17 『第二次カンデラ城の戦い』(4)

 前衛部隊千名が一瞬で潰滅かいめつしたのを見たシラー伯爵とヘーレン子爵は、しばしの間呆然としていたが、気を取り直して,

 「迎撃しろっ」

 と叫んだ。

 これで王国軍の凸形陣形の出っ張り部分は消滅し、後に残っているのは、四列横隊の千人の部隊が横に二部隊並び、それが二段になっている四千名である。


 だが一度、今回の戦は楽勝だと思ってしまった兵士たちは、目の前に迫りくる青鬼族オークたちを見て浮足立ってしまった。

 最初の話では、呪文によって混乱した青鬼族オークたちをねずみを狩る猫のように、ただ追い回せば良かった筈ではなかったか。これでは話が違うと兵士たちは思った。だがそうはいっても、目の前に迫る青鬼族オークに対応しなくてはならない。


 王国軍の標準装備は革鎧に片手剣、そして小ぶりな円形の盾である。第一列の兵士たちは激突に備えて腰を落とし、盾を構え、ぶつかった。その勢いで王国軍は第一列の兵士たちがなぎ倒された。がそこまでで、第二列以降の兵士たちは踏ん張った。青鬼族オークたちの前進は止まった。 

 「防御!」

 とアガリーは命じた。青鬼族オークたちは肩を寄せ、大盾を並べて構えて動かなくなった。さすがに結構な距離を全力で走ってきたのだ。青鬼族オークたちの全員が、息を切らしていた。アガリーは部下たちの息を整えさせる為と、後方のグラフの部隊が追いつくまで、この態勢を維持することにした。


 シラー伯爵は、青鬼族オークたちの前進が止まったのを見て、深く椅子に座り直した。そしてふんと鼻を鳴らす。

 「おい、お茶をくれ」

 とそばに控えていた侍従に命じる。頭を下げて主人の言うことを了とした侍従は、慣れた手つきで魔石ポットからお茶をいれた。かぐわしい新茶の香りが辺りに漂った。やっとシラー伯爵は落ち着きを取り戻した。


 伯爵は考えた。魔術師にはあてが外されたが、青鬼族オークどもの前進は止まっている。我が方は八列の厚みがあるのに対して敵は二列しかない。このまま押し合いを続ければ、やがて連中は疲労が溜まり隊形が崩れるだろう。

 青鬼族オークどもは爆発力だけはあるが、それさえしのいでしまえば連中に粘りはないから、いずれ勝てるだろうと伯爵は予測した。シラー伯爵は、お茶を口に含み、相変わらず遠眼鏡を覗いているヘーレン子爵に、にこやかに話し掛けた。

 「帝国領土攻略に先鞭せんべんをつけたという栄誉をになうのは、どうやら我らのようですぞ」


 これが、王国貴族たちがこの辺鄙へんぴなサントルム地方に固執する理由であった。大アマカシ河西岸の帝国領土を初めて奪ったという実績。それは唯一残った王女に対する強力なアピールになるであろう。

 シラー伯爵はこの戦争で領地を加増して貰い、一階位上の侯爵になる野望を持っていた。今回の戦いはその手始めである。こんなところでつまづくわけにはいかなかった。


 敵の前衛部隊を『処理』していたグラフたち第二部隊の面々は、地に伏して動かなくなった王国兵らの屍を見て、あらかた終わったなと思った。グラフは今度は、現在第一部隊だけで王国軍を押さえているアガリーたちを助けようと、部下たちに命令を下そうとした。そのとき、良く知った声がグラフにかかってきた。シエルレーネ姫であった。

 「グラフ、貴方はアガリーの左翼に回ってそこから王国軍を崩しなさい」 

 「姫様は?」

 「私は右翼に狭い隙間があるからそこからお邪魔するわ」

 「分かりやした! お気をつけて」

 「貴方もね」


 そういったやりとりをて、グラフとシエルは別れた。グラフは随分とこのやりとりにも慣れたように感じた。

 まだシエルレーネ姫とは、そんなに長い時間を一緒に過ごしたわけではなかったが、何となく気心が知れたような気がするのだった。そう、相手が望むことが分かるような――


 「ガフ、アガリーの左から敵に横槍を入れる。お前が先に行け」「分かりやした! 大将」

 そう言ってガフを先頭にグラフたち第二部隊は、膠着こうちゃくしているアガリーの戦列の背後を通過し、第一部隊の最左翼のさらに左側に出ると、そちらから王国軍を包むように運動して、敵の右翼に対して攻撃を始めた。攻撃を受けた王国軍はみるみるうちに崩れていく。

 青鬼族オークたちは、自分らがやった模擬合戦と全く結果が同じだと思った。


 現在アガリーの隊と押し合いをしている王国軍前衛の二部隊二千名は、ヘーレン子爵の軍である。その後方の二部隊二千名がシラー伯爵の軍で、目下待機中である。

 その右側の部隊の千人長が、シラー伯爵軍の中で最古参の兵士であった。彼はこの戦いがいつものとは全く違うことに気が付いていた。彼は考えていた。


 (青鬼族オークどもがえない。いつもならば青鬼族オークどもは、大声を上げて相手を威嚇いかくするものなのだが、この敵は無言で不気味だ。また全身が覆うくらいの大きな盾を使っているが、青鬼族オークが盾を使うなんてのを見るのは初めてだ。さらに奴らはきっちりと隊形を組んでいる。これは農民兵をぜたうちらより統率が取れているんじゃないか――)


 まさに異例ずくめであった。この千人長は、目の前の敵は非常に危険だと判断した。そのため彼は自分の主君であるシラー伯爵に意見具申を行おうとしたのだが、ちょうどその時部隊の右側方から青鬼族オークたちが湧いてきた。回り込んできたグラフの第二部隊であった。それを見た千人長はただちに命令を下した。

