8 『第一次カンデラ城の戦い』(2)

 シエルは困っていた。誰も自分に気づいてくれないのである。

 護衛の騎士たちは、いまだに円陣の外側を鷹のように鋭い目つきでねめまわしていた。魔石ポットを持って立っている侍従は、目を見開いたまま彫像のごとく動かない。

 (困った)

 あまりにも困ってしまったシエルは、侍従が持っている魔石ポットについて、考えることにした。


 魔石ポットは火属性の魔石を使ってお湯を沸かす、すぐれた魔道具である。ごく小さな魔石でも良いため、コストパフォーマンスにすぐれ、値段も安いので、庶民の間でも広がっている。

 わーーーという声が聞こえた。青鬼族オーク達が突っこんできたらしい。来なくていいのに、とシエルは思い、魔石ポットについての考察を続けた。

 貴族が持っている魔石ポットは熱伝導率に優れた金属を使っているものが多い。大抵は二重構造になっており、内側の壁は熱し易く、外側の壁は冷めにくい材質でできている。さらに火属性の魔石だけでなく、水属性の魔石も備え付けたタイプがあり、これはポットの中で水を産出し、その水をさらにお湯にするという画期的製品で――


 王国軍三千名は、千名ずつ三段に分かれて布陣していた。本陣に近い部隊がより熟練した兵士が配され、その初老の千人長は青鬼族オークの部隊が突撃してきたのを見てつぶやいた。

 「馬鹿め。五百人程度で突っ込んできやがって。皆殺しだぞくそったれどもめ」

 勝利は決まったようなものだったが、千人長は一応指示を仰ぐために、後ろを振り向いた。護衛の騎士たちがこちらを見下すようににらんでいる。

 (嫌なやつらだ)と、件の千人長は思った。その円陣の中に我が主と、デドン男爵と、ポットを持った侍従と汚れたドレスを着た少女が立っていた。

 (ん?)と千人長は目をしばたいた。我が主の顔が良く見えない。初老の千人長はあまり目が良くなかったのだ。


 千人長は本陣へ歩みよった。円陣に達したところで騎士に留め置かれた。

 「御身おんみの持ち場は向こうであろう」

 御身とは、また皮肉ないいまわしだ、と千人長は思った。

 「魔族どもが攻め寄せてきたので、わが主に指示を仰ぎたい」

 千人長はそう言ったが、騎士は、そんな判断すらできんのか、というさげすみの目を向けてきた。そしてふんと鼻で笑い、しばし待てといって後ろを振り向き、固まった。


 千人長は何をしてやがると、あらためて声を掛けようとしたちょうどそのときに、その騎士が絶叫した。

 「ああああああああああ!」

 王国軍の兵士全員が、反射的にその声の方向に振り向いた。それはグラフの青鬼族オーク第二部隊五百名が、王国軍前衛部隊千名とまさに接触する寸前のことであった。


 「ああああああああああ!」という絶叫を聞いたシエルは、やれやれやっとかとほっとした。魔石ポットの考察が終わったら、次は何にしようかと悩んでいたところなのだ。

 一人の騎士が剣を抜いて突っ込んできた。シエルが戦斧を軽く払ったら、その騎士の首が飛んだ。その両脇にいた騎士も雄たけびを上げて、同じように突っ込んできたので、戦斧を二振りしたら首が二つ飛んだ。


 シエルは勝負にならない、と思った。戦斧と長剣ではリーチが全然違うのだ。もっと速く踏み込まないと、さもなくば一斉に飛び込んでこないと全然「われには届かない」とシエルは思った。

 といっても、重装の金属鎧に身を固めた騎士には、それを言うのはこくだろうとは思う。アレは着込んでいるだけで消耗するぐらい、かなり重い代物だ。それに加えてこの戦斧、鎖だろうが板金だろうが、兜だろうが首鎧だろうが、かかわり無しになんでも断ち切る、斬れてしまう。あはは、とシエルは笑う。


 確かに能力値の恩恵は絶大で、おかしな武器もこの手の内にある。だが、一振りごとに腕が重く、鈍くなっていくのが分かる。疲労は無視出来ないのだ。

 自分の周りには、自分がたおした騎士達のむくろが折り重なるように横たわっているが、いずれそれらによってわれも身動きが出来なくなり、こやつらと同様に首を取られるであろう、と戦斧を楽しそうに振り回しながらシエルは思った。そのときが待ち遠しい、とも思い、王国歩兵がいっせいにこちらに向かってくるのを見て、そう遠くない未来にそうるだろう、と満足した。  


