14 『第二次カンデラ城の戦い』(1)

 ゼカ歴四九九年六月二十五日。転生して二百八十五日目。晴れ。

 ライス子爵軍がカンデラ城に攻めてきて敗退した『第一次カンデラ城の戦い』から三ヶ月余り、王国軍は再び大アマカシ河を渡り、帝国ブルセボ皇子領サントルム地方に侵攻して来た。監視兵の報告によると、前回と同様に攻城兵器は無し、ただし兵数は五千名である。さらに――


 「魔術師……だと⁉」

 報告を聞いた近衛隊長がうめいた。その場の一同は魔術師が十名、王国軍に帯同していることを知って絶句した。勿論もちろん敵戦力としても脅威だが、それよりも以前、シエルレーネ姫が予測した通りの事態になったからである。

 (あの姫さんは、もしかすると”ひと”ではねえんじゃ――)

 アガリーはついそう思ってしまったのだが、隣のグラフは浮かない顔をしていた。


 ここ、カンデラ城の会議室には、前回と同じように城の重鎮が集まっていた。ブルセボ第三皇子、その後ろに控える侍従のシェアラ、家令、近衛隊長、青鬼族オーク部隊長のアガリーとグラフである。

 「ま、まだこないのかなあ、妹ちゃん……」

 そう弱気な発言をらすブルセボ皇子に、長机に両腕を預けているグラフは、おそらく姫様は出て来ないだろうと小さくため息をついた。


 「籠城ろうじょうしかないと具申します」

 と、家令が言った。今回の王国軍は五千名、さらに魔術師が十名ついて来ている。こちらは前回同様千二百名。戦力差は五倍近くに拡がっている。とても野戦でかなう相手ではなかった。

 籠城し、その間に救援要請の使者を出して、援軍が来るまで頑張るのである。しごく妥当な案であった。


 「だが、何処どこに出すんですかい? レメン侯爵は今大変らしいですよ」

 と言ったのはアガリーである。

 ブルセボ皇子領サントルム地方に隣接しているのはレメン侯爵領である。早馬であれば、一日で主都バルダムに到着出来るだろう。王国軍はやはり前回と同じように、ここに三日で到着する筈である。レメン侯爵がすぐに援軍を出してくれれば、一日ほど籠城を頑張ればよい計算になる。


 だが今月半ば頃、つい先日のことだが、王国の首都パラスナ近郊でレメン侯爵軍と勇者軍との間で大会戦があり、レメン侯爵軍は大敗した。それに合わせてパラスナの住民が蜂起ほうきして、パラスナは王国側に解放されてしまったのだ。であるからレメン侯爵軍は王国の地で現在、絶賛敗走中であった。


 「やはりメレドス公爵しかいないのでは?」

 と、近衛隊長がいう。しかしメレドス公爵領の主都ベネターレはここから四十里(百六十キロ)も離れている。救援は間に合うのだろうか。難しいと言わざるを得ない。レメン侯爵領の北部に小領主の領地がみっつほどあるが、レメン侯爵と一緒に王国で敗走中である。


 「いっそのこと、この城から退去しては?」と、アガリーは提案する。

 「戦わずに逃げるというのか!」

 と怒鳴ったのは近衛隊長である。アガリーはやれやれと肩をすくめ、

 「近衛隊の任務は皇子様をお守りすることであって、城を守ることじゃねえんでは」

 と言った。近衛隊長はうむむ、その通りだが、と歯切れ悪く答える。そんな中、ブルセボ皇子が、

 「妹ちゃん、来ないのかなあ」

 とつぶやいて、グラフに頭を抱えさせるのであった。


 シエルは部屋の寝台に、頭から毛布をすっぽりとかぶって横たわっていた。また、どうでも良いという虚無きょむ感がシエルを満たしていたのだ。

 先の戦いでからくも生き残り、あの変な青鬼族オーク叱咤しったされて、何とかここでもやっていけるんじゃあないかと思い始めていたら、亡霊のようなあのふたりがまたり寄って来た。

 シエルはあのとき頭が真っ白になって何を言ったかは覚えていないが、相当ひどいことを言っただろうことは分かってる。その後すぐに自分は奥に引っ込んでしまったが、あのふたりは結構長い時間あそこにいたらしいですとシェアラから聞いた。そしてふたりがふらふらと何処どこかへと行ってしまったことも。


 シエルはどうして今頃になって、という思いだった。最近ではあの声はほとんど聞こえなくなっていたのに。こっちで上手くやれそうだと、やっと前を向いたところだったのだ。

 だが、あのふたりに会ってから、また復活してしまったのだ。そして、あのときのふたりの顔――やつれて、髪はぼさぼさ。目にはくまが出来て、服はぼろぼろ――を見て目をそむけたけど遅かった。

 今度はそのあわれな顔が頭に浮かんできた。

 憎くて、憎くて、それで涙が後から後から出てくるのだとシエルは思った。これは決して憐憫れんびんの情じゃあない。断じて、断じてそうではないのだ。そうシエルは思った。思おうとした。


 ゼカ歴四九九年六月二十六日。転生して二百八十六日目。晴れ。

 グラフは憂鬱ゆううつな気分であった。またあのみのりのない作戦会議とやらに出なくてはならないからだ。あんなことをやっているのなら、外で棍棒でも振っていた方が何倍もましである。と思って隣りのアガリーを見れば、やはり同じようにうんざりとした表情であった。

 結局、作戦といっても逃げるか戦うか、戦うなら籠城か野戦か、野戦ならここで戦うのか王国軍の道中を襲うのか、それしかないのである。そしてその決定を下すべきお方が「妹ちゃん、妹ちゃん」なのだから、いくら議論しても無駄なのだ。


 グラフは会議室に入る直前に、ふと窓の外を見た。すると中庭に見知ったひとの後ろ姿が見えた。ちょうど城門から外へ、ひとりで出て行くところであった。

 (姫様だ!)

