7 皇女の実力(2)

 それよりもシエルには気になっていたことがある。貴族名簿の件だ。シエルは世の中には一度見たものを忘れない人間、というものが存在することは知ってはいるが、断じて自分がそうであったとは思えない。平凡すぎるほど平凡な人間だったと思う。それが先ほどの驚異きょういのパフォーマンスである。やった本人が驚いているのだから、予測外の出来事であったと断言して良い。とすると、考えられるのはこのシエルレーネ姫自体の能力だということだ。

 実のところ、シエルには思い当たるふしがありすぎるほどあった。


 シエルレーネ・ラニア・ウルグルド第一皇女。皇帝ムルニッタの娘。十四歳。

 シエルレーネ姫は、ゲーム『イーゼスト戦記』には登場しない。

 何故なら。

 何故ならシエルレーネ姫は勇者に会う前に病死してしまうからだ。

 享年きょうねん(満)十五歳。

 勇者は聖花歴千百十二年十二月の初週、ハイド村に召喚されてそこからゲームが開始するが、シエルレーネ姫は勇者とは全く接点がないうちに、聖花歴千百十二年中に病死したと報告される。それどころか、ゲーム内でユニット(部隊)が存在したかどうかすら疑わしいのである。

 ゲーム本編でシエルレーネ姫のことが語られるのは、勇者が酒場で食事をとっているときに噂話として聞かされたテキスト文一行のみである。たった一行!


  『勇者は、魔王の一人娘が死んだことを風の便りで知った。それはさておき――』


 何だよ、風の便りって! しかもすぐにさておかれちゃってるし!

 シエルは寝台の上でごろごろと転がった。今の身になって初めて、シエルレーネ姫に対する扱いの酷さに気がついたのだ。

 シエルレーネ姫は『イーゼスト戦記』ユーザーの間でも“悲劇の“姫扱いだったが、それは病死したからではなく、制作スタッフからの酷い扱いに対してではなかったかと(僻目ひがめでなく)思うのだ。

 しかも公式でもシエルレーネ姫のキャラは発表されていなかったのだ。設定集(別売)にシルエットがぽそっとひとつだけ、という薄幸はっこうさだったのである。

 だから転生して最初に鏡をのぞいたとき、うつっていた少女がシエルレーネ姫だとは認識出来なかったのだ。シエルはもしも自分をマイナーすぎるキャラに転生させた神がいるのなら、思いっきりぶん殴ってやりたいと思った。

 その、ぼすっぼすっと枕を叩くシエルを見て「関わらない方が良さそうだ」と、イェーナはそそっとシエルから離れるのだった。

 ぜいぜいと息を切らしたシエルは、寝台に倒れ込む。思考が脱線していたので、話を戻すことにした。現シエルの異常な記憶力の原因である。

 それは、シエルレーネ姫のステータス値の高さにあるとシエルはにらんだ。


 ステータス。

 一般には社会的地位とか身分とかに使われる。ゲームではユニットやキャラクターの能力を表す数値のことである。能力とは攻撃力とか防御力、個人のときは筋力、敏捷力、知力、魅力等の項目である。この項目の内容はゲームによって異なる。これらの数値によってそのユニットの特徴を表すのである。

 例えば力士なら筋力、ボクサーなら敏捷力、マラソンランナーは耐久力、学者なら知力の値が高く設定される等、数値の設定が行われる。

 シエルレーネ姫のステータス値は『イーゼスト戦記』中で最高に設定されていた。数値的には成長しきった勇者に匹敵ひってきし、魔王ムルニッタよりも高い。つまり最強である。

 何故こんなバランスブレーカー的な値に設定したのか。


 答え。

 制作陣は最初からシエルレーネ姫をゲームに登場させる気がなかったから。

 事実、勇者とは戦うこともなく、その高い能力値を生かすこともなく、ひっそりとゲームから退場している。その能力値がこの世界においても反映はんえいされていると考えなければ、シエルの高い記憶力の説明はつかない。そうなると、そもそもこの世界とは何だ、とシエルは再び考えざるを得ないのである。

 ゲームの数値が反映されている世界なんて、ゲームそのものではないか! 周りの人物のみならずここにいる自分ですら、

 (本当に生きているのか)

 と、疑いを持ってしまうのである。


 寝台でぴくりとも動かなくなったシエルを見てイェーナは、

 「死んだか」

 と声に出した。これでこの部屋の覇権は、

 「われのものだ」

 と、高らかに宣言した。神聖イェーナ帝国の誕生であった。

 それを見たタタロナから「何を馬鹿なことを」言ってるの、と拳骨が飛んできた。神聖イェーナ帝国はあえなく滅亡した。

 「姫殿下様、お茶にしましょう」

 タタロナの声にシエルはむくりと寝台から起き上がった。


 この世界の食事は朝夕の二食である。昼はお茶をするのが一般的であった。

 (腹がくかと思ったらそうでもない。この身体がれているのかな)

