9 『第一次カンデラ城の戦い』(3)

 シエルは周りに死体が山となって、自分は今、あり地獄の底にいるのだと思った。その証拠に王国兵が死体の山のへりから顔を出したら、自分はその顔面に槍を突きこみ、殺す。しかしそれにも関わらず、王国兵は近づいてこようとしている。


 自分はアリジゴク、王国兵は蟻。蟻は仲間が死んでも気にしない。どんどん蟻地獄に寄ってくる。今度は三人が同時に姿を現す。槍でシエルを殺そうと構える。遅い、とシエルは思った。三回突いて、三人を倒した。倒された三人は、仰向けになって同胞の死体の斜面をずるずるとすべり落ちてゆく。

 その光景を離れて見ていた王国兵の一人は、どうして一度の突きで三人が倒れるんだ、と疑問に思った。


 シエルはこれではきりがない、穴から出ようと思い、死体に足をかけた。ぐにょり、という感触が足の裏から伝わった。は決して心地よい感覚ではなかったが、自分がを生み出したという事実から、仕方がない、許容しようとシエルは思った。

 あまりにも数が多くなり過ぎると、個々の形がぼやけてくる。結局最後は大きなかたまりが、ただぼんやりと頭に残るだけだとシエルは理解した。


 死体に手を掛け、よじ登る。身体が重い、相当に疲れているんだなと、それでもシエルは身体を動かし、遂に山の上に出る。足下あしもとには死体の山。そして周りには血走った目の王国兵が全て、こちら一人を睨んでいる。その後ろで王国兵とみ合っているグラフと、ふと目が合った。そんな素振りは見せようとしないが、何かとこちらに気を掛けてくる、思えばおかしな青鬼族オークだったなとシエルは笑った。


 戦斧バルバロッサを構えようとして、シエルはふと両手に重みを感じた。見れば槍の穂先に、木の枝に引っかかっていたデドン卿の首が刺さっていたのだ。シエルはやむなし、とその首を王国兵の群れの中に投げ入れる。

 そして騎士たちの屍の下に、微笑を浮かべたライス子爵の首があったので、これも「失礼」といって槍ですくい取り、兵士の中へ返してやる。

 これで良し、ではと戦斧を構えた直後に王国兵がいっせいに悲鳴を上げて散り散りになった。


 グラフは、倒しても倒しても兵の減らない王国軍に対して、絶望を感じていた。青鬼族オークと人間が一対一で戦えば、青鬼族オークが勝つ。平均すると、三人までは相手に出来るはずだった。だが、集団になると人間は、途端に粘り強くなるものだということをグラフは良く知っていた。

 あの姫様の、どうして隊形を組まないの? という問いかけに対して自分はどう答えたのか。


 青鬼族オーク窮屈きゅうくつなのを嫌い、命令されることをいとう。だから、屈強なわりにはあまり貴族から求められないのだ。ホロドドの森からグラフが連れてきたのは、比較的言うことを聞く者たちだった。昔はそれで通用していたかもしれない。

 だが、周りの他の種族の奴らが、どんどん帝国に引き上げられていくのに対して、青鬼族オークは昔のままだった。取り残されると焦ったからこそ、頭の柔らかい連中を引き連れてグラフは森を出たのだ。アガリーも同様の理由からだった。

 まさか同じ殿様に仕えるとは考えてもいなかったが。


 そうしてやってきた現在、グラフはここで自分は死ぬのか、と思った。よく周りをみていれば、帝族ふたりに囲まれていたのだ。今更ながらに、という言葉が頭によぎる。自分は実に幸運な場所にいたのに、生かしきれなかったのだ。

 姫様は死ぬ。俺も死ぬ。

 グラフは、自分を信じてついて来てくれた者たちに、申し訳なく思った。


 その姫様が屍の山から這い出てきた。を量産したのがあの少女だというのが、いまだに実感が湧かんとグラフは思った。一瞬、その少女と目が合った。グラフはその目に見覚えがあった。大体が年寄りで、戦場で名を成さしめた者たちが、最後に見せるあの目だ。


 それは、死に場所を得た者の、満足した目だった。  


 グラフは咆哮ほうこうした。

 だが、そのおたけびは、より質量を含んだ叫びにかき消された。王国兵がいっせいに悲鳴を上げ、逃げだしたのだ。

 あっという間だった。

 あれだけ自分の周りに群がっていた王国兵が、きわめてわずかな間に消えてしまったのだ。グラフは、荒い息を吐きながら尻もちをついた。見れば自分の部下たちもみな、地面に座り込んでいた。短い戦闘だったが、厳しく、密度の濃い時間だったのだ。


 王国軍の指揮官らしき初老の男が、敵の貴族の首の前で呆然ぼうぜんと膝をついている。その首は、逃げる王国兵に踏まれて、めちゃくちゃになっていた。

 グラフは視線を移し、目的の人物をとらえる。疲れた身体を起こしてその人物に近づく。少女は振り返らず、ただ海を見ていた。グラフは少女の前面に回り込み、ひざをついて目線を合わせ、その太い両手で少女の華奢きゃしゃな両肩をつかんだ。そして少女の目をのぞき込んだ。少女の焦点が海からこちらに向いた。


