第六章 城郭都市アルペルン

1 懐かしい街(1)

 ゼカ歴四九九年十一月十三日。転生して四百十三日目。晴れ。

 カンデラ城を発った翌日の午後にシエルら三人は大アマカシ河の渡河点に達した。ちょうど渡し守がいたので、既定の料金を支払って東岸に渡してもらう。これでシエルらは、リフトレーア王国領内に足を踏み入れたことになった。


 渡し守が近頃は旅人が減って商売あがったりでさあと愚痴ぐちるので、今日はわれらが六回分の運賃を払うから黒字であろうとシエルは答えた(舟が小さくて一回につき一頭しか馬が運べない)。まあそうですがね、毎日客がいた方が有り難いんでさと渡し守は言った。


 渡河点から二里内陸に入ったところに、宿屋のある村落があると渡し守が言っていたので、シエルたちは今夜はそこに泊まることにする。その村落内にトウナーフ街道が通っているのでちょうど都合が良いとシエルは思った。

 大アマカシ河西岸から東岸に移っても、さほど周りの景色は変わらなかった。村には暗くなる直前に到着して、馬丁ばていに馬を預けて宿屋に泊まる。


 夕食は宿屋一階の食堂でとった。そこのおかみさんが話し好きで、最近の様子を話してくれた。

 戦争が始まったら旅人が減り、治安が悪くなったこと。王国軍の兵士といっても愚連隊みたいな連中がいて、通行人から金品を巻き上げていること。聖花天教分国への巡礼者が減ったこと。食糧の値段が上がったこと。村の若者の何人かが兵隊に取られて、人手が足りなくなったこと。四か月前に偉い貴族様が兵士を大勢引き連れてここを通り、帝国に攻め込んだが負けて死んでしまったこと(この話のときは、シエルは無意識に首をすくめてしまった)。つい最近、王国軍が南のアルペルンを取り返して、王女様が勇者とともにそこにいること。


 王国軍の広報官が王国全土に散らばって、王国から帝国軍を叩き出したことを大声で宣伝していることと、大々的に兵士を募集していることをシエルは知った。つまりこれは王国は戦争を止める気が全くないということを物語っていた。

 シエルの顔は自然と厳しくなった。


 突然おかみさんがもしかして貴女様は貴族様なんですか? と尋ねてきたので、シエルは祖父の代まではそうでしたが、今は違いますよと答えておいた。おかみさんは沈痛な表情をして、おやまあそうだったんですか。このご時世ですからねえ、何が起こるか分かりませんよねえと言ってきたので、シエルは全くその通りですね、本当に何が起こるか分かりませんね、と相づちを打っておいた。


 ゼカ歴四九九年十一月十四日。転生して四百十四日目。曇り。

 翌朝、シエルたちは宿で朝食を食べて、村内の店で食料品を補充してから村を出た。三人はトウナーフ街道をアルペルンに向けて南下する。


 その日の午後、街道上に王国兵が十数人たむろしているのを認めた。シエルらは黙って通過しようとしたが、彼らはにやにやと笑って行く手を阻んで通さないつもりのようであった。

 シエルはため息をついて、イェーナとタタロナに目配せした。ふたりは頷いて下馬し、兵士たちの所へ近付いていった。シエルはちょっと離れたところからやりとりを見守ることにした。


 タタロナは通せんぼしている兵士たちに言った。

 「道をふさがれてしまいますと、通行の邪魔になるのですが」

 「ここは金を払わないと通れないよ」と兵士たちの一人が答えた。

 タタロナは律儀に「おいくらですか」と聞いたが、「一人につき金貨一枚」と兵士が言うので「そんな大金払えません」とタタロナはそう返した。

 その兵士はタタロナの肩にぽんと手を置くと、「何だったらあんたらの身体で払ってくれてもいい。なあに、ひと月も奉仕してくれれば十分だぜ」とにやにやしながら言ってきた。

 (またこの手合いか……)とタタロナはうんざりしながら「イェーナ?」と、隣りでぼーっとしている朋友に聞いてみた。


 「……十五人だから七人と八人を相手にすればいいのかな?」

 とイェーナがぼそりと喋ると、その兵士は顎をしゃくり上げ、

 「向こうのお嬢ちゃんを入れれば五人ずつになるぞ」

 とにやついたので、それに対してイェーナは真顔で、

 「あんたらみたいな下衆ゲスの血を姫様に浴びさせるわけにはいかないね」

 と言った。兵士はあっはっはと笑った。


 数秒経ってから「血?」と遅ればせながらも何かに気がついたようにきょとんとしたが、目の前にいた筈の眼鏡の狐人族がいつの間にか数歩離れて立っている。その右手には抜身の長剣が握られていた。兵士はどこかで見たような手のひらを肩から払い落している狐人族の娘を眺め、それから自分の右手の手首から先が無くなっているのを見て目をいた。

 「女性の身体に気安く触る殿方は最低ですね」

 とタタロナがつぶやくと同時に、右手を斬り落とされた兵士が絶叫した。

 「ああああーーー⁉」


 その声に兵士の全員がはっとして各々武器に手をかけたが、既にその頭上をイェーナが一跨ひとまたぎするように通過して向こう側に着地していた。後には合計六つの兵士の首がころんと転がり、血の噴水が六本立った。その仲間の血を浴びた兵士たちが口を大きく開けて何かを喋ろうとしていたが、それはとうてい果たせないことのようだった。黒いふたつの影が残りの兵士へと跳び掛かったからである。


