9 晩餐会とメレドス公爵(2)
メレドス公爵は
ユーモア感覚に
にやりと笑って(シエルにはそう見えた)公爵は手を放してすっくと立ち上がった。シエルは見下ろされる形になった。シエルと公爵の目が
かーっとシエルは顔が熱くなった。今度のはさっきのとは違う、怒りからだった。からかわれたのだ、目の前の男に。どうしてくれよう、とシエルは思った。やり返さねば、気が済まぬ。
そんなふたりを離れて眺めていたタタロナは、首を振ってため息をついた。公爵閣下は明らかに酔っているし、
公爵は相変わらず見下した目(シエル主観)でシエルを見ている。どうすればこのスカした男をぎゃふん(死語)と言わせることが出来るだろうか。
シエルには爆弾があったことを思い出した。そう「勇者出現」である。この際どうなってもいいからこいつを泣かせたい! と痛烈に思うシエルは、どうやってそこまで話を持っていけば良いか、考え始めた。
(っと、いかんいかん。飲み過ぎたか)
メレドス公爵は、自分の意識が一瞬飛んだのを知覚した。頭がゆらゆらと定まらないのが分かる。ここで酔いつぶれて倒れでもしたら、他の貴族たちは喜んでそれを
と、ふと公爵が視線を下ろすと、小さい第一皇女が顔を真っ赤にして公爵を
「対王国戦争について公爵閣下にお尋ねしたいことがあります」
その言葉に周りがどよめいた。
今回の戦争はもともと王国側から仕掛けられたものであった。それを撃退したのがメレドス公爵である。侵略してきた王国軍を撃破し、そのまま王国内へ逆侵攻した。そして皇帝から王国侵攻軍の総司令官に任命される。以後連戦連勝し、王国側からの停戦交渉を無視して戦い続け、遂に首都パラスナを陥落させた。
この
周囲の人々はこの少女が一体どんなことを語り始めるのか、わくわくしながら見守っていた。その空気の中でシエルが口を開く。
「公爵閣下は王国首都を陥落せしめましたが、停戦するおつもりはないのでしょうか」
「ない」
目を瞑って公爵は一言だけ答えた。
十四歳とはいえ仮にも帝族であるシエルに対してのこの
「王国は完全に屈服せしめて、
公爵は王国を完全占領するつもりだった。すなわちこれはリフトレーア王国を滅ぼす意図があるということだった。シエルが続けて問う。
「現時点で首都は我が方の手に入りましたが、いまだ王国領土は半分残っており、残存する敵兵力も
メレドス公爵は目を開き、ゆっくりと周りを見回して大声を上げた。
「
今度はシエルが驚く番であった。
シエルは「勇者出現」の話題にまで話を持っていくのに、繋ぎとして問うただけである。それを公爵は一から十まで語るつもりなのだろうか。今は晩餐会で、ここは作戦本部ではないのだが。公爵は広間中央の長机の上を片付けさせると、部下が持ってきた大判の地図をそこに広げさせた。
貴族たちが地図の周りに集まりだした。それをみてシエルは頭を抱えて座り込みたくなった。
(あ~公爵だけに話すつもりだったのに。何でこう大仰になるわけ⁉)
しかも公爵はわざとひとが集まるのを待っているようだった。公爵は両手を
ふが、と言いそうになった公爵は、軽く首を振ったのち、部下に耳打ちして食事用のナイフを持って来させた。そしてそれを右手で受け取ると、くるりと空中で一回転半させ逆手に持ち、それを地図の中央に思い切り突き刺した!
だんっ。
大広間が一瞬にして静かになった。ナイフの突き立った場所を指して公爵が言った。
「ここが首都パラスナ」
さらに部下から手渡されたナイフを同じように地図に刺す。
だん。だん。
合計三本のナイフが地図に刺さって直立した。
王国を南北に三分すれば北部、中央部、南部に分けられるが、北部が都市リデナート、中央部がパラスナ、南部が都市アセアの位置それぞれにナイフが刺さっている。東西でみればほぼ横並びである。
「これが現在の進出線」
この線を
「これが敵の残存勢力。地方の大貴族の領地を中心に六つ残っている」
つまり抵抗する王国軍が六つ存在するわけだ。
再び公爵は地図中央に移動し、パラスナに刺さっているナイフを握りしめる。顔を上げにやりと周囲を見回した後、そのナイフを一挙に地図東端まで走らせた!
びゅっ。
地図は真ん中から見事に真っ二つに
(あれ? 中央にあったワイングラスがない。どこいった)
シエルが疑問に思っていると、公爵の部下がそのグラスを持っていた。こうなることを予測して避難させたのかとシエルは感心した。
「軍をこう進撃させます」
公爵は首都にある中央軍を東に猛進させ、南北を分断するつもりらしい。大胆な機動だ。
「後はこう」
東端のナイフを再び持ち、ワイングラスの置かれている場所をひとつひとつ分断していった。ワイングラスの乗った小さな地図の断片が五つ出来上がった。
「こうなれば、後は」
公爵はワイングラスをひとつひとつ飲み干していった。分断して個別に撃破するらしい。地図上のワイングラスを全て空にした公爵は、シエルに向けて魅惑の微笑みを向けてきた。
にこっ。
「いかがでしょう、皇女様。納得していただけたでしょうか」
そして両手を広げ、これにてフィナーレですといわんばかりの笑顔を浮かべた。
大広間は、おお~というどよめきに覆われた。
シエルはぼーっとしていた。
公爵の今の一連の動作に見入ってしまったのである。
(あ、いけない。惚れそうです……)
うそうそ、いまのなし。
その禁断の思いを振り払うようにシエルはぶんぶんと首を振り、勇者の事を切り出そうと口を開きかけた。のだが。
公爵の身体はフィナーレの体勢で次第に
公爵はその体勢のままずるずると部下に引きずられていき、広間から姿を消した。その顔は笑みを浮かべ、両手は広げたままであった。
地図の周りから皆が引けていく。喧騒が戻ってきた。楽器の演奏が始まり、楽しそうに踊り出す人々が出てきた。
シエルの周りには誰も残っていなかった。
タタロナが近づいてささやいてきた。「もう十分だと思いますよ」その言葉にシエルは部屋に戻ることにした。
何もかも、自分の思い通りにはいかなかったとシエルは諦めた。公爵にせよ、人物としての格が全然違った。自分は見かけ通りの十四歳の小娘であった。ステータス値なんて、何の役にも立たなかった。でも、勇者のことは伝えたいと思ったのだ。
ばらばらに裁断された地図を一度見てから、シエルはタタロナとともに出口に向かった。大広間を出る時に、シエルは小さくつぶやいた。
「勇者が現れるんだ。もうすぐ――」
そして広間を出て行った。だが、そんなシエルのひとり言など誰も聞いてはいない。よしんば聞いていたとしても酒の席での
たったひとりを除いては。
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