4 懐かしい街(4)
その本屋で四冊ほど本を購入して髭の店員さんの丁重なお見送りを受けたあとは、定番の露店巡りをすることにした。シエルはイェーナに小銭を渡して気になる食べ物を片っ端から買ってきなさい、と命令するとイェーナは目を輝かせながら鉄砲玉のように飛んでいった(翼を使った訳ではない)。
そうして両手に一杯のらしきものシリーズを買ってきたので、街中の噴水のある広場の芝生の上で、それを三人で食べることにした。
「こんなことでしたらお茶のセットも持ってくれば良かったですね」
と、タタロナが言った。イェーナは「これ美味しい」とか「これもいける」とか言いつつ、買ってきた食べ物を次々に頬張っていた。
全くのどかな風景であった。
隣にはおいしそうに肉を頬張っているイェーナがいて、反対側にはそれを温かなまなざしで眺めているタタロナがいる。公園内には人族だけでなく色々な種族の子供たちが元気に走り回って遊んでいる。老人たちも日向ぼっこをして和やかに談笑したりしていて、実に和やかな雰囲気であった。
そのとき馬車の急停止する音が広場に響き、「馬鹿野郎」という怒号が聞こえてきた。見ると二頭立ての馬車の脇に犬人族の子供が倒れており、もうひとりの犬人族の子供が、それを必死で介抱していた。
身なりが貧しそうだったので、下層の子供たちかもしれなかった。シエルはタタロナに尋ねてみた。
「どういう経緯だったか、見てた?」
「はい、あのふたりの子が遊んでいるところに、あの馬車が突っ込んできたのです」
「完全に速度違反でしたよ。罰金ですね」とイェーナも言った。
御者が馬車を降りようとすると、馬車の扉が開いて身なりの良い、小太りの男が顔を出して、
「おい、そんな奴に構うな、さっさと出せ」
と、当て逃げする気満々の言葉を放った。シエルは芝生の上に落ちている小枝をひょいと拾うと、その馬車に向かって走り出した。イェーナとタタロナもそれに続いた。
御者が馬を出そうとして、慌てて止めた。三人の人影が馬の前にいたからである。
「おい、何してるんだ、何故出さん」
と小太りの男がまた馬車から顔を出すと、ドレスを着た少女が馬車の前で仁王立ちしていた。右手に持っている小枝で、左の手のひらをぴしり、ぴしりと叩いている。その顔つきは明らかに怒っていた。そしてその少女の後ろには侍女がふたり控えていた。少女は口を開いた。
「おやまあ、貴族ともあろうお方が、小さい子供を引っかけてそのまま逃げるおつもりですの?」
とシエルがいかにも貴族
「何だと、そういうお前は誰なのだ、儂は――」
「良く知っておりますわよカラドンネル伯爵。スターク・ロルグ・カラドンネル伯爵殿。アルアニル地方の領地は、王女様に無事、安堵して貰えましたかしら?」
と言われてカラドンネル伯爵は口をつぐみ、あらためて前に居座る少女を見た。
伯爵はシエルの顔に見覚えがなかった。舞踏会などでも見かけたことはない。年齢的に社交界デビューするのは数年後と思われるのでこれは普通であった。伯爵は小さな声で馬車の中に控えている自分の侍従に声をかけた。
「デリュー、あの小娘を知っているか」
侍従のデリューは馬車から顔を出して、三人の姿を見る。デリューは首を振って自分の主人に耳打ちした。
「見たことは御座いません。ただ、あの娘が国王の隠し子だと言われても驚きませんね」
「それほどかっ!」
デリューの言葉にカラドンネル伯爵は驚いた。侍従のデリューには特殊能力があった。ひとつはひとの顔を一度見れば二度と忘れない能力。
ふたつめはステータス上の地位、立場、その人物が生来持つ気品などがぼんやりと(数値や文字ではなく)オーラのように見えること。これはよくある【鑑定】スキルの変形版といえるものであった。
デリューがシエルを鑑定したところ、凄まじいオーラが見えたのだ。表情は平静にしていたが、思わずのけぞりそうになるくらいに。
ううむ、とカラドンネル伯爵は
