8 晩餐会とメレドス公爵(1)

 ゼカ歴四九八年九月二十四日。転生して三日目。式典の日。晴れ。

 シエルは昨夜は特に夢を見なかった。

 今日は行事が詰まっているが、シエルが自発的に行動することはほとんどない。流れに身を任せるだけで、全ての物事が自動的に進行する筈であった。十四歳の小娘に期待されることは何もないのだ。

 朝食の席ではシャカル兄とブルセボ兄のふたりと一緒だったが、特筆すべき事もなく終える。ブルセボ兄は何か話したそうだったが無視した。長くなりそうだったから、空気読んで。ムルニッタ父上、イゼルネ母上、ジャリカ兄とは昨日の朝以降会っていない。

 式典の進み具合は大方、昨日タタロナが話してくれた通りだった。

 式典そのものよりもシエルは、”お召し替え”で消耗した。


 (朝)お召し替え<普段着> → 朝食 → (昼)お召し替え<正装A> → 凱旋、閲兵式 → 叙勲、褒賞式 → (夕)お召し替え<正装B> → 祝賀、晩餐会 


 それぞれのお召し替えが一刻ほどかかるのである。服を式典に出すために、中身が引きずり回されてる感じなのが笑える。笑えません。そして夕刻。


 第八刻(午後四時)すぎ。シエルは自室でぐったりとしていた。先ほど叙勲褒賞式が終わったばかりであった。

 「姫殿下様。本日最後の式典であります晩餐会の御用意を」

 タタロナが情け容赦ようしゃなくソファーに横たわっているシエルをき立てる。

 「ちょっと休ませて……」

 さすがの式典ラッシュでシエルの心身は疲労のきわみにあった。慣れない振る舞いの連続で泣きも入ろうというものである。

 「いけません。お化粧直しお召し替えが御座います。時間が掛かりますのですぐに始めましょう」

 「また衣装を変えるの!? もうコレでいいんじゃない……」

 タタロナは、はあという顔をした。

 「式の趣旨しゅしに応じて相応ふさわしい正装、よそおいというものが御座います。礼が損なわれますのでおろそかにしてはなりません。すでに担当のものが準備を終えておりますのでお早く」

 シエルは今日何度目になるか分からないうへぇを発した。諦めて身を起こし、とぼとぼと衣装係の方へ向かう姿は仔牛こうしのようであった。いや敗残兵かもしれない。

 衣装係のてきぱきとした手際てぎわの良さに感心しつつ、あーこたつでくつろぎたいとぐちるシエルであった。


 オリドール城第一大広間は、絢爛けんらんな装いで飾り立てた帝国貴族たちですっかり埋まっていた。来客は二重のチェックを受け広間に入ってくる。名簿と照らし合わせる受付役は大忙しであった。紋章官もんしょうかんも立ち会っては見知りの貴族に挨拶あいさつしている。全員の入場だけで一刻(二時間)は掛かりそうだった。

 裏方の厨房ちゅうぼうの方も大混乱であった。時間までに決められた料理を全て完成させねばならないのだ。料理人たちと配膳係の侍女たちは、歴戦の兵士ですら避けるような形相ぎょうそうで走り回っていた。

 その大混雑の端で、近衛兵たちが不審な人物がまぎれ込んでいないか、鷹の目でにらみをかせている。暗殺未遂など起きれば、護衛役の首は全員飛ぶだろう(物理的に)。


 本日の晩餐会は立食形式である。外見は角がある以外人族と変わらない容姿の魔人族。ひと回り大きな体格の巨人族、一つ目族、吸血鬼族、鳥人族、小人族、猫人族、犬人族、狼人族、虎人族、牛人族、蜥蜴人族、蛇人族。等々。

 シエルがカーテンの影から覗くと、会場はまるでハロウィンパーティのようであった。だが、やはり多いのは魔人族であり、その数は他種族を圧倒していた。とはいえ、その多種多様な人種の多さこそが帝国の特徴である。人族の国、リフトレーア王国にも勿論人族以外の種族は住んでいる。だが、その地位は一部を除き極めて低いものが大多数であった。もっとも数が多いのは奴隷どれいとしてである。


  これはリフトレーア王国の国教、聖花教(テリルシア教)の影響が強い。

 聖花教は女神テリルシアを主神として信仰する一神教である。その教義は大地豊穣が大本たいほんで、農民の間から広がったのが始まりである。が、信徒の一割ほどいる強硬派と呼ばれる一派が人族至上主義を掲げ、これらが他種族を差別し始めたのだ。

