14 軍師シェロンヌ(2)

 時刻はさかのぼって第十刻半(午後九時)過ぎの頃。 

 『シェロンヌの庵』の玄関先に一台の馬車が着き、客を降ろして走り去った。ひとり残ったのはドレスを着たシェロンヌである。シェロンヌは白いため息をついて家に入った。家の中は暖炉がともっていて暖かった。


 少年が羽織はおりを受け取って言った。

 「王国の首脳部はいかがでしたか」

 シェロンヌはそれに首を振って答えた。

 「駄目だな。以前と変わらん。ベリュグ公爵とセレジネーレ公爵が仕切っていて、王女はその傀儡かいらいになり果てている」

 「勇者様は――」

 「勇者は……完全に貴族たちから外されていたな。あれでは指導力を発揮できまい。レメン侯爵父子ふしを公衆の面前で処刑したのがまずかった。あれで王国の貴族たちから総スカンを食らった」

 「帝国の貴族を処刑して、王国の貴族から嫌われるのですか?」

 少年は意味が分からなかったようだ。

 「同じ穴のむじなという奴だよ。侯爵位以上の上級貴族たちは、王国も帝国もなにがしかの繋がりがある。それに勇者といえども平民だ。平民が貴族、それも上級貴族に手をかけるなどということはあってはならないことなのさ。連中にはね。あれで勇者は王国の全貴族を敵に回した」


 「で、でもレメン侯爵は王国内で相当酷い事をしてきたんですよね? それに侯爵の首が飛んだ時は歓声が起こったって――」

 「レメン侯爵が酷い事をしたのは王国内のに対してだけさ。貴族の財産には極力手を出していない。そして侯爵が首を斬られて喝采かっさいを上げたのは平民だけ。貴族連中は罰金だけで済まそうとしていたんだ。仮にも四侯のひとりだからね。その貴族連中の嘆願を押し切って処刑したのが勇者だ。あの勇者は貴族というものを全く知らないか、知ってはいてもその価値を認めていないのだろうね」


 レメン侯爵とその息子は『アルペルン会戦』の二日後に、中央広場で首を斬られた。シエルたちがカンデラ城を発つ五日前のことである。

 広場では処刑台が作られ、その当日は大勢の市民が広場に集まった。レメン侯爵父子は縄で後ろ手に縛られ、処刑台に引き出された。これも王国の貴族たちからは反対されたのだ。侯爵を縄で縛るとは何事かと。だが勇者は無視した。そして首を斬られる直前にレメン侯爵は勇者に向かって言ったのだ。


 「毒を用意しろ、下郎。その薄汚い刃で私の事を傷つけるんじゃあない」


 その言葉も無視して、勇者は聖剣リュミラーデをレメン侯爵の首筋に振り下ろした。そしてその息子をも。勇者が自分で斬ったのは、自らの手が汚れることをいとわないという覚悟の表れだったのだが、これもまた貴族の反感を買った。それで王国貴族たちは表立って反抗はしないが、勇者の手助けは出来る限りしないという秘密協定を結んだのだ。

 その結果が勇者は自分の手勢てぜい二万だけで、メレドス公爵の四万と戦う羽目になるのである。歴史書の何処にも記されていないが、レメン侯爵の首が飛んだとき、それを見ていた聖女アンジェリカは

 「あの剣はこの戦争が終わったら廃棄ね」

 とつぶやいたとされている。


 「ドレスを脱ぐから手伝いなさい」

 とシェロンヌが命じた時に少年は言った。

 「あのお方がまたおでになられました」

 あのお方が誰を指すのか、シェロンヌは知っていた。何度もこのあばら家に足を運んでくれている一風変わった少女である。一度その姿を盗み見したが、シェロンヌが知る限り、彼女が何処の領主なのかは分からなかった。よほど小さい領地なのか。

 シェロンヌはその熱意は買うが、余りにも小さな領地では、自分は大して役に立たないだろうと思っていた。それで悪いとは思いつつも放置していたのだ。そして王国からは舞踏会のお誘い(実質は仕官の勧誘)を受けていたので、それが終わるまでは会わない方が良いだろうと思っていた。

 結果については、王国は全く仕えるには値しないという確認に終わっただけであった。


 「では、次に訪れたときには中に通しなさい」

 「もう来ないそうです」

 「……そう」

 シェロンヌは少し落胆してしまった。熱心そうな少女であったから、仕えないまでも色々と助言出来ると思っていたのだ。だが、えんがなかったのだろうとシェロンヌは思った。

 縁がない? 

