24 三人、再び(2)

 季節は夏から秋に移り、吹き抜ける風の中にもやりとするものが混じり始めた頃になって、ようやくイェーナとタタロナの体調は全快した。そうしてシエルは二人をあの物置に使っている部屋に案内し、そこに置かれている武具を見せた。

 最初ふたりはまるで魅入みいられたようにその武具防具を見つめていた。そしてそれに恐る恐る近づくと、まず武器を手に取ってみた。


 そのとき、イェーナは槍、タタロナは双剣を躊躇ためらいなく選択した。

 「やはりふたりとも武技の心得はあったのだな」

 とシエルが言うと、ふたりはだましていてご免なさいと謝ってきた。で、使えそうかとシエルが尋ねると、まるで手のひらに吸い付くようにぴったりです、とふたりとも言う。それはシエルが戦斧バルバロッサを手にしたときと全く同じ感覚であった。


 練兵所では青鬼族オークたちが訓練に励んでいた。

 訓練は相変わらず厳しいものであったが、彼らは手を抜こうとはしなかった。訓練が厳しければ厳しいほど、実戦が楽に感じられるからであった。

 それに青鬼族オークたちは自信に満ち溢れていた。何せ五倍の敵に完勝したのだ。味方の損害は殆どきに等しい上で。


 加えて先日の祝勝会が良い影響を与えていた。青鬼族オークたちはホロドドの森ではあのような楽しい宴会をした経験がなかった。飲み放題、食べ放題。褒賞を受けたのは十数人だったが、全員幾ばくかの臨時ボーナスは出ていたのだ。意外とブルセボ兄は太っ腹であった。

 あのような宴会がまた出来るなら、もっと頑張ってもいいと、そう大半の青鬼族オークが思っていたのだった。


 対してグラフの機嫌はあまり良いとは言えなかった。

 付き合いの長いガフには原因が分かっていたが、それを言うと怒るので口には出せなかった。そのとき、空気を読まない男が言った。

 「何だグラフよお、しけたツラしやがって。愛しい姫様が来ないのがそんなに寂しいのかい?」

 ぶおん、という風切り音がその男、アガリーがいた場所を通過した。グラフがパンチを放ったのだ。ガフは自分なら避けられないだろうと思ったが、そこのアガリーはこともなげにかわした。やはり大将になる奴はものが違うと感心するガフであった。


 グラフは否定したが自分でも分かっていた。アガリーの言う通り姫様の顔が見れないので寂しいのだ。あの勝手気ままな姫様は、あのふたりが来てからそっちにべったりであった。何せあの宴会の日から姫様は一度も練兵所に顔を出していない。グラフは自分が姫様から捨てられたような気分を味わっていたのだ。


 と、そのときグラフたちのいる練兵所に入ってきた三人の姿があった。

 ひとりは姫様である。三人のうちで最も小柄だ。手には戦斧を持っている。防具は着ていない。 

 変わった槍を持っているのはイェーナという有翼族の娘だ。侍女服の上に深緋ふかひ色の防具を着けている。

 双剣を持っているのはタタロナという狐人族の娘。やはり侍女服の上に瑠璃るり色の防具を着けている。


 グラフは目を見張った。

 先ほどまでの甘ったるい気分が綺麗に吹っ飛んだ。姫様は言わずもがなであるが、後ろのふたり、あのふたりも尋常ではない雰囲気をまとっている。アガリーが隣りに立って言った。

 「あのふたりが姫様が助けた死にぞこないか?」

 「そうだ」とグラフは答えた。

 「あんな化物が死にそうだったって? 馬鹿ぬかせ」

 アガリーはふたりのことは良く知らないようだったが、一目で実力を看破した。多分、俺たちの誰も勝てる奴はいないだろうとグラフは思った。


 「じゃあふたりは思い思いに武器を扱ってみて。われも適当に準備するから」

 そうシエルが言うと、三人は距離をとり、めいめいに武器を振り始めた。

 シエルはいつも通り三国志の豪傑っぽく、ぐるんぐるんと頭の上で戦斧を回している。

 タタロナは両腰に装備している双剣を片方抜いたり、両方抜いたり出し入れして確かめている。シエルの目でも瞬間見えなくなるときがあるが、単なる速さだけではなく手の動きが相手を幻惑げんわくするような働きをしているらしい。

