13 軍師シェロンヌ(1)

 アルペルン城で王国の舞踏会が行われる日となった。

 朝食は食べ終わったが、シエルは『シェロンヌのいおり』に行く気がしなかった。行っても今日も門前払いされる様な予感がしたからだ。

 そんなわけで午前中は部屋で本を読みつつごろごろしていた。部屋の中には結構な数の書籍が積んであった。まだ手に着けていないものもある。シエルはこれはパンラウムの屋敷に持って帰ろうと思った。一旦離れたら、次はいつ来れるか分からない場所である。


 「姫様、お茶にしましょう」

 タタロナがそう言った。いつの間にかお昼になっていたらしい。

 部屋の円卓にお茶の準備がしてあった。まずシエルが席に着いた。タタロナがお茶をいれて、シエルの前に置いた。そのあとでタタロナはイェーナと自分のカップにお茶を注いで椅子に座った。三人でのお茶会である。前に言った通り主従としてのではなく、友達としてのお茶会であった。


 イェーナはさっそく菓子を手に取る。お茶を口につける前である。

「こらっ、イェーナ」とタタロナにたしなめられるイェーナだが、大して怒られないと分かっているので「えへへ」と笑って菓子をぽいと口に投げ込む。タタロナが肩をすくめてあきらめのため息をついた。

 (イェーナの奴め、まるで主人の甘さを見透かした猫の様な行動を取るなあ)

 とシエルは思ったが、この気安いお茶会の方がシエルの性には合っていたのであった。


 お茶会を終えると第七刻(午後二時)になっていた。シエルは「外に出て露店街でもぶらつこう」と言うとイェーナは諸手もろてを上げて賛成した。大抵あそこに行くと、買い食いをさせて貰えると学習したイェーナであった。

 身支度を整えて外に出ると、やたらと警護の兵が多かった。王国のほぼ全貴族の集まる舞踏会のある日である。当然といえた。

 シエルはその舞踏会の場であるアルペルン城に、C-4プラスチック爆薬でも仕掛ければ一瞬でこの戦争は終わるなと、実に物騒な事を考えていた。


 シエルたちは露店街をぶらぶらとして、適当に買い食いをしていたらいつの間にか辺りは暗くなっていた。そして――

 (あれっ、ここは『シェロンヌの庵』の近くではないか。無意識にここに来るなんて、余程われは気にしていたらしい――)

 とシエルが思っていると、シェロンヌの家の前に二頭立ての馬車が停まっていた。そして家の扉が開く。シエルたちは慌てて物陰に隠れた。


 出てきたのはちゃんと正装してドレスを着こなした片眼鏡モノクル半森恵族ハーフエルフ、シェロンヌであった。シエルは(ああ、確かにシェロンヌだな)と懐かしさを覚えた。

 半森恵族ハーフエルフだが、浅黒い肌と限りなく白に近い水色の髪はダークエルフを思い起こさせる。理知的でもあり、理想主義者で激情家でもある。

 彼女はただ民がやすんじて暮らしていける世界を望み、それの実現に手を貸して、その身を殉じたいと願っているのだ。その話は勇者時代に彼女から散々聞かされた。


 そのシェロンヌは侍従に手を取られて馬車に乗る。そして馬車は走り去った。どう見ても今夜の舞踏会に招待された風であった。シエルは目をつむりやるせなさを感じた。

 (なんだシェロンヌの奴、王国から声を掛けられていたのか。それならそうと言ってくれれば良いのに)

 シエルが勇者だったときは、毎回当然の様にシェロンヌを登用していたのだ。それは『舞踏会イベント』の前後だったので、ちょうど今の時期とかぶっていたのだった。シエルも出来ればその前にシェロンヌを雇いたかったのだが、これはつまり王国の方が一足早かったということだった。


 シエルはひとりで『シェロンヌの庵』に近付き、扉を叩いた。出て来た少年はあっという顔をした。シエルは言った。

 「何度もお訪ねして申し訳ないとは思っていた。一目だけでもタラタ先生にお伺いしたいと思っていたのですが、それがかなわなくて残念ではあります。自分が訪れるのはこれで最後になると思いますが、先生にはよろしくお伝えください。では」

