20 風の便りに(2)

 シエルはさらに書簡に目を通していった。

 そして年明け早々に、王国全土で民衆及び潜伏していた地方貴族や兵士らが一斉に蜂起ほうきしたことを知った。

 スウィード大街道沿いの地域はいまだ帝国軍が維持していたが、大街道から離れるにしたがって抵抗運動が活発になり、地方に分遣ぶんけんされていた複数の部隊の消息が突如として絶たれたのだ。

 特に聖花天教分国に近い王国北部の蜂起は大規模で、王国貴族たちが復活するのも早く、その流れで『第一次、第二次カンデラ城の戦い』が起きたのである。


 港町ゲイブを占領した将軍Aは、足元から不穏の炎がくすぶり始めたのを感じとって、この港町を放棄して兵を引き上げようとした。

 しかしレメン侯爵はそれを許さずに将軍Aはそこで足止めを食い、そのうちに周りが一斉に反旗をひるがえするに至って孤立してしまったのだ。

 『パラスナ近郊の戦い』が行われてレメン侯爵軍本体が敗北した現在でも、将軍Aは配下の兵ともども港町ゲイブに立てこもって頑張っているが、援軍が来るあてもなく、彼らの降伏は時間の問題だと見られている。


 将軍Bは『パラスナ近郊の戦い』の直前に勇者軍と戦って戦死した。勇者に直接倒されたという話だった。

 そしてつい先月の六月十二日に『パラスナ近郊の戦い』が首都郊外の平野部で発生し、勇者軍一万に対してレメン侯爵は三万の兵を集めたにもかかわらず負けた。

 総指揮官は将軍Cである侯爵の二十歳はたちになる長男であった。

 この場合年齢は免罪符にならない。なにせ勇者はそれより年下だったのだから。


 その勇者軍の勝利に呼応して首都パラスナの住民が一斉に蜂起し、都市を帝国から取り戻したというのが経緯だ。

 その住民が蜂起した際に、レメン侯爵はちょうど集めた美女たちと風呂に入っており、それを聞いた侯爵は慌てて素っ裸のまま王宮を逃げ出したと言われているが、明らかにこれは捏造ねつぞうだろうと思う。

 歴史は勝った方が好きに書き、敗者をおとしめて後世に伝えるものだから、鵜呑うのみにすると馬鹿をみる。だから『正史主義者』はと、そこまで考えてシエルは思考が脱線したことに気がついた。

 シエルは誰かさんの顔を頭の中から振り払う。


 シエルは皇帝陛下、つまり自分の父親が今年一月に倒れたのは知っていた。爺から連絡が来ていたのだ。その際、もはやイゼルネ皇后から自分が狙われることはないと併記へいきしてあった。

 そして現在(六月の時点)では皇帝の病状は小康状態に回復しており、すぐさま命に危険があるわけではないと知らせてくれている。

 イゼルネは皇帝が倒れると、彼のそばを片時も離れずに看病しているとのことで、それは半年経った今でも変わらず、心から心配している様子だとか。


 シエルはそれを聞いて、何が幸せで何が不幸せなのか分からなくなってきた。

 自分の身の変遷もそうだし、自分の周りのひとの事も、一体何が正しくて何が悪いのか、ただタイミングの問題じゃないのかと思うようになったのである。

 シエルは祝賀会が終わったらパンラウム高原地方に帰ろうと思っていた。もうここには王国軍は攻めてこないと思われるし、ブルセボ兄には王国軍が攻めてきたときには、戦わずに逃げてくれと言ってあるし、もうすることもなかったからである。


 シエルは帰る途中、アルペルンを訪れる予定である。人材として有能なシェロンヌとガストグルドンのふたりを回収する為だ。

 そのついでに、メレドス公爵のいるベネターレに寄るかどうかは考えどころだった。サンサーニャについては、彼女は田舎暮らしには耐えられない性格のような気がするし、また今メレドス公爵家の人々に会うと、いきなり外堀を埋められそうな気がしたからだ。悩んだ末にシエルは今回はパスしようと決めた。

 シエルは木箱からまた一通の手紙を取り出し、開いてみた。これはそのメレドス公爵からのものだ。


 『誰も予想もしなかった時期に、勇者の影を見通された貴女様の見識を拝聴はいちょうさせていただきたく、もう一度我があばら家にお越し下されば幸甚こうじんに存じます――ジアレ=ストーク・ラファイ・メレドス』


 ゲームさえやっていれば、中坊でも分かりますよと公爵に言ってやろうかとシエルは思いつつ、その公爵からの手紙をぽいと木箱の中に放り投げる。

 そしてシエルはまた別な手紙を手に取った。おおっとこの立派な封蝋ふうろうはと思っていると父上からのものだった。シエルはいかんな、皇帝陛下からの手紙を放置してましたよ、と頭をいた。