 そしてイェーナはばん、と翼を広げるとロケットのように垂直に近い確度で飛んでいった。そして見る間にのみのように(比喩的表現)小さくなっていった。


 「俺は有翼族があんな風にして飛ぶのは初めて見たぜ」とアガリーは言った。

 「誰も見たことがあるやつなんかいねえ」とグラフが答えた。

 気がつくと訓練をしていた筈の部下たちが、グラフらの後ろに集まって三人組のことを見学していた。グラフもアガリーも、とがめようとはしなかった。


 地上ではシエルとタタロナが模擬戦闘をするようであった。こつっと戦斧と双剣の先端を合わせる。そしてシエルがぶうんと戦斧を振り回すと、タタロナはひょいとそれをける。タタロナは避けた直後にシエルのふところに飛び込もうとするが、シエルは器用に戦斧の先端を旋回させ、なかなか内側に入り込ませない。


 が、戦斧の回転を双剣の柄頭つかがしらでちょんと押し、微妙に軌道を変えると一気に踏み込んでシエルの懐に入るのに成功した。軌道を変えられたシエルの戦斧は、側にあった訓練用の杭の一部を切り飛ばしたが、シエルが水平から垂直方向に強引に引き上げると、一気にそれを振り下ろした。

 タタロナはそれをわずか一足分の跳躍でぎりぎりにかわし、双剣をシエルに突き付けて勝負を決めた。


 シエルはにやりと笑ったが、タタロナは二本の剣を引いて鞘に入れ、また間合いをとる。今度はシエルは戦斧の穂先を地面ぎりぎりにつけ、下段に構えた。

 タタロナはそれを見て右手の剣は下段に、左手の剣は上段に構えた。シエルは穂先が地面に吸い付くような高さのまま、タタロナに向かって駆け出した。


 それはひとつも数えぬ間に距離を詰め、一瞬でタタロナの間合いに入りこんだ。タ

タロナにぞくりと悪寒が走った。シエルの戦斧の穂先が、一瞬にしてタタロナの股下をくぐって後ろに抜けていたからである。とっさに横に飛んだタタロナは、先ほどまで自分のいた空間をシエルの戦斧がうなりをあげて下から上に斬り上げたのを見た。


 グラフはあんな攻撃を躱せる筈はない、と頭を振った。しかしあの娘は躱した。普通の反応速度ではないのだ。アガリーはひゅーと口笛を吹いた。ふたりのどちらも凄まじい武力であった。シエルとタタロナのふたりは向かい合って仕切り直した。青鬼族オークの皆がごくりとふたりを注視していたとき、が降ってきた。

 イェーナであった。イェーナが真上からふたりの間に割って入り、槍を一振りしたのだ。だが、グラフとアガリーを含む青鬼族オーク全員が、イェーナが忽然こつぜんとそこに現れたと思った。移動中の姿が全く見えなかったのだ。 


 「ちぇ~、取ったと思ったのにい」

 イェーナは残念そうにそう言った。シエルとタタロナは直前に察知して、ふたりとも後ろに飛んでいたのだ。シエルは戦斧を立てて言った。

 「では、青鬼族オークの皆にもイェーナの速さを体験して貰おうかな」

 とにこっとした。青鬼族オークの全員が、そのシエルの笑い顔を”悪魔の笑み”だと思い、震えあがった。


 夜、兵舎にて。

 グラフとガフは士官室で酒を飲んでいたが、まるっきり酔えなかった。ちなみにグラフが前回の戦いで貰った報奨金で酒樽をいくつか買い、それを兵舎に置いておいたのである。ひとり一杯が一日の配給分であったが、兵士たちにはなかなか好評なようだった。彼らが酔えなかった原因は、昼間のイェーナとの模擬戦にあった。


