2 懐かしい街(2)

 久しぶりの”勇者の宿り木亭”の席は八割ほど埋まっており、騒がしい人の声とともにこの宿が繁盛していることをうかがわせた。

 奥に見える厨房とカウンターの中に、懐かしい顔がふたつ見えた。ブルクハルトとアリューシャである。ふたりとも全く変わっていないようだった。

 じわり、とシエルの瞳に涙が溜まった。とそのとき、聞きなれない若い声が脇から聞こえた。

 「お客さん、お泊り? それともお食事?」


 振り返って見れば、シエルより見た目やや年上の猫人族の女の子がいた。釣り目の気の強そうな少女だ。

 (そうかあ、新しい従業員雇えたんだ――)とシエルは感慨深げに思い、

 「三人泊まりで食事もなんだけど……」とその女の子に伝えると、

 「今日は三人部屋は満室で泊まれないんだ、悪いね」とそう言うとすたすたと奥に行ってしまう。

 (ちょっ⁉)

 シエルは説明しようと慌ててその女の子を呼び止める。呼び止められたその娘は不満げな顔つきだ。

 「何? 泊まれないってことは言ったよね? アタシ、しつこいの嫌いなんだよね」

 (あーこいつ、ひとの話を聞かない奴だ。しかも接客態度最悪だし――)

 とシエルは天を仰いだ。ここは屋内だったから、シエルは天井を見ることになったわけだが、そのとき横目でアリューシャと目が合った。


 アリューシャは目を見開ひらき、口をあんぐりとけて、シエルのことをぶんぶんと指さした。

 (だからアリューシャさん? ひとを指さすのは止めましょうね)

 とシエルは以前思ったことを思い出した。厨房の奥でブルクハルトが、

 「おい、忙しいんだからさぼるな、よ……」

 と振り向いたときにやはりシエルと目が合った。ブルクハルトがフライパンを持ったまま固まり、シエルはばつが悪くなって逃げだそうとした。


 「おいっそいつを逃がすなっ!」

 とブルクハルトが叫ぶと、店内にいた客も皆一斉にシエルを見た。その中には以前よく見た常連さんの顔もあった。

 シエルが(やばい!)と思ったときには、もう飛び掛かられて床に押さえつけられていた。シエルの背中に馬乗りになっているのは、先ほどの無礼な猫人族の女の子であった。

 「ようしっ、無銭飲食者の確保かんりょー!」

 と、得意気に宣言する女の子であった。

 (誰が無銭飲食者やねん。勝手にひとを犯罪者にすんなっ)

 とぷんぷんと頬を膨らませたシエルだが、本気で暴れると女の子に怪我をさせそうだったので、そのままじっとしていた。

 ブルクハルトとアリューシャがこちらに駈け寄ってくる。


 とそのとき、良く知った声が聞こえてきた。イェーナであった。イェーナが店内に飛び込んで来たのだ。

 「あーーーっ姫様っ! お前ボクの姫様に何をするんだーーー」

 (誰がボクのやねん。それとしっかりと姫様言ってるし。これだから鳥頭は……)

 と、シエルはげんなりとした。

 「何だお前、お前も無銭飲食者の仲間なのか? 悪い奴めっ!」

 「む、無銭飲食~? 姫様、お金払わなかったんですか?」

 なんて真面目に聞いてくるイェーナは、ホント素直でですとシエルは褒めてあげたい気に――なるわけねーじゃねえか!

 「ふん、分かったか! 分かったらそこで大人しくしてるんだな、悪い奴!」

 「ボ、ボクは悪い奴じゃない! そりゃ昔はちょっと悪い事したけど……」

 「じゃあやっぱり悪い奴じゃないかっ! 嘘つきっ!」

 「う、嘘つきじゃないよボク……」とたじたじになるイェーナであった。


 何で聞かれもしないことを言うのかなこの娘は、とふと顔を上げると入り口にタタロナが立っていた。その目は(店内の無礼者を殲滅せんめつしますか?)と冷たく語っていたので、シエルは必死にぶんぶんと顔を横に振った。

 それを見たタタロナは、表情をゆるめてやれやれと肩をすくめたので、今のはタタロナ流の冗談らしいとシエルはやっと理解した。

 (冗談なんだか本気なんだか判別しにくい冗談は真剣マジにやめて欲しい)とシエルをがっくりとさせたのであった。


 ようやくブルクハルトとアリューシャがシエルのところに来た。

 猫人族の女の子はシエルの背中から降りて、

「これでアタシも役に立つって分かったでしょ」

 と、得意気な顔をした。

 シエルは立ち上がって下を向いたまま、ぱんぱんとほこりを払った。が、払い終わった後も顔を上げなかった。ブルクハルトとアリューシャはシエルの足下にぽた、ぽたとしずくが落ちるのを見て、顔を見合わせたあとにふたりして言った。

 「おかえり」「おかえりなさい」

 シエルは顔を上げた。その涙でぐちゃぐちゃになったシエルをふたりは抱きしめた。それを見た常連たちは口々に「おかえり」と言った。イェーナとタタロナは神妙な顔をして、静かに後ろに立っていた。

 釣り目の猫人族の女の子だけが、ぽかーんとした顔をしていた。


 「えーっこいつが最上階の部屋の主~ぃ」

 と猫人族の女の子が叫ぶとアリューシャにぽかりと叩かれた。

 「ミューシャ、お客様をこいつ呼ばわりにするのはいけませんと何度言ったら――」

 シエルはこの無礼者の名前がミューシャであることを知った。

 あのあと、食堂の客が引けるまでシエルらは部屋で待機していたのだ。もちろん夕食は部屋に届けて貰った。そのおいしさにイェーナの機嫌は良くなったのだった。

 現金なものである。


 シエルは侍従のふたりに、今後出された料理に毒消しは使わないとはっきり宣言したのだ。タタロナから反発がくるかと思ったが、タタロナは姫様がそうお決めになったのなら、それで良いでしょうと了承してくれた。

