6 皇女の実力(1)

 家族との会食が終わった。

 シエルは、最善の結果ではなかったが、とりあえず一つイベントをクリア出来たので良しとした。そして同じ道筋を辿たどって割り当てられた部屋に戻ってきた。考えてみればシエルは自分の領地を持っているのだから、この部屋は借り物である。とはいえ、小さい頃はここに住んでいたのだろうから、どこが自分の部屋だったか知りたい気がした。

 「タタロナは私がどの部屋に住んでいたか分かる?」

 「いえ、私はつい最近姫殿下様の御付おつきに任じられましたので、昔のことは良く存じません。申し訳御座いません」

 ん、やっぱりかとタタロナの返答を聞いたシエルは思った。もうちょっと年かさの侍女じゃないとシエルの幼年期なんてわからないだろう。年齢的に。とりあえず椅子に座って、シエルは先ほど会った家族について、考えてみることにした。


 ムルニッタ父上。

 ゲームでは勇者と対峙たいじしたときに、「はっはっは勇者よ、よくぞここまで来た!」とか「どうした、その程度か、笑わせる」とか「きたえた筋肉を見せてやる!」とかの脳筋発言ばかり記憶に残っているが、今会った限りでは思慮深しりょぶかさも持ち合わせているような気がする。それに家族に対する愛情は深そうだ。まあゲームの脳筋発言はゲーム的演出だろうから、割り引いて考える必要がある。顔色が悪かったのが少し気になるなとシエルは思った。


 イゼルネ母上。

 ゲームではムルニッタ父上の参謀役といった役割だった。勇者に対する計略とかわなとかはこの人が全部考えていた、という設定だったか。実際に会っても全くその通りだという印象だったし、話をしてもああ、頭が良いんだなと感じさせる女性ひとだった。だが、私つまりシエルレーネ姫に対しては冷たい応対だった。前に確執かくしつでもあったのか、もしくは帝室の者はそう振舞ふるまうべきと考えているのか。魔術の研究に生涯をかけているみたいだ。


 ジャリカ兄上。

 噂通うわさどおりのイケメン。武も文も出来るからムルニッタ父上の後継者として後をいでくれればこの国も安泰あんたいだろう。側にいただけで出来るオーラが凄かった。物腰もやわらかかったけど、あれは第一形態だなとシエルは思った。ゲームで敵役として登場したときは今日みたいに余裕をかましていたけど、ある一定以上不利になると第二形態に移行する。つまり感情むき出しで当たってくるようになるのだ。ゲームではあれだが、この世界ではそんな兄上は見たくないとシエルは思う。


 シャカル兄上。

 ゲームでは主に内政を担当した。そんなわけで、ほとんど勇者と接点がなかった。武力的には大したことがなく、戦場で出会っても脅威きょういにはならない。実際に会って感じた印象は地味、とにかく地味。本人にも野心がなく、よくある後継者争いが起きなかった理由がよくわかる。植物は農業、鉱石は鉱業にそれぞれ関係するのだろうか。


 ブルセボ兄。

 ゲームではボーナスシナリオで出てくるのみ。それも城主としてだけで、その城が落ちると行方不明になり、以後ゲームには登場しない。謎人物。ただひとつ、今日会って分かったことは、調子に乗らせるとどこまでも調子に乗るタイプだってこと。叩いてしつけるのが一番良いと思われる。以上。


 時刻はそろそろ第五刻半(午前十一時)になるかとシエルには思われた。時計など支給しては貰えまいかと、つい左腕をのぞいてしまう。これも前世の時の癖なのだろうか。

 扉が開いてタタロナとイェーナが姿を現した。電話帳くらいの見るからに分厚い本を四、五冊持って入ってきたのだが、それをシエルが座っている前の机の上にどさどさと置いた。シエルがこれは何? と聞くとタタロナは、

 「これは『貴族年鑑』と言って、姫殿下様の帝国の、全貴族の情報が記されている名簿です」

 と無表情で答えた。シエルの口元が思わずひくりとゆがむ。

 「これ、全部覚えるの?」とシエルが半信半疑でタタロナにたずねると、

 「さようで御座います」と声色こわいろも変えずにタタロナが答える。

 「……全部?」とシエルが念を押すと、

 「さようで御座います」と声色も変えずにタタロナが答える。

 「うそでしょ?」とシエルがさらに念を押すと、

 「そのような嘘は申し上げません」と声色も変えずにタタロナが答える。

 がっくりとこうべを垂れたシエルは濡れそぼったカラスのように打ちひしがれていたが、側を通ったイェーナの「ご愁傷様しゅうしょうさまです」というつぶやきを聞いて腰を浮かせかけるも、素早く反応したイェーナが一足で十歩(九メートル)も飛び退いたので、不発に終わったシエルはぐぬぬとうなるばかりであった。それを見たタタロナが言う。

 「ぐぬぬではありません。さっさと覚えて下さい」


 手の届かない距離で口笛を吹いているイェーナを横目に(後でしばく)と決意したシエルは渋々と貴族名簿を開いて眺め始めた。

 「全てを覚えるには時間が足りませんので、その貴族様の御当主名、配偶者名、御子様名、現在の爵位しゃくいを覚えて下さいませ。余裕があれば、略歴、領地の位置までお願いします」

