6 遺跡探索(2)
初級遺跡の前で元金級冒険者の魔術師であるサマンサはさり気なく待っていた。シエル一行をである。仲間だったブルクハルトから陰から見守ってくれと頼まれたのだ。
サマンサは職業柄後衛であったが、この初級遺跡であれば全く問題は無かった。
(遅い。もうそろそろお昼になる。皇女様はまだ来ないのか)
時々受付の方に行って帳簿を確認させて貰っているが、見逃したわけではなさそうであった。
(冒険者ギルドを第四刻(午前八時)に出て、買い物に約半刻。アルペルンの街から半刻掛かるとして、とっくにここに着いていなくてはおかしい筈だが――)
サマンサはちらと目の前の建物を見た。その片隅に銀級である冒険者が三人、たむろしていた。彼らも何かを待っている様子だった。
(あれがおそらくゼルシスがよこした護衛だな。彼らもここにいるということは、やはりまだ皇女様たちは来ていないのか)
サマンサはそう結論付けた。しかし、たかが初級遺跡の護衛に元金級がひとり、銀級が三人の冒険者とは
それから半刻経った。雲が出てきて日は陰り始めた。一雨来るかもしれない。
第六刻半(午後一時)になって初めて、サマンサはこれは絶対におかしいと気がついた。余りにも遅すぎるのである。中止になったのなら、ブルクハルトから連絡が来るだろう。奴はそういうところは気が利くのだ。
サマンサは馬に飛び乗り、アルペルンの冒険者ギルドへと向かった。急げば四半刻で帰着出来るのである。
疾走している馬の上でサマンサは、これはとんでもない事になるかもしれない、と思った。
話は今朝、シエルが受付を終えて冒険者ギルドを出るところに戻る。
受付嬢が四階にあるギルドマスターの執務室に向おうと、一階の階段から消えた直後にギルドの奥の扉からふたりの事務員が現れた。手には紙束を持っている。
そして入り口近くの机の上に乗っている紙束を取り除き、新しく持ってきた紙束をそこに置き直した。事務員のひとりが言う。
「やばかったな。気がつかなきゃ人
もうひとりがそれに答える。
「ああ、しかし何だって”初級”遺跡と”上級”遺跡の文字を間違って印刷しちまったんだ?」
「知るか。ともかくこれで問題は回避出来たわけだ。あとはこっそりとこの紙束を処分しちまおう」
「そうだな。ギルドマスターに知られたら雷が落ちるからな」
そう言って事務員たちは笑いあって奥の扉から退場した。
ふたりが退場した直後に件の受付嬢が四階から戻って来て、担当の受付の席に着いた。彼女は先ほどの貴族の少女を思い浮かべ、もし貴族たちが冒険者になってくれれば私たちももっと活躍出来るようになるだろうと期待を込めたのだった。
物事が悪い方向に転ぶのは、ほんのちょっとのすれ違いであった場合が多い。
もし、ミューシャが早起きせずに、シエルたちの朝食をせかさなければ?
もし、ブルクハルトがシエルに冒険者ギルドで受付してこいと言わなければ?
もし、受付嬢が四階に上がるのをほんのちょっと遅らせていれば?
もし、事務員たちが印刷の間違いをゼルシスに報告していれば?
もし、受付嬢が早く戻って来て、事務員たちが紙束を差し替えているのを見ていれば?
もし、シエルが地図に描かれた遺跡の位置におかしさを感じていれば?
もし、遺跡の受付の衛兵が一言シエルたちに確認を取っていれば?
もし、シエルが初級遺跡の入場料としては高すぎると文句を言っていれば?
たったひとつ、ちょっとした違和感を見逃さずにいれば、事態はこれほど大事にはならなかった筈であった。そう、シエルらは”初級”遺跡ではなく、もうひとつの”上級”遺跡の方に入ってしまったのだった。
第七刻(午後二時)も四半刻前にサマンサはギルドに到着した。そして直ぐにゼルシスに報告する。ゼルシスは皇女たちが予定通りに行動していないことに驚き、現在行方が分かっていないことに不安を感じた。
「足取りは分かってないの?」とサマンサがゼルシスに尋ねた。
ゼルシスは東門から出たことは判別しているから、その後どこへ向かったか、今ひとをやったとサマンサに言って黙り込んだ。
と、そのときゼルシスの執務室に買い物袋を持ったブルクハルトが顔を出した。
「いや、ちょっと買い出しのついでだったから――あれ、サマンサ。頼んだ護衛の仕事は終わったのか?」
「いえ、それがね……」
と、初級遺跡に姿を現さなかったシエルらの話をして、現時点で行方不明であることを説明した。ブルクハルトは買い物袋を足下に落とした。そして疑問点を口にした。
「ちょっと待て。ここから初級遺跡まで迷う所なんかあったか? 一本道で、人通りも多いだろ?」
「それだから不思議なのよ。駐屯軍が周りにわんさかいるから、賊なんかも出るとは思えないし――」
執務室の三人はううむと
それは初級遺跡に続く道ではなく、その反対の上級遺跡へと至る道だったのである。三人は顔を見合わせて「まさか」とつぶやいた。
どうしてそうなったかは知らないが、そうであれば早急に手を打つ必要があった。
遺跡のランクは、出現する敵の強さや、仕掛けられている罠の難易度で決められている。
初級遺跡は銅級冒険者相当の難易度で、敵も強くないし、迷宮も単純である。
中級遺跡は銀級冒険者相当。中堅と呼ばれる冒険者たちが挑むのがここだ。敵や罠の難易度は初級に比べて格段に跳ね上がる。
上級遺跡は金級冒険者相当。ここまでくると熟練冒険者の中でも一握りの者たちしか深部には潜れない。最下層まで到達してあることはまれで、中層以降は未到達エリアとして謎のままの遺跡が多い。未知の魔物も多数生息している危険地帯である。
そして特級と呼ばれる遺跡も存在するが、金級冒険者のさらに選抜メンバーでもかなり難しいとされている。が、今回は関係がない。
ブルクハルトは落とした買い物袋を拾い上げると、すぐさま出口に向かった。ゼルシスは慌てて声を掛ける。
「お、おい、ブルクハルト。血相変えてお前……まさか自分で行くつもりかっ⁉」
ブルクハルトは部屋から出たあとに扉から顔だけ出して言った。
「大事な身内だからなっ。それとアリューシャに顔向け出来なくなるっ」
そうして走り去った。残されたゼルシスとサマンサはしばらく呆然としていたが、ゼルシスはやおら立ち上がると、執務室の隣にある物入れから、何やら防具などを取り出し始めた。サマンサが、
「え、何? ゼルシス自らが行くわけ?
