13 亡霊(2)

 午後になってから、シエルは練兵所に顔を出した。

 年配の庭師が予測したように、上空に晴れ間はあるが黒っぽい雲が増えてきていた。シエルはもしかすると、今日は夕立が来るかもしれないなと空を見て思った。


 現在青鬼族オークたちは総員で押し合いをやっている最中であった。指揮官はグラフとアガリーである。

 シエルは観覧席の最上段の席に座り、そのやりとりを眺めることにした。両軍は五隊ずつで構成されており、それぞれ一隊が一隊に対応して動いている。敵の部隊を自由にさせると、すぐに回り込もうとするから、野放しには出来ないのだ。


 最近の流行はやりの作戦は、わざと一隊だけ奥に引き込んで、集中して叩くというものである。地面に手を着いたら戦死とみなされて戦列を離れなければならない。部隊によっては早いうちに戦死したら、ペナルティを受けなければならないと決めているところもある。おかずを一品抜かれるとか。


 両軍はぐねぐねとからみ合い、蛇のように柔軟に隊形を変化させている。シエルは感慨かんがい深かった。ただ敵に突っ込んで力まかせに押すだけだったあの青鬼族オークたちが、敵をいなし、かわして最適な一撃を加えようと狡猾こうかつうかがっている。

 (変われば変わるものだ)

 とシエルはしみじみと思った。


 青鬼族オークたちはシエルの言いつけ通りに声を出さずに訓練を行っていた。

 これはどういうことかというと、シエルにも良く分かっていないのだが、精強な軍というものはおしゃべりをしないものらしいのだ。謙信公の越後勢とか。

 つまりシエルは謎の御利益にあやかろうとしたのである。それだけのことだった。


 そう考えているうちに勝負が着いた。

 数がある程度減ったところで、アガリーの軍がグラフの軍を押し込んだのだ。ざまあみろ。だがまあ、僅差きんさなので溜飲りゅういんげるには程遠い。しかし青鬼族オークたちも断然、盾の使い方が上手くなっていた。

 集団戦の決着が着いたあとも、さらに数戦、単独での押し合いを行っていた。一隊は百人で、十人組が十個で構成されている。今度は十人単位での駆け引きが行われていた。


 シエルはまた空を見た。黒い雲が大分増えていた。

 シエルはグラフとアガリーを呼んで、雨が降りそうだったら切り上げてよいと伝えた。雨ぐらいじゃ青鬼族オークは風邪を引きませんよとアガリーは笑ったが、いざというときの為に、体調を悪くするような可能性は極力なくせとシエルは命じた。アガリーは大事にしてもらえて幸せです、と言って部下たちの方に向かって行った。


 シエルは観覧席を降り、城に向けて歩き始めた。何故かグラフが後ろからついてくる。シエルは歩みを止めずにどうした、とグラフに声をかけた。

 「姫様には謝らないといけないと思いやして」

 シエルはグラフのその言葉に驚き、足を止めて振り返った。グラフは続けて言った。

 「最初姫様が隊形のことを教えると言って下さった時に、俺が断ったことをです」


 ああ、そう言えばそんなことがあったなと、シエルはおぼろげに思い出した。あれは一回目の『カンデラ城攻略戦』の前だから、三ヶ月以上も昔のことになる。あの頃の自分の希望と絶望の繰り返しを思い出して、シエルは苦笑した。