 『お前の言うことを信じ切れず、この様な事態に陥らせてしまった。謝らせて欲しい』


 シエルは手紙を読んでちょっとしんみりとしてしまった。あの帝都での夜の話し合いを思い出したのだ。シエルはムルニッタは良い父親だと、から見てもそう思ったのである。

 「あの言葉を盲目もうもくに信じるような皇帝であれば、とっくの昔に帝国は傾いていましたよ」

 とシエルは声に出してしみじみとつぶやいた。


 シエルは早急に王国と講和すべきだと、皇帝に具申するつもりであった。

 しかしあの我の強いミリアネス王女がそれを受けるかどうかは、実に難しいところだとシエルには思われた。

 パラスナ陥落時に亡くなられた彼女の両親である国王夫妻は穏健派で、もし存命だったならば講和は順調に進んだことだろう。だが、彼らはもういないのだ。それが現在、両国の間に影を落としている。

 さらに、ひとりぼっちになってしまったミリアネス王女に、「あなたの御両親が死んだのは帝国のせいですぞ」と吹き込む貴族たちがいた。強硬派の連中である。


 毎日毎日そのように聞かされ続ければ、王女だってそう考えるようになるのは何ら不思議なことではない。しかも勇者が快進撃を続けている今現在、余程の条件を出さなければ王女は聞く耳を持たないし、その必要もないのだ。

 加えて王国強硬派の貴族たちの別のささやきもあった。いっそのこと帝国を潰してしましょうというささやきである。連中はこの機会に自分たちの地位向上と領地拡大を狙っているのだ。簡単に戦争を止めるわけがなかった。


 ゲームでは王国の領土全てを回復すると、『帝国から講和の使者が来ました。和睦わぼくなさいますか?』というメッセージが出るが、そこで「はい」という選択肢を選ぶとゲームは「引き分け」で終了になる。

 勇者側からみれば、ここからが面白くなる筈なので、何故制作陣はこんな選択肢を入れたのかを考えてみると、意外と奥深いものがあるのである。


 書簡の季語も冬から春、そして初夏のものに移っていった。

 季語という言葉つながりで、この世界にも四季がある。

 それはやはり春夏秋冬で、一季節は三か月プラス一週間である。一年十三か月に設定した余波であった。半年といえば六か月半となり、月の上旬が九日まで、中旬が十日から十八日、十九日以降が下旬であった。そして十三月二十九日のうるう日は「白金」曜日となり、これは一年でこの日だけのものであった。四年に一度、うるう日が二日になるが、これは地球のうるう年に対応したものである。

 翌一月一日からはまた日曜日から始まり、月火水木金土曜日と続き、次の週はまた日曜日から始まるのである。ひと月が二十八日と固定されていて、曜日がずれないので、覚えるには楽な暦であった。


 シエルはまた一通手紙を開封した。爺からであった。季語から始まる手紙など、爺からのものしかなかったのだ。


 『紅竜海コウリュウカイからの遠い潮風が、実る穂の背をでる頃になりました。つつがなくお過ごしでしょうか。姫様がアルペルンで道草を食い、爺と致しましてはやきもきさせられましたが、無事ブルセボ皇子殿下様の下へ御到着なされたと聞いたときは、ほっとした思いでありました。さて、私が皇帝陛下に拝謁たまわっておりましたときに丁度陛下が倒れてしまわれまして、その場の一同皆騒然となったわけですが、幸いにも大事に至らずに済み、典医殿の話では多少時間はかかるが回復するとのことでありました。その直前に皇后様のくだんの話の決着が着いておりましたことは間一髪ではありましたが、朗報であると姫様にお伝え出来ますことは、爺といたしましても嬉しく思うのであります。

 姫様が以前私に頼まれた勇者の件につきましては、如何どうしてそのようなことを姫様がお知りになったのか、私としましては興味深々では御座いましたが、臣下の身と致しましてはそのようなことを姫様に尋ねるのは分不相応と考え、沈黙しておりました。とはいえ差し支えなければその件につきまして爺に御教授いただければ幸いであります。

 姫様が御懸念なさいました通りに、王国の地に勇者が出現しまして、現在猛威を振るっております。爺が愚考ぐこうしますにこれを予見なされた姫様ならば、もはや既に対策は立てておられるかと存じますが、屋敷の皆を安心させるためにも姫様におかれましては、なるべく早くにご帰還なさいますよう、心からお願い申し上げます』


 シエルはヴェルラードからの手紙を読み終えて、殆どの問題を処理してもらったことに感謝した。勇者の件については皆が興味を持っていることは手紙を読んでも明らかだったが、如何してと問われても答えようがないのである。ゲームをやったからとしか。