 グラフはアガリーにちょっと席を外す、会議は俺抜きで始めてくれと、とまどうアガリーを差し置いて、シエルの下へ向かうべく廊下を走り下りた。


 グラフが城門に達した時、シエルはカンデラ城南側の草原の真ん中にいた。グラフはゆっくりとシエルに近づいた。シエルはグラフの方を振り返りもせずに、地面を見ている。

 そして、「兄様に言われて来たの?」と、前回と全く同じ言葉を口にした。グラフは「いえ、そうではありやせん」とこれもまた同じ言葉を返した。グラフは案外物覚えが良いのだ。シエルは顔を上げてグラフを見て言った。

 「グラフ、われと結婚してくれる?」

 「はあ⁉」


 グラフは目を見開き、取りつくろうことも忘れて間抜けな声を漏らしてしまった。シエルはそれをじいっと眺めていたが、面白くなさそうにぷいっと視線をらすと「冗談よ」とつぶやいた。

 風が吹いて、ふたりの周りの草草が一斉にお辞儀じぎをしたが、グラフの胸はまだどきどきしていた。

 (ひ、姫様もおひとが悪い。青鬼族われらが帝国貴族と結婚したことは今までに無いのだ……)


 シエルは地面を見、王国軍がこの草原に侵入してくるであろう開口部を見、草原の周りの木々と繁みを見てため息をついた。

 「駄目ね。どうやっても勝てない」

 グラフはそのシエルの言葉を聞いてやはり駄目なのか、と肩を落とした。グラフはもしかしたら、姫様なら勝つための作戦を思いついてくれるのではないか、と心中期待をしていたのだ。

 そんなグラフの様子を見ていたシエルは「オーク部隊を全滅させてもいいのなら、話は別だけど」と言った。


 グラフはそれで、ほとんど損害なしに勝つという『虫の良い』作戦を自分が期待していたことを自覚し、恥かしく感じた。グラフらが必死なように、王国軍兵士たちも必死なのだ。生き残るために。

 「王国軍はそんなに必死じゃないわね。特に今回は兵力的に五倍も多い。これだけ兵力に開きがあると、兵士たちは出来るだけ怪我けがをしないように考えるでしょうね。家に帰ってからの農作業もあるし」


 グラフは、今の姫様の言葉には多くの示唆しさが含まれていると感じた。

 農民兵。農民兵は大半が賦役ぶえきの一環としてここに連れてこられている。勿論、やる気のある奴はいるだろうが、大部分は自分の畑の麦のり具合の方を気にするのだ。

 勝っても、損害が多いと農民たちには嫌われる。だから優れた領主は出来る限り徴兵した農民たちを無事に帰すように気をつかうのだ。専門職の常備兵とは根本が違う。


 「だから、連中にはまずそう思わせることが大事」

 ん? とグラフは疑問に思った。今の言葉は何処どこにかかるんだと。どうやっても勝てない、というところか。

 「シラー伯爵とヘーレン子爵には死んで貰うしかない」

 グラフはごくりと喉を鳴らした。姫様がそう言うと、実際にそうなるような気がしたのだ。


 「問題は十名の魔術師ね。どう対応すればよいか――」

 シエルは口に手を添えて考える。そして、顔を上げてグラフに言った。

 「グラフ、青鬼族あなたたちは盾持って走れる? かなりな重量だと思うけど」

 「姫様、あの程度の重さでへばる青鬼族われらなんざいやせんぜ。問題はないです」

 とグラフは答えた。やはり青鬼族オークには走ってもらうしかないと、シエルは結論を出した。


 シエルは隊形を組むこと教えてから、青鬼族オークたちに戦場で走ることを禁じていた。隊形が崩れるからである。隊形を組んで会戦を行う時代の突撃は、足を速めるだけの『決して走らない突撃』であった。映画のように「突っ込め、わー」と言って兵士が走り出すのは、散兵戦術が発展して塹壕が活用される以降の話である。

 この世界の戦闘は、まだその時代まで進化していなかった。

 指揮官たちは部隊の隊形と、命令伝達の維持には最大限の注意を払っていたのだ。だが、それを解禁せざるを得ないかもとシエルは考えたのである。


 「で、どうするんでやすか」

 とグラフが尋ねる。シエルはちょっとの間考えたあとに言った。

 「地面に線を引いて、とりあえず相手の前進を止める」

 「はあ?」

 グラフは、また姫様がわけの分からないことを言い始めたと思った。

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