11 勇者のパーティ(3)

 翌朝、シエルは若干の頭痛を覚えたが、二日酔いになる程飲んだ記憶はなかった――筈であった。

 (まあいいか)とシエルは思い、寝台を降りると姿見の前に座った。そこにはすでに身なりをきちんと整えたイェーナとタタロナがいた。

 そうしてお召し替えが始まった。シエルは不慣れながらも一生懸命に自分を整えてくれているイェーナを見て、ほんのちょっぴり愛おしさを感じた。タタロナの方は相変わらず、いやさらに洗練された手際の良さを発揮した。お召し替えはわずか四半刻で終わった。

 シエルたちは部屋を出て一階に下り、カウンター席で三人して並んで朝食を食べた。食堂を眺めてみたが、勇者パーティの面々はまだ寝ているようで姿はなかった。


 さて。

 いよいよ今日はシェロンヌとご対面の日である。あの常識人の半森恵族ハーフエルフは、今も書物を読みながらぶつぶつと言っているのだろうか。

 身支度を整え(意外とシェロンヌはこういう事にうるさい)、きりっとした表情を鏡で確認したあとに、シエルたちは『シェロンヌのいおり』に向かった。肌寒い日ではあったが、天気は快晴だった。

 アルペルンの街中は、王国兵で溢れていた。郊外に駐屯している諸侯の王国兵は八万を越えているそうだ。それらを陣屋に閉じ込めたままにすると、ストレスのために殺伐とした空気になってしまうので、交代制で外出を許してガス抜きをするのである。だからアルペルンにたむろしている兵士たちは帯剣していなかった。


 そんな中を三人は歩いていく。

 露店の肉を焼くこうばしい香りに、イェーナが鼻を引くつかせる。こいつは食欲を刺激されるとすぐに反応する。さっき食べたばかりじゃないか、もしかしてイェーナには胃袋がよっつあるのか、鳥肉を食べたら共食いになるんじゃないか等、下らないことをシエルが考えているうちにシェロンヌの庵に着いた。


 イェーナとタタロナはもう心得たもので、家の敷地の外で控えている。シエルひとり扉に近づき、とんとんと叩く。そうするともう顔馴染みになった少年が出迎えてくれ、「どのような用事でしょうか」とシエルに聞く。シエルは(こういう時は中国では大人たいじんと言うんだったか)悠々とした態度で少年に尋ねる。様式美である。

 「タラタ先生はおいでかな」

 「いませんよ」

 シエルはその返答にあんぐりと口を開けた。


 次の日も、またその次の日も、シェロンヌは家にいなかった。

 夜、夕食が済んでからシエルは杯を傾けつつ、(おかしい、こんな筈はない)と憮然ぶぜんとした表情をしていた。

 このままでは三顧さんこの礼どころか六顧の礼になってしまう勢いであった。

 「あらあシエルちゃん、どうしたのかな~。ご機嫌斜めそう?」

 と杯を持ったセルセラがカウンター席のシエルの隣に座った。イェーナとタタロナには食事が終わったら部屋に引き上げるように言い含めてあった。相変わらずイェーナは愚痴ぐちっていたが。そしてあの夜以来勇者パーティのメンバーは、シエルを見ると寄ってくるようになったのである。


「会いたいひとに会えないのですよ。今日でもう五回目です」

 とやさぐれた調子でシエルは答えた。セルセラは笑いながら「恋ばな?」と聞いてきたがシエルは「仕事ですよ」と言った。

 今夜の”勇者の宿り木亭”の席の埋まり具合は半分程度であった。ちらとシエルは厨房の中を覗いた。アリューシャもミューシャも、今日は笑い話をする位には余裕があった。

 「へえ~意外ねえ、シエルちゃんその歳で仕事してるんだ」

 「まあ会社の経営っぽいことをやってますよ。ここにはひとを雇いに来たんです」

 ウルグルド帝国株式会社パンラウム高原支社、といったところですかねとシエルは小さい声でつぶやいた。


 「今日も勇者様も聖女様も来ないのですか?」

 とシエルが口を開くと、セルセラの向こうに座っているリリンが言った。

 「腹黒女は今日も来ない」

 シエルは苦笑した。

 今日ここにいるのはセルセラ、リリン、メレンコスの三人だけで女性陣ふたりはカウンター席の方に来ていた。それでメレンコスは酒場の端の円卓でひとり寂しくちびりちびりやっていたのだった。可哀想に。

 「聖女アンジェリカ様はお優しい方なのではないですか?」

 今度はセルセラがそれに答えた。

 「シエルちゃん、『聖女』っていう肩書に騙されちゃ駄目よ。アイツ多分、教会の方から言い含められて私らの監視役も兼ねているんだよ」


 まあ自分が勇者だったときは気が付かなかったが、もしも自分が聖花教の幹部だと仮定して、勇者のそばに送り込む人材を考えてみると、聖花教に対する忠誠心があついこと、有能であること、情に流されないことのみっつが必要だと思われた。