 それと、屋敷の者が全員無事というのはシエルの気を晴れさせたのだった。


 しかし、爺は自分に対して随分と過大評価をしているなとシエルは思った。

 勇者対策など、結局召喚された直後に倒してしまうことしか思いつかなかったのだ。現在は勇者は少なくとも一万の兵を率いているようだし、レベルも順調に上がっているだろう。シエルにはこれといった打つ手など特に思い浮かばなかった。

 さらにそれに加えて勇者には厄介な切り札があるのだ。シエルには、アルペルンが陥落する前に、その都市を交渉カードの一枚として講和しなさいよと提案するのが精一杯なのだった。


 まだ帝国で総動員令は出ていなかった。

 シエルはなるべく早くに総動員令を発令し、兵力を集める必要があると思った。講和をしようとするならば、なおさらその様にしなければ手遅れになると考えていたのだ。勇者を倒す方策は思い浮かばないが、王国と引き分けるための策ならばひとつあった。


 まず総動員令を出す。兵士を集めるのには数か月かかるが、徴兵した兵は全てアルペルンに集結させる。今年の冬には勇者軍はアルペルンに到達するだろうから、その前にアルペルン前面に野戦築城をして針鼠はりねずみの陣をしく。ここで王国軍に対して持久戦を仕掛けるのだ。

 本営はアルペルンの街中において、皇帝陛下もしくは皇太子殿下に親征していただく。そうしてこちらからは絶対に仕掛けずに、王国軍の攻撃を受けるだけにして時間を稼ぐのだ。

 いかにミリアネス王女が継戦を望もうとも、帝国軍がそこで二年も踏ん張ればさすがにこんも尽きるはずである。そこで頃合いをみて和平交渉を持ち掛けて、アルペルンを譲ることを条件に何とか終戦に持ち込むのだ。


 ここで重要な点はアルペルンを王国に返すというところで、ここで欲を出してこの都市を保持しようとすると交渉は決してまとまらない。王国にしてみればアルペルンを帝国に取られているということは、喉にとげが刺さっているようなものなので、いずれ紛争の火種となるのは目に見えているのだ。戦争前の状態に戻すことが重要なのである。

 平和ともなれば勇者は元の世界に帰されるか、もしくは王国貴族連中からは煙たがられるだろうから脅威ではなくなるだろう。その間のみ平和を維持すればよい。

 勇者のいない王国軍など、屏風びょうぶに描かれた猫のようなものだ。


 ファファー公爵はレメン侯爵を推薦した手前、現在の体たらくを招いた責任は逃れられない。おそらくアルペルンが失陥しっかんした場合、その時点で罷免ひめんされると思う。

 そのときは四侯のひとりであるユハンナス侯爵が後を継ぐだろう。堅実な人物であると聞いている。

 まあこの情報はメレドス公爵からもたらされたものだが、公爵自体は宰相職に興味はなさそうで、今度こそ王国を倒したいと手紙には書いてあった。シエルは講和をすすめたのだが。


 シエルは城壁の上で伸びをした。

 送られてきた書簡類は全て目を通した。勇者の躍進やくしんはシエルが例え現在の境遇にいたとしても、防げたかどうかは分からない。が、それでもこうなる以前に芽をつぶせた可能性はあった。皇帝、皇后、宰相、そして刺客たちの考えと行動が、結果的に勇者を助けることになったのは間違いがない。

 だが、これは偶然だろうか。

 もうこうなることは最初から決まっていたのではないだろうか。シエルがどうこうしようがしまいが。

 ゲームにおいてシエルレーネ姫は、ゼカ歴四九八年中に病死してしまうが、実はそれが暗殺であったとすれば、この闇は結構深いのではないかと思う。


 シエルは木箱を持って城壁から下りた。だがこの世界の”シエル”はゼカ歴四九八年を生き延びたのだ。現在のところ病気になる気配もない。記憶喪失が病気というならばそうではあるが、それで病死することもないだろう。

 病気と言えば皇帝のことである。今も寝台に伏せっているという。勇者と魔王は最後に一騎打ちをして、この舞台の幕を引くのではなかったのか。

 シエルは、その役目は自分の方にまわってくるという予感がするのだ。皇太子であるジャリカ兄ではなくて。


 シエルはちょうどごみを燃やしている使用人のそばに行って、炎の中に木箱の中身をぶちまけた。ただしラランシラー伯爵の一通は除いた。めらめらと燃える手紙を見つめながら、一体この戦争は皆を何処どこに連れて行こうとしているんだと、シエルは思わざるを得なかったのである。

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