15 軍師シェロンヌ(3)

 「第一皇女? 噂、噂か」

 戦場の噂などその大部分が「嘘」であることをシェロンヌは疑っていない。だが少年は二回の戦闘で王国軍は八千の兵士と四人の貴族を失っていると伝えた。

 (四人⁉ 貴族を四人も敗死させたのか)

 貴族たちは大抵の場合自軍の最後方に陣取り、形勢がかんばしくなくなると真っ先に逃げる為、通常は捕捉ほそくすることすら難しいのだ。それを四人も。

 (はかり事の匂いがするわね。王国貴族たちは罠に嵌められたのかもしれない)

 が、まあその個人の武力については、シェロンヌはあまり興味がなかった。問題は自分を招聘しょうへいしようとしている人物が、自分の話を聞いてくれるかどうかが問題なのだった。


 そこでシェロンヌはほんの僅かな引っかかりを覚えた。主君の使い。少女。八度の来訪と、諦めの表明。シェロンヌは少年に尋ねた。

 「彼女は書状を持っていなかったの?」

 「そういえば、一度も見ませんでしたね」と少年は答えた。


 (もし主君の使いならば主君からの書状を渡すのが普通だ。もしくは自分を紹介した人物の紹介状とか。だが派遣した家臣に全権を委任することだってあるのだから、絶対そうでなくてはならないという法はない。彼女は書状なしで全権を渡され、私を登用しようとした。しかも貴重な『変化の指輪』を預けられるのだから、相当帝室からの信頼があるに違いない。そして自分に仕官する意思なしとみて、交渉を打ち切った)


 シェロンヌは別なことを考える。次は謀略の線である。自分をだまして国に連れて帰る。そこでとりこにするか殺してしまう。彼女は一笑に付した。自分はちょっと名の知れた在野の士であるにすぎない。重要人物ではないのだ。国宝級の遺物を使ってそんなことをする意味は全くない。馬鹿らしい、とシェロンヌは思った。


 今度は『変化の指輪』の能力について考えてみる。魔力を消費して装着した者の外見を変えてしまう能力のことだ。遺物だけあってその能力は凄まじいの一言。

 女から男へ、またはその逆の性別の変更、年寄りを若く、またはその逆の年齢の変化、小男から大男へ、またはその逆などの体格の変更、別種族への変化等、ありとあらゆる容姿の変更が可能である。

 ただし(ここが重要なのだが)元の容姿からかけ離れるほど消費魔力量が増大する。装着者の魔力が尽きれば、外見は本来の姿に戻る。敵地で容姿が元に戻ることは危険極まりないだろう。

 だから、長時間持続させる場合には、変化の度合いを最小限に留めるのだ。髪の毛、瞳、肌、これらの色を変える程度であれば、消費魔力量は微々たるものだ。勿論魔族特有の角を消すことなども簡単な範囲である。

 少年に聞けば彼女の容姿は殆ど変わっていないと言う。このことから彼女の元来の容姿もさほど変わりがないと推測出来た。


 シェロンヌはつくづく思う。あんな少女を全権大使にとは、帝国とはどれだけ太っ腹なのか、もしくはどれほど人材が枯渇こかつしているのか。

 が、まあ考察はここまで。どう足掻あがいても彼女の正体にはたどり着けないだろうとシェロンヌは諦めた。もしかしたら、逃がした魚は大きかったかもしれないが、もはやどうしようもないのだ。

 シェロンヌはため息をつき、少年に着替えを手伝ってくれと再度命じる。その件の少年は「先生、先生」とささやいてきた。


 「僕は彼女が帝国のシエルレーネ第一皇女その人だと思います」

 と彼は言った。シェロンヌは少年を凝視した。少年は目をそらさず、じっとシェロンヌを見つめ返していた。視線をそらしたのはシェロンヌの方だ。

 (第一皇女その人が自分を配下にするために、自らここに訪れる? ありえない。彼女は帝族、つまり貴族の頂点だ。私は貴族の事を良く知っているが、高慢なあいつらがただの平民に頭を下げることは断じてない。この世界が滅びようとも、微塵みじんも、ない)


 シェロンヌはシエルの中身が、元の世界では庶民であったことを知らない。知りようもなかった。シェロンヌは少年の言葉を首を横に振って否定した。少年は主人の貴族に対する見方を知悉ちしつしていたので、あえて言った。