 この強硬派は悪いことに、権力を持つ王国貴族が中心となっていた。その昔、王国内で大々的な人族以外の他種族への弾圧だんあつがあり、その時に彼らの大多数が帝国領内に避難ひなんしてきたことがあった。帝国はこれを受け入れ、彼らの子孫が今の帝国臣民の一翼をになっているという背景がある。

 そういうことはゲーム内では語られなかったな、とシエルは思い起こした。

 (正義の味方かと思わせておいて、勇者に知らずに悪の片棒をかつがせる。人の悪い話だ)


 その時、侍従長をともなって皇帝と皇后が到着した。シエルたち兄妹は四人とも揃っていたから、これで入室する準備は整ったわけである。皇帝がシエルの前を通過する時、ちらとシエルの方を見たような気がしたが、

「皇帝陛下、皇后陛下、皇太子殿下、第二皇子殿下、第三皇子殿下、第一皇女殿下、御入室」

 という侍従長の声が上がったので兄たちの後ろに付いて大広間に入った。

 おそらくはウルグルド帝国の支配者層の者たちが、一斉にこちらの方に視線を集中したのでシエルは知らずに身震いした。

 入室後、皇帝ムルニッタが演説を始める。今回の王国との闘い云云うんぬんかんぬん、そこにおいて公爵の功績云云かんぬん、これによって帝国のいしづえは云云かんぬん、では今後の云云発展をかんぬん、云云かんぬん、云云かんぬん。


 (皇帝も大変だな)

 閲兵式で演説。叙勲褒賞式でお言葉。で、この祝賀会でまた喋っている。選挙活動か。

 シエルは今、自分は夢の中にいるんじゃないかと錯覚さっかくした。それは広間内のきらびやかな魔術の光が幾重にもなって皆に降り注ぎ、半獣半人の者たちが談笑し、食事を楽しんでいるその光景そのものが、シエルにとっては到底現実だとは認識出来なかったのだ。皇帝へ挨拶に近づいてくる彼らの笑い顔と発する声は、シエルにはますます自分から遠ざかっていくように思われた。


 晩餐会が始まってから結構な時間がったようだったが、シエルはいまだに何も口にしてはいなかった。皇帝も杯を片手に持つだけで、おとなう貴族たちを相手に談笑中、皇后はその隣りでにこやかな笑顔を浮かべているのみ。ジャリカ皇太子は、おそらくは将来の側近候補と思われる同世代の貴族子弟たちを相手にしていた。シャカル第二皇子とブルセボ第三皇子はぽつりぽつりと訪れる者たちと話をしていたが、比較的暇なようであった。で、肝心かんじんなシエルレーネ第一皇女といえば。


 思いっきり暇であった。


 この世界の一般的な社交デビューは十五歳かららしいが、普通は事前の顔見せ的に十ニ、三歳頃から社交の場に連れてこられるそうだ。だがシエルレーネ姫はひなびた領地に引っ込んでいて、なおかつ本人も無口な性質たち(後からこれを聞いたとき、シエルは陰であちゃーと顔を手で覆った)であったため、帝族なのにまったく顔が売れていなかった。

 実はもっと重大な理由があったのだが、ここオリドール城でそれは禁忌きんきに属するものであったために、シエルに伝える者は誰もいなかったのだ。

 シエルはぽつねんと立っていた。

 何故自分はここにいるのだろうと、哲学的な思索に入ろうとしたシエルに対し皇帝から、

 「シエルレーネ、ここはもういいから食事をして適当にぶらついてきなさい」

 と言われた。見るに見かねたのだろうかと思ったが、そっちの方が気楽で良かったので頭を下げてその場を離れる。


 (じゃあ適当にやりますか、銀ブラを)

 銀ブラという単語でシエルはくすりとした。いつの間にか後ろに付いていたタタロナが、料理を何かお持ちしましょうかと言うので「お願い」と頼んだ。シエルは、自分の腹が減っていたことにようやく気がついた。

 辺りは晩餐会が始まった頃以上の喧騒けんそうに包まれていた。それは多分に、酒が回ってきたからだろうとシエルは思ったが、当初の堅い空気が時間の経過とともにほぐれてきたことでもあった。