 シエルは、グラフが近づいてきたのに気付いてはいた。しかし、どうでもよかったので、そのまま海を見ていたのだ。グラフは背後で止まるかと思いきや、自分の前に現れて膝をついた。

 シエルは、正直言って海を見るのに邪魔だからどいて欲しいと思ったが、グラフがどきそうもないので自分からその場を動こうとしたら、肩をつかまれた。そこでシエルは仕方なく、グラフに向き合うことにした。

 この青鬼族オークに、ここまで自分の目を見られるのは初めてだなとシエルは思った。そしてグラフが、何か言いたそうにしているのでそのまま待っていたら、グラフの口がようやく動いた。


 「何を考えているんですか! 貴女あなたは! 正気ですか! 敵の真っただ中に飛び込むなんて! 生き残れると思ってたんですか! ありえませんよ! こんなこと! いいですか、姫様! 二度とこんなことはしないで下さいよ! こちらの身にもなって下さいよ! 実に迷惑です! 本当に迷惑です! 骨の髄まで迷惑です! たまったもんじゃないっ!」


 シエルは目をまたたいた。何を喋るのかと待っていたら、グラフの口からは文句が出てきた。え、なにこれ、ここはめるか称賛するところじゃないの? 何でわれが怒られなくちゃならないわけ? おかしいでしょコレとシエルは思ったが、さらにグラフは続けた。


 「ご不満そうですね? 褒められると思いましたか? 馬鹿ですね、貴女は。ええ、全くの馬鹿です。あんなことやって褒められるわけないでしょうが! ちょっと考えれば分かるでしょ? え、分からない? 本っ当に大馬鹿ですね! 貴女は! 何考えてるんですか! 考えてますよね? 考えてないんですか? その頭はかざりですか? かざりですよね、何も考えてないんですから! 全く。え、なんですかその顔は。まだわからないんですか。間抜けですね! ええ、そうです、あなたは間抜けですよ! ま、ぬ、け、です。何度でも言いますよこの大間抜け! 抜け作!」


 あまりの罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせられたシエルは、その言葉の鉄拳を頭に受けて思わずのけ反った。怒りが沸騰ふっとうしきると、目の前がちかちかして真っ白になり何も見えなくなる、耳はきーんとして何も聞こえなくなる、ということをシエルは自分の身をもって知った。知りたくもなかったろうが。


 しばらくして、シエルが視力と聴力を回復したときにもまだ、グラフは悪口を言っていた。言い続けていたらしい。

 シエルは足下に転がっていた、こぶし大の石を拾い上げ、すぐ目の前の青鬼族オークに思い切り投げつけた。それはシエルの高い筋力値の補正を受け、素晴らしい速さでグラフの顔面に向かっていったが、この不遜ふそん青鬼族オークの腕の一振りで、海の方へ飛んで行った。

 グラフの悪口もやみ、辺りに静寂が戻ってきたころ、遥か遠くのみなもでぽちゃんという間抜けな音が聞こえてきた。


 シエルは目の前の青鬼族オークを両手で突いて尻もちをつかせ、馬乗りになってグラフの頭をぽかぽかと叩き始めた。グラフはその少女の乱暴を、あえて受けていたが、その少女の目に涙が浮かんでうるんでいるのを見て、

 (ああ、姫様が戻ってきた)

 と安心した。


 青鬼族オーク第二部隊の面々は、ほとんどの者が傷つき疲労していたが、自分の大将が少女に向かって悪口を言い始めるのを見て驚いていた。

 単身敵中に潜み、奇襲をかけて敵の貴族を倒したあと、悪鬼のごとく王国兵を斬りまくって、遂には王国軍を退かせたあの姫様は、まさに英雄の為業しわざと言っても言い過ぎではない。

 その英雄を自分たちの――普段はまったく寡黙かもくな――指揮官がののしっている。その風景にガフをはじめとした一同は、「称賛するところじゃないの⁉」と、呆然として二人を見ていた。

 そして頭にきたらしい姫様が、グラフを押し倒して馬乗りになって叩くところを見て、これはこれで良いんじゃないか、と思うようになった。英雄と呼ぶよりこの姫様には、この方がふさわしいんじゃないのかと。


 カンデラ城の城壁で、事の成り行きを見守っていたブルセボは、王国軍が撤退し、妹のシエルレーネが生き残ったのを見て奇声を上げ、狂喜した。そしてシェアラを伴って城壁の階段を下り、妹を迎えに行くべく城門を出て行った。


 第三皇子のかたわらにいた青鬼族オークの第一部隊長のアガリーも、口を開けてそれを見ていたが、突然ばたんと倒れると、腹を抱えて大笑いしはじめた。そのうち、ごろごろと転がりながらも一向に笑うのを止めないので、アガリーの部下たちは、

 「うちの大将、気が変になっちまったんじゃ」

 と不安になっていた。そんな部下の心中など構いもしないアガリーは、自らの身の振り方について、ひとつの決意を固めていた。

 (最高だ、最高だよ、姫さん! 最高だ。俺は決めた。姫さん、あんたに付いて行くってね。姫さん、俺を使ってくれ、使って使って使い倒してくれていい。そして俺と青鬼族オークを引き上げてくれ!)


 こうしてシエルの初陣である『第一次カンデラ城の戦い』は終わったのである。

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