26 カンデラ城を発つ(2)

 青鬼族オーク部隊のいなくなったカンデラ城は、がらんとしてしまった。

 オートレス先生とその生徒たち九名は、祝勝会の一週間後には城を去っていた。シエルが王国の徴兵をくぐり抜ける自信があるのなら、国に帰っても良いと言ったからである。「なんとか逃げ切ってみせます」と言ってオートレス先生たちは出ていったが、シエルは戦場で出会わなければ良いなと心から思うのだった。


 静かな城の片隅でシエルは本を読んでいた。何故か背中合わせにイェーナがいた。彼女は目をつむっていた。

 タタロナは城の周辺を散策中で、このところ毎日そのようにして歩いていた。それは彼女のリハビリを兼ねているのかも知れなかった。


 カンデラ城周辺のサントルム地方は、あの戦闘以来、実に平穏なものだった。あの二回の攻防戦で王国側は、貴族四名(伯爵ひとり、子爵ふたり、男爵ひとり)と兵士八千名(戦死者はもっと少ない)を失っており、どうやら王国軍にとってサントルム地方は鬼門だと認定されたようであった。

 元々奪っても大した戦略的価値のない土地である。「サントルム地方は放置」が王国軍の既定方針になったようで、これはシエルの狙い通りであった。


 ぺらりとページをめくる。城の窓から差し込む日差しが、ほど良い暖かさを与えてくれている。後ろのイェーナは眠りこけているようであった。主従の関係が復活してから、イェーナはシエルから離れるのを嫌がるようになった。また捨てられるのを怖れているのかもしれなかった。

 (あんまり良い傾向とは言えないよね……)

 とシエルは思うのだが、イェーナの心の傷はゆっくりといやすしかないとも思うのだった。


 シエルがこの世界に転生してきて、あのお粗末な暗殺騒ぎがあるまでの間は、イェーナもタタロナもいくらでもシエルのことを殺せる機会はあったのだ。だが、それを実行しなかったという事実が、シエルにイェーナとタタロナに対する信頼を生み出したのである。

 しかしイェーナにはシエルを殺そうとした負い目があった。シエルが許したとしても、それはイェーナ本人のものであるから、本人が自分自身を許そうとしない限り、それはずっと残り続けるのであった。


 タタロナは明るい色合いの黒瞳海を眺めて、思い起こしていた。帝都郊外のあの集落を出たときのことをである。出立しますと断りを入れて、当のその日の朝にあの老人が語ってくれた。皇后様の私兵、つまりタタロナが属していた組織の顛末をである。

 端折って言うと、私兵団はほぼ全員が処刑された。

 帝都郊外の北西の荒地に、がれきばかりの刑場があるが、そこで刑は執行されたらしい。しばらくは寒さの為に腐らずにそのままの姿を保っていたが、暖かくなるにつれて皆のむくろは腐り始め、野生動物に食い散らかされて今は骨と皮だけ残っていると聞かされた。


 タタロナとイェーナはここに来る前にその刑場に寄ったのだ。

 半日ばかり皆の骨をただぼんやりと眺めていた。もし警備の衛兵がいたら不審に思われただろう長い間そうしていたのだが、結局おさの骨はどれだか分からなかった。

 タタロナは打ち寄せては引く黒瞳海の波をじっと眺めていたが、本当に海というものは何時まで見ていても飽きないわね、と思うのだった。


 数日後、早馬がカンデラ城に到着した。

 これはメレドス公爵からではなく、直接アルペルンから来たものである。あらかじめ爺に情報を集める伝手つてはないかと聞いてみたのだ。そうしたらアルペルンに駐在している帝国官僚からのものと、王国軍に潜入している者(最初に爺に依頼した人物)の両方から来たのだ。

 これは非常に都合が良いとシエルは喜んだ。事実が双方の立場から分るからだ。

 一通目は帝国官僚からの書簡である。


 『ゼカ歴四九九年十一月五日。晴れ。アルペルン市郊外東一里の地点にて、帝国と王国の間で大会戦が発生した。帝国軍五万、総指揮官レメン侯爵閣下。対する王国軍五万、総指揮官はベリュグ公爵であるが、実質は勇者であると思われる。第四刻(午前八時)に両軍布陣終了。第四刻半(午前九時)に戦闘開始。第八刻(午後四時)に戦闘終了。結果は帝国軍の大敗北。損害四万(死者一万、負傷二万、捕虜一万)、レメン侯爵父子はともに捕虜となられた。王国軍の損害五千(死者千、負傷四千)。敗北の報を聞き、予め定めておいた手順により随時官舎を引き払う。治安維持兵千人とともに、西門よりアルペルン市を退去。大アマカシ橋を渡った先で本日野営の予定。脱落者なし。以上』


