9 晩餐会とメレドス公爵(2)

 メレドス公爵は眉目秀麗びもくしゅうれいな四十歳の魔人である。

 ユーモア感覚にあふれそれを持ち前の流暢りゅうちょうな美声で語るのだから、帝国社交界では大人気であった。また帝室とは血の繋がりがあり、純粋魔族としての血統の良さも折り紙付きであった。才女と名高い公爵の一人娘は皇太子ジャリカとは既に婚約済みであり、その前途が明るいのは約束されたようなものであった。

 にやりと笑って(シエルにはそう見えた)公爵は手を放してすっくと立ち上がった。シエルは見下ろされる形になった。シエルと公爵の目がまじわった。公爵のその目は、ふ、やるべきことはやった、もういいですよ皇女殿下様、顔を赤らめた時点で貴女は負けなんです。何処どこへでもおゆきなさい、尻尾を巻いてね、と、言っているようにシエルには思えた。


 かーっとシエルは顔が熱くなった。今度のはさっきのとは違う、怒りからだった。からかわれたのだ、目の前の男に。どうしてくれよう、とシエルは思った。やり返さねば、気が済まぬ。

 そんなふたりを離れて眺めていたタタロナは、首を振ってため息をついた。公爵閣下は明らかに酔っているし、何故なぜか自分の主君はぷんぷん怒っている。誰か止めてとタタロナは願った。

 公爵は相変わらず見下した目(シエル主観)でシエルを見ている。どうすればこのスカした男をぎゃふん(死語)と言わせることが出来るだろうか。

 シエルには爆弾があったことを思い出した。そう「勇者出現」である。この際どうなってもいいからこいつを泣かせたい! と痛烈に思うシエルは、どうやってそこまで話を持っていけば良いか、考え始めた。


 (っと、いかんいかん。飲み過ぎたか)

 メレドス公爵は、自分の意識が一瞬飛んだのを知覚した。頭がゆらゆらと定まらないのが分かる。ここで酔いつぶれて倒れでもしたら、他の貴族たちは喜んでそれを吹聴ふいちょうするだろう。自分の盛名せいめいは今が頂点だろうが、娘の将来はこれからである。変な傷をつけるわけにはいかなかった。

 と、ふと公爵が視線を下ろすと、小さい第一皇女が顔を真っ赤にして公爵をにらんでいる。あれ、私は何かやったのかなと覚えのない公爵は思い浮かべようとして――あ、ああ危ない、また意識が飛びそうになったと公爵は踏ん張る。水でも貰おうと部下に命じようとした時に、おや? 第一皇女が何か言ってきたぞ、と公爵は思った。


 「対王国戦争について公爵閣下にお尋ねしたいことがあります」

 その言葉に周りがどよめいた。

 今回の戦争はもともと王国側から仕掛けられたものであった。それを撃退したのがメレドス公爵である。侵略してきた王国軍を撃破し、そのまま王国内へ逆侵攻した。そして皇帝から王国侵攻軍の総司令官に任命される。以後連戦連勝し、王国側からの停戦交渉を無視して戦い続け、遂に首都パラスナを陥落させた。

 この燦然さんぜんたる戦績を持つ名将に若干十四歳の皇女が戦争談義を持ち掛けたのだ。気にならないはずはない。

 周囲の人々はこの少女が一体どんなことを語り始めるのか、わくわくしながら見守っていた。その空気の中でシエルが口を開く。


 「公爵閣下は王国首都を陥落せしめましたが、停戦するおつもりはないのでしょうか」

 「ない」

 目を瞑って公爵は一言だけ答えた。

 十四歳とはいえ仮にも帝族であるシエルに対してのこの不遜ふそんな物言いは、周りにざわめきを生み出した。だが公爵は全く動じていない。実はまた意識が飛びそうになったのだ。

 「王国は完全に屈服せしめて、後顧こうこうれいを断つのが最上と考える」

 公爵は王国を完全占領するつもりだった。すなわちこれはリフトレーア王国を滅ぼす意図があるということだった。シエルが続けて問う。

 「現時点で首都は我が方の手に入りましたが、いまだ王国領土は半分残っており、残存する敵兵力もあなどがたいものがあると思われます。これに対する方策は、いかに」

 メレドス公爵は目を開き、ゆっくりと周りを見回して大声を上げた。

 「たれか、地図を持ってまいれ!」


 今度はシエルが驚く番であった。

 シエルは「勇者出現」の話題にまで話を持っていくのに、繋ぎとして問うただけである。それを公爵は一から十まで語るつもりなのだろうか。今は晩餐会で、ここは作戦本部ではないのだが。公爵は広間中央の長机の上を片付けさせると、部下が持ってきた大判の地図をそこに広げさせた。

 貴族たちが地図の周りに集まりだした。それをみてシエルは頭を抱えて座り込みたくなった。

 (あ~公爵だけに話すつもりだったのに。何でこう大仰になるわけ⁉)

 しかも公爵はわざとひとが集まるのを待っているようだった。公爵は両手をひろげ、目をつむってじっと静かに待っていた。シエルはその姿に(お前は俳優かよこんちくしょう)と言葉を投げつけたかったが、真相をいえば公爵はまたしても意識が無くなりかけていただけであった。


 ふが、と言いそうになった公爵は、軽く首を振ったのち、部下に耳打ちして食事用のナイフを持って来させた。そしてそれを右手で受け取ると、くるりと空中で一回転半させ逆手に持ち、それを地図の中央に思い切り突き刺した!

