16 『第二次カンデラ城の戦い』(3)

 王国軍が前進を開始した。

 最前列に配置された魔術師たちを率いているのはオートレスという女性魔術師だったが、彼女は首都パラスナの魔術学校の教師であった。他の九人は彼女の教え子である。


 彼女は教え子を戦場に引っ張り出した貴族たちに反感を持っていた。メレドス公爵がパラスナを占領したときに学校は閉鎖され、生徒たちは地方に分散して避難していたのだが。

 (かわいそうに、まだ初級の呪文しか使えないのに)

 戦場で最も多く使われるのが、火属性の攻撃呪文である。火は原始的な恐怖を呼び起こし、即効であったから好んで使われた。ここにいる魔術師たちも、技術は未熟とはいえ『火球ファイアボール』の呪文を習得していた。それを使うのである。


 『火球ファイアボール』の呪文は発動すると、術者から火の玉が直線的に飛び、何かに命中するか既定きていの距離を飛ぶと爆散する。爆発力は火の玉の大きさに比例し、大きさは術者のレベルによる。飛距離も術者のレベルで決定される。

 オートレスは自分の教え子たちが出す火の玉は、一個につき半径三十歩(二十七メートル)の爆発を発生させると分っている。その範囲内では火炎が飛散し、殺傷力は低いものの十分に敵を混乱させるのである。


 呪文の発動については、指揮官の伯爵はひとりにつき一発だけでいいと言っていたから、オートレスは一発だけ撃ったら生徒たちを後方に退避させるつもりであった。

 魔術には『冷却時間クーリングタイム』と呼ばれる、一度発動させると次に発動させるまで、待たなくてはならない時間があった。敵との相対距離により、多分二回目の呪文の発動は間に合わないと思われたので、伯爵は一発だけで良いと言ったのだ。


 現在生徒たちは『火球ファイアボール』の呪文を『保持ホールド』しつつ前進している。『保持ホールド』というのは、呪文の詠唱えいしょうには時間が掛かるので、あらかじめ呪文を唱え終えておき、いつでも発動出来るようにしておくことである。

 『保持ホールド』をし続けるのには集中力が必要で、それを途切れさせると『保持ホールド』を維持出来なくなり、呪文は霧散むさんしてしまう。歩きながら『保持ホールド』するのはなかなか難しいのだが、なんとかこなしているようだ、とオートレスは自分の生徒を褒めてあげたい気分だった。

 青鬼族オークたちは城壁にへばりつくように整列している。これは好都合だとオートレスは思った。仮に火の玉を外しても、壁に当たれば爆発するからである。この場合火炎は壁に沿って拡がり増々相手にダメージを与えるであろう。


 と思って前方を見据えていると、地面に何かが描かれているのを見つけた。オートレスはそれが城壁と平行に走る一本の線であることを認識して不思議に思った。

 (あの線は何だろう?)

 その線までは後二百歩ほどで到達する。

 オートレスはそれが何かを考えながら前進していたが、考えが何かにたどり着くとさっと顔色を変え、前進を止めるために右手を上げた。魔術師の直後を前進していた歩兵隊の千人長も、オートレスが手を上げたのを見て同じようにし、部隊の前進を止めた。後続の部隊もそれを見て、次々と停止した。

 まもなく、王国軍全体が前進を止め、その場に止まってしまった。


 (本当に止まっちまった!)

 グラフはあと三百歩(二百七十メートル)で、自分らと接触する筈の王国軍が停止したのを見て、驚愕した。部下たちにもこのことは予め言っておいたので、言葉こそ発しないがざわめいているようであった。

 シエルは言った通りに、線一本で王国軍を止めたのである。

 グラフは自分の背筋に寒気が走るのを感じた。

 (この姫様は――一体……)

 何者なのかと、グラフは隣で面白くなさそうに王国軍を眺めているシエルを盗み見た。そのシエルが小声で、

 「準備は良い?」

 と言ったので、グラフとアガリーは事前の打ち合わせ通りに、部下を身構えさせた。


 「何故前進を止める!」

 と、冷静さを標榜ひょうぼうしていた筈のシラー伯爵が、円卓をだん! と拳で叩いた。ヘーレン子爵は、

 「まあまあ伯爵殿、前から魔術師殿が来たようですので、話を聞いてみましょう」

 となだめてきたので、とりあえず伯爵はオートレスの話を聞くことにした。


 「線が描かれていたのです」

 と息を切らしながらオートレスは言った。彼女は説明をする為に走って来たのだ。ヘーレン子爵が遠眼鏡をのぞきながら「確かに地面に線が一本引かれていますな」と伯爵に教えた。