 千人長は、奇声を上げながら突っ込んでいった騎士の首が、宙に飛ぶのをみた。さらに二人の騎士が、その少女に向かって行って首をねられた。

 首とはあんなにも高く飛ぶのか、と千人長は妙に感心したのだが、高慢な騎士たちが甘いものに群がるありのように、少女にたかり始めた。

 しかしそれは果たせずに、少女の腕が一閃すると、まるで糸の切れた人形のようにくたりと身体が崩れ落ちるのだ。少女がまた振るう。くたり。今度は二人だ。くたりくたり。

 みるみるうちに、少女の周りにしかばねが山のように積み重なっていった。


 千人長は痛快だった。あの少女がいけ好かない騎士どもを一掃いっそうしてくれたのだ。千人長の副官がそばに寄ってきて、突撃させます、と言ってきたのでうむとうなずいた。配下の歩兵たちが、死んだ騎士たちを踏みつけながら少女ににじり寄っていく。

 平民が士爵位の騎士を足蹴あしげに出来るなんて、「痛快だ」と、思わず千人長は口に出してしまっていた。


 グラフは接敵の直前に絶叫が響き渡り、王国兵の気が一瞬れたのを逃さなかった。そこに付け込めるとみたグラフは瞬発的に部下を体当たりさせ、体格と重量差を最大限に生かして、王国軍の前衛を押し倒した。倒した兵は踏みつぶすだけにとどめ、配下にどんどん浸透しんとうしろと叫んだ。

 ひたすら奥へ、ひたすら姫様のもとへ。まとわりつく王国兵がわずらわしいと腕を振るった。四、五人が吹っ飛んだようだった。


 王国兵は三つの隊に分かれており、前衛の部隊はほぼ壊乱させたが、後の二部隊は整然としている。ただ後ろが気になるらしく、ちらちらと振り返る兵がおり士官に怒鳴られている。出来る限り壊走した前衛の王国兵を第二陣の方にけしかけるようにはしているが、どれほどの効果があるだろうか、とグラフが見ると、姫様の周りに王国歩兵が群がり始めた。グラフは、やばい、間に合わねえと焦り始めた。


 城壁の上で、目の前の戦いを観戦していた第三皇子ブルセボは、遠眼鏡でシエルが敵の真ん中に取り囲まれるのを見て、動揺していた。そして思わず周りの者に声をかける。

 「いっ、妹ちゃんが殺されちゃう! シェアラ! アガリー!」

 「落ち着いて下さい、あるじ様――」

 「あ、ああ、駄目だ駄目だ、アガリー!」

 「手遅れでやす、殿様」

 「そ、そんな」と膝をつくブルセボの隣で、アガリーは冷静に今までに起きたことを分析していた。


 グラフの部隊が突撃に入ったとき、最初はあの野郎何をとち狂ったのかと思ったが、敵の本陣ではすでに指揮官の首がられていたわけだ。アガリーには何故あの姫様があの位置にいたのかはよく分かっていなかったが、敵をあざむいたことだけは分かった。

 その後奇妙な空白があったが、騎士に発見されて戦闘に入った。あのとき、とアガリーは思った。敵の騎士が変な声さえ上げなければ、王国軍にとっては楽な戦であったろう。グラフはそれに上手く付け込んで敵の前衛を敗走させた。そして今第二陣と接触した。グラフにとっては今度はかなり厳しい戦闘になるはずだ。

 (何もなければ)とアガリーは結論付けた。


 本音を言えばあの姫様の武力を甘く見てた、あれほどの力を持っていると、あらかじめ知っていれば、自分も協力したろう、とアガリーは思った。自分がいれば今頃王国軍は壊走し、追撃戦に入っていた筈だった。

 だが先ほど殿様に言ったように、今から自分の部隊を集結し、向こうに向かわせようとしても、もう間に合わない。姫様は首を打たれ、グラフの部隊は潰滅かいめつする。

 そして王国軍は――撤退するだろう。

 アガリーはこの自分の見立てに一定の満足感を得た。

 アガリーはただ眺めていればいい、それだけで良いと思った。

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