5 家族の食卓(2)

 シエルの額に一筋の汗が流れた。

 シエルはフォークを動かしながら、今自分のれる行動はふたつあると思った。

 ひとつは敗北を認め、素直に撤退して傷口を拡げない考えである。要するに以後は無言をつらぬき、食事が終わるまでそれで耐えしのぐのである。無難な方法だと言えた。

 ふたつめはより積極的に動くことである。失地を回復するために果敢かかんに打って出て状況を好転させる。具体的には家族との会話を続けて意思の疎通そつうはかるのであるが、これは多分に玉砕ぎょくさいする危険性をはらんでいた。

 勇壮ゆうそうにもシエルは後者を選択した。

 というよりシエルはこれ以上痛々しい目で見られながら、無言で食事をする空気に耐えられなかったのだ。シエルはこの食事会の最後まで、知らず知らずのうちに泥沼に嵌り込んでいく自分を知覚することが出来なかったが、出来たとしても自重したかどうかははなはだ疑わしかった。

 シエルはさっそく行動を開始した。


 「お父様は棍棒こんぼうをお使いになるのですわよね?」

 唐突に娘から声をかけられた皇帝ムルニッタは食事の手を止めた。他の皆も動きを止めた。うら若き少女から「この紅茶をたしなみますの?」と同様のふうに愛用の武器を問われれば、思わずそうなっても仕方ないだろう。

 皇帝は娘の真意をはかりかねて、口ごもりつつ答えた。

 「あ、ああ、棍棒だけというわけではないが……」

 「業物わざものですの?」

 愛娘の次なる問いに皇帝は本格的に押し黙ってしまった。シエルの言葉に他の皆は、

 (棍棒に業物があるのか!?)

 と一斉に心の中で突っ込んでいたが、皇帝は娘の問いには真摯しんしに答えるべきだと思った。

 「ああ、樹齢三百年の樫の木からけずり出した一品だと聞いている。壊れたことは今までない」

 「素晴らしいですわ、お父様。一度ワタクシにも拝見させてくださりませ」

 「あ、ああ、執務室にあるのでいつでも見に来たらいい」

 「うれしいですわ、お父様!」

 執務室のすみに転がっているのがだがと皇帝は思い浮かべたが、娘は何を思って棍棒なぞ見たがるのかと真意をはかりかねた。それにあれは幾多いくたの敵をほふったその血で黒ずんでいる。そのようなものを正直愛娘には見せたくはないのだがと皇帝は思った。


 次にシエルは皇后イゼルネの方を向いた。

 イゼルネは優雅に食事をとっていたが、その怜悧な瞳がぴくりと動いたような気がした。

 「お母様は魔術の研究をなさっておられるんですよね」

 「そうですが、それが何か」

 イゼルネはこの娘を愛したことはない。生まれてすぐに乳母めのとに引き渡されたはずだし、この十数年で顔を合わせたのはわずか数度だ。今更いまさら何を、というていで娘の次の言葉を待つ。

 「第五階位の空間魔術の正体は、時間操作の魔術だそうですわね」

 イゼルネの目が見開いた。優雅な仕草のその指は、さじを握ったまま動きを止めてしまった。イゼルネは帝国、王国合わせた中でも極めて優秀な魔術師だ。【白の魔女】という二つ名をかんした彼女はまた、熱心な魔術研究者でもある。

 「どうしてそのように思ったのです?」

 イゼルネは内心の動揺どうようを外に出さぬよう、苦労して娘に問いかけた。実は丁度空間魔術の解明を行っていたのである。しかも第五階位の。ピンズドであった。研究が行き詰っていたのだ。

 「えっと、操作する範囲の空間内で、圧縮、凝縮、濃縮、爆縮を行う場合、その細やかな粒の操作を素早くかつ精確に行う為の補助として、時間を短縮、伸長することにより思い通りの事象を空間内に現出できるかと」

 実はこれもゲーム内の知識であった。魔術は第一階位(初級)から第八階位(神級)まであるが、勇者パーティの中に第七階位までの魔術を使いこなす賢者リリンがいたのだ。勇者をやっていたとき、よく彼女が魔術構築について語ってくれたものだった。

 正直勇者としては全く興味がなかったのだが、リリンが実に熱心に話しかけるので、仕方なくそれを聞いているうちに覚えてしまったのだ。毎回同じ話をするので途中からは既読きどくスキップをするようになったが、後から考えるとリリンは単に勇者に話しかける口実として、それを持ち出したにすぎなかったように思える。魔術馬鹿のリリンには他に話題がなかったのだろう。

 (まさか……私が長年研究してきた魔術の深奥しんおうともいうべき部分をこの娘が解明してしまうというの?)

 いや、結論を出すのはまだ早いとイゼルネは思い直した。魔術はひらめきだけでは構築できない。確かな基礎を習得して、かつそれを精確に積み重ねていって次の階位の魔術に至るのだ。

 「魔術に近道なし」と、いわれる所以ゆえんである。

 専門的な勉強をしたことがないこの娘にそれが出来るわけがないのだ。化けの皮をいであげますとイゼルネはさらに質問を重ねる。

 「同じ空間に異なる属性の魔術を二種類以上存在させると、お互いが干渉しあって効果が不明瞭ふめいりょうになることは知っているでしょう(知らなかったでしょう?)」

 「それは異種かつ同位の魔術を共存させるための無属性魔術を間にませれば解決すると思いますが、その魔術は――あれ? 忘れましたわ」

 イゼルネは匙をぽろりと離してしまい、その匙はスープの中にぽちゃんと落ちてしまった。

 (盲点でしたっ! そんな発想がっ! 確かに無属性魔術を緩衝材かんしょうざいにすると考えれば!)

