15 『第二次カンデラ城の戦い』(2)

 城の会議室には倦怠けんたいの空気が流れていた。昨日と同じように議論が袋小路に入ってしまったからだ。

 アガリーはもう勘弁してくれと、放り投げたい気持ちだった。こんな苦行を続けさせられたら、敵が来る前に自分の神経がり切れてしまう。


 と、その時会議室の入り口にふたりの人影が現れた。シエルとグラフである。

 「妹ちゃん!」

 ブルセボ兄は喜色満面の笑みを浮かべた。席から立って、シエルの方に駈け寄ってくる。シエルは兄を片手で制して言った。

 「ブルセボ兄様は近衛隊とともに、城を出るべきだと思います」

 そうシエルは言うと、きびすを返して会議室を出て行ってしまった。ブルセボはぽかんとしてから泣きそうな顔になった。その場に残された面々は、何とも微妙な表情でお互いを見回した。


 (にしても、どういう風の吹き回しでやすかねえ)

 グラフは前を歩く小柄な少女の後姿を眺めつつ思った。あの時のやりとりからすると、まだまだ復活するには時間がかかると思っていたのだが、もう吹っ切れたんでやすかねえとグラフは考えをあらためた。


 だが、シエルはやはり吹っ切れたわけではなかったのである。心の底に溜まったおりのようなそれを、一時的に遮断しゃだんしていただけのことであった。何せ今度の相手は五倍の戦力差があるのだ。青鬼族オークたちの命を預かっている以上、余計なことを考えて、自ら足を引っ張りたくはないというのがシエルの考えであった。前回の戦いとは違うのだ。

 (義務を果たそう)

 目の前の敵を倒す、それだけに集中しようとシエルは前を見据みすえたのだった。


 ゼカ歴四九九年六月二十八日。転生して二百八十八日目。晴れ。

 第五刻(午前十時)にシラー伯爵率いる王国軍五千名は、続々とカンデラ城南方の草原に侵入してきた。そして布陣が終わると椅子と円卓を設置し、さっそくお茶会を始める伯爵と副将のヘーレン子爵であった。


 これは戦闘前の、貴族としての大切なたしなみである。という余裕の表れ。鷹揚おうような態度を示すことによって味方には自信を、敵には敗北の予感を与えると貴族の間ではそう信じられていた。

 では兵士たちの間ではどうだろうか?

 「まーた貴族様がお茶飲んでるよ」

 「自分で戦わないひとは、余裕だねえ」

 「しいっ、軍人に聞かれると不味まずいからやめろって」

 徴兵された農民兵の間では、あまり好評ではないようだった。常備兵、いわゆる専門の軍人になると、また別の感想があるのであろうが。


 シラー伯爵はカンデラ城南城壁の前に、へばりつくようにしてたむろしている青鬼族オークの群れを見て嘆息した。

 「何とまあ、いくらかなわないからといって、あの態度はあるまいに」

 そう伯爵が言うのも無理はない。青鬼族オークたちはてんでんばらばらに座ったり、立ったり、駄弁だべったりしていて、およそ統率というものが見られなかったからだ。

 隣に座っているヘーレン子爵は遠眼鏡で様子を眺めて、憤慨していた。

 「名誉ある戦いをけがすものですぞ、伯爵。やつらに目に物見せてやりましょうぞ」

 シラー伯爵は、きっちりと整列して待機している手前の自軍を見、その向こうのだらけている青鬼族オークを見てふんとわらった。

 (どうしてあんな連中にライス子爵は負けたのか。せぬな)


 『第一次カンデラ城の戦い』の経緯は、シラー伯爵、ヘーレン子爵ともに聞いていた。本陣に突如現れた皇女によりライス子爵とデドン男爵がまず討たれ、王国軍が混乱したところをあの青鬼族オークたちに突っ込まれて撃破されたと言う。シラー伯爵はライス子爵の葬儀に参列したが、亡骸なきがらの状態が良くなかったらしく、直接の最後の別れは出来なかった。


 「しかし本陣の周りには護衛の騎士もおったでしょうに、ふがいない」

 とヘーレン子爵は自分の周りを警護している騎士を見回してそう言った。シラー伯爵は、ヘーレン子爵がぷりぷり怒っているのを見て、(この男も短気すぎるな)と内心評していた。冷静こそが勝利を導くものだと、伯爵はそう確信していたのである。

 「それにしても、くだんの【首狩り姫】が見えませぬが」

 と遠眼鏡を振りながらヘーレン子爵は言う。シエルは既に【首狩り姫】という二つ名を頂戴していたのだ! まだそんなには広まってはいないようだったが。


 と、その時城門が開いて、城主と思われる人物とそれを守る護衛隊二百名ほどが出てきた。そしてその一群はこちらに向かわずに西側の川の方へと下りていき、あらかじめ用意してあった舟で次々と川を渡って行った。そして彼らは稜線の向こう側に姿を消したのである。

 その一部始終を見ていた伯爵と子爵は顔を見合わせ、もう勝負は決まったようですな、と笑い合った。そしてそれは王国軍全体にも及び、兵士たちに弛緩しかんした空気が漂った。


 カンデラ城の南城壁前でだらけていたグラフとアガリーは、王国軍の緊張がゆるむのを見て、姫様はもう敵の戦意をくじいた、と舌を巻いた。

 グラフはガフに常備兵はどのくらいいる、と聞くとガフは千名くらいでやす、と答えた。アガリーはそいつらを倒してしまえば王国軍は瓦解するなと笑った。

 「おい、王国軍の強さはどう見る?」と、アガリーは隣りに立っているグラフに尋ねた。

 「酷い」とグラフは答えた。 


 グラフは連中がこの草原に入って来たときからずっと見ていたが、農民兵たちはただ並んで歩いているだけで、『協調』というものがまるでないと分かった。間隔もばらばらだし、武器も統一されていない。

