11 教練(2)

 次の日、やることは昨日と一緒である。昨日合格点を出した者もまた走らせ、あらためて基準に達したらその教練を免除するのである。やはり最初に抜けたのは、例の四人であった。シエルはグラフがしれっとした顔で抜けたのを見て、思わずちっと舌打ちしてしまった。

 シエルは合格点を取った組には、急に止まるとか、方向転換などをやっておけと言っておいた。いずれやることになるだろうから、早いうちに慣れさせておくべきだと思ったのだ。


 二日目の合格者は五分の二に増えた。順調に増えればあと三日で終わる計算だが、そうはならないだろう。

 ぽつりぽつりと先の戦いで怪我けがをした青鬼族オークが復帰してきた。彼らは今行っている教練を見て全員が面食らっていたが、さっそく同じように始めさせた。グラフは全くの無言で、シエルの言うことに唯々諾々いいだくだくとして従っていたが、シエルは何かたくらんでいるんじゃないかといぶかった。

 実はグラフは興味を持っていたのだ。シエルの行わせるこの教練は、一見何の役にも立ちそうにない。だが、何か自分らを変える可能性があるのではと見て取ったのである。


 全員が二人組の行動で合格点を取ったのは十日後であった。それこそ朝から晩まで、日がな一日こればかりやらせてこの日数だったが、習熟が早かったのか遅いのか、やはりシエルには判断がつきかねた。

 「ようし、この二人組の教練はこれで終わりである。皆、よく頑張った」

 とシエルは褒めた。青鬼族オークたちはやっとこのわけのわからない訓練から解放されると思い全員が喜んだ。次の瞬間までは。


 「では、次に四人組んで同じように紐で結べ。要領は二人組のときと一緒だ。出来たら練兵所の外周を走り始めろ。よし、はじめっ!」

 青鬼族オークたちはまたしても一様に絶望的な表情を浮かべた。また同じことをやらされるのだ。今度は四人で。難易度はさらに上がった。


 そんな中でアガリー、グラフの四人組はあっさりと課題をこなした。彼らは掛け声とリズムが重要だと知ったのだ。シエルは全く面白くなかったが、教練を抜けさせて指導の方にまわれ、と四人に言った。四人はそれに従った。


 四人組の協調行動は、難易度が上がったにもかかわらず五日で終わった。全員がこつを飲み込んできたのだ。シエルはさらに人数を増やした。四人から八人。八人から十六人。十六人から三十二人。三十二人から六十四人へと。

 ふたりで出来ない動作は、絶対に四人では不可能である。四人で出来ない動作は、八人ではさらに無理なのだ。部隊とは、個の集合体である。全員が『協調する』ということを覚えなければ、本当の意味での単一行動はとれない。


 シエルは青鬼族オークたちは何とか、『協調』の意義を覚えたかなと思った。だがその力を実感するのは実際に戦ったときである。『協調』が進化すれば『連携』になるのだ。

 シエルはこの協調行動を百人まで増やした。それを十組作った。五百人を一部隊として五百人長をふたり任命した。アガリーとグラフである。次いで百人長を十名任命し、それぞれに百人を指揮させた。

 もう紐は使っていなかった。


 百人の大柄な男たちが肩を並べ、横隊を作ると、長さは八十歩近くになった。命令を端から端までいきわたらせるために楽器を使った。前進、後進、左右方向転換、進め、止まれ。全ての音を定めて全員に周知させた。

 また一列横隊から二列横隊、横隊から縦隊への隊形変換を習熟させた。それに対応させるために十人組と十人長を決めた。

 一隊で一辺を形作る方陣も覚えさせた。シエルは王国軍が騎兵をあまり重視していないと分っていたが、それへの対応策を知っておくことは無駄ではないと思ったのである。

 所属部隊にかかわらず、手近な者たちだけで隊形を組むこともやらせた。予測しえない状況というものは必ず起きるのだ。ただその際にも二人組だけは絶対に崩さないよう徹底させた。


 二隊を向き合わせて押し合いをさせた。後方に線を引き、そこまで下がった方が負けだという訓練である。十隊総当たりで順位を決めた。一位になった隊には晩飯の酒の配給を少し増やした。それだけで青鬼族オークたちはやる気になったらしい。訓練に対する熱が上がった。

 また、綱引きもさせた。これは全員が同時に力を入れるという訓練である。同じように総当たりで順位をつけ、また一位の隊には食事の品をひとつ増やした

 これもまた青鬼族オークたちにやる気を起こさせた。


 それとは別に二隊対二隊、三隊対三隊などの複数隊での訓練も取り入れ、最後はグラフとアガリーの五百人対五百人での訓練を行わせた。これは武器を使わないだけの完全な模擬合戦で、側面攻撃、後方にまわりこんでの包囲攻撃も可とした。正面から押し合っている分にはいい勝負だったのに、横から攻撃されるとあっさり崩されてしまう。それを全員が自分の身体を通して学んでいくのだ。


 そのため両部隊とも相手の側面を取ろうとする、遊弋ゆうよく運動が盛んになった。そして横に薄く伸びたところを裏をかいて戦力を集中し、中央を食い破るという戦術が開発された。シエルが教えたわけではない。青鬼族オークたちが勝つ為に、自分たちで考え出したのだ。


