23 三人、再び(1)

 ふたりをかついで城に戻ってきたシエルとグラフは、シェアラに空き部屋を用意して貰い、並べて寝かせた。そうして重湯と呼ばれる病人食を作って貰い、ふたりに食べさせようとしたのだが、イェーナとタタロナのふたりはなかなかそれを嚥下えんか出来ずにぽろ、ぽろと口の端からこぼしてしまった。


 困ったシエルは少量の重湯を口に含み、口移しでなんとか最初のひと口を飲み込ませることに成功した。ほっとしたシエルに弱々しい笑みを向けるイェーナを見るとまたシエルは、瞳がうるんでくるのだった。

 同じようにしてタタロナにも食べさせてあげたシエルだが、タタロナは「すみません……」とこれまた聞いたこともないようなか細い声で答えるので、またしてもシエルに涙をこぼれさせるのであった。

 シエルは飢餓きが状態の者に、いきなり大量の食事を与えることは危険であると知っていたので、ほんの数口ずつ、ゆっくりと何時間もかけて食べさせたのだ。


 そうやっている間に何時いつしか日付は変わり、東の空が明るくなってきた頃、祝勝会は終わりとなった。領民と兵士、使用人たちは全員で宴会の片付けを行ったので、あっという間にそれは終わった。

 兵士たちは兵舎に引き上げ、領民たちはそれぞれ自分たちの村に戻っていったので、後にはいつもの静かな城が残った。だが、今の今までひとが大勢いたので、ことさらに閑散かんさんとした空気が感じられるのだった。

 シエルは相変わらずふたりの部屋にいて看病していたが、身体をく作業としもの世話の時は部屋を出て侍女に任せた。

 さすがに気恥ずかしかったのだ。 


 看護も三日目ともなると、ようやくふたりに回復のきざしが見え始めた。もう数日重湯を与え、そののち若干固めのかゆにするつもりであった。

 ふたりの寝台に挟まれた椅子でシエルはときどきそこで寝入ってしまったが、そんなときはその右手と左手をイェーナとタタロナのふたりはそれぞれ握って、三人は固まって寝た。


  そんな風に幾日かの時間が経って、ようやくタタロナは何とか自分で食べられるようになった。食事の量もやや多めに、そして重湯から粥になった。

 イェーナの方は粥になってもシエルに口移しをせがんだ。仕方なくシエルはイェーナの希望通りにそうしてあげたが、イェーナは「えへへ」と、実に嬉しそうだった。 


 七月も下旬となり、朝からせみがせわし気に鳴くようになった。天候は連日晴れで午後にときたま通り雨が降るぐらいであった。ふたりを看病し初めて十日経って、やっとふたりは風呂と下のことは自分で出来るようになったのだった。

 シエルはふたりに身体を洗ってあげようかと提案したが、意外にもイェーナが「ボクは恥かしいから自分でやりますっ」とかたくなに断るのだった。そのくせ食事になると、

 (もう自分で食べられる筈なのに)

 と思っているシエルに口移しをせがんでくるのである。


 それを今まで何も言わずにじっと見ていたタタロナは、

 (あー殿下は気付いていないんだ……)と思い、言った。

 「姫様、イェーナももう自分で食べられると思いますので、甘やかすのもそのくらいで――」

 「タタロナっ! 余計なこと言わないでよねっ。姫様、ボクは姫様の口移しでご飯を食べたいです」

 シエルはこのふたりのやりとりを見て、以前とは(力関係が)変わったような気がした。あるいはこれが本来のふたりの関係であるのかも知れなかったが。


 一度イェーナに口移しをしている最中にシェアラが部屋に入ってきて、

 「あら、ま、まあまあまあ、お、お邪魔でしたわね、ほほ」

 と言って慌てて出て行ったので、シエルは自分がとても恥ずかしいことをしているのだと認識した。だがシエルが口移しはもうこれくらいで、とイェーナに言うと、イェーナがとても悲しそうな表情をするので、ずるずると続けてしまうのだ。


 その数日後、いつものように恥かしくもシエルが口移しをしようとすると、イェーナが目を閉じて口を開けて待っている。その脇でタタロナはため息をついていたが、イェーナがたたんだ翼を小刻みにぱたぱたと動かしているのを見て、ようやくシエルは気がついた。

 (これはまるでえさをねだるひな鳥と、それに餌を与える母鳥の関係じゃないのっ⁉)

 種族特性かよっ! とシエルは天を仰いだ。


 やっと気がつきましたかという顔のタタロナの隣で、何時まで経ってもご飯が来ないと思ったイェーナは目を開けた。すると目の前のシエルが器とさじをイェーナに渡して「自立しろ」と言って部屋を出て行った。

 絶望的な表情をしたイェーナにタタロナも一言、

 「自立しなさい」

 と言って澄まし顔である。イェーナは渋々自分で匙を動かして食べていたが、

 「今日のご飯は美味しくない……」と小さい声でつぶやくのだった。


 シエルはイェーナとタタロナに、どういう経緯で自分の命を狙うことになったのかを尋ねてみた。これは今後三人がずっと一緒にやっていくために、避けては通れない必要な儀式であった。イェーナとタタロナは、何時いつ聞かれても良いように、既に覚悟を決めていたようだった。