 二通目は密偵(どうやら王国軍に所属しているらしい)からのもの。


 『聖花歴千百十三年十一月五日。晴れ。城郭都市アルペルンの東方一里のサクリンの野で、帝国軍五万人対王国軍五万人の戦闘が起った。勇者率いる”勇者軍”二万人が先鋒を引き受け、中央突破を図る。後続の貴族軍は戦況を眺めつつ攻撃の時期を計る。勇者軍が中央突破に成功したときに、貴族軍三万が参戦し、戦闘を一気に決める。勇者はレメン侯爵とその長男を捕える。王国軍の損害の五千人はその殆どが勇者軍のものであった。帝国軍の残党はアルペルンの市街に退却、そのまま籠城せずに西門から帝国領に撤退した模様』


 アルペルンを統治していた官僚団と、その治安維持部隊は無事に撤退を完了したようだ。帝国軍敗残兵たちはアルペルンに立てこもらずにそのまま市中を抜けて、大アマカシ河を渡り帝国領に撤退した。


 シエルはこの二通の書簡を読んで、これでリフトレーア王国の失地は全て回復され、戦争は次の段階に入ったと思った。

 港町ゲイブに立てこもっていた将軍Aとその部下たちは、ひと月前に降伏していた。おそらく全員が戦争奴隷にされたと思われる。くわばら、くわばら。

 ジャリカ兄上は王国に講和の使者を送ったのであろうか。ファファー公爵の進退の件で、ごたごたしているのが悔やまれる。一刻も早く手を打つべきである。

 総動員令も同様の案件で、早急に行う必要がある。


 勇者は、早くも向こうの貴族に良いように使われているようだ。王国貴族は帝国貴族よりも性質たちが悪い。

 勇者は貴族に対して対応を誤ると、ひどいしっぺ返しを食らうことを肝に銘じておくべきである。現代日本には存在しないであるから、テレビや漫画程度の認識でいると、非常に危険だ。

 シエルは敵である筈の勇者の心配を何故自分がしているのか不思議であった。最初は問答無用で抹殺まっさつしようと思っていたのに。同郷の出だからであろうか。

 とはいえシエルは勇者とは分かり合えるかもしれないが、和解はあり得ないと思っている。お互いに背負っているものが真逆なのだ。


 シエルは二通の書簡をブルセボ兄に見せて現状を把握してもらった後に、二、三日中にここを発ちますと告げた。ブルセボ兄とシェアラは寂しくなるねと目を潤わせた。シエルもシェアラには本当にお世話になったと思った。しもの世話までして貰ったことを思い出したシエルは、今になって恥かしくなって顔を赤らめた。

 ブルセボ兄に関しては、ちょっとだけお世話になったという感想だった。「お兄ちゃん」の一件で、シエルの中でブルセボ株は大暴落していたのである。


 シエルはアルペルンに向かうときは、まず王国軍が侵入してきた渡河点まで行き、そこで大アマカシ河を渡って東岸に出ようと思っていた。東岸は王国領である。そして今度は南東に向かって進み、アルペルンと聖花天教分国を結んでいるトウナーフ街道に出たら、その街道沿いにアルペルンに向かうのだ。

 移動手段は馬のひとり旅である。シエルは王国領土、つまり敵国内を進んで行くつもりであった。


 イェーナとタタロナのふたりには、レメン侯爵領からジュース街道に沿って、バルダムからベネターレをてパンラウム高原地方に帰って貰おうとした。したのだが、

 「ボクはですからね。絶っ対姫様のお側を離れませんから」

 「私はイェーナと一緒に行こうと思いますので」

 と、イェーナがごねて、それにタタロナが便乗した形となった。

 (まあこうなることは分かっていたけど)

 結局三人で旅をすることになった。シエルが没落した王国貴族のお嬢様で、イェーナとタタロナがその侍女という設定である。

 『移つ代の指輪』をめたシエルの頭から二本角が消えた。馬は六頭で三頭には荷物が積んである。三人の武器と防具はそれと分からないように、厳重に布で包んでおく。イェーナとタタロナの腰にはありふれた長剣がさしてある。シエルは丸腰であった。


 カンデラ城での最後の夜には、簡単な送別会が開かれた。その席でシエルは、

 「いいですか、兄上は弱いんですから、絶対に戦っちゃ駄目ですからね。逃げてくださいね。絶対ですよ」「う、うん分かった」 

 と、万が一王国軍が来たときにるべき対策をブルセボ兄に何度も何度も念を押しておいた。

 シェアラには「頑張ってね」と小声で言うと、最初はぽかんとしていたが、「はい、分かりました」

 と笑顔で答えてきた。その時ブルセボ兄は「ん?」と首を傾げていたが、あんたはそれで良いんだよとシエルは思った。


 翌朝、三人は城をった。

 天候は幸いにして晴れで、秋風がちょっと肌寒くなる頃になっていた。ブルセボ兄とシェアラが、城門まで見送りに来てくれた。シエルらは手を振って別れた。

 シエルは段々と小さくなるカンデラ城を見て、何だかんだいってここには十か月もいたんだなあ、と感慨深げに思った。そしてここに来たときはひとりであったが、青鬼族オークたちとも仲間になれたし、何よりも自分の元にイェーナとタタロナが戻って来てくれたことに心の中で感謝するのだった。



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