 「でも彼女とのやり取りでは、先生の方が明らかに高慢でしたよ」

 ぐっとシェロンヌは詰まった。この弟子は時々自分の痛いところを的確にいて来ると思った。しかしこの弟子は今回に限って何故こうも粘るのだろう、と不思議に思うのだ。

 少年ははっきりと断言した。

 「もし先生が彼女を逃せば、もう理想の主君などと出会えやしません」

 シェロンヌはこの言葉に、考えをさかのぼらせた。自分が天文地理万物の知識をおさめようとしたその理由をである。


 彼女は森恵族エルフと人族のハーフとして生まれた。たったそれだけで森恵族エルフの故郷であるウルシアの森では、暮らしてはいけないと運命付けられてしまった。

 シェロンヌは両親に寄り添いながら、王国各地を転々とした。そのうちに人族の父親が死んでしまった。寿命だと思われた。

 その後母はある地方領主の側室となり、シェロンヌもそこの娘として、この時代としては十分すぎる程の教育を受けた。ある夜、シェロンヌは寝ている時にそこの領主の息子に襲われた。血は繋がっていないとはいえ、仮にも兄妹である。シェロンヌは必死に抵抗し、その場から逃げた。そうして着の身着のままで夜通し駆け続け、明るくなる前に領地を抜け出したのだ。

 その後かなり長い間王国内を放浪し、各地の現状をつぶさに観察し接する機会を得た。この時の辛い経験が彼女を学問に目覚めさせ、修めさせる原動力となった。そうしてこの世界の悲劇の大半が、貴族が元凶であると結論付けたのである。


 勿論、名君と呼ばれる貴族もいるにはいたがそれは本当にわずかで、大半がそこに住む平民を搾取さくしゅの対象にしか見ていなかった。酷い者になると領民を家畜としてしか見ていない有様だった。

 その基となったのがテリルシア教(聖花教)の人族至上主義であることは間違いがなく、それが支配階級の貴族の間に浸透し、長い間に大きく歪んだのだ。

 リフトレーア王国は貴族諸侯の集合体に過ぎず、決してリフトレーア王朝の中央集権国家ではなかった。それゆえに王家からの強制力というものは無きに等しく、各地の貴族たちは自分の自由裁量で何とでもなってしまったのである。名君と称えられる者から暴君と陰口を叩かれる者まで、あらゆるタイプの支配者が王国内にはいた。


 シェロンヌはウルグルド帝国にも足を運んでみた。最初は当時新鋭と呼ばれたメレドス公爵であった。先代が若くして亡くなり、二十代で後を継いだ若者であった。彼には新しいものを取り入れる積極的があった。弁舌も滑らかで才気煥発さいきかんぱつという言葉がぴったりな魔人族であった。

 もう少し落ち着けば名君と呼ばれる様になるのは間違いがないとシェロンヌは太鼓判を押した。彼のもとへ行けば、おそらく自分は重用してもらえるだろうという確信もあった。

 だが、シェロンヌは彼の下に行くことを見送った。彼の自分にるところ大の性格では、いずれ衝突するだろうことが明らかだったからだ。


その後シェロンヌは堅実と評判のユハンナス侯爵領にも、悪逆暴君と言われたレメン侯爵領(危うく侯爵の妾にされるところだった)にも、千年生きていると噂されるシレド侯爵領にも行ってみた。

 が、結果は失望するばかりであった。唯一目を見張ったのがファファー公爵領のスタプルコフにある孤児院である。これはシェロンヌの理想に限りなく近いところにあった。

 ファファー公爵と話をしてもみたかったが、帝都スラミヤに詰めきりで滅多に領地には帰ってこないという。一度帝都まで会いに行こうと思ったが、会う為にはそれ相応の賄賂が必要だと匂わされ、断念した。


 そうしてシェロンヌはここ城郭都市アルペルンにきょを構え、代筆や教師などをやって暮らし始めて十年近くになるが、いまだに仕えるべき人物には出会えないでいる。

 折角修めた学問もひとには何の役にも立っておらず、自分の身が朽ちると共に道連れとなってちりのように雲散霧消するのは世のならいとはいえ、一抹いちまつむなしさを覚える様になった。シェロンヌはいよいよ私も歳をとってしまったかと、半ば自嘲するのだった。



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