7 『第一次カンデラ城の戦い』(1)

 ゼカ歴四九九年三月二十一日。転生して百九十七日目。晴れ。

 王国軍、領地内に侵入す。その報告が上がってきたのは、ちょうど朝食を終えたくつろぎの時間だった。国境を監視していた警備兵が、多数の王国軍が大アマカシ河を渡っているところを発見したのである。

 「兵数はおよそ三千。指揮官は紋章よりライス子爵、デドン男爵」

 うむむとブルセボがうなった。このカンデラ城には近衛兵二百名、青鬼族オーク部隊が千名の合わせて千二百名しか兵力がいない。王国軍は国境の大アマカシ河から三日でここまで到着するだろう。


 会議室にはブルセボ第三皇子とその侍従シェアラ、カンデラ城の家令、近衛隊長、青鬼族オーク部隊のアガリーとグラフ、そしてシエルレーネ第一皇女がいた。

 「籠城ろうじょうが無難かと思われますが」ブルセボの家令がそう意見を言った。ブルセボは「それしかないか、うむむ」と唸るのみである。


 攻城戦の場合、攻撃側は三倍から五倍の兵力が必要とされている。それを考えると、勝敗は実に微妙なラインに位置しているなとその場の一同は思った。

 近衛隊長が報告した兵に尋ねる。

 「攻城兵器は持ってきてはないのだな」 

 「はっ、おそらく梯子はしごのみかと思われます」


 攻城兵器は城を攻めるために開発された兵器である。投石機は城壁を崩し、破城槌はじょうついは城門を壊す。梯子はむきだしで、登っている兵士は無防備となってしまうが、これをやぐらで囲って防御力を高めたのが攻城塔である。

 これら攻城兵器の欠点は重くて移動に時間と労力が掛かることであった。


 「なら籠城して時間を稼いで、その間に近隣の諸侯に援軍を頼むしかないか」

 そうブルセボが結論付けようとしたとき、シエルが口を開いた。

 「ブルセボ兄様、今回のいくさはわれに任せて貰えませんか」

 その場にいた一同はみなぎょっとした。今まで憔悴しょうすいしたていで、まったくしゃべろうとしなかった皇女が突然指揮をゆだねてくれと言い出したからだ。とまどいの空気が会議室を覆った。


 「そうは言いますがね、姫様、兵を率いたことはあるんですかい?」

 青鬼族オーク第二部隊の部隊長グラフが、シエルに反論する。家令がグラフの口調をこれっとたしなめる。

 「一度も無い」

 無表情でそう答えたシエルの言葉に、全員が口をつぐむ。 

 「俺はお断りいたしやす」

 ここで青鬼族オークの第一部隊長アガリーが拒絶の言葉を吐いた。今度は家令も、口調をたしなめようとはしなかった。それに対してシエルは、

 「そうか」

 と一言のみ発してすっくと立ちあがり、すたすたと部屋を出て行ってしまった。残された一同は、唖然あぜんとするばかりであった。


 シエルは今、城外の小高い丘の上に立っている一本のならの木の下にいた。ここからカンデラ城まではおよそ千歩(九百メートル)の距離であった。その根元に座り、木陰からカンデラ城とは反対側にある黒瞳海コクトウカイを眺めていた。ブラシア要塞以北の黒々としたツラの黒瞳海ではなく、穏やかな明るい色をした海原がシエルの眼下に広がっている。


 ぎゅっ、ぎゅっと草を踏む音が近づいてきたが、シエルは振り向きもせず、海を見つめていた。その音はシエルの背後で止まった。

 「兄様に言われて来たの?」

 「いえ、そうではありやせん」とグラフが答える。

 「そう」とシエルも答える。


 何故この姫様は突然、あんなことを言い出したのだろうか、とグラフは不思議に思った。

 この姫様が自分の城を捨てて、全てを諦めたような顔をしてここに来て、部屋に引きこもっていると思ったらいきなり武技の練習をし始めて、それがとんでもない強さだと驚いたらこんなものはいらないと言い出して、また引き籠ったと思ったら今日の発言である。

