3 グラフと出会う

 ゼカ歴四九九年二月十三日。転生して百六十一日目。晴れ。

 翌日(金曜日になる)シエルはブルセボ兄に、こういう武具を見つけたのですが頂いていいですかとお願いをした。ブルセボは、あんなところにそんなものがあるとは思いもしなかったよ、と言って気前よくゆずってくれた。

 ブルセボはほとんど武技の心得も、興味もなかったのだ。興味のあるものはひとつだけ。人型模型のみであった。


 シエルは戦斧だけ持って練兵場の方へ歩いていった。

 練兵所ではオークの第二部隊五百名が訓練をしていた。といっても各人がてんでばらばらに剣を振ったり、取っ組み合いをしているだけであったが。

 ブルセボ第三皇子は、直属の近衛兵二百名の他にオークの傭兵を千名雇っていた。オークの千名は二部隊に分れており、オーク第一部隊五百名を率いているのがアガリー、この第二部隊を率いているオークの指揮官をグラフといった。


 グラフはシエルレーネ第一皇女が練兵所に入ってくるのをみてぎょっとした。手に戦斧が握られていたからだ。オークたちはこの少女が自分たちの雇い主の妹であり、ひと月ほど前にこの城にやって来たことを知っていた。

 だが彼女は今までずっと部屋に引きこもっていたのでどのような人物かも良く知らず、そのうちにオークたちはこの少女に対する興味を失っていたのだ。


 グラフはシエルがドレスを着たままなので、最初は見学に来たのかなと思っていた。実際にシエルは四半刻ほどオークの教練を眺めていたが、首を横に振るとグラフのところに行き、質問をした。

 「どうして貴方オークたちは隊形を組まないの?」

 「隊形?」

 グラフはシエルに聞き返した。聞きなれない単語を耳にしたからだ。シエルはきゅっと眉をひそめた。


 グラフは人族の姿を思い浮かべ、肩を並べて進んでくる画を脳裏に描いた。ははあ、なるほどとグラフは思い、そうしてシエルに説明をし始めた。

 「姫様、われらオーク族は人族のように密集させすぎると力を発揮できやせん。棍棒もろくに振れなくなりやす。ですから適度に間隔を空けて敵に突っ込むんでやす」

 シエルはそれをじっと聞いていたが、ではオークはその戦い方で無敵なんだなと再度聞いてきた。グラフは「無敵」という単語に不穏ふおんな響きを感じたが、人族相手で同数ならばまず負けやせん、と自信を持って返事した。


 シエルはその返事を聞き、何故なぜ人族が隊形を組むのかを小一時間、眼前のオークに説明してやろうかとも思った。しかしオーク族は「隊を組む」という「概念」自体が無いようだった。

 それにこのグラフという隊長は、シエルの言ったことをすぐに理解して、反証してきた。それの正誤は別として。

 シエルは「隊を組む」ことに興味があるなら、われが教えるがとグラフに言った。このオークにならその効果が分かると思ったから言ってみたのだが、見ればあまり乗り気ではない様子だった。

 グラフはもごもごとして口を開くか開くまいか逡巡しゅんじゅんしていたが、シエルが「まあ、良い」と言うと、明らかにほっとした表情を見せた。

 シエルは端に寄り、戦斧の調子を確かめるべく軽く振り始めた。


 グラフは目の前にいる皇女殿下が「隊を組むことを教える」と言ってきたとき、どう断ろうかと迷った。人族みたいにしない理由を彼は分かりやすく説明したつもりだったが、この姫様には通じなかったのかとも思った。

 しかし自分がやりたくなさそうなことは分かって貰えたらしく、苦笑して「いい」と言ってくれた。

 その後この姫様は手に持っていた戦斧の練習をするようであった。

 (あんな長い戦斧ハルバードを姫様は振り回せるのだろうか? 軽そうに持ってはいるが)

 グラフは興味を持った。目の前の小柄な少女がどうそれを扱うのかを。最初は軽く振って、手ごたえを確かめているようであった。


 上段からの打ち下ろし、中段からの突きと横なぎに振り回す動作、下段からの突き上げと足を払う動作。姫様に力があればあれで相手の片足を飛ばせるだろうとグラフは思った。そして頭の上で長い戦斧を二、三回転させた。実に軽やかな動きであった。

 (どうやらあの戦斧は鉄で出来ていないようだ。練習用に作った軽い模造もぞうの武器か)

 とグラフは納得した。要はお姫様のお遊びである。シエルがくるっと回転すると、ドレスのすそが開いた花びらのように広がった。

 (お城の舞踏会で披露すれば、人気の出そうな舞だな)

 とグラフは最後に一瞥いちべつしてから、部下を指導するためにシエルの側から離れた。


 シエルは楽しかった。この戦斧が実に良く自分に合い、手に馴染んで自由自在に動かせたからである。いくら素早く、かつ複雑な動作をしても取りこぼす気が全然しなかった。柄はシエルの小さなてのひらに吸い付くようで、どんな機敏な動きにもついてきてくれた。


 シエルは三国志の豪傑のように、頭の上で戦斧を回転させてみた。初めゆっくりと、次第に速度を上げていく。ひゅん、ひゅんという音がしまいにはひゅううんというプロペラのような連続音になった。それを頭上から左脇に移し、背中を通して右脇に、最後に正面で回転をびたりと止め、見得みえを切った。

 やあやあわれこそは八幡太郎が子孫、なんちゃらのうんちゃら丸である。出会え、出会って尋常に勝負しろい、と適当な口上を述べた。


 そのあとポーズを解き、今自分のやったことに恥かしさを覚えて、シエルは顔を赤らめて練兵所を後にした。グラフはその一部始終を見ていたが、手に持っているものが軽いとはいえ、あの姫様は随分と器用なのだなと思うのだった。


 ゼカ歴四九九年二月十四日。転生して百六十二日目。晴れ。

 土曜日になった。今日はバレンタインデーである。しかしシエルに贈る相手はいなかった。ついでに言うとこの世界でのチョコレートの存在も、まだ確認はされていなかった。

 シエルは高揚した気分だった。今日の真夜中に、いよいよこのフィギュアの入手手段が分かるのである。と、シエルは机の上に置いてある人形をうっとりとした目で眺めた。

 昨夜は全くうなされなかった。そのフィギュアの件と壁に立てかけてある戦斧赤ひげが、シエルに良い影響を与えているのに違いなかった。


 朝食は毎日同じようにとっている筈だったが、シエルは今日のは特別に美味しく感じた。お茶会と食事の合間に、勉強なさりたいことがあればお教えしますよとシェアラが言ってきた。シェアラはブルセボ兄と同い年らしいが、兄上の教師も務めているらしい。その他礼儀作法や、乗馬、裁縫、舞踊、楽器、歴史地理算数教養など、ほぼ全ての分野について習熟していた。

 さすがに武技だけは出来ないようであったが、逆に出来たらびっくりである。


 そのためかブルセボ兄はこの侍従に頭が上がらないらしく、尻に敷かれている。お茶会もシエルが来る前はブルセボ兄と同席していたとか。兄の趣味も理解しており、良い話し相手らしかった。

 「ま、まあ気が向いたらな」

 とシエルが断ると非常に残念そうな顔をした。もしかするとシェアラは教え魔なのかもしれない。願わくば彼女が誰かさんのように『正史主義者』でないことを祈るばかりである。

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