 「あんなの、どうやって戦えば良いんですかい?」

 とガフがぐびりと一口飲みつつ言った。グラフは、昼間の模擬戦の様子を思い起こす。自分らの第二部隊が百人一列で五列の隊形をとっていたときに、あの有翼族の娘から奇襲を受けた。彼女は最前列の頭上を飛んで、通りすがりに第一列目の全員の頭を棒で叩いたのだ。百人全員である。


 「あれが棒でなく槍だったら――」とグラフがつぶやくと、

 「叩かれた全員の頭がでしたでしょうかねえ」とガフが答えた。

 全く見えなかったと部下の全員が言った。つまり、対応策は殆どないという事だった。グラフは頭を抱えた。

 自分ら青鬼族オーク部隊は王国軍をこてんぱんにして、叩き潰した。それで、自分らは強いと自信を持っていたのだ。だが、あの有翼族の娘には全く通用しなかった。もしあの娘に五、六回部隊の上を通過されれば、それだけで自分らは全滅しちまうのだ。


 はあーとグラフはため息をついた。

 姫様は「あれは武力のひとつの頂点だから、気にすることはない」となぐさめてくれたが、それが余計にこたえた。

 グラフは実は自分らはお荷物なんじゃあ、といじけそうになったが、そのときアガリーがにやにやしながら部屋に入ってきた。


 (また嫌な奴が来やがった)とグラフは思ったが、「何の用だ」と不愛想に言い放った。アガリーはまじまじとグラフの顔を見ていたが、

 「まあ、あんな負け方をすりゃ、そりゃあ自信なくすわなあ」

 と実に腹立たしいことを言ってきた。グラフは、

 「それじゃあお前らはあの娘に勝てるって言えんのかよ」

 と、珍しくやさぐれた口調でアガリーを問い詰めた。アガリーはやれやれといった顔で、肩をすくめながら言った。


 「だからあの娘に勝て、なんて姫様は俺たちに期待してねえのさ。言われただろ? 姫様に気にするなって。姫様が俺たちに求めている役割はそんなんじゃねえんだよ。いちいちあんな化物相手に勝った負けたで騒いでいたら、この先やっていけねえのさ」


 がたん! とグラフが椅子から立ち上がった。額に青筋が立っている。対してアガリーは余裕の表情でにやにやしていた。グラフは頭に来ていた。

 (こいつは昔からそうだ。頭の良い事を鼻にかける、虫の好かねえ奴だ)

 グラフは自分は酔っていないと思っていたが、実はちゃんと酔っぱらっていたのだ。脚がふらふらしている。

 しかも機嫌の悪いときに起りがちな『たちの悪い』酔い方である。それを見てアガリーは首を振りつつ、言った。

 「おいおい、酔っぱらってちゃ、俺の相手は出来ねえぞ?」

 「うるせえ、俺は酔っちゃいねえ」


 酔っ払いが自分のことを酔っていないというのは定番であったが、ふたりのことを見ていたガフは青くなった。ここでこのふたりが暴れたら、部屋が壊れてしまうと思ったのである。ガフにしてみれば、グラフもアガリーも十分に化物であった。

 「や、やめようぜ大将。今日はや。それに大将も飲み過ぎたようだしさ――」

 「だから俺は酔ってねえってんだろが!」


 酔っ払いが「お前は酔っている」と指摘されると、何故か怒るのも万国共通であった。ガフは自分の手には負えないと思った。

 「心配すんな。一発で終わるからよ」

 と、逃げようとしたガフを思い留まらせたアガリーは前に出た。グラフはそんなアガリーの顔面にパンチを放とうと振りかぶり――アガリーに足を引っ掛けられてずだん! と仰向けに倒れた。


 「畜生が……」

 頭を揺らされたグラフは、一気に酔いが回ってそのままいびきをかいて寝てしまった。ガフは安堵あんどのため息をついた。

 「お前らの大将は姫様の前だと張り切っちまうからな。ほどほどにしとけよ」 

 ぽん、とガフの肩を叩いたアガリーは、部屋を出て行った。

 ガフは目の前で酔い潰れている自分たちの大将を眺めて、今夜の事は覚えていなけりゃいいがと祈るのだった。

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