

 しばらくしてタタロナとイェーナは顔を上げたが、どちらも泣き顔だった。特にイェーナは酷く涙で顔はぐちゃぐちゃで、

 「びべさまーーー」

 とシエルに抱きついてわんわん泣いた。その泣き声は屋敷中に響き渡り、後日ことあるごとに屋敷の皆から、からかわれるネタになるのだが、当の本人は「そんなに泣いてませんもん!」とあくまでも否定するのだった。

 ようやくイェーナが落ち着いて「では便所トイレ掃除をしてきます」とタタロナがイェーナを連れて屋敷に入っていき、玄関先にはシエルとカラサンドラのふたりだけが残された。


 シエルは今の出来事により酷く疲れもしたが、またとても嬉しかった。やっと全てが元通りになったからだ。ほっとして屋敷に入ろうとしたシエルに、カラサンドラが後ろから声を掛けた。

 「姫様、ヴェルラードは今日、あのふたりに会うに当たってふたつのことだけを決めていたのですよ」

 「え?」

 シエルは語り始めたカラサンドラの言葉に耳を傾けた。

 「一つ目は、あのふたりが一言でも弁解じみたことを口にしたらその瞬間に斬るつもりだったこと」 

 (う、あ、あの爺の殺気はやっぱり本気だったんだ……)

 シエルは思わず身震いしてしまった。

 「幸いにしてあのふたりは何も喋らなかった。その点は見事なものです」


 「――ふ、二つ目は……」

 シエルがどもりながらカラサンドラに尋ねると、彼女はちょっと間を置いたあとに言った。

 「二つ目は――あのふたりの事を姫様が最後までかばわなかったら、これも斬るつもりだったのです」

 シエルの瞳が今のカラサンドラの言葉を理解する毎に、徐々に見開かれていく。

 (……! えーーーっ! 爺、手出し無用って言ったじゃん!)

 シエルの顔色は段々と蒼くなっていった。もし、自分が爺の言葉を忠実に守っていたら……と考えて想像したのである。首と胴が離れて物言わなくなったふたりのむくろにすがって泣き続けている自分の姿を。そしてそれを見下ろす爺はおそらく――憐れみの表情をしていることだろう。

 そう言って優しいまなざしで見つめてくるカラサンドラに、シエルは口をぱくぱくとした。言いたいことは山ほどあったのだが、声が出なかったのである。


 「幸いにして姫様はあのふたりを庇われた。全く見事な主人と従者です」

 そう言ったあとにカラサンドラは若干寂しげな表情をして、

 「私もヴェルラードも姫様より大分先に居なくなってしまいますから――あとを頼めるひとが必要だったのです」

 と嘆息した。

 そのカラサンドラの言葉にシエルはあ、と気付き、シエルはそんなことない! と反論したかったが、それは動かしようもない事実なので何も言えなかった。

 「ヴェルラードは、眼鏡にかなった相手には厳しいですから。――私もですが」

 それを聞いてシエルは、あのふたりは爺たちの後継として認められたのかと思った。それで――

 「その最初が便所トイレ掃除なんだ……」

 と、シエルは爺と婆やの深慮に感心したのだ。が。

 「え? ああ、便所掃除アレはヴェルラードの腹いせですよ」

 「は、腹いせ? 何の?」

 カラサンドラはため息をついてから言った。

 「姫様がヴェルラードに対して言った『大嫌い』という言葉に対してですよ……」

 「あ! ……あ、あれは――」

 シエルは慌てた。あの発言は色々と切羽詰まっていたから出てしまった言葉であって、決して爺に対する本心ではないと――


 「ヴェルラードは傷ついて落ち込んでいるでしょう。大好きな姫様からそんな心無い言葉を浴びせられたのですから」

 あの常に厳然とした爺が落ち込む? シエルにはその姿が全く想像出来なかった。

 「ヴェルラードは――死んでしまうかもしれません――悲しさのあまり……」

 そんな、寂しさで死んでしまう兎じゃあるまいし……とシエルは思ったが、段々と心配になってきた。

 「ちょ、ちょっと爺の所に行ってくる!」

 と慌ててシエルはたたっと駆け出した。普段であれば、そんなはしたない真似はたしなめる筈のカラサンドラはそのシエルの背中に、

 「多分奥の部屋にいると思いますよ!」

 と大きく声を掛けた。

 そして朋友に対して(ひとつ貸しですよ)と微笑むのだった。


 ヴェルラードは自室で落ち込んでいた。まさにカラサンドラの言った通りであった。背中を丸めて椅子に座っているヴェルラードは、普段の彼を知る者にとっては見間違いじゃないのか? と思われるほど覇気が無かった。

 (はあ、姫様に嫌われてしまったら、この先私は何を励みに生きていけばいいのか……)

 ヴェルラードにとってシエルレーネ姫はまさに生きる目的そのものであった。

 その姫から「大嫌い」と言われてしまったのである。お気の毒にも程があった。

 (もう、私は必要ないということかもしれん……)


 と、そのとき。

 「爺……」

 その声にヴェルラードが顔を上げると、部屋の入り口に沈んだ顔のシエルがいた。

 「どうかなさいましたかな? 姫様」

 シエルの姿を見た瞬間、ヴェルラードは背筋をぴんと伸ばして立ち上がっていた。無様ぶざまな姿を敬愛するこの主君に見せる訳にはいかなかったのだ。

 シエルはそんなヴェルラードを見つめ、たたたと走り寄って抱きついた。

 「ひ、姫様?」

 「大好きだよ、爺」

 その一言だけで、ヴェルラードは十分だと思った。

 自分の命を懸けるには十分だと。


 ヴェルラードは天井を見上げた。

 そうしないと、何かがこぼれそうだったから。

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