 「その線が一体何だというのだ」と、いらいらとした表情でシラー伯爵が先をうながした。あれは、とオートレスが言った。

 「あの線の位置が、ちょうど私の生徒の射程距離なのです」

 そう言われてもシラー伯爵とヘーレン子爵にはぴんとこなかった。伯爵は指でとんとんと円卓を叩きながら、さらに説明を促した。

 「だからそれが何だというのだ」

 「帝国軍はここに派遣された私たち魔術師の実力を精確に把握はあくしていたということです」


 シラー伯爵の指の動きがぴたりと止まる。魔術師の実力がわかる? 「私は○○レベルの魔術師です」なんて名札を胸に貼っているわけではない。ではどういうことなのか。情報が漏れていた? そう考えるのが普通である。

 「対策をしていない筈はありません」

 シラー伯爵は押し黙った。オートレスは彼が判断を下すのをじっと待っている。シラー伯爵は考えていた。魔術師の攻撃は諦めるか。それでなくてもこちらは五倍の兵力がある。まともに戦っても負けはあり得ない。


 と、その時遠眼鏡を覗いていたヘーレン子爵が叫び声を上げた。

 「伯爵殿、奴らが!」

 その声にシラー伯爵が顔を上げると、城壁前にたむろしていた筈の青鬼族オークたちが、自分たちの前衛部隊のすぐ前まで迫ってきていたのが見て取れた。

 走ってきたのだ、青鬼族オークたちは三百歩の距離を一気に詰めるために。


 「何故魔術を放たん!」

 シラー伯爵が怒鳴った。

 「『保持ホールド』の時間が切れたんだわ!」とオートレスも叫んだ。

 呪文は永久に『保持ホールド』出来るわけではない。前述したように集中力をなくすと切れてしまう他に、呪文を発動させずにある一定の時間が経過しても、『保持ホールド』の状態は解けてしまう。『保持ホールド』出来る時間は術者のレベルによって変わるのだ。

 「何てこと! 精確に『保持ホールド』状態が切れるのを待ってから突撃してくるなんて!」

 オートレスは恐怖した。あの青鬼族オークたちの中に、魔術に精通している者がいる。でなければこんな的確な行動がれるはずがない。


 シラー伯爵とヘーレン子爵、そしてオートレスが見ていると、前衛部隊の前に散開していた魔術師たちが歩兵の戦列の後ろに退避するのが見えた。再度、呪文を唱え直すのが間に合わなかったのだ。

 前衛の王国兵たちは激突に備えて腰を落とし、盾を構えた。大柄な青鬼族オークたちが前衛部隊の人族に、覆い被さるように肉薄してきた。オートレスは自分の生徒たちがいる方へ走った。叫びながら走ったのだ。

 「貴方たちっ、そこにいては駄目っ! こっちに来なさいっ!」

 それに気がついた彼女の生徒たちは、オートレス目指して走り始めた。青鬼族オークたちは?


 どおん、という音がしたと思う、とのちにオートレスは語った。

 大柄な青鬼族オークが大盾を構えて、勢いをつけたまま王国軍の前衛部隊と激突したのだ。その一撃で、前衛部隊の兵士たちはボーリングのピンのようになぎ倒された。四列全てである。

 アガリーの第一部隊は止まらずに、その後ろに控えていた王国軍の四部隊にそのまま突っ込んでいった。青鬼族オークが倒れた王国軍兵士を踏みつける度に、ぽき、とかばきっ、とかの音がした。

 アガリーの第一部隊が通り過ぎた後にグラフの第二部隊が、倒れている王国軍兵士たちを『処理』しにかかった。恐ろしい棘の付いた鉄球を振り下ろし続けている。今度はぐしゃ、とかばきゃ、とかの音がした。


 草原のすみに退避したオートレスと生徒たちの十名は、震えながら固まっていたが、そこに戦斧を持ったひとりの少女が近付いてきたのに気がついた。彼女は微笑みながらオートレスたちに言った。

 「降伏してくれるわよね。子供は極力傷つけたくないんだ」

 オートレスはぶんぶんとうなずくと、その少女、シエルレーネ第一皇女は城から出てきた侍女たちに、この魔術師たちを城に『保護』しなさい、と言って離れていった。それをぼうっと見ていたオートレスは、侍女に声をかけられて我に返った。

 「では皆さん、こちらに来てください。、生徒さんたちを引率して下さい」 

 と、その侍女シェアラの言葉を聞いて、オートレスはああ、やはり情報は筒抜けだったんだわと納得した。

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