 グラフとアガリーの駆け引きは一日毎に洗練されていった。また部下も指揮官の意図をよく理解し始め、今度はこういう風にするつもりだなとか、相手の動きから奴らはこうするつもりだとか、行動を察知するようになった。そのため終いにはお互いの力も均衡きんこうしているせいか、なかなか決着がつかなくなったのである。


 青鬼族オークたちに二人組を組ませ、足を紐に結びつけて走らせてからふた月が経過していた。暦は既に六月に入っており、季節は初夏になっていた。

 暖かい風が南から吹いてきて、油断すると睡魔に簡単に屈してしまいそうな、そんなぽかぽかとしたある日に、大量の荷物がカンデラ城に届いた。馬車数十台分である。送り主はメレドス公爵で、シエルが以前頼んでおいたものだった。


 包みを開けると、青鬼族オーク用に大きく仕立てられた上質の革鎧、兜、籠手、長靴の防具一式が千人分、大盾と呼ばれる大柄なオークでも全体が隠れるような長さ一・八メートル、幅六十センチの盾が千人分、モーニングスターと呼ばれる、金属の柄の先端に棘付きの鉄球がついている武器が千人分送られてきた。


 (間に合った)とシエルはほっとする一方で、グラフとアガリーに配下の全員にこれらを配るように言いつけた。青鬼族オークたちは上等な武器防具に目を輝かせた。真新しい革の防具は香ばしいかおりを辺りに漂わせ、きらきらと光る星型の武器は頑丈そうで、簡単に敵を粉砕しそうである。


 だが、このでかい大盾には面食らった。青鬼族オークは伝統的に盾を持った戦い方をしないのである。

 シエルはグラフとアガリーに、大盾だけを持たせた押し合いを訓練しろと言いつけた。大盾を自由自在に扱えれば、それだけで武器になるのだ。事実大盾に肩を押し当てたショルダーアタック、大盾でそのまま殴りつけるシールドバッシュはかなりの打撃力のある攻防一体の技である。

 またモーニングスターを密集した状態で使うための訓練も行った。このような状態だと上から叩くか突くしかない。同士討ちをしないように慣れさせつつ、武器の扱いに練達れんたつさせるように命じた。


 それと、とシエルはグラフとアガリーに、自分たちで考えた訓練方法があれば試してもよいと言った。自立と発想である。そう言ってシエルは城に引っ込んだ。グラフとアガリーはお互いに顔を見合わせた。

 「姫様は、これ以上に何か考えろって言うのか」

 「くく、今でも十分に鍛えられたのに、もっと強くしろってことだな」


 ふたりの青鬼族オークの指揮官は、わずか二ヶ月で自分らの部隊が見違えるように強くなったのを感じていた。そして以前とは比べようもないくらいに部下が自由自在に動くのだ。そして模擬戦が部隊の動きを洗練させる。

 と、引っ込んだと思ったシエルが再び顔を出して二人の青鬼族オークに言った。

 「以後うちの部隊では【咆哮ウォークライ】は禁ずる。ちゃんと命じたからな」と言いつけてまた引っ込んだ。

 グラフとアガリーは【咆哮】はわれらの強力な武器なのに、何故使っちゃいかないのか、理解出来なかった。


 【咆哮】は青鬼族オークの種族スキルで、雄たけびを上げると自軍の士気が上昇し、敵の士気が下がる効果を持つ。攻撃力は士気に比例するので味方の攻撃力は上がり、敵のは下がるという重要な効果が付加するのだ。それを何故禁止にするのか。

 「相変わらず姫さんの言うことは分かんねえな」

 「まあ姫様だからな」

 で、済むようになってしまったふたりの青鬼族オークは、完全にシエルに毒されたといえる。


 部屋に戻ったシエルは、荷物とともに送られてきたメレドス公爵の手紙を読み、苦笑した。今度是非また当家へ泊ってくれというのだ。

 その際はうちのアスカルと特に仲良くして欲しいと書いてあった。シエルはその裏を読み取ってみた。

 (つまりダンディ親父は、われをアスカルの嫁にしたいと、そういうのか。何とも気の早いことだ)


 シエルの読み通りメレドス公爵は、自分の息子に第一皇女をめとらせたいと思っていた。幸いシエルレーネ姫はイゼルネ皇后から目のかたきにされていたので、どの貴族もお近づきになることに二の足を踏んでいたのだ。

 だが、王国との戦争がすんなりと済まないことを予見したり、冒険者ギルドなどという普通の貴族は寄り付きもしない組織に着目したりと、皇女様は実に柔軟な思考を持っていると公爵は判断したのだ。


 さらにメレドス公爵には最も重要なことに、妻のレレアンヌと娘のオルフィナがシエルレーネ姫のことを気に入っているのだ。

 この話をふたりにしたら、手放しで賛成してくれた。ウルグルド帝室とメレドス公爵家のつながりが集中して、他の貴族から非難されるかもしれないが、メレドス公爵はそんなことは全然構わないと思った。


 ふう、とシエルはため息をついた。今回の頼み事は結構高くついたな、とシエルは思った。だが、今のアスカルではまだ駄目だとシエルは思った。

 (”ガリゴリ君”が、”リッチガリゴリ君”ぐらいにならなくてはな)

 と、わけの分からないことを考えていたのである。

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