 身構えていたシエルは肩透かしを食らった気分だった。がタタロナは心の中でシエルに出される料理は、自分が出来る限り点検しようと決意していたのだ。勿論シエルには知られないように。

 それとシエルは公式の席以外では、食事もお茶会も三人一緒にすると言った。イェーナとタタロナは頭を下げてこれも了承した。

 そうして食堂の客が全員いなくなって、玄関を閉めてから三人は一階に下りてきたのである。


 「こちらがイェーナ、こちらがタタロナで、われの最も信頼する友だちだ」

 そうシエルはふたりをブルクハルトとアリューシャに紹介した。ふたりはお辞儀をしたが、特にイェーナは感激していた。シエルが自分のことを「信頼する友だち」と呼んでくれたからである。

 「それと今後はわれのことを”シエル”と呼んで欲しい」

 とブルクハルトとアリューシャにそう言うと、ふたりは「分かった」と言うだけで、余計な事は何も聞いてこなかった。


 「それでそっちの口の利き方を知らない無礼な娘っこは」とシエルが尋ねると、

 「誰が無礼だ誰が」「ああ、こいつは――」「シエルちゃんご免ね、この子は――」 

 という三者三様の反応が返ってきたので、シエルは思っていたことを口にする。

 「ブルクハルトとアリューシャの子供か。うん、よく見れば面影がある」

 などと顎に手を当てながら言ってみた。

 するとブルクハルトとアリューシャがにこやかにすすすとシエルに近寄って、両側からシエルの頬っぺたを引っ張りながら言った。

 「なかなか面白いことを言うようになったじゃねーか。感心したぜ」

 「あらあ、シエルちゃんは私がそんな歳だと思っていたの? ちょっとそれは頂けないかなあ」

 「ひたいひたいひたい」

 やっと手を放してくれた頬を涙目でさすりながら、シエルはミューシャがアリューシャの姉の子だということを知ったのである。


 「本当にこの子は教えた通りにしないから」

 「ふん、アタシは誰の指図も受けねーぜっ。したいようにする、それがアタシの生きざまだぜっ」

 とミューシャは何かに罹患りかんした中学生の様なことを言い放った。シエルは呆れた表情で言った。

 「何だったらわれの家で預かろうか? うちには教育係として優秀な者がいるから」

 この小生意気な娘も、爺と婆やの新兵訓練ブートキャンプを一か月も受ければ、口を開く度に、「分かりました、御主人さまサー、イエッサー」と礼儀正しくなることだろうとシエルは思った。


 「勝手なことを言うな! 貧乏貴族の家なんか行ったら、一生うだつが上がらなくなっちゃうじゃないか。そこのふたりみたいにねっ」

 「これっミューシャ、だからそんな言い方はやめなさいと――」

 「じゃあ今日は帰るねっ、マスター、叔母さん、明日もよろしくねっ」

 と言ってミューシャはぴゅーっといなくなってしまった。シエルはあの娘のある意味清々しいほどの物言いに妙に感心していた。

 ブルクハルトとアリューシャは、帝国を支配しているウルグルド家が貧乏貴族だったら、一体うちは何なんだろうと考えざるを得なかった。一方、うだつの上がらないふたりと言われたイェーナとタタロナは、地味にダメージを受けていた。特にタタロナの方が。


 「でもお客さんが一杯来てたね。どうしちゃったの?」

 とシエルが聞くとアリューシャが嬉しそうに言った。

 「それがねっシエルちゃん聞いてよ。何と勇者様ご一行様が、ここを常宿にしてくれたのよっ。その影響で!」 

 「もしかして最上階の他の部屋?」

 「おう、今日はいねえけど、何日かすれば会えるんじゃ――あ……」

 そこまで言ってブルクハルトとアリューシャは気がついた。

 シエルは帝国の支配者一族、つまり勇者とは敵対する側だということに。

 イェーナとタタロナは、勇者たちがここを常宿にしていると聞いたときから表情を強張こわばらせていた。飄々ひょうひょうとした態度を見せていたのはシエルだけであった。そうしてシエルの発した次の言葉に、一同はぎょっとしたのである。


 「われは勇者たちと仲良くしたいと思っておった。早く会えるのを楽しみにしているよ」


 タタロナは、今の言葉はどういう意味か考えてみたが、さっぱり分からなかった。

 イェーナは、一番の敵である勇者と仲良くするのは絶対無理だと思った。

 アリューシャは、そのようなことが本当にあり得るのかしらと半信半疑であった。

 ブルクハルトは、もしそれが実現すればとんでもないことになると身体が震えた。

 四人が同時に思ったことは、この姫様シエルレーネは一体何を考えているんだろう、ということだった。が、しかし。


 シエルは勇者でもあったのだ。勇者そのものとして、百回も帝国と戦ってきたのだ。そして勇者パーティの仲間たちと一緒に飲み食い寝て戦い、笑い合って泣き合って、喧嘩をしてきたのだ。

 シエルはゲームでは常にともにあった彼らが実在したら、どんな人たちになっているのだろうかと、混じりっ気なしに会うのが楽しみであったのだ。


 「二、三日はここにいられんのか?」

 と、ブルクハルトは聞いてきた。シエルはちょっと考えてから言った。

 「連れて帰りたいひとがいるんだけど、そのひと次第かなあ」

 ブルクハルトは何と帝国の皇女様は、ひとを雇う為だけに自らここに来たのかと驚いた。

 その後三人は、最上階の部屋に戻って二台の寝台を並べて一緒に眠った。

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