10 勇者のパーティ(2)

 そして、夜も大分更けた”勇者の宿り木亭”。

 その食堂兼酒場にて。

 「勇者様がいないのは残念だなあ。はあ~会いたい……」


 シエルは隣に座っているミューシャが、一丁前に恋する乙女のような態度をとるのを面白くなくてちょっと言ってやった。

 「勇者は多分、水虫持ちだぞ?」

 「はあ⁉ あり得ないし! 確認でもしたの、勇者様の足!」

 と、怒ったように反応するミューシャ。

 「いや、戦場を駆けずり回っていれば誰でもなるぞ? 宿痾しゅくあみたいなもんだし」

 「しゅくあ?……難しい言葉で誤魔化さないでよねっ! アタシの勇者様にけちつけないで!」


 ミューシャはむきになって否定した。何時いつから『アタシの勇者』になったのかは知らないが、シエルはミューシャをからかうのが楽しくなってきた。シエルも知らず知らずのうちに大分酔っていたのだ。そうして本人も気づかずに声が大きくなっていった。シエルは続けた。


 「それでな、おそらく勇者は聖女アンジェリカのもとを訪ねるんだ、真夜中に」

 「えっ、どうして真夜中に?」

 意外な話の展開に、ミューシャの声が一段低くなる。

 「そりゃあ他の人に(水虫だと)バレるのが恥かしいからに決まっているじゃない」

 と、当然そうに答えるシエル。 

 「そ、そうなんだ。勇者様が聖女様と……」

 何かいけない話をしている様に、ミューシャの声がさらに小さくなった。


 「で、部屋に入った勇者は聖女に話し掛けようとするのだが、もじもじして中々切り出さない」

 「ふむふむ」

 「聖女アンジェリカはことさら優し気に尋ねるの。『どうかなさいましたか、勇者様?』ってね」

 「う、うん」

 「勇者は『実は、症状が悪化しちゃってね』と照れくさそうに言うんだ。それで聖女アンジェリカが『では勇者様、そちらの寝台に横になって下さい』って指示するんだけど、勇者は『えっ、そこはさっきまでアンジー(愛称)が寝ていた場所じゃない?』って戸惑うの」

 「ごくり」と、ミューシャが喉を鳴らした。


 何時しか食堂の中はしん、としており、シエルの話し声とミューシャの合いの手だけが聞こえるのみとなっていた。

 「『その様なことを言っている場合ではありませんわ』ささ、どうぞと聖女アンジェリカは勇者を寝台に押し倒すの」 

 「ひっ」と誰かの息を呑む声が聞こえた。女性の声だった。

 「お、押し倒したの……」と、ミューシャがおびえた様な声色で尋ねる。

 「ああ、語弊ごへいがあるわね、勇者が足を寝台に引っ掛けて、自分から倒れ込んだだけ」

 そうシエルが言うと、何故か食堂内にほお~、と深く息をつく音が満ちた。

 「そ、それで?」ミューシャが恐る恐る先をうながす。


 「勇者(の足のすそ)をはだけて、聖女アンジェリカが(水虫の)患部に指をわすの。そしてまた優しい声で『勇者様、お加減はいかがでしょうか?』と聞くと勇者は『ああ、とても良いよ、アンジー。ずっと(かゆくて)我慢できなかったんだ』と満足そうに答えるの。その答えに聖女アンジェリカは頷きつつも、『では私がもう少し(水虫を直して)気持ちよくして差し上げます』と、(水虫の患部を)しごく速度を速めて、きゅっと(指を)めるのよ。それに耐えきれなくなった勇者が――」


 と言ったところでシエルはぽん、と肩を叩かれた。

 見上げると笑顔を浮かべてはいるが、顔を真っ赤にして背景に紅蓮ぐれんの炎が渦巻いていそうな雰囲気の聖女アンジェリカがいた。

 シエルの酔いは一気に冷めた。

 ミューシャは尻尾を丸めつつ顔を蒼ざめさせて、「さー仕事仕事」なんて言って厨房の奥へそそくさと入って行った。

 常連客どもは急に騒ぎ始め、これ見よがしに「ささ、どうぞ一杯」「こりゃどうも。くううっいけますなっ」なんて言っているが、実にわざとらしかった。


 聖女アンジェリカはシエルの肩に手を置いたまま微動だにしない。シエルはこの絶体絶命の危機をどう乗り越えるか、いつになく頭をフル回転させた。と、その時聖女アンジェリカの後ろから声が掛かった。低い、底冷えのする声であった。

