16 軍師シェロンヌ(4)

 「先生、もう一度彼女の事を考えてはくれませんか」

 その弟子の言葉にシェロンヌはため息をつきつつ、最初から彼女の事を思い起こしてみた。可愛い弟子に対する儀礼であった。

 彼女がここを訪れたのは計八回になるが、所用で留守にしていたのが五回、ここにいたが用事があって会わなかったのが二回、居留守が一回である。

 われながら不誠実な対応だとも思うが、運もなかったと思う。あの少女はちょうど忙しいときに来るのだ。多少時間がずれれば結果は違ったのだろうが。

 シェロンヌはため息をつく。縁がないひととはとことん縁が出来ないのだ。まるで運命に阻まれるが如く。


 と、そのときシェロンヌの耳に弟子の少年がつぶやいた一言が入った。

 シェロンヌは固まって――しばらくしてから弟子に問う。

 「……今何と?」

 シェロンヌはそう少年に聞き返した。

 「え?」少年は何のことです? というような顔をして自分の師を見つめた。

 「今言った言葉! 貴方、何処でそれを聞いたの⁉」


 突然必死になった師の態度に少年は戸惑っていたが、自分は何か言ったのだろうかと思い返す。少年がその言葉を口に出したのは無意識だったのだ。師が言うように、自分は何処で聞いたのだろうか?

 シェロンヌは必死だった。それが、それこそがシェロンヌをこの場所に留めさせている言葉だったから。

 「あー」少年は師に言われて思い出そうとしていた。そして――思い出した。

 「ああ、これは彼女が去り際に口にしたのです」


 それを聞いたシェロンヌは膝をついて床に座り込んでしまった。全身の力が抜けたのだ。「先生?」と問いかける弟子の声が酷く遠かった。

 シェロンヌは彼女、シエルがまさに天が自分に引き合わせようとした人物であることを今、理解した。大魚を逃したどころではない。自分が補完する、される半身のような存在である。


 シェロンヌは幼い頃、ウルシアの森の外れの一軒家で育った。父親が人族のハーフでは、森恵族エルフの集落では暮らせなかったからだ。その家の後ろには木々に囲まれた高さ百歩ほどの岩山があった。周りからぽつんと独立した、一枚岩の岩山である。

 シェロンヌは物心ついたときからずっとかたわらにあるその岩山に登って、そこから向こう側の景色を眺めたいと思っていた。さぞかし良い景色だろうと。しかしその山は高さは百歩ほどとはいえ断崖絶壁で、さらに岩の隙間に毒蛇なども住んでいたから両親からは絶対に登っては駄目だと禁止されていたのだ。


 勿論、岩山の向こうは森であり、そう遠くない所に小さな湖があることは知っていた。岩山の脇を通ってその湖まで続く道があったし、シェロンヌはそれを使って何度も湖まで行ったことがあるから、その辺の地理は良く分かっていたのだ。

 でもそれでも岩山の頂上から見る向こう側は、何かが違うだろうという予感をシェロンヌにさせた。そしていつかそこに登って見てやろうと、密かに決意していたのだ。

 だがシェロンヌのその決意は、近隣の村人たちからこの地を去れと追い出されたときに終わってしまった。

 それから数十年経った今でも夢を見る。自分が岩山の上に登って向こう側を見る夢を。


 シエルは去り際にこう言ったのだ。

 「向こう側の景色は見れたのかな?」


 何故誰も知らない筈のこのことをあの少女が知っていたかはシェロンヌには分からない。けれど――

 「会うべきだった……」

 とシェロンヌを悔やませる人物だったことだけは確かであった。だが、もう遅い。遅いのだ。シェロンヌの左目から涙が一筋、流れた。

 そんなシェロンヌに、弟子の少年が近づいて来た。そして言った。

 「先生、会いますよね? 会ってくれますよね、彼女に」

 シェロンヌは顔を上げた。

 そこには何年ぶりかで見た少年の笑顔があった。


 真夜中の”勇者の宿り木亭”。今、そこの食堂兼酒場には五人の人物がいた。

 美しいドレスで着飾った片眼鏡モノクルの妙齢の女性が床に両手両膝をつけて見上げている。その先には焦点の定まらない目線を杯に当てて、今にも潰れそうな少女がカウンター席に座っている。

 彼女の脇には立ち上がってドレスの女性にぷんぷんと腹を立てている短髪の少女と、それをなだめている狐耳の眼鏡の少女がいて、さらに厨房の奥にはその光景を茫然と眺めているこの宿の主人がいた。