 「奴ら、生意気に横槍なんぞ入れようとしてやがる。副官! 部隊を連中のさらに右に回り込ませろ」

 「了解!」副官がすぐに答える。


 だが、指揮官は素早く反応したが、農民兵は動きについていけなかった。その為グラフに先手を取られ、行く手をはばまれた。

 千人長は思わず舌打ちをし、そして不味いと思った。自分らの前にいるヘーレン子爵の右翼部隊は、右端からの青鬼族オークどもの側面攻撃を受け、徐々に崩れてきている。自分らはそれを助けることが出来ない。前方を青鬼族オークの別動隊に防がれているからだ。

 (実に不味い)

 と、この千人長は思った。何らかの手を打たねば、いずれ隊形を維持出来なくなるだろう。


 アガリーは敵をいなしながら、そろそろいい頃合いかなと思っていた。部下には盾を構えさせただけで、何ら積極的な行動は取らせていない。十分に休めた筈だった。そこへ後方からひとりの少女が声を掛けてきた。

 「アガリー、加勢する」

 と、シエルはアガリーの右側(アガリーが最右翼)を抜けて戦斧を振り回し始めた。王国兵の首が面白いように飛んだ。剣で防ごうが、盾を構えようがおかまいなしであった。シエルのいる周囲は、血煙が上がった。


 アガリーはシエルの武技を目の当たりにして驚嘆した。

 (姫さんの動きが見えねえ! 俺も自分の武力には自信を持っていたが、これはそんなモンじゃねえ。ケタが違う!)

 シエルの繰り出している槍の穂先がアガリーの眼では捕捉出来ないのだ。あの重そうな斧がついているにも関わらず。

 アガリーは一度口笛を吹いてから、配下の兵に命令を下した。

 「攻撃!」


 アガリーは自らもモーニングスターを振り上げて、眼前の王国兵の兜にそれを叩き下ろした。青鬼族オークたちの平均身長は二・五メートルである。それが王国兵の遥か頭上から勢いをつけて棘付き鉄球を振り下ろしてくるのだ。

 ぐしゃ、という音が戦列全てで響き、ヘーレン子爵軍の第一列目はその一撃で全滅し、地面に倒れた。続いてアガリーらはヘーレン子爵軍の第二列目と相対したが、その兵士らは恐怖にかられ、一斉に逃げ始めた。


 それらはやはり農民兵で、必死になって常備兵が押し留めようとしているが、数が違った。自分の目の前にいた兵士の頭が、鉄球で潰されるのを間近で見た農民兵たちが、恐慌きょうこうをきたしたのだ。

 「留まる兵士だけ打ち倒せ」

 と、アガリーは常備兵を狙い撃ちにした。


 ヘーレン子爵軍の農民兵たちは、一度逃げ始めると誰も留まろうとする者がいなかった。そうなると常備兵たちも、押し留めようとする努力を放棄して、農民兵たちと一緒になって逃げ始めた。

 それは人の波となって、後方に控えていたシラー伯爵軍の隊に殺到した。シラー伯爵軍の兵士たちは、何とか隊形を維持しようとしたが、ヘーレン子爵軍の兵士の恐怖が伝播でんぱして、同じように逃亡しようとする農民兵たちと一緒に逃げ始めた。こうなるともはや打つ手はない。王国軍四千名は、あっという間に敗走に移った。


 優勢だと思われた自軍が、一瞬で崩壊したのを見たシラー伯爵とヘーレン子爵は、がたっと椅子を倒して立ち上がった。シラー伯爵は目の前で起こったことが、ただただ信じられなかった。ほんの少し前までは、わが軍が勝っていたではないか、それがどうしてこんなことに――と、呆然とする思いであった。


 護衛の騎士隊長がシラー伯爵の足下にひざまずいて「ご当主様、戦場を離脱して下さい」と具申した。シラー伯爵は離脱? と、聞いてはならぬ言葉を聞いてしまったような顔をしたが、

 「離脱したら負けではないか!」

 と、騎士隊長に向けて必死な口調で反論した。騎士隊長は落ち着いた声で、今回の戦は負けで御座います、一刻も早く戦場を離脱なさって下さいと再度言った。

 シラー伯爵はぐらりと身体が揺れたが、何とか踏ん張って言った。

 「私は負けてはいない、負けてはいないのだ!」

 と、それは自分に言い聞かせるように叫んだ言葉であったが、騎士隊長の「円陣を組め!」という怒号でわれに返った。


 敗走する人の波がシラー伯爵とヘーレン子爵を包み込んだが、それを護衛騎士隊が囲って守る形になっていた。その王国兵士の波に繋がる形で青緑色の青鬼族オークたちが騎士隊に突っ込んできた。銀色に光る騎士隊の甲冑がその波を食い止める。

 「お早く、お早く」

 との騎士隊長の声に押され、シラー伯爵とヘーレン子爵は、侍従とともにそれぞれの馬車に乗り、辛くも脱出した。後に残された騎士隊は青鬼族オークたちに二重三重に取り囲まれ、数名を道連れにしてひとり残らず玉砕した。


 今、カンデラ城前の草原には折り重なった戦死者の他には、王国兵はひとりもいなくなっていた。シエルはグラフとアガリーを呼び、逃げた王国兵を徹底的に追撃しろと命じた。大アマカシ河の渡河点までは徒歩で三日の距離だが、そこまで追いすがれ、大盾はここに置いて行ってよいと命じた。

 グラフとアガリーはこれを了承し、大盾をまとめて置いていき、部下を引き連れて追撃に移った。

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