5 ”うず”の向こうに(1)

 ゼカ歴四九九年二月十五日。転生して百六十三日目。曇り。

 あの”真夜中の奇跡”を目にした次の日、シエルは確認すべきことがふたつほどあると思った。それは次回の土曜日にでも行えば良いので、それまで自分はただ時間を潰すだけだと考えた。

 シエルは城内及びカンデラ城周辺の散策に情熱を傾け始め、寒い日々が続いてはいたが、精力的に動き回る彼女を見た城の者たちは、姫様が元気になってよかったと話し合うのであった。


 一方、わずか二日来ただけで練兵所に姿を見せなくなったシエルに、驚愕きょうがくの技を見せられたグラフとガフは、姫様は何時いつ来られるのかとそわそわと待っていたが、一週間っても二週間経っても顔を出さないので、次第に失望の色を隠せなくなっていた。

 グラフは駄目になった杭は処分して、新しい杭を立て直しておいたのだが。

 (もう一度あの技を見たいのだがなあ)

 と自分たちの指揮官であるグラフとガフが、練兵所の端をじっと見続けているので部下たちは不思議に思っていた。

 シエルのあの技を見ていたのはグラフとガフのふたりだけだったのだ。


 三人で”うず”を見た次の土曜日はブルセボ兄に『その権利』を譲った。元々それは彼らが見つけたものだから当然のことだとシエルは思った。

 次の日の朝食の時にブルセボ兄が「金貨を三枚ほど放り込んでおいたよ」と言ってきたので、シエルは「兄上、それは払い過ぎです」とたしなめておいた。

 それにしてもどうだろうかとシエルは思った。あちらの所有者はブルセボ兄が放り込んだ金貨を本物とみるだろうか否か。ブルセボ兄が律儀りちぎなのは好ましいことではあるが、向こうで騒ぎが起きて欲しくないのである。少なくとも自分の計画が済むまでは。


 その次の週の土曜日は今度はシエルの番だった。一週おきに”うず”を交互に使おうと兄上たちが提案してくれたのだ。わざわざ自分に気を使ってくれた兄上たちに、シエルは恐縮に思った。

 その土曜日の夜、地下倉庫にはシエルひとりがいた。ぼーん、ぼーんという時計の音とともに”うず”が出現した。十分に大きくなったと判断したシエルは、その”うず”に目をつむって頭を突っ込んだ!


 シエルが目を開けると”うず”の向こう側は暗かった。屋内のようだったが人影はない。考えてみるに時間帯はふたつの世界は同調している様であった。これは本当に都合が良かった。

 どうやらここはおもちゃ屋の店内のようであった。シエルが今、上半身を出している所はウィンドウケースの中のようで、フィギュアやロボットが立てて並べてある。遠くに【非常口】の緑色の明かりが見え、懐かしく感じたシエルを涙ぐませた。見回したが、一週間前にブルセボ兄が放り込んだ金貨は見当たらなかった。


 と、”うず”がちぢみ始めた。シエルは慌てて上半身を引っ込ませた。

 三分経ち、”うず”は綺麗に消えた。シエルが確かめたかったふたつのことは、ちゃんと確認出来た。

 それにしても危なかったとシエルは思った。もし両側にまたがっている時に”うず”が閉じたら。あちらには自分の上半身が、そしてこちらには両断された下半身が残るのだろう。それを見たブルセボ兄とシェアラは全てを察するに違いない。馬鹿な妹と。だが、あちらではそうはいかない。


 ウィンドウケースの中に、上半身だけの死体があるのに気がついた第一発見者は死ぬほど驚くだろう。いや、実際に心臓が止まってしまうかもしれない。

 そして謎が残る。この死体は一体何処どこから来たんだと。密室の、鍵のかかったウィンドウケースの中である。しかも死体には二本の角があった。作り物でない異種生物の死体にメディアは大騒ぎする筈だ。都市伝説的な猟奇殺人。

 そしてその謎は決して解けないのだ!


 部屋に戻り寝台に潜り込んだシエルは、早く二週間経たないかと待ち遠しく思った。そう。

 二週間後、シエルは向こうの世界に帰るつもりだったのだ。

 シエルはあの”うず”で向こうに帰ると決めてから、一度もイェーナのあの声を聞かなくなっていた。それを思うと若干胸が痛くなったが、もはやそれは完全に過去のものとして、シエルの後方に置き去りとなっていた。


 そして帰るということを気取られないように振る舞い、時間を潰すために散策を続けていると、偶然オークの第二部隊長であるグラフと出くわした。シエルはそのまま通り過ぎようとしたが、珍しくグラフの方から話し掛けてきた。

 「姫様、最近は練兵所の方に来やせんが、お忙しいんですかい」

 と言われたので、シエルはお忙しいんですよと答えようかとも思ったが、別な理由を答えとした。

 「もう武技は必要なくなったから、練兵所には行かないと思う」

 それを聞いたグラフは呆然とした。

 (武技は、必要ない?)