 グラフにはさっぱり目の前の姫様の気持ちが分からなかったが、だからこそこの姫様の顔を見たいと思い、足を運んでみたのである。期待は、はなからしていなかったが。


 「どうなさるおつもりで」

 「気にしなくていい、好きにやる」

 やはり、とグラフは首を振り、城に戻ろうときびすを返したとき、シエルの声がうしろから聞こえた。

 「ライス子爵は本陣をここに置く。デドン卿は、その隣」

 「どうしてそう思いやす?」

 確かにここは見晴らしが良いが、城を攻めるならもっと南側に兵を配置するだろう、とグラフは思った。何故ならここからより南側のほうが、城を攻める経路の傾斜がゆるいからだ。当然本陣もそちらになる。


 「貴族とは、そういうものだから」

 グラフは振り返った。シエルはまだ海を眺めている。つまり兵の労苦より、景色の良さを選ぶというのか貴族は。ピクニックじゃあないんだぞ、戦なんだぞとグラフは言いたかった。シエルは横目でグラフを見た。

 「賭ける?」

 シエルのその目は面白がっているようだった。今まで死んだような風だったのに。グラフは挑発に乗ることにした。

 「じゃあついでに」とシエルは続けた。「兵を四、五名貸してもらえるかしら」


 ゼカ歴四九九年三月二十四日。転生して二百日目。晴れ。

 しくもその日はシエルがこの世界に転生して二百日目ちょうどであった。

 あの会議の日から三日後、王国軍が到着した。監視兵の言葉通り攻城兵器はなく、兵数は三千であった。

 王国兵はカンデラ城の南側の草原を横切り、東の海側に布陣した。本陣は、小高い丘の一本の木のそばである。


 「信じられん、本当にあそこに陣取りやがった」

 城の監視塔から様子をうかがっていたグラフは、王国軍がシエルの言った通りに行動したのをまだ信じられない思いで見つめていた。丘の上では貴族が、円卓と椅子を出してお茶の準備を始めていた。

 「こうしちゃおられん、ガフ、野郎どもを城外に並べろ」

 あわてて監視塔の階段を駆け下りたグラフは、部下のガフに自分の第二部隊を動かすよう命令を下す。

 「急がねえと、姫様が死んじまう」


 青鬼族オークの第二部隊が城門から続々と飛び出していった。城壁の上で王国軍を見ていたブルセボ第三皇子は第二部隊がどうして出撃するのか、わけもわからず戸惑とまどうばかりであった。近くにいたアガリーに尋ねる。

 「第二部隊はどうして外に出たの? 妹ちゃんは何処どこに行ったの?」

 青鬼族オーク第一部隊長のアガリーにもさっぱりわからず、口ごもるだけであった。


 「おやおや、魔族どもが慌てて出てきましたぞ」

 副将のデドン男爵がお茶をたしなみながら、グラフの第二部隊を見てライス子爵に話しかける。

 「まったく、魔族どもは優雅さに欠ける。戦争とは芸術アート・オブ・ウォーなのですからな」

 「まさに、しかり」


 侍従にお茶を注がせつつ、二人の貴族は歓談に興じた。本陣を取り囲んで護衛の騎士が、円陣を組んで周囲を警戒している。

 ライス子爵は、きれいに整えた細いひげを上向きにぴんと伸ばしているが、その髭がぴくりと動く。目の前の地面が盛り上がり、何事かと見ているとドレスを着た少女が泥まみれになってい出てきた。そして子爵をみてにっこりと微笑み、見事な優雅な挨拶カーテシーを披露する。

 (うむ、優雅な仕草だ)と子爵も思い、笑みを浮かべる。


 少女は自分が出てきた穴の中に腕を突っ込み、何かをするすると引っ張りあげている。出てきたそれは少女の身丈みたけの五倍はあろうかという戦斧ハルバードであった。

 少女はもう一度微笑んだ。子爵も微笑みを返した。少女が腕を横なぎに払った。子爵と男爵の首が真上に飛んだ。ぷしゃああという音とともに血が噴き出た。子爵の首が落ちてきたが、まだ笑みを浮かべたままであった。男爵の首は楢の枝葉に引っかかったらしく、落ちてこない。


 「やりやがった!」

 グラフはシエルが二人の首を飛ばすのをはっきりと見た。他の第二部隊の面々も、同じくそれをみた。青鬼族オークの視力はとても良いのだ。そして当の少女が所在しょざい無げにぽつねんと立っているのをみて叫んだ。

 「姫様を殺すな!」

 青鬼族オーク第二部隊は王国軍に対し突撃を開始した。

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