「今ここにいる金級冒険者は俺しかいねえんだ。仕方ねえだろ」
と答えた。
サマンサは不謹慎にもわくわくしてしまった。無敵の冒険者パーティ【漆黒の無頼漢ども】が復活する! 命の危険はないが、何の波乱もない魔道具店経営にはいささか飽きてきたところなのだ。たとえ
「グレゴリオも呼んでくるから!」
と言って勢いよく飛び出して行ってしまった。ゼルシスは首を振りながら、
(グレゴリオの奴は今やこの地区最先任の司教で、数年以内にここアルペルンの大司教になろうかって立場だぞ? それを引っ張り出そうってのか)
と、昔と全く変わらぬ朋友の無鉄砲ぶりに、深くため息をついたのだった。
一刻後、四人はアルペルン郊外の上級遺跡入り口前にいた。時刻は第七刻半(午後三時)になっており、巣に帰る烏の鳴き声が聞こえてきた。天候は暗雲が空に立ち込め、ぽつりぽつりと水滴を落とし始めている。
「な、何で私まで……」
「うっさいわね、ぐだぐだ言ってんじゃないわよ」
ぽかり、とサマンサがグレゴリオの頭を叩く。教区の信徒の信頼を一身に受けているグレゴリオ司教は涙目になった。司教は冒険者稼業から足を洗ってもう結構な年月が経っているのだ。ゼルシスはいかにも申し訳なさそうな表情で謝った。
「ホント、すまんな。サマンサの奴が突っ走っちまった」
「理由すら聞かされてないんですよ? もう何が何やら」
と、受付で帳簿をチェックしていたブルクハルトが戻って来た。そして三人に向けて言った。
「シエルたちはやはりこの遺跡に入っちまったようだ。入った時刻は第五刻(午前十時)だ。もう二刻半(五時間)も経っちまった」
ブルクハルトは革鎧の軽装に、両手で扱う長さ二歩もある
ゼルシスは騎士と見まがう全身鎧に
グレゴリオは司教服の下に
サマンサはローブに長さ一歩程度の
「これで四人揃って【漆黒の無頼漢ども】の復活完了ね!」
三人の男たちは苦笑した。苦笑しつつも皆懐かしい思いを
「とにかく、中に入ろう。進みつつ状況を説明する」
ブルクハルトがそう言うと、皆頷いた。そして四人は遺跡の中に入っていった。
「ウルグルド帝国の第一皇女が冒険者ですとっ」
暗い通路の中をグレゴリオ司教の驚きの声が響き渡った。遺跡内でことさらに物音を出すのは、魔物が寄ってくるので良くないとされている。熟練冒険者だったグレゴリオ司教がそれを知らない筈も無かったが、思わず声を出してしまったのだ。
無理もない、とブルクハルトは思った。
「まあ、何かと破天荒な姫なんだ。
今は前衛をゼルシスが務め、その後ろにカンテラを持ったサマンサ、そして最後尾にブルクハルトとグレゴリオがいた。彼に状況を説明するためだった。
「で、偽名で活動している皇女の身に何かあったらやばいことになるだろう」
「そりゃあ……」と司教のグレゴリオは絶句した。
「皇女様が天に召されたら、おそらく帝国内の冒険者ギルドは跡形もなくなるだろうな!」
と前方を歩くゼルシスが言った。「それだけで済めば良いが」とブルクハルトがつぶやくと、サマンサが、
「冒険者たちへの弾圧が始まるかもね~」と気楽な声で言った。
「なるほど」とグレゴリオは眼鏡を右手の人差し指で押し上げた。
「私が駆り出される十分な理由はあるみたいですね。ところで、その皇女様の腕前の方は?」
「銅級」とサマンサが一言答えた。グレゴリオはそれを聞いて押し黙ってしまった。
ブルクハルトはその表情を見て、彼の考えていることが分かってしまった。
『金級冒険者が対象のこの上級遺跡に、銅級である皇女ご一行様が二刻半? もう絶望的なんじゃあないですかね』
と思ったことだろう。だがブルクハルトは直接シエルたちと接している。それは決して並みの腕ではないだろうということだ。それに賭けるしかない、とブルクハルトは祈るのだった。
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