 だんっ。

 大広間が一瞬にして静かになった。ナイフの突き立った場所を指して公爵が言った。

 「ここが首都パラスナ」

 さらに部下から手渡されたナイフを同じように地図に刺す。

 だん。だん。

 合計三本のナイフが地図に刺さって直立した。


 王国を南北に三分すれば北部、中央部、南部に分けられるが、北部が都市リデナート、中央部がパラスナ、南部が都市アセアの位置それぞれにナイフが刺さっている。東西でみればほぼ横並びである。

 「これが現在の進出線」

 この線をはさんで帝国と王国が睨み合っているということだ。地図の西側が帝国の占領地域、東側が王国の残存地域。公爵は部下から中身の入ったワイングラスを受け取り、今度は静かに地図に置いていく。北部にみっつ、中央部にひとつ、南部にふたつ置かれた。

 「これが敵の残存勢力。地方の大貴族の領地を中心に六つ残っている」

 つまり抵抗する王国軍が六つ存在するわけだ。


 再び公爵は地図中央に移動し、パラスナに刺さっているナイフを握りしめる。顔を上げにやりと周囲を見回した後、そのナイフを一挙に地図東端まで走らせた!

 びゅっ。

 地図は真ん中から見事に真っ二つにかれていた。ナイフは地図東端の港町ゲイブで止まっている。

 (あれ? 中央にあったワイングラスがない。どこいった)

 シエルが疑問に思っていると、公爵の部下がそのグラスを持っていた。こうなることを予測して避難させたのかとシエルは感心した。

 「軍をこう進撃させます」

 公爵は首都にある中央軍を東に猛進させ、南北を分断するつもりらしい。大胆な機動だ。

 「後はこう」

 東端のナイフを再び持ち、ワイングラスの置かれている場所をひとつひとつ分断していった。ワイングラスの乗った小さな地図の断片が五つ出来上がった。 

 「こうなれば、後は」

 公爵はワイングラスをひとつひとつ飲み干していった。分断して個別に撃破するらしい。地図上のワイングラスを全て空にした公爵は、シエルに向けて魅惑の微笑みを向けてきた。

 にこっ。

 「いかがでしょう、皇女様。納得していただけたでしょうか」

 そして両手を広げ、これにてフィナーレですといわんばかりの笑顔を浮かべた。

 大広間は、おお~というどよめきに覆われた。


 シエルはぼーっとしていた。

 公爵の今の一連の動作に見入ってしまったのである。よどみなく動く指先に全くためらいはなかった。そして美声でかなでられる極上の戦略。シエルは自分の頬が赤くなっているのを感じた。

 (あ、いけない。惚れそうです……)

 うそうそ、いまのなし。

 その禁断の思いを振り払うようにシエルはぶんぶんと首を振り、勇者の事を切り出そうと口を開きかけた。のだが。

 公爵の身体はフィナーレの体勢で次第にかしいでいき、目玉はぎょろりと上を向いた。そしてばたんと後ろに倒れるところを部下ふたりに受け止められた。予測されていたらしい。

 公爵はその体勢のままずるずると部下に引きずられていき、広間から姿を消した。その顔は笑みを浮かべ、両手は広げたままであった。


 地図の周りから皆が引けていく。喧騒が戻ってきた。楽器の演奏が始まり、楽しそうに踊り出す人々が出てきた。

 シエルの周りには誰も残っていなかった。

 タタロナが近づいてささやいてきた。「もう十分だと思いますよ」その言葉にシエルは部屋に戻ることにした。

 何もかも、自分の思い通りにはいかなかったとシエルは諦めた。公爵にせよ、人物としての格が全然違った。自分は見かけ通りの十四歳の小娘であった。ステータス値なんて、何の役にも立たなかった。でも、勇者のことは伝えたいと思ったのだ。

 ばらばらに裁断された地図を一度見てから、シエルはタタロナとともに出口に向かった。大広間を出る時に、シエルは小さくつぶやいた。

 「勇者が現れるんだ。もうすぐ――」

 そして広間を出て行った。だが、そんなシエルのひとり言など誰も聞いてはいない。よしんば聞いていたとしても酒の席での戯言ざれごとなど、誰が本気にするだろうか。


 たったひとりを除いては。

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