 「何故今頃になって?」

 シエルは不思議だった。この傲岸不遜ごうがんふそん青鬼族オークが心を入れ替える気になったのが。

 「あの頃の俺は浅はかでした。隊形の何たるかも知れねえのに、知ったような気になって」

 なるほど、確かにあの頃の部隊と今の部隊では雲泥うんでいの差がついている。それに気が付いたわけだ。

 「わかった。謝罪を受け入れる」

 「ありがとうごぜいやす」


 シエルは素直になったこのオークに対して好感を持った。何だ、こいつ実は良い奴じゃないか。シエルは気分が良くなって、グラフに軽く笑って話しかけた。

 「じゃああの戦闘のあとの悪口も謝ってくれるよね? 間違ってましたって」

 そう言ったシエルはグラフが口をつぐみ、そして再び口が開いて、そこから出た言葉を聞いた。

 「いえ、あれは俺が正しくて姫様が悪いです。あれは明らかに姫様の阿呆あほうな振る舞いでやした」

 シエルは頭に来た。阿呆な振る舞いだって⁉ 前言撤回ぜんげんてっかいする、やはりこいつは気に食わない奴だと再認識した。


 シエルは頬を膨らまして眉を吊り上げ、肩を怒らせきびすを返して大股で城の方に向かった。後からグラフがついて来た。

 「ついてくんな!」とシエルが怒鳴れば、

 「いえ、まだ言いたいことがありやして」とグラフがしれっと答える。

 そうしてシエルとグラフが連なって城の玄関から広間に入ったとき、そこには見知ったふたりの姿があった。


 ぼろぼろのなりをしたイェーナとタタロナであった。


 「な……んで……」

 その姿を見た瞬間、呆然と立ちすくんだシエルに、イェーナとタタロナは近づき、いつくばった。そして喉から絞り出すような声でイェーナが言った。

 「姫様に一言謝りたくて、ここに参りました……」

 その一言のあとは、広間に誰も言葉を発する者はいなかった。シエルとグラフ、イェーナとタタロナ、玄関に護衛役の近衛兵がふたり。


 突然、雷鳴がとどろいた。ごろごろと、重低音の響きが続く。

 イェーナとタタロナは頭を床に着け、微動だにしなかった。シエルの身体がかしいだ。後ろのグラフが慌ててそれを支える。

 シエルは目の前のふたりを見た。見る影もない姿。目は落ちくぼみ、頬はこけ、髪はぼささ。その上、ひどい悪臭だった。

 シエルはそんなふたりから目をそむけた。


 「……許す」

 その小さなつぶやき声に、イェーナとタタロナは勢いよく顔を上げた。その表情は喜色に染まっていた。

 「お前たちが……継母ははの命令でわれの命を狙ったことは……許す。だから――」

 震える声でシエルはふたりにそう言った。そのとき、シエルを後ろで支えていたグラフは、ぎりっ、という歯ぎしりの音をはっきりと聞いた。

 「――だから、もうわれの前に二度と姿を現すでない。ではな」

 シエルは静かにそう言うと、グラフの手を払ってふたりの横を通り過ぎようとした。

 「お待ち下さいっ! 私どもはもう一度、姫様にお仕えしたいのですっ」

 イェーナがシエルの方を向いて言った。タタロナはイェーナが自分のことを「私」なんて言うのは初めだと思った。


 「断る。他を当たれ……」

 シエルは足を止めていたが、ふたりに目を合わせずにそう言うと歩きだそうとする。

 「お願い致します。何卒なにとぞっ!」

 イェーナは食い下がった。グラフはまた、シエルから歯ぎしりの音を聞いた。

 「もう一度言う。他を当たれ」

 グラフはこの姫様の底冷えするような声を初めて耳にした。

 「お願いします。お願いします」

 イェーナは必死だった。おそらくこれが最後の機会だと分かっていたから。


 急に辺りは暗くなり、窓の外でぴかっぴかっと何度か雷光が光った。シエルは小さく息を吸ってから言った。

 「そんなにわれに仕えたいのか……」

 「はいっ!」

 シエルの言葉にイェーナは勢いよく答えた。タタロナはそのシエルの声色こわいろに、何か不安を感じずにはいられなかった。「わかった」とシエルが答えたときも、イェーナのように素直に喜べはしなかった。

 だがイェーナは、これでまた前のように三人でやっていけると思って嬉しくなっていたのだ。


 「では――」とシエルが振り向いたとき、雷が落ちた。その目は冷たくふたりを見据みすえた。

 イェーナは今初めてシエルの目を見たのだが、自分たちのことを全く許していないのに、やっと気が付いた。タタロナはふたりを直視できずに目をつむった。 

 「お前たちはひと知れず野垂のたぬがよい。よいか、しかと申し付けたぞ」

 そう言うとシエルは二度と振り返らずに、グラフを連れて城の奥へ消えていった。

 残されたふたりは絶望した表情で、シエルが消えていった通路をぼんやりと眺めるのみであった。


 ぽつりぽつりと水滴が落ち、ほどなくざああっと勢いよく降ってきた。

 シエルは自室の前まで来て、後ろの青鬼族オークに言った。

 「何時いつまで付いて来ておる」

 「は」とグラフは答え、その場にとどまった。シエルは扉を開けて中に入り、ばたんと閉めた。

 グラフは通路にひとり残されたが、これからのことを思うとため息をつかざるをえなかった。

 今来た通路を戻りつつ、グラフは考えた。


 (おそらくあのふたりは姫様にとって大切な者だった筈。しかし皇后様の命令には逆らえず、姫様を暗殺しようとした。だが、それは失敗して姫様はここに逃れてきた。あのふたりは皇后様に失敗をとがめられ、今のような状態になった。姫様はふたりに裏切られた形になったわけだ)


 はああともう一度グラフはため息をついた。グラフはシエルの情緒が不安定なわけが分かったような気がした。誰だってちかしい者に裏切られたら、不信におちいるだろう。

 (こんな事誰にも喋れやしない)

 あそこにいた近衛兵ふたりも話を聞いていた筈だが、連中は慣れているから喋らないだろうとグラフは思った。いや、帝族の身近に仕える近衛兵は、意図的にたっときお方たちの言葉を遮断しゃだん出来る、という嘘か本当かわからない噂をグラフは聞いたことがあった。「そんな馬鹿な」とそのときは思ったのだが、全く顔色ひとつ変えない近衛兵を見て、もしかするとそれは真実なのかもとグラフは思い直したのである。


 そのうちにグラフは玄関の広間の端に着いた。あのふたりはまだそこにいた。グラフは見つからないように様子をうかがう。どうやら姫様に執着していた有翼族の方が立てないようだった。狐人族の方はそれをなだめて立たそうとしている。

 五指ほど経って、ようやく有翼族が立った。それを狐人族が支えて玄関を出て行く。

 外は土砂降りだが、ふたりは構わずにそのままその中をふらふらとして、いなくなってしまった。


 グラフがふたりのいたところを通ると、水たまりが出来ていた。有翼族が流した涙であろうとグラフは思い、いたたまれなくなってその場を離れた。玄関先のひさしの下で十指ほど待っていると、雨がゆるやかになってきたので走って兵舎に向かった。

 兵舎に入ると全員が中にいた。誰も濡れておらず、グラフだけが身体から雨水をしたたらせていた。雨の中訓練ご苦労さんとアガリーにからかわれた。


 翌日からシエルの引き籠りが再開した。また部屋から出て来なくなったのだ。

 「姫さん、顔みせねえなあ」

 というアガリーの疑問にもグラフは答えようとはしなかった。

 グラフは何とか早く姫様には復活してもらいたいと思い、その間は何も起こらんでくれと願った。が、それはかなわなかった。


 シラー伯爵率いる王国軍五千名が、再びブルセボ領内に侵入してきたのだ。今度は魔術師をともなって。

 『第二次カンデラ城の戦い』は、こうして始まった。

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