しかも広場には結構な数の市民が、何事かと遠巻きに見ている。
「『お前はいつもそうだ。悪いことをしたら素直に謝るか、胸を張って悪さをしたぜと公言すれば良いものを、こそこそと逃げるような行動をとる。それは一番してはいけないことである』と、誰の言葉かお分かりですよね?」
カラドンネル伯爵は今度こそ本当の衝撃を受けた。自分が小さい頃いたずらをする度に、尊敬していた祖父にたしなめられていたときの言葉である。家族以外の誰も知らない筈であった。
シエルは勿論、ゲームの中での伯爵のいちエピソードとしてこれを覚えていたのだ。扉から伯爵が顔を出したとき、相手がカラドンネル伯爵と知ってこれは使えると思ったのである。
伯爵は目の前に仁王立ちしている少女が、少女ではなく何か別のものである様な気がしてきた。額から汗がだらだらと流れてきて、自分の膝が震えているのに気が付いた。恐ろしくなってきた伯爵は慌てて馬車を降りようとする。それをシエルは片手を前に出して押しとどめた。
「ああいや、そこまでは必要御座いません。ですが、ひとを怪我させたのですから手当は必要かと」
その言葉に伯爵は冷静さを取り戻し、救われた気がした。目の前の少女は自分の体面を重んじてくれたのだ。
ほっとした伯爵はおい、とデリューに示すとデリューが馬車を降りてシエルの前まで来た。そして懐の貨幣入れからお金を取り出し、タタロナに渡す。銀貨が一枚であった。シエルはさほど興味がなさそうに言った。
「これは貴族のお
それを聞いたタタロナはその銀貨を親指でぴんと
銀貨はくるくると空中を高く飛び、ぽちゃんという音を残して噴水の中に消えた。
その瞬間周りにいたひとがわっと噴水に群がった。シエルはそんなことにも目をくれず、じっとデリューを見つめていた。デリューはわざと試してみたのだ。ぺこりと頭を下げると、今度は金貨を三枚タタロナに渡してきた。タタロナがシエルに目配せすると、シエルは首を横に振った。タタロナは二枚をデリューに返した。タタロナの手には金貨が一枚だけ残った。
「これで良いでしょう」とシエルが言うと、またデリューはぺこりとお辞儀をして馬車に戻った。そして三人を残して伯爵の馬車は走り去った。
シエルたちは犬人族の子供たちのところへ駆け寄った。犬人族の子供は
シエルらは子供を医者に
暗くなった帰り道に三人は今日あった出来事を思い思いに考えていた。
シエルは自分に力――いざという時の武力、伯爵を驚かせた知識、そして皇女という立場と財力――が無かったら、果たしてあの犬人族の子供たちを助けることは出来ただろうかと思っていた。難しかったのではないかという結論になった。
そしてイェーナとタタロナは、もし自分たちが貧民窟にいた頃に姫様みたいなひとに出会っていれば、カトリーヌは――と考えて、もはや
シエルから離れた馬車の中で、カラドンネル伯爵は背中に汗をびっしょりと
「あの娘の素性が知りたい」
その言葉にデリューは「おやめになった方が良いでしょう」と答えた。伯爵が「何故だ」と問いかけるとデリューは、
「彼女の指先には『
「『変化の指輪』だと……」
カラドンネル伯爵はうめいた。その指輪は遺跡からしか発見されていない。つまり現在の技術では作り出すことが不可能なアーティファクト(遺物)であった。貴族の最上位である公爵ですら、欲しいと思って手に入れられる品ではない。家宰のヴェルラードはさらっとシエルに渡していたが、実は非常に貴重なものだったのだ。
デリューは自分の主君を
「藪を突いて何が出てくるか想像も出来ません。今日の出来事は忘れた方がよろしいかと」
「うむむ、そうだな」と伯爵は不承不承頷いた。そうして静かになった馬車の中で、デリューは少女のことを思い浮かべていた。
(試してみたが人品
主君に
そういっている間に馬車は、伯爵が宿舎にしている貴族宿に到着するのであった。
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