 だから単純に優しいという行為の裏側を覗くと、必ず彼女あるいは彼女の組織に、なにがしかのメリットをもたらすということが含まれている筈だとシエルは気付いたのだ。当事者でない視点というものは、色々と物事を見せてくれるのである。


 そういえばとシエルは思い起こした。

 ゲームのエンディングのひとつに、勇者と聖女アンジェリカが結ばれるというものがあったのだ。ふたりはに土地と屋敷を貰い、多くの子宝に恵まれて幸せに暮らしたという。

 これは一見すればハッピーエンドだが、そこに聖花教首脳部の意向に従って聖女が動いたとすれば、深いところに何かくらいものが見えてくるかもしれない、というのは考え過ぎだろうか。


 シエルは聖女の話をするとセルセラとリリンの機嫌が悪くなるので、別な話をする事にした。

 「勇者様はここには来ないのですか? 一度も見ていないのですが」

 勇者の事を切り出してみたが、ふたりの表情は一向に良くならない。アレ?

 「やっこさんはお城で政治というやつを体験中らしいぞ。王女様が手取り足取り教えて下さるそうだ」

 と、遠くからメレンコスが教えてくれた。聞き耳を立てていたのだろう。やはりひとり酒は寂しいらしい。

 『王女』という単語が出た途端、セルセラとリリンの顔が不機嫌になった。なるほど、シエルは分かりやすすぎると思った。


 「はー、勇者様は戦いだけでなく政治もなされると? もしかして将来は王女様と――」

 「無い無い無い無い無い無い絶対無い無い」

 シエルの言葉にセルセラは「無い」の連呼、リリンはぶんぶんと勢いよく首を横に振った。今の言葉を必死に打ち消すかのように。

 「名目だよ名目。王女様が奴さんと一緒にいたがるのさ」

 とメレンコスが解説してくれる。それにセルセラとリリンが苦い顔をした。


 おそらくこの二人はミリアネス王女がその権力を使って、嫌がる勇者を無理矢理束縛そくばくしているのだと、そう思っているのだろう。それは半分正解で半分不正解だ。

 勇者は確かに王女を好いているのだから。百回もそのをやった自分がそう言うのだから間違いはないとシエルは思った。ただし半分だけである。あとの半分はと言うと、(王女――実に厄介な性格の女)であった。

 この世界の勇者が彼女をどう思っているかは知らないが。


 ゲームをクリアすること百回の経験を持つシエルでも、勇者と王女が結ばれるエンディングにたどり着いたのは、わずか数度であった。原因は身分の差という奴である。おそらくこの辺は自称”こだわりのある男”が現実並みに厳しい条件付けをしたのだと思われる。

 ユーザーは誰もそんなリアリティは望んでいなかったのだが。だからこの世界でも勇者はいずれ苦渋の選択をしなければならない確率は相当高いだろうとシエルは思った。それでついシエルは勇者のことを思って瞑目めいもくしてしまったのだ。

 シエルはくぴりと甘い液体を飲んだ。酒を果実で割ったものだった。


 「まあ、勇者様には一度でもお会いしたいですね。どんな方なのですか」

 そうシエルが尋ねると、セルセラとリリンはぽ~というなんとも締まりのない顔つきになった。にへらと口元が緩んでいる。一体何を思い出しているのだろう。

 シエルはメレンコスの方を向いた。メレンコスはぐいっと杯をあおってから言った。

 「良い男だよ。若いし、ちと融通がきかねえがな」

 おっと、脳筋のあんたがそう言うかとシエルは思ったが、そのとき女性陣ふたりから(過剰と思われる)反応が返ってきた。

 「はあん、メレンコス、勇者を批判するとは随分アンタも偉くなったものねえ?」

 「身の程を知らないとは貴方のこと」

 と、ふたりに冷めた目つきで睨まれたメレンコスは慌てて弁解する。

 「お、俺は批判なんかしちゃいねえぞっ! なっ嬢ちゃんもそう思うよなっ」

 「シエルちゃんを巻き込まない! メレンコス、アンタには勇者の素晴らしさをじっくりと語ってあげないといけないようね」

 セルセラの言葉にリリンがこくこくと頷いている。頬が赤い。酔いが回り始めているのかもしれないとシエルは見た。メレンコスは「勘弁してくれ……」と涙目である。


 シエルはこの大男に助け船を出すことにした。この前助けられたお返しである。

 「そういえばセルセラ様はどうやって勇者様と出会ったんです? 馴れめはどんな感じだったのですか?」

 「いやん、馴れ初めなんて……」

 セルセラは両手で頬を押さえて身体をくねらせた。

 シエルはその場面を良く覚えていたが、話をらすにはちょうど良いと思ったのである。

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