 「ねえ貴女、今の話、本当なの?」

 賢者リリンであった。頬が赤くなっている。シエルはこいつはやばいと直感で悟った。こいつはやたらと呪文をぶっ放すからである。 

 シエルは努めて明るい声で言った。

 「え、今のの話ですか? 勿論われの作り話ですが」

 「そお~うは思えなかったけどなあ~。まるで見ていたことのように、迫真に迫っていたわよ~う」

 今度は聖弓手セルセラであった。やはり顔が赤い。笑ってはいるが、目だけが真剣だ。こいつも危険な女だった。

 要は勇者パーティのこの二人は、気に入らないことがあれば所かまわずぶっ放すのだった。それが矢か呪文かの違いだけで、いちパーティにトリガーハッピーがふたりもいる編成は、どう考えても大失敗だろうとシエルは思うのだった。


 シエルが今話していたことはゲームでのイベントでの話だった。『勘違いイベント』という奴である。

 事実は単に勇者が、夜中に水虫の治療をして貰うために聖女の部屋に入る。それだけであった。そして治療が終わって、勇者が部屋を出る姿を誰かに見られて勘違いされる、というものであった。後日誤解は解けて笑い話となるイベントである。

 筈だった。


 聖女アンジェリカは焦っていた。

 この目の前の少女が、どんな方法で知ったかは分からないが、聖女に姿を見られたのは確実であった。とはいえ、事をしたわけではない。ちょっと鈍感な勇者様にしただけである。

 それをこのふたり、セルセラとリリンに知られるのはまずかった。パーティが瓦解する可能性があった。枢機卿からは「勇者パーティが最後まで機能するよう」に言い含められている。


 聖女アンジェリカの役目は、第一に勇者が帝国を討つことを疑わせないこと。第二に勇者パーティに平民の支持を集め偶像化すること。第三に勇者が王女を見捨てないようにすること。これについては、勇者と王女の恋愛のおぜん立てを事あるごとにして、やっとお互いをその気にさせたのだ。

 だが、結ばれてはいけない。勇者といえども平民である。平民と貴族、ましてや王族が結ばれることなどあってはならないのである。断じて。未来永劫にわたって決して。


 聖女アンジェリカはこの少女が、今の話を自分の想像するところとしようとした事に乗ることにした。

 「セルセラ、リリン、今の話はこの子の作り話よ。私は勇者の治療をしただけ」

 「はん! 貴女はいつも綺麗に収めようとするのよね。まるで他人ひと事みたいに」

 セルセラ。半森恵族ハーフエルフの聖弓手。だから森恵族エルフの血の入った奴は嫌いだわ、と聖女アンジェリカは思った。

 「本当に何もないの。勇者様は水虫であることが恥かしくて、それで――」

 「水虫の事は良い。問題はそれに便乗して貴女が勇者様にしたこと」

 リリン。賢者なんてとんでもない。ただの魔術馬鹿。自分勝手に行動し、何度その尻ぬぐいをさせられたことか、と聖女アンジェリカは腹が立った。才能と精神の成熟度が釣り合っていない馬鹿の相手は疲れる。本当に疲れる。


 三人が静かに睨み合っている中、シエルは取り成すように提案した。

 「あ、あのう皆さん、われの妄想でお騒がせしてすみません。出来ればお詫びとしてお酒を一杯おごらせて貰えませんか」

 シエルは険悪になりそうな雰囲気を何とか和らげようと必死であった。

 ブルクハルトから見れば、勇者パーティの不和を敵である皇女が収めようとしている図は摩訶不思議であったろう。そこで突然、男の野太い笑い声が起った。


 「がははは、その位で良いじゃねえか。お嬢ちゃん、有難く頂くぜえ」

 盾戦士のメレンコスであった。シエルは救われた思いがした。メレンコスのことを今の今までただの筋肉馬鹿と思っていたが、これからは、性格の良い筋肉馬鹿と呼ぶことにしようとシエルは決めた。 


 「じゃ、じゃあ、そちらの常連さんにも一杯」

 とシエルが言うと常連客から歓声が上がった。ブルクハルトが「それじゃあ俺からも一品ずつ奢るわ。好きなの頼めや」と言うとまた歓声が上がった。この辺は良く心得ている宿の主人と常連客たちであった。 


 シエルは、はふーと息を吐いた。それで自分は部屋に戻ろうと立ち上がったが肩をつかまれた。

 (またかよっ)とシエルは思ったが、今度は両肩である。片方がセルセラ、もう片方がリリンであった。ふたりはシエルを逃がすつもりはさらさらなかった。

 シエルがふと横を見ると、聖女アンジェリカが(諦めなさい)と言うように、目を瞑って首を横に振った。

 シエルは何故か勇者パーティの円卓に混ざっていた。そして皆で乾杯をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る