 「何しに来たのさっ。あれだけ姫様を邪険にしておいてっ、今さらっ!」

 大好きな自分の主人をさんざん無下にした目の前の女性に対してイェーナは怒っていた。その女性、シェロンヌは何も弁解せずに頭を下げた。 

 「大体どれだけ偉そうなのさ! ボクたちが何回――」「はいはいイェーナ、もう寝ましょうね。今日は呑みすぎだから。では姫様、私たちはこれで引き上げたいと思います」

 そう言ってタタロナはシエルの返事を待たずに、ぎゃーぎゃーとわめき続けている朋友を引きずって階上に去っていった。イェーナの声は徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなった。

 イェーナがいなくなると急に宿の酒場はしん、としてしまった。


 シエルはカウンターに突っ伏して潰れかかっていたが、ふと背後に気配を感じて振り返った。そこには両手と両膝を床に着いて、思い詰めたような表情で自分を見上げているシェロンヌがいた。

 シエルは今にも閉じそうなまぶたを僅かに上げて、目をすがめてその人物を見据えた。そしてその人物が誰か分かると、笑みを浮かべて口を開いた。

 「おお、シェロンヌではないか。どうしたんだ、床に座ったりして?」


 シェロンヌは額を床に着けて言った。

 「どうか今までの御無礼をお許し下さいませ。未熟な私めで御座いますが、貴女様のばくの末席に加えていただきたく、ここに参じまして御座います……」

 「んー? シェロンヌはまだの配下になっていなかったのか? ん? セルセラとリリンに余り酒を呑み過ぎるなとたしなめてくれと頼んだ記憶が――あれ? は勇者だよな?」

 シエルは首を傾げた。自分は勇者? あれ? われ? ……皇女?


 それを見ていたブルクハルトは強烈な違和感を感じていた。シエルの奴、一体何を言っているのかと。酔っ払ったにも程がある。シエルが勇者とか、笑えない冗談だろ。

 シエルはのそのそと振り返って、そこにたたずむ宿の主人に尋ねた。

 「おおいブルクハルト。おれ……われは一体?」 

 「はあ。貴女様はシエルレーネ・ラニア・ウルグルド帝国第一皇女殿下様で御座いますよ。とんとお忘れで御座いますか、姫様?」

 とブルクハルトはため息をつきつつ馬鹿丁寧にシエルに教えた。


 それを聞いたシエルはしばらくぽかんとしていたが、おお、という顔をして椅子から立ち上がってシェロンヌを見下ろした。そしてふと右手を眺め、指に嵌っていた指輪をやおら外す。と、彼女は眩い光に包まれ、その光が収まったとき、二本角を持つ銀髪の魔人族が姿を現した。

 「シエルレーネ・ラニア・ウルグルドである。シェロンヌ・タータ・タラタよ、われの幕下ばっかに加わりたいそうだが、薄給、激務、福利厚生殆ど無しの漆黒ブラック職場で良ければわれの下へ来るが良い。喜んで受け入れよう」


 それを聞いたシェロンヌは一部理解出来ない単語があったが、「は、は!」と頭を下げた。シエルは片膝を着いてシェロンヌの手を取った。シェロンヌは驚いて顔を上げる。

 「お主は民が安んじて暮らせる国を創るのであろ? われも微力ながら協力させて貰おう。われこそ未熟者だが、これからよろしく頼む」

 シエルがささやくようにそう言うと、シェロンヌは目から涙を溢れさせた。この主君は自分のことを知っている、心から仕えるに値するひとだと、シェロンヌはそう誓うのであった。


 二日後、シエルらはアルペルンを発った。

 シエルはシェロンヌの為に二頭立ての馬車を購入した。そして”勇者の宿り木亭”を出発する際に勇者パーティのセルセラ、リリン、メレンコスの三人が見送りに来てくれた。

 ブルクハルトとアリューシャは皇女出立の見送りに勇者パーティの面々が立ち会うなど、誰に言っても信じて貰えないだろうと思った。


 セルセラとリリンがシエルに対して親指を立てたので、シエルは舞踏会では上手くいったのだなと分かった。だが、勇者は一体誰を選ぶのだろう、誰を選ぶにしても絶対にひと悶着もんちゃくあるだろうとシエルは勇者に対して憐みの情を抱くのだった。

 そして馬車がアルペルンの城門を出たとき、今度はいつここに来れるのだろうかと、シエルを感傷に浸らせるのだった。

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