 そう言い終わるとシエルはきびすを返して引き上げようとした。その背に少年が慌てて声を掛けた。

 「お待ち下さい。主人が帰ってきましたら取次ぎますので、どうかお名前をお聞かせ下さい」


 シエルは何故今更と思いつつじっと少年の顔を見た。その少年はなおも必死そうな表情をしていたが、シエルは顔を上げて少年の後方の冬の夕焼けを眺めた。

 綺麗な赤焼け色で地上の灯りと見事な対を成していた。そしてシエルは一言つぶやいてからその場を去った。

 シエルは敷地の外で待っていたイェーナとタタロナに合流し「もうこの街での用は済んだ。パンラウムに帰ろう」と言って引き上げた。その際にちらと『シェロンヌの庵』を振り返ったが、あの少年はまだそこに立っていた。


 その夜の”勇者の宿り木亭”の食堂でシエルは大いに飲んだ。勇者パーティの面々は舞踏会に参加していたので、当然姿は見えなかった。その代わりにイェーナとタタロナが付き合ってくれたのだ。


 「あらーシエルちゃん、どうしたの? まるで『失恋』したみたいよ」

 と、あまりのシエルの飲みっぷりにアリューシャは心配して声を掛けた。シエルはふんとやさぐれた態度で言った。

 「『失恋』ですか、そうですね。そういわれりゃ見事に振られましたね。ここに来たのは全くの無駄足になりました~」

 「何、シエルお前振られたのか! 詳しく話を聞かせろ」

 とその釣り目を輝かせて興味深々に聞いてきたのはミューシャである。シエルはいらっとして言った。

 「うっさい馬鹿猫。お前は『鰹節かつおぶし』でも食ってにゃごにゃご言ってろ!」

 「な、何だよにゃごにゃごって。それに『かつおぶし』って一体何だよ……」

 いつにないシエルの勢いにミューシャはたじたじとなった。ついでに鰹節はこの世界には存在していないようであった。


 「ボクは最初から虫が好かなかったですよ! 居留守なんか使って感じ悪い。ボクの姫様に――」

 イェーナがそう言い切る前にシエルが「イェーナぁ」と、彼女に抱きついて泣き出した。シエルは泣き上戸じょうごの気があるのかもしれなかった。イェーナはシエルの頭をでながら優しい声で、

 「よしよし、大丈夫ですよ。ボクはずーーーっと姫様の味方ですからねっ」

 と慰めた。

 タタロナはそばでふたりの様子を眺めながら、このふたりの関係はどこかで歯止めをかけないと、どっちも駄目になると認識したのだった。


 さらに一刻ほど経った。

 シエルもイェーナもしこたま飲んでいたので、すでにへべれけであった。だがステータス値の高さからか、酔い潰れそうになっては回復し、そしてまた酔い潰れそうになるのを何度か繰り返していた。それを見ていて心配したアリューシャが、

 「もう止めた方が良くない?」

 とブルクハルトに尋ねると、ブルクハルトは紫煙を吐き出して、

 「男にゃな、徹底的に飲んで忘れたいときがあるんだよ」 

 と目を瞑って渋く言った。が、ミューシャから「でもシエルは女だよ?」と突っ込まれ、「そういやそうだな」と、ぼけた一幕もあった。


 時刻はもう第十一刻半(午後十一時)を過ぎていた。

 常連客たちも皆引き上げて、後はシエルら三人が残るのみとなった。

 ブルクハルトは、

 「あとは俺がやっとくからお前らは引けていいぞ」

 と言ったのでアリューシャとミューシャはじゃあと言って家路についた。タタロナはほとんど飲んでいなかったので素面しらふであった。

 飲み会が行われると、必ず介抱役にまわってしまう損な役回りのひとがいると思うが、タタロナはそのタイプであった。シエルとイェーナの飲むペースを見て、「ああ、これはくな」と判断して飲むのを抑えたのだ。

 ブルクハルトはそんなタタロナに、

 「お前さんも苦労性だなあ」

 としみじみと言ったが、「それが務めですから」とタタロナは冷静に返した。


 と、そのとき入り口の扉が開き、誰かが入って来た。ブルクハルトは

 「済まねえが、今夜はもう看板だ、よ……」

 と言いかけて目を見張った。店の中にいたシエル以外の全員がその人物を見て絶句した。

 そこには荒く息を吐いて立っている、美しく飾り立てられたドレスを着たシェロンヌがいたのだ。




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