 うへえとしかめつつページをめくる。タタロナは席をはずしますと言って部屋を出て行った。

 ぺら、ぺら、と頁をめくってみると、やたらと本が分厚いのは紙自体が厚いからだと分かった。この世界の製紙技術はまだまだ未熟だと思われた。それで思ったより頁はないようなので、これならばいけるかと記されている文字を追っていると、シエルはあれ? とふと思った。年鑑の頁を眺めていると、やけにすんなりとその内容が頭の中に入ってくるのだ。しかもそれは脳みそに焼き付けられたかのように、シエルの頭の中にくっきりと残っている。

 (あ、れ? 私ってこんなに記憶力良かったっけ?)

 シエルはなか呆然ぼうぜんとしつつも、ぺらりぺらりと頁をめくる手を止めず、気がついたらあっという間に一冊目が終わってしまっていた。

 ぱたんと閉じた年鑑の裏表紙をしばしぼーっと眺めつつ、はっとしたシエルはそれを脇に退け、二冊目を手に取って再び頁をめくる。やはり二冊目も同様であった。シエルはひたすらに頁をめくり続け、二冊目の後に三冊四冊五冊と、わずかな時間のうちに全ての年鑑を暗記してしまった。シエルが五冊目を終えて表紙を閉じると、長椅子ソファに寝そべっているイェーナのすこやかな寝息が、その時になって初めてシエルの耳に入ってきた。


 しばらくののち。

 両手をだらんと下げ、椅子の背もたれに寄りかかって放心しているシエルを部屋に戻ってきたタタロナが発見した。タタロナはふうと息をついて言った。

 「姫殿下様、早く覚えていただかないと困ります」 

 それに対して全然反応しないシエルに、タタロナがもう一度声をかけようとした時、シエルの口が開いた。

 「覚えた」「は⁉」

 ――わずかな静寂せいじゃくの後、間抜まぬけな声を出してしまったことに気づいたタタロナが、こほんと誤魔化ごまかすようにせきを払った後、気を取り直してシエルに向かって再度問いかけた。

 「今、何と?」

 「だから、覚えた――全部……」


 再びの静寂。一瞬固まっていたタタロナだったが、積み重なっている分厚い年鑑の中ほどから一冊抜き出すと、ぱらららと頁をめくって止め、そこに記されている文字を声を出して読み出した。シエルに向かって。

 「ゲランきょう

 それを聞いたシエルは気だるげだったが、タタロナの読んだ後を引きいだ。

 「リジャーノ・ゲラン男爵、蜥蜴人族リザード、ウキャサ・ゲラン男爵夫人、子供無し」

 タタロナはその年鑑を机の上に置き、別な年鑑を手に取ってめくりつつ言った。

 「ニアイス伯」

 「セアド=バルピ・リョザ・グル・ニアイス伯爵。狼人族ウルフ。夫人はサタ・イシェラ・ロウル・ニアイス伯爵夫人。二人の男子。一人の娘。領地は帝国中央北部。主都はカラダス」

 タタロナはまたその年鑑を置いて、別な三冊目を拾い上げる。ぺらりとめくり、声を出す。

 「アレストレア公。略歴まで」

 「グニェル・エイツ・ラ・ファファー公爵。魔人族。セラリュート・ライラ・ファファー公爵夫人との間に三男二女を儲ける。四一一年スタプルコフ生まれ。四三〇年帝都大学入学。四三八年財務局入局。四四八年一等助監査。四五四年二等主監査。四六〇年一等主監査。四六四年二等主計事官。四六八年一等主計事官。四七二年財務一区長官。四八〇年財務総監。四八六年財務大臣。四九二年宰相就任。四七〇年帝室顧問会議委員。四七六年帝室顧問会議理事。四八四年帝室顧問会議議長就任。四八六年帝室顧問会議議長退任――」

 「あ、もう結構です」

 タタロナはぱたんと年鑑を閉じると、一度目を伏せ、いでシエルを見て言った。

 「信じられませんが、どうやら本当のようですね。合格です」

 そう言うと年鑑をかかえて、長椅子で寝ているイェーナの頭の上にひょいと五冊全部落とした。

 「あだあっ! 何すんのさっ!」

 とイェーナは頭をさすって跳ね起きた。そして見下ろしているのがタタロナだと知ると、急にもじもじして、えへへと笑い、長椅子の座り心地ごこちを調べたけど、問題なかったよと言ってタタロナから拳骨げんこつを食らった。


 「お疲れさまでした。しばらく休憩にして、第六刻(午前十二時)にお茶にしましょう」

 タタロナは年鑑を片付けてきますと部屋を出て行った。シエルは寝台に横になった。イェーナが、姫様って頭良いんだねと言うので、シエルが頭を強く打てば良くなるよと返したら、ボクはいつもタタロナにたれているけど良くならないけどどうしてと聞いてきたので、タタロナは優しいから強くたないでしょと答えたら、そうだねタタロナは優しいねと言ってイェーナは笑った。シエルはふたりの関係がうらやましいと思った。


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