 お茶(紅茶のようなもの)とビスケットのような菓子がシエルの前に用意される。タタロナに一緒に食べないかと尋ねたが、結構ですと断られた。隣の欠食児童は名残惜しそうではあったが、主人と侍従が同じ卓で飲み食いすることはあり得ないのである。 明日の式典の次第しだいをタタロナが説明してくれた。


 「メレドス公爵閣下の選抜せんばつされた部隊が、帝都南門から入場して南大通りをここまで凱旋します。そしてここオリドール城正面中庭にて第五刻(午前十時)に皇帝陛下が閲兵されます」

 「選抜された面々は大変そう。朝忙しくて」

 シエルは思ったことを素直に口に出す。

 「ほまれを受けるのですから当然でしょう。おそらく第三刻(午前六時)には駐屯地から南門郊外へ移動して来ているはずです。現地で凱旋する部隊の順番と段取りを説明して一旦解散、食事と休憩を終えたら行進の半刻(三十分)前には整列待機。第四刻半(午前九時)に行軍開始」

 シエルは想像してみた。芋洗いもあらいのベルトコンベアの上で順番を待つ自分の姿を。


 「南大通りは帝都民であふれると思います。地区ごとに花を手渡す役は決まっています。オリドール城正門に第五刻(午前十時)ぴったりに到着させなければならないので、担当官は胃が痛いかと思います。何といっても皇帝陛下を待たせるわけにはいかないので」

 スポーツ大会とかの準備開会をするのは大変なのである。テレビを観ているだけの人には分らないだろうけど、関係者はてんてこまいなのだ。そして予定通り進んでくれと天に願う。

 「入城して陛下のいるバルコニー前を一度通過してから、所定の場所へ順次整列」

 「で、私はどうすればいいの?」

 「姫殿下様は第五刻の四半刻(三十分)前にバルコニーの裏側で待機していて下さい。時間になりましたら声を掛けられると思いますので、バルコニーの方に移動して下さい。閲兵が始まりましたら所定の位置で立ったまま整列が終わるのをお待ち下さい。式典の最中はにこやかな笑顔を浮かべて下さい。整列が終わりましたら所定の位置にお座り下さい。皇帝陛下が演説されると思いますので終わるまでお待ちください。来賓の方々も同席されると思いますが、そちらの方は見ないで常に整列中の部隊に目を向けておいてください。式目が全て終わりましたら他の皇子殿下様の後に付いて退出なさって下さい。以上で御座います」


 タタロナが一気に説明を終えた。シエルはえーと前置きしてから彼女に尋ねてみる。

 「予行練習はしないの」

 「必要で御座いますか」

 シエルはちょっと考えてから言った。

 「兄様方の後ろに付いて移動する。兄様方のそばに立ち兄様方と同様に振舞う。しゃべらない。動かない。常に笑顔。視線は前にえる」

 「それでよろしいかと存じます」

 満足そうにタタロナはうなずいた。


 そのあとの予定は第七刻(午後二時)から謁見の間にて戦勝報告、叙勲じょくん、褒賞式。第九刻(午後六時)から大広間にて祝賀、晩餐会ばんさんかいとのこと。

 今日は一日、帝国貴族を記憶することについやすはずだった。が、予想外に早く終わったので午後は時間がいてしまった。タタロナから舞踏ぶとうを習いましょうか、必ず役に立ちますよ、と言われたが明日の祝賀会では病み上がりを理由に断ろうと思っているので、遠慮えんりょしておいた。

 まさか武闘ではあるまいな、とシエルは後で気が付いた。


 『最初に私は日本人男性で、ここに転生させられたと思った』

 『今は前の世界で私が男だったのか女だったのかすら分らなくなっている』

 『それより私は』

 『元からシエルレーネ第一皇女だったのではないかと考え始めている』

 『シエルレーネ姫は生来せいらい想像たくましい性質たちであった』

 『シエルレーネ姫が彼女の妄想もうそうの産物である異世界、日本、地球、ゲーム等を対象に思索しさく遊びをしているという構図こそが真実だ』

 『だからここは現実。こここそが実在する世界なのだ』 

 『現代日本などというものは彼女の頭の中で作り出したもの』

 『間違えるな。現実と妄想を取り違えるな』

 『取り違えると、死ぬよ?』


 シエルは寝台をおおっている天蓋てんがいを眺めながら、深く息をついた。

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