 下士官と士官は専門の軍人らしくきびきびとしていたが、いかんせん数が少なすぎる。一部隊千名につき常備兵が二百名、それ以外は農民兵だ。アガリーが言ったように常備兵を狙い撃ちにすれば、農民兵は逃げるだろう。


 それと各部隊の間隔が狭すぎるせいで、前衛が崩れた場合、逃げようとする味方により後ろの陣が混乱すると思われる。まあ、そのように仕向けるわけだが。

 素人からすれば、五千名という武装集団はいかにも恐ろし気に見えるが、あいつらはまるで砂上さじょう楼閣ろうかくだ、とグラフは思った。こちらの表現でいえば『沼地の大木』と言うのだが。


 グラフとアガリーだけでなく周りの青鬼族オークたちも、自分らの相手は大した奴らではないと見て取った。それは自分たちがやらされてきた事や要求された動きから比べて、えらく連中の動きがだらしがないと感じたからだった。

 グラフは、猛訓練の余禄よろくがこんなところに出るとは、と驚いていた。


 と、空きっぱなしの城門からシエルが出てきた。前回とは違い、今度はドレスの上に胴鎧、籠手、甲長靴、そして兜を着けた完全装備であった。手には戦斧赤ひげ。後ろにはシェアラと侍女数名が円卓と椅子、お茶のセットを持ってついてきた。統一された防具のにぶい赤紫色がぼんやりと輝いていた。

 シエルが出てきたのを見て青鬼族オークたちは立ち上がろうとしたが、それをシエルは手で制した。折角相手がゆるんでいるのに引き締める必要はない。侍女たちはたむろしている青鬼族オークたちの前に円卓と椅子を設置し、シエルに座ってもらい、自分たちはその後ろに並んで控えた。


 シエルは持っていた戦斧を側にいたガフに手渡して、兜を脱ぎ、それを円卓の上に置いた。風がシエルの銀髪をさあっと横に流した。お茶会の準備を終え、シェアラがカップにお茶を注いでシエルに渡す。シエルはそれを受け取り、優雅な仕草で口に運んでお茶を楽しんだ。青鬼族オークたちは目の前の姫様の所作に目を奪われ、口を半開きにした。


 「大将、大将」

 と、ガフがグラフに耳打ちしてきた。グラフは振り向いて何だ、と答えるとガフはこれを持ってみてくれ、とシエルから預かった戦斧をグラフに差し出した。グラフは怪訝けげんな顔を見せたが、差し出された戦斧を受け取って表情を一変させた。

 (何だ、この重さは!)

 そのシエル愛用の戦斧は、受け取ったグラフが一瞬よろけるほど重かった。グラフはお茶を嗜んでいるシエルの後姿をあらためて凝視した。

 (あの小柄な身体で、これを振り回すというのか⁉ ありえん……)

 グラフは増々この姫様は途方もないと気を引き締めた。


 やっと出てきた【首狩り姫】ことシエルを見たシラー伯爵とヘーレン子爵は、お互いに顔を見合わせた。そして再び遠眼鏡でシエルの様子をうかがう。その姿は甲冑を着ていなければ、そのまま舞踏会に出れそうな、そんな可憐な雰囲気をかもしだしていた。

 「本当に彼女が【首狩り姫】ですかな?」とヘーレン子爵が言った。

 「ううむ」とシラー伯爵がうなった。

 このふたりは前回の戦いのシエルの活躍を聞き、青鬼族オークのような容姿をした筋肉もりもりの女性だと思っていたのである。そして実際のシエルを見て、間違いなく前回の話は”ほら話”のたぐいであると確信したのだった。


 前回の戦いに参加した兵士曰く、

 「忽然こつぜんと本陣に現れ、ライス子爵とデドン男爵の首を一振りで飛ばした」

 「護衛騎士をひとりで全滅させた」 

 「彼女ひとりにほふられた王国兵は三百人に及ぶ」

 と言うことだったのだが、はっはっはとふたりは笑った。


 劣勢な敵に負けて恥かしいのは分かるが、誤魔化ごまかしにも程がありますな、とふたりは確かめ合ったのだ。それらの話は(三百人という数字を除けば)全て事実であったのだが、首の無い騎士が活躍した話とか、とかく戦場の霧は濃いのであった。

 そのような信憑性しんぴょうせいの薄い噂が飛び交うのが戦場であり、実物を見たシラー伯爵とヘーレン子爵がそう思うのは、なおさらやむを得ないことと思われた。


 シエルは円卓と椅子を片付けさせてお茶会を終わりにした。侍女たちは城の中へ戻っていった。シエルは兜をかぶり、戦斧を受け取った。ガフに渡した筈が、何故か微妙な顔をしたグラフからだったが、まあ良いかとシエルは思った。

 グラフとアガリーに戦の準備をしろと命じ、それに応じてふたりは部下を立たせて整列させた。二列横隊。前列がアガリーの第一部隊で後列がグラフの第二部隊である。わざわざ相手の幅に合わせたのだ。


 「何とも薄い線だ」

 と精一杯自分たちを大きく見せようとする青鬼族オークたちを見て、シラー伯爵は嗤った。伯爵は自軍を四列横隊で一部隊千名、それを五部隊作り、凸形に陣を組んだ。最前列には散開させた十名の魔術師がいる。

 そいつらの魔術攻撃でまず青鬼族オークたちを混乱させ、すぐさま歩兵を突撃させて勝負を決めるのだ。

 負ける要素は何もないとシラー伯爵は配下の軍に進めと命じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る