19 風の便りに(1)

 翌日になっても、追撃に出したグラフとアガリーら青鬼族オーク部隊を始めとして、ブルセボ兄と近衛隊の誰も帰ってこなかった。現在この城にいる戦力は負傷により床に伏せっている青鬼族オーク六十名以外では、シエルただひとりだけという状況であった。

 仕方ないのでシエルはオートレス先生をからかいつつ時間を過ごすことにした。


 翌々日になっても、さらにその翌日になっても誰も帰って来なかった。シエルはちょっと徹底的に追撃をやり過ぎているんじゃないかと思ったが、その次の日のお昼過ぎに、ようやく青鬼族オークたちが帰ってきた。ブルセボ兄と近衛隊も一緒だった。

 後世に言われる『第二次カンデラ城の戦い』があってから既に六日がっていた。 


 「あらかた王国軍は殲滅せんめつしたかと思いやす」

 「は⁉」

 シエルはグラフのその言葉を聞いて、思わず変な声を上げてしまった。追撃する側は追撃される側に決して追いつけない、というのが軍事の常識ではなかったか。シエルの認識ではそうだったのだが。

 つまり、ひとが必死に逃げるのは、自分が殺されようとする状況においてである。殺そうとする側は精神的優位がある為、決して必死に追いかけない。ゆえに追いつけないのである。追撃する側が馬でも使わない限り。


 シエルはただ、死にそうになるまで恐怖を刻んでやれば、もう二度とここには攻めてこないだろう、という目論見もくろみで追撃しろと言ったのだ。

 (青鬼族オークの体力をめていたな)と、シエルは反省した。それで、死体はちゃんと処理してきただろうなとグラフに尋ねた。

 「きに倒して、帰りに埋めてきやした」とグラフは答えた。聞けばやはり大アマカシ河まで追撃したらしい。恐ろしい体力だった。 


 「ところで随分と戦場が綺麗になっていますな」 

 と今度はアガリーが聞くので、疫病が発生すると嫌だから、片付けておいたとシエルが答えた。人手はそんなに残ってなかった筈ですが、と言うので、ああ、われがひとりでやっておいたと返事をすると、グラフとアガリーは微妙な顔つきで見合っていた。


 シエルは次にブルセボ兄と近衛隊のところに行き、首尾はどうでしたかと聞いた。

 「シラー伯爵とヘーレン子爵は自裁してしまったよ」

 とブルセボ兄は悲しそうにそう言った。

 戦闘があったあの日、ブルセボ兄と近衛隊は城を出た後、川を渡って向こう岸に消えた。そして王国軍の視界の外で再び舟でこちら側に戻って来て貰い、大アマカシ河の渡河点に向けて強行軍をして貰ったのだ。ふたりの貴族を待ち伏せるために。


 戦闘から二日後の夜に、渡河点近くで野営しているシラー伯爵とヘーレン子爵の馬車を近衛隊二百人で取り囲んだ。それに気がついた伯爵と子爵は絶望して自ら毒を仰いで死んでしまった、とのことだった。伯爵と子爵の護衛はひとりもいなかったという。

 「伯爵たちの亡骸なきがらは侍従にゆだねて帰しちゃったけど、いいよね?」

 とブルセボ兄が言うので、それで良かったですとシエルは答えた。その後、青鬼族オークたちと連携して王国軍の残党狩りを行ったが、意図的に大アマカシ河の河口方面に追いやったそうだ。

 あそこはひとひとり住んでいない広大な湿地帯になっており、どん詰まりで逃げ場はない。シエルはふたりの青鬼族オークの指揮官に情け容赦のなさを感じ、その徹底さにため息をついた。


 「今度こそ祝勝会を開くよっ。妹ちゃん、良いよね」

 と、ブルセボ兄が言ったので、シエルは良いかと思いますと賛成した。今回は全ての部隊が参加して、全ての部隊が戦功を挙げている。それに『カンデラ城攻略戦』の二回目のシナリオも終わり、二度と王国軍がこの地に攻めてくることは無い筈であった。それで、シエルが反対する理由はもう何も無くなったのだ。


 「城の全員で宴会を開くとなりますと、酒と食材が足りません。あと人手も」

 とシェアラが言った。カンデラ城に最も近い大都市は、レメン侯爵領の主都バルダムである。が、近いと言っても馬車だと往復で四日かかる。食材の保存は水属性の魔道具を使えば二、三日は持つ計算であるからその点は問題無かった。

 それで家令が購入部隊の指揮をり、二十人ほどの使用人とオークを引き連れてバルダムに向かった。人手は近隣の村人から臨時雇いで百名程度頼むことにしたらしい。

 祝勝会は、七月十二日に行うことになった。家令らが帰ってこれるのが、その前日になる予定だからだ。


 シエルは今カンデラ城の城壁の上に座っていた。

 足下には木箱が置いてあり、中を見ると手紙やら書簡やら書状やらただの紙きれやらが無造作に放り投げられていた。一応シェアラが日付順に並べてくれたらしいが、これらはほとんどが爺から送られてきたものである。つまりパンラウム高原地方の屋敷へのシエルあてのものらしかった。

 ちょっと前にこの城に届いていたのだが、全く読む気にもなれなくてずっと放置しておいたものであった。シエルはそろそろ不味いかと思って、やっと処理する気になったのだ。


 一番古い日付のものから順に読んでいく。


 『ゼカ歴四九八年十三月十五日』

 