 シエルはそれら一連の出来事を離れて見ていたが、目をつむってもう一度ため息をついた。

 (相手が悪人であろうと善人であろうと、われらの通った後には必ず血の河が流れる。それが定めなのか――)

 「――姫様、終わりましたよ」

 シエルが目を開くと、イェーナとタタロナは馬に乗ってシエルの両脇にいた。前方には兵士の一群だった物が無造作に転がっている。 

 ふたりが馬を降りてから、まだ三指と経っていない筈であった。シエルたちは汚れないように、その物体を避けてアルペルンへと向かった。


 ゼカ歴四九九年十一月二十日。転生して四百二十日目。曇り。

 その一件の後はたいしたトラブルもなく、旅は極めて順調に進んだ。そしてカンデラ城を出発して八日後、シエル一行はアルペルン郊外に到着したのだった。

 アルペルンの城壁が遥か先に見えてきた頃、そのアルペルン郊外には、大勢の王国軍が幕舎や、兵舎を作って集結していた。


 とんかんとんかんと兵士用の宿舎と陣屋を建造している音が辺りに鳴り響き、人や馬車が頻繁ひんぱんに出入りしている。それは軍人だけでなく、商人や職人、人足にんそく、はては娼婦らしき女性も行き来していた。この場所に王国軍は、本格的な宿舎を建築しているのだった。

 「どうやら王国軍はここで越冬するつもりらしいな」

 とシエルがそうつぶやくと、タタロナが詳しく説明してくれた。


 「王国貴族たちは、帝国軍の侵攻で引っき回された領地の再編成に夢中なのです。おそらく勇者はすぐに帝国領内に侵攻したいと思っているでしょうが、貴族たちの考えは違います。王女に以前の領地を安堵するむねの確約を貰うことが第一、そして戦争が始まってからの自分の働きに対して褒賞を貰うことが第二、次に対帝国戦においての高い地位を得ることが第三と考えていると思います。ですから今は自分の領地継承の正当性の陳情と、戦争の功績を記した書類が大量に王女の下へ届けられていて、それを処理するだけで王国の上層部はてんてこ舞いだと思われます。そしてその処理が終わらないかぎり、王国貴族たちは帝国へ侵攻しようとはしないでしょう」


 「この戦争で、断絶した王国貴族も結構あると聞いたが……」

 とシエルが疑問点を述べると、

 「そういうときは遠い親戚を連れて来て、領地を継承させようとするのですよ、正当性を主張しまして。真偽は推して知るべし、という処でしょうか。それも大貴族に伝手つてがあるなら通ってしまう世界なのですよ」


 シエルは万事がこのように貴族の都合で決まってしまうことに歪みを感じた。とはいえ、シエル自身帝国貴族の頂点である帝室の一員である。貴族政治、それを批判することは自らを否定することに繋がるのだ。ジレンマを感じないといえば嘘になるだろう。元の世界ではシエルはただの一庶民であったのだから。

 だがまあシエルには、 

 (自分の都合の良いところだけ受け入れるか)

 というちゃっかりとした部分もあったので、その様なことでくよくよすることは無かったのである。


 シエルは街道沿いに林立する貴族たちの旗の数を眺めながら、ほぼ全ての王国貴族がここに集結しているのだなと思った。中には百名程度の兵しか連れてこれなかった貴族もいるだろうが、この機会にリフトレーア王家の唯一の継承者であるミリアネス王女に認めて貰わねば、自分の領地が消失するかもしれないのである。彼らが必死になるのも無理はないと思った。

 (欲深い王国貴族たち、是非とも会議を踊らせておいてくれ。その時間が帝国を救う猶予となる)

 シエルは深くそう願い、心の中で祈るのだった。


 そうしてシエルたちはアルペルンの東門に達した。スウィード大街道を塞ぐ城門である。身分を証明するものがなかったので入城料は十倍となったが、細かな詮索は一切なかった。交易の街として古くから栄えて来た歴史があるからかもしれない。

 西の空が赤焼けてきて、もうすぐ夜との境目の時間帯となった。久しぶりの街中に入ったシエルは、にぎやかな喧騒に耳を傾けて、あの楽しかった日々を思い出すのだった。


 「姫様、今日は何処どこに泊まるの?」

 とイェーナが聞いてきた。彼女は露店で売られている様々な肉料理に、意識の半分を持っていかれそうだったが、何とか今は耐えているようであった。

 「ああ、泊まる場所はあるから心配しなくてもいいよ」

 と勝手知った道を行くが如く、シエルの足取りに迷いはなかった。見知った建物や路地を見る度に、シエルは色々な感情が身体の中に湧き起こるのを感じるのだった。


 その宿に近付くにつれ、シエルは心臓がどきどきしてきた。何せ逃げるようにしてあの宿を出てきてしまったのだ。あのふたりがどんな顔をするかを考えると、不安が半分、喜びと懐かしさが残りの半分を占めた。

 三人は六頭の馬を近くの厩舎に預けて、荷物を持って宿に徒歩で向かった。数分後、見覚えのある建物がシエルの目の前にあった。

 ”勇者の宿り木亭”である。


 シエルの両目に涙が溜まったが、それをごしごしと腕でぬぐってからイェーナとタタロナにお願いをした。

 「少し、ここで待っていてはくれないだろうか」

 イェーナとタタロナは顔を見合わせて「気の済むまでどうぞ」と言ってくれた。シエルの鼓動は増々速くなってきたが、構わずに扉を開けて中に入った。

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