 ふたりはウルグルド帝国の帝都スラミヤの貧民窟で生まれた。両親は誰かわからない。小さい頃は世話好きの爺婆に育てられたが、両親とどんな関係のひとなのか、話してくれた事はなかった。そしてイェーナとタタロナが六つぐらいの時に、二人は疫病であっさりと死んでしまったのだ。

 それ以降はイェーナとタタロナはずっとふたりで生活してきた。すり、かっぱらい、残飯あさり、ごみ漁り、喧嘩けんかの助っ人、非合法品の運搬等、ひと殺し以外は何でもやったという。


 スラミヤから出てみたいとも思ったらしいが、出るのは簡単でも入るのは難しいので断念したそうだ。一度出たら、再び入るためには入城料が必要なのだ。そして城門を強行突破などしようものなら、衛兵全体で街中侵入者狩りが行われる。それ程城門破りは重罪だった。

 そうして主に貧民窟で過ごしていたある日、すりをしようとして失敗して捕まった。ただの間抜けな爺さんだと思っていたのが、これが相当な腕利きだったわけだ。ふたりは奴隷落ちを覚悟したが、その爺さんは家にふたりを連れて帰り、たらふく飯を食べさせてくれた。

 食べ終わったあとに、飯を一杯食いたいか、とふたりに聞いてきた。イェーナとタタロナは顔を見合わせてからうなずいた。その爺さんが皇后イゼルネの私兵集団(名称は無かった)のおさだったのだ。


 こうして色々な特訓を受ける事になり、ふたりは何でも出来るような技術を身につけた。イェーナとタタロナの他にも同じような子供が十数人いたが、大半は脱落したという。脱落した子がどうなったかはシエルも聞かなかったし、イェーナとタタロナも言わなかった。

 シエルはドラマにあるような忍者養成施設みたいだなと思った。だが、これは現実であった。


 そうして色々な仕事をこなしているうちに皇后イゼルネの御眼鏡にかない、シエルレーネ姫の暗殺という大役に抜擢ばってきされたのだ。だが失敗して現在に至る。

 「われなぞ何時でも殺せたのではないか?」

 とシエルは聞いてみた。イェーナとタタロナは同時に、許されるのならば任務を放棄したかったのですと吐露とろした。シエルはそれはふたりの本音だと思った。

 実際イェーナにはベネターレで一度命を救われている。そのことを指摘するとイェーナは顔を赤らめて、

 「姫様には死んで欲しくなかったから……」

 と言ってシエルの顔も赤くさせた。何とも微妙な空気が漂ったが、タタロナが命を助けるような暗殺者ですから、任務が成功する筈もなかったですねと言って皆笑った。


 話が終わるとイェーナとタタロナは席を立ち、シエルの足下にいつくばった。

 「どうかいま一度姫様のお側に仕えさせて下さい!」

 シエルは椅子から腰を上げ、頭を床にり付けているふたりの前に片膝をついて言った。

 「こちらこそ、至らぬ主君だがどうか助けて欲しい」

 ふたりは顔を上げた。シエルはそんなふたりを抱きかかえた。

 イェーナとタタロナはぼろぼろと涙を流した。シエルも同じように涙を溢れさせた。こうしてようやく三人は、収まるべきところに収まり、つどうべきところに集ったのである。


 ようやくシエルは、しばらく自分の身体の中によどんでいたが、すっかり取り除かれたのを感じたのだった。灰色だった世界に色が戻ってきたと、シエルは喜んだ。身体の中から何かの力が湧いてくるような気がして、急に走りだしたくなったりした。

 そしてこの三人の心が繋がったことが、どうこの世界に影響を与えるかは、唯一シエルを転生させた者だけが知ることであった。

 

 シエルはパンラウムの屋敷にいる爺に手紙を書いた。少し帰るのが遅くなりそうだが、心配しないで欲しいという事と、自分がイェーナとタタロナを許し、連れて帰るつもりである事を記した。

 その後、ひと月ほどして爺から返事がきたが、姫様が許しても爺は自分で確かめてから決めます、と書いてあり思わずシエルは苦笑してしまった。シエルはふたりに、爺が許さなかったときは大人しく首を斬られなさいと言って笑ったが、イェーナとタタロナは承知しておりますと真面目な顔で答えた。


 イェーナとタタロナの体力の回復は三か月ほど掛かってしまった。

 これはおそらく今までの無理をしていたしわ寄せが、ここにきてどっと出てしまったのだろうとシエルは思った。

 長年続けてきた意にわない仕事。精神的な重圧。他人をあざむいて過ごす日々。それにしばらく彼女らは重病をわずらっていたとのことで、病み上がりで帝都からここまで歩いてきたのだ。

 その直後に自分の冷たい仕打ち。シエルは頭を抱えてしまった。

 あのときは自分にも余裕が全くなかったのだ。だから多少は弁解の余地がある筈だと自己弁護をした。その分これからは優しくするからと、シエルは自分を納得させるのだった。


 三人は猫のように、涼しくて陽当りの良い場所でよく寝ていた。

 シエルが真ん中でイェーナとタタロナはその左右に寝ており、シエルがふたりの肩を抱くようにして眠る姿をシェアラは何度か目撃していた。その時の三人の寝顔は常に穏やかで、思わずシェアラの口元もゆるんでしまうのだった。

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