 自分は八度も彼女にここに足を運ばせたのだ。縁を拒絶したのは自分の方であった。


 「名前は? 聞いてないの?」と、シェロンヌは少年に聞いた。

 「あの方は言いませんでした。もう必要ないからと」

 その言葉を聞いてシェロンヌは、今度は自分が彼女に拒絶されたのだと思った。自分の行いが自分に返ってきたんだわ、と自嘲じちょうした。

 「――あの方は」少年が続ける。シェロンヌはこの少年がこんなに喋るのは珍しいと思った。「何?」とシェロンヌが聞き返す。

 「『変化の指輪』をしておいででした」


 シェロンヌは一瞬頭の中が真っ白になった。少年の一言はそれほどの衝撃をシェロンヌに与えたのだ。彼女はぐらりとして机に手を着いた。

 (『変化の指輪』! まさかっ!)

 『変化の指輪』は前述した様に、欲しいと思って手に入るものでは無かった。シェロンヌは動揺を抑えて考え始めた。

 (『変化の指輪』。帝国では『移つ代の指輪』と呼ばれているそれは、遺跡からのみ見つけることが出来る遺物で、現存が確認されているのは七つである。帝国が二、王国が二、聖花天教分国が二、ダウアート鐵国が一だ。オーリシア巫国とシガー帝国については良く分かっていない)


 遺物を入手した場合、国に報告してしかるべき金額で買い上げてもらうのが決まりであり、これを隠し持ったりすると重罪になる。どのくらい重い罪かというと、王国の冒険者ギルドが遺物を隠していてそれが発覚した場合、王国内の全ギルドが消滅させられる位の罪であった。

 であるから、少なくとも公的な立場の者が隠し持っている、というのは考えづらかった。


 (帝国では帝室が二つ、王国では王室がひとつ。だが、パラスナ陥落時にどうなったか調べないとわからない。あとひとつは王国の四公四侯しこうよんこうで回されているとされ、現時点での持ち主が誰かはこれも分からない。聖花天教分国のふたつは当然の如く教会本部にそのふたつが、ダウアートてつ国のひとつは首長になった者が管理する決まりだった筈)

 シェロンヌはこの中で、自分に関心を持つところはどこだろうと考えた。そしてその結論はすぐに出た。帝国である。


 (王国人であれば『変化の指輪』を使う意味がない。どのみち誰に雇われたかはぐに知られてしまうのだ。聖花天教分国は亜人嫌い。教会の人間が私を雇うだろうか? ダウアート鐵国の鉱岩石族ドワーフどもは亜人ではなく森恵族エルフ嫌い。森恵族エルフの血の入った私を八回も訪れる? 可能性は低いような気がする。そう考えると最もありそうなのは帝国だ。帝室の誰かの意を受けた者が私を雇う為にここに訪れる。敵地なので『変化の指輪』が必要だ。うん、辻褄つじつまは合っている)


 帝国か、とシェロンヌは思いをはせた。

 (異種族に最も寛容な国。現皇帝は病を得て床に伏しているが、皇太子は優秀だと聞く。領土の半分がほぼ手付かずの状態で、伸びしろは王国よりもあるだろう。現首都はちょっと北すぎる。新たな首都、もしくは行政中心地をシェトーナ平野のスウィード大街道沿いのどこかに新設すれば、効率よく国家が運営できるだろう)

 シェロンヌは考えを続ける。一体帝国の誰が自分を呼ぼうと考えたのか。


 (現皇帝とその皇太子がその最有力。もし帝族の後援を受けられるのなら、かなり自由に施政出来るだろう。生産力を現状の二倍にすることだって可能だ。もし自分に全てをゆだねてくれるのなら。第二皇子は農業と工業に興味があった筈。それらに関しても私ならば有力な助言を与えられる。だが、権限が限られそうなのが心残りではある。第三皇子に関してはあまり情報がない。確か王国と接している沿岸部のサントルム地方を治めていて――)


 とそこでつい近頃、帝国軍と王国軍がサントルム地方でりあって、王国軍が負けて撤退していた事をシェロンヌは思い出した。春先にも一度王国軍を撃退しているので、案外第三皇子はるひとなのかもしれないとシェロンヌは思った。

 彼女はその時の戦いの情報がないか、かたわらにいる少年に聞いてみた。少年の答えは意外なものであった。


 「あの二回のいくさは【首狩り姫】が帝国軍を勝利に導いたものとの、もっぱらの噂ですが」

 (【首狩り姫】?)シェロンヌはその二つ名を初めて耳にした。「誰よそれ?」との問いに、少年はびっくりする事実を返した。

 「帝国第一皇女のシエルレーネ姫のことですよ。彼女は勇者のように強いと噂されています」

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