 パンラウムの屋敷にいたときに届いた書簡を除けば、これが最も古い日付である。


 『勇者らしき者は発見出来ず』


 これは爺に頼んだ探索依頼の第一報か。


 『レプシュル地方に抵抗勢力あり』


 第二報。


 『派遣された帝国軍百人の部隊が消息を絶つ』


 この報を見たとき、勇者は随分と徹底してやったんだなとシエルは思った。確かに報告する者がいなければ、勢力を伸ばす時間がかせげるから分からなくもないが、皆殺しとはお気の毒にと言うしかなかった。


 『レプシュル地方の村落に分遣ぶんけんした小部隊が一斉に消息を絶つ。ゼラピ、パシャネラ、ラザロリナ――(以下十余りの村落名が並ぶ)』


 帝国の小部隊(三十名以下)を他の部隊に連絡させないように全滅させるシナリオがあったが、これはそれだろうとシエルは思った。村落の住民と協力して、帝国兵の寝首をくのだ、文字通り。シエルはぶるりと震えた。


 『サグランの帝国駐屯部隊二千名が急襲され、潰滅かいめつ。サグランは抵抗勢力に占領される。その際、勇者らしき人物を目撃した者り』


 サグランというのはレプシュル地方の州都でかなり大きな地方都市だ。ゲームでも勇者が、都市に駐留する帝国軍を急襲するシナリオがあったなと、シエルは思い出す。レメン侯爵の馬鹿息子は幸いにして居合わせなかったようだ。


 『勇者の姿を確認した。黒目、黒髪のほっそりとした人族の青年。おそらく十代かと思われる。聖女アンジェリカも確認。ミリアネス王女の姿は確認できず』


 やはりいたかとシエルはうなずいた。黒目、黒髪はアジア系、おそらく日本人であろう。ミリアネス王女はブルドニル伯とともに地方貴族の挙兵をうながしに、しばらく勇者とは別行動の筈である。

 勇者はその間に賢者リリンや聖弓手セルセラを仲間にする。後で勇者をめぐって王女と恋の鞘当さやあてをする面々であった。くわばらくわばら。


 『レプシュル地方に駐屯していたレメン侯爵軍はほぼ一掃いっそうされたもよう。ただし侯爵は特に何も手を打たないようである』


 これがメレドス公爵ならばぐに手を打ったろうに。いや、そもそも反乱など許さなかったかとシエルは思い直す。つくづく宰相の人事の交代を呪わしく思うシエルであった。だが、とシエルはこうも思うのだ。

 「レメン侯爵はゲーム上の役割を忠実にこなしている」と。


 レメン侯爵が聖人君子せいじんくんしであったら、ここまで勇者としてやる気が出たであろうか。悪逆で、欲深で、王国の民をしいたげたからこそ、倒すために全力を注ぎこむし、倒したときにカタルシスを得られるのだ。

 ゲームにおいては百回ほど彼を倒したシエルだが、いざ自分がこういう立場に立ってみると、レメン侯爵もまた犠牲者ではないかと思うのである。


 「この世界はゲームなどではなく現実なのだから」もうちょっと考えてみて欲しかったのだ。現実ではあるけれどレメン侯爵の行動は、いかにもプログラミングされたNPCっぽい感じがするのである。

 酒池肉林しゅちにくりんなど、暴君が行う最も代表的な行動といえばこれだし、暴君を印象づけたければ、これしかないとも言えるものだ。

 この世界に来て、レメン侯爵と実際に会ったことはないが、帝室に対しての忠誠心は本物だという話である。ならばせめてゲームのときのように、あわれな末路は迎えないで欲しいと思うのだ。


 木箱を見ると、まだまだ書簡が残っていた。

 おそらく帝国にとっては敗北の記録、王国にしてみれば失地回復の輝かしい戦果の記録になるわけだ。その中に意外な人物からの手紙が入っていた。ラランシラー伯爵からのものだ。


 『手紙など書くのは本当に久しぶりだが、わが娘よ、元気にしておるか。大分寒くなってきたが、風邪など引かぬようにちゃんと着込むのだぞ』


 シエルは伯爵があの大きな身体で机に向かい、せっせと筆を動かしている姿を思い浮かべてほっこりとした。まだ寒い時期に出された手紙らしかった。日付を見るとシエルがちょうど城郭都市アルペルンにいた頃のものだった。

 「母様」と小さくつぶやいて、シエルは続きを読む。


 『記憶が戻った戻らないなどと、その様なことは気にするでないぞ。お主がどうであれ、わが娘に変わりはないのだから、胸を張って生きていくが良い。儂はどんなことがあってもわが娘よ、お主の味方じゃぞ』


 涙がにじんできた。猛烈に伯爵の顔を見たいという欲求が、湧き上がってくる。


 『なかなか手紙を書くなどという事はしたことがなかったので、不格好な文かと思うが勘弁しておくれ。くれぐれもヴェルラードとカラサンドラを困らせることはするでないぞ。ではな、また会いたい――母より』


 ぽたり、とシエルの目から遂に涙がこぼれた。短い手紙であったが、自分のことを心配してくれているのが痛いほど伝わってきた。シエルは早速返事の手紙を書いて、母様を安心させねばなるまいと決心するのだった。

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