 われに返ったグラフが辺りを見回すと、既にシエルはその場を去ったあとであった。


 もうすぐここを離れるんだと考えるようになると、シエルは逆にこの世界が名残なごり惜しく思えてきた。例えばここの武骨な石造りの城であるが、こんな建物に寝起きすることは向こうでは決して体験出来ないことだろうと思う。

 (この世界ではごく一般の兵士だって――)

 と、シエルが近衛兵の前を通り過ぎる際にそちらを見ると、その兵士は緊張した面持ちでかちっと敬礼してきた。その甲冑や腰にかけた普通の長剣ひとつを取っても、現代日本ではほとんどお目にかかることもないものだ。


 人工の建造物より遥かに自然物が多いこの世界は、元いた自分たちの世界よりも確実に美しいとシエルは思っていた。

 宝石を美しくみせるために人の手でカッティングされたのがあちらの世界なら、こちらは原石が至る所にごろごろと転がっている状態だ。決して向こうでは見られない景観が、こちらの世界にはある筈である。

 残念ながら、自分にはそれらを探す機会はなかったが、各地を旅行しているカイナン子爵ならば、そういう知見は豊富だったろう。


 こちらの夜の闇はとても深く、夜空を見上げればあちらの世界の十倍もの星がまたたいている。ひとの声が無くなれば、本当に静かな世界なのだ。シエルが硝子ガラスのない三階の窓に肘をかけて外を眺めてみると、この城以外の人工物が視界内には存在しないのだった。


 朝、シエルは身支度みじたくを自分で整えるが、シェアラが上手く出来ていないところを補完してくれて、朝食に向かう。基本兄上とふたりでとるが、シェアラも一緒にとることがある。

 午前中は本を読むことにした。さすがに歩いていける範囲の場所は、ほとんど制覇してしまったのだ。この城にもささやかながら図書室がある。シエルはそこから本を抜き出して自室に持ち込んで読んでいた。


 この世界の娯楽は少ない。現代日本と比べてみると、その貧弱さは目を見張るほどであった。書物などは一部の貴族の為のもの、庶民には手の出せない贅沢なものなのだ。

 そもそも庶民が娯楽に興じることはほとんどなかった。生きていくために働くので精一杯な世界なのだ。この点は貴族に転生させてもらって感謝している。が、それももう終わりとシエルは思った。


 ブルセボ兄とシェアラは、シエルの心境の変化を敏感に感じ取ったのか、よく話しかけてくるようになった。今日の昼のお茶会でも何かとシエルのことを気に掛けてくれているようだ。

 「今度暖かくて天気のいい日に、景色の良いところに行ってお茶しませんか? お弁当を持って」

 「それは実に良い考えだね、シェアラ。妹ちゃんも付き合ってくれるよね?」

 「はい、われで良ければ」

 と、全く行く気のないシエルはそのように返答をした。確かに三月に入ってからは寒さがやわらぎ、暖かさは増している。だが、ピクニックにはまだちょっと風が冷たいようだ。

 シエルは四月になれば良い日和ひよりになるだろうとは思うが、その頃には自分はもういないだろうと考えている。


 シエルがここカンデラ城に来てほぼ二ヶ月になるが、このふたりには世話になったと思う。特にシェアラには、良くこちらの意向を汲んでもらって、かなり自由にやらせて貰った。また何人もの侍女に周りにかしずかれたら、それだけで嫌気が差しただろうとシエルは振り返って思う。


 お昼のお茶が終わったら、午後のお昼寝か散歩になる。散歩は城の中を巡ってから城の外に出る。もし海に出たいときは東側に向かう。千歩ほどで砂浜に着くのだ。城の北側はすぐに海になるが結構な高さの崖である。

 西側は大アマカシ河の支流で、シエルはここから上陸してこのカンデラ城に来た。西側の北寄りの崖に洞窟どうくつがあって、一度のぞいてみたが、すぐに行き止まりになって何もいなかった。

 南側は広さ二千歩ほどの草原である。はしはまばらに木が立ち並ぶ疎林である。ただやぶがあるので思ったより歩きづらい。この城から大体千歩の範囲内をぐるりと回るのが、シエルの定番の散歩コースだった。


 歩き回って日が傾き、腹がこなれた頃に城に戻る。するとその時刻には練兵所には誰もいなくなっている。夕食までのわずかな時間を部屋で過ごす。夕食になれば、シェアラが呼びにきてくれる。そして食堂に案内(もはや城内は知悉ちしつしているが)してもらいブルセボ兄と食事をとる。

 食後、風呂(やはり三日に一度であった)に入るときはシェアラに髪の手入れをしてもらう。これも最初はひとりでやると断ったのだが、髪の手入れだけは駄目ですとシェアラに押し切られた。他の部分が少々雑でも、髪だけしっかりと手が入っていれば許されるような雰囲気があるのだそうだ。この世界の貴族の慣習はやはりよくわからない。

 そうして就寝までのわずかの時間は本を読んで過ごすのだ。それが最近のシエルの一日の過ごし方だった。


 (もうすぐ)

 とシエルはそう思い、眠りにつくのだった。

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