 食事を(大味ではあったが)たのしみつつ、やっと人心地ひとごこちついたシエルは、目の前に噂のメレドス公爵がいるのに気がついた。

 ジアレ=ストーク・ラファイ・メレドス。ビフィレット公。四十歳。魔人族。

 メレドス公爵は顔知りの貴族に囲まれて、身ぶり手ぶりを交えて大いに語っていた。おそらく王国軍を打ち負かした時のことを、面白おかしく誇張こちょうを交えて喋っているのだろう。「あの馬鹿づらの将軍が」とか「勇壮な騎馬隊の突撃」とかの単語がぽつぽつと聞こえる。


 (どうしようか)

 シエルは悩んだ。メレドス公爵は王国攻略軍総司令官だと聞いている。勇者のことを教えるべきか迷ったのだ。現地の指揮官に事情を話し、対応して貰う。最善の策なのは間違いない。ただ、

(信じてくれるだろうか)

 シエルは躊躇ちゅうちょした。出会って良く知りもしないうちに、ほら吹き少女とかと思われないだろうか。【勇者】なんて単語はこの祝いの席では、文字通りむべきものだ。結婚式で【死神】が、と言い出すようなものだとシエルは思った。

 先延さきのばししよう、とシエルは結論を出す。勇者が出現したかどうかの確認だけおこたらないで、事前においては大騒ぎをしない方がいいと思う。狼女(比喩)とは言われたくない。

 そうしよう、そうしようとシエルが飲み物を貰おうときびすを返したとき、くだんの公爵から声が掛かった。


 「おや、皇女殿下様、御機嫌麗しゅう」

 杯をかかげてシエルににこやかに近づいてくる。その顔は赤い。

 (畜生、酔ってやがる)

 シエルは心の中で顔を歪めた。

 酔っ払いが、事態を収拾しゅうしゅうすることはない。悪化させることは大いにある。ただ、呂律ろれつは回っていたので、公爵は単に顔に出る性質たちなだけなのかもしれなかった。

 シエルはすばやく第一皇女の皮をかぶって対応した。

 「これは公爵閣下。閣下は随分ずいぶんと御機嫌ですわね」

 それを聞いた公爵はうつむいて、言った。

 「御機嫌、ですか。はは、そう見えるなら貴女あなたのお父上のおかげですな」 

 と再び杯を掲げてから一飲みする。あーやっぱり酔ってるよ、とシエルは思った。

 「武勲ぶくんの誉れ高い閣下に声をかけていただき光栄ですわ。ちまたの噂は閣下一色でしてよ」

 ほほほとシエルは笑う。が、所詮発育が不足しがちな十四歳である。公爵は微笑ましく思ったらしい

 「それは嬉しいお話です。英邁えいまいと評判の皇女殿下様のお耳に入るなら、いずれ私の勇名は、帝国全土に広がりましょうぞ」


 新たな杯を(おそらく部下から)受け取って公爵は御機嫌そうにはははと笑う。シエルはシエルレーネ姫はやはり英邁と評判だったのかと、公爵の言葉を反芻はんすうする。

 無口で、英邁で、おそらくは不愛想で母親から冷遇されていた可哀想な姫。挙句あげくの果てに身体まで乗っ取られるなんて。

 「王国を打ち負かせても、酒に負けては点睛てんせいを欠くというものです。御自愛なさいませ」

 シエルはこれで話を打ち切るつもりであった。御機嫌ようと言葉をつなぐ前に公爵にさえぎられた。そして手をとられる。無礼な、と言う前に公爵に先を越された。

 「もし皇女殿下様のお情けを受けられるのならば、私、この場の酒を貴女様の為に全て飲みして見せましょうぞ! ご覧あれ! ああ、しかし何ということ、不肖この私めにはすでに愚妻がおるのです。プロポーズのみはお受けできませぬぞ」

 と言ってウインクしてきた。貴女様のために、の部分を特に強調したり、プロポーズ~のくだりは茶目ちゃめたっぷりに口にする辺り、相当確信犯であるとシエルには思われた。

 公爵はこちらに視線を合わせるためにかがんでいた。そしてじっと見つめてくる。手がさっきより強く握られた。公爵の匂いがかすかにする。香水だろうか。


 シエルは自分が知らず知らずのうちに顔を赤くしているのに気がついた。気がつくと余計に顔が赤くなっていくのを感じた。全然そんな気はないのに! こんな芝居がかった台詞セリフ阿保アホちゃうか、自分。

 公爵マジック。

 そんな言葉が頭に浮かんだ。







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