 ぶつぶつとひとり言を言い始めたイゼルネを見て、シエルは失敗したと思った。その無属性魔術を教えてあげられれば、母上の役に立ったのにと。リリンには教わっていたのだが、興味無いことはすぐに忘れるシエルであった。


 さて次は、とシエルは考え始めた。

 順番からいえばシエルはジャリカ兄と話すべきであるが、席順のために間にふたりの兄が挟まっていてなかなか話しづらい。シエルがどうしようかと思案していると、当のジャリカ兄がシエルの右側の開いた椅子に移動してきた。これにはびっくりした。そしてシエルがその兄をほけっと眺めていると、ジャリカ兄が爽やかににこっと笑いかけてきた。イケメンだ。

 「シエルは凄いね。武具にも魔術にも興味あるんだ」

 と、ジャリカ兄がとろけるような甘い声で話しかけてきた。え、何これナチュラルに言ってんの、信じられない。シエルは気をとり直して、目の前の兄には何の話題を振るか考えた。

 (父上と母上にはタタロナ情報とゲーム知識を混ぜて話題を作ったけど。ジャリカ兄は何でも話が出来るっていってたな。逆にやりづらいな……)

 「そういえばジャリカ兄様には婚約者がいらっしゃるとお聞きしましたが、どんなお方でしょうか?」

 などと、タタロナが言っていたような気がする。ジャリカ兄は苦笑して答えた。

 「いや、まだ一度も会ってないんだ。だからどういう女性ひとか良く分らないんだ。答えられなくてごめんね」

 「いま付き合っている方とは一体どうなさるおつもりで」

 と小さく言ったらイケメンが固まった。やはりか、とシエルは思った。勿論確証もちろんかくしょうがあって言ったわけではない。設定集(別売)のジャリカ皇太子のエピソード欄に「帝都で浮名うきなを流す」と書いてあったから、かまをかけてみただけだ。ジャリカ兄はその端正たんせいな顔立ちに汗をかきつつ、

 「い、いやあ、はは、まいったなあ……」

 などと言う。シエルはにらみをきかせつつ、

「ワタクシも女のはしくれですので、あまりいい加減なことをしていると許しませんわよ」

 と、十四歳でしかも元が男か女か覚えてない人間がしれっと言う。我ながら何だかなあとシエルは思った。

 「ははは、シエルレーネは怖いね――」

 と言ってジャリカ兄は肩を落として自分の席に戻って行った。

 「……」

 シエルは去り行くジャリカ兄の後ろ姿を見て、自分は何かイケメンに恨みでもあるのだろうかと思い起こすのであった。当然何も思い出せないのだが。次はシャカル兄か。


 シャカルは隣りにジャリカが戻ってきたときに、その横顔がやつれているのを見て一体何があったんだと息をんだ。自分とは違ってあの、いつも自信満々な兄をどうすればこう短い間に憔悴しょうすいさせられるのかと、シャカルはシエルに対して戦慄せんりつの思いをいだいた。

 「シャカル兄様」

 その声をいて、思わずびくんとシャカルの身体が跳ねた。猫なで声なのに何故なのか。

 「ん、なにかな?」

 そのような思いをけぶりもみせずに鷹揚おうように受け答えするシャカル。これでも貴族として社交の経験も積みつつあるのだ。

 「盆栽というものを知ってますの?」

 「ボンサイ?」シャカルは聞いたこともない単語に目をぱちくりさせた。

 「植物をはちに植えて鑑賞してたのしむものなのですけど」

 ああ、鉢植えかとシャカルは納得した。それなら部屋にいくつか置いてある。疲れたときに眺めたり、世話をすると何と無しに心が安らぐのだ。シャカルがそのようにシエルに言うと、

 「鉢の中に世界を創るのですよ」

 とわけの分らぬことを言い出した。シャカルがきょとんとしていると、

 「わび、さびを解すると、宇宙の真理に到達します」

 などと言い始めた。わび? さび? 宇宙? 妹よ、お前は一体何を言っているんだとシャカルは問いたかった。鉢植えは単に鉢植えではないのかとシエルに言うと、ちっちっちと否定され、

 「混沌こんとん秩序ちつじょせまい鉢の中で濃縮させて表現するのですよ。二十年くらいかけて」

 やってみてくださいましと言われはしたが、シャカルは自分の知っている鉢植えとシエルのいう盆栽は根本的に何かが違う気がした。しかも二十年とは。シエルは自分にどこに向かえと言っているのだろうか。だが、シャカルは次の言葉を吐き出すしかなかった。

 「わ、わかった。やってみよう」

 そのシャカル兄の返事にシエルはにっこりと微笑んだ。

 実はシエルは盆栽のことなど何も知りはしなかったが、山から適当に若木を拾ってきて鉢に植えて、適当に世話をしてればなんとかなるんじゃあないかと思っていた。

 実にめた考えであった。それで生活している人がシエルの考えを知ったら、

 「そこへなおれ、かつ!」

 と気合を入れられてしまうことけ合いであった。


 さて、これで家族四人と交流は出来た、とシエルは思った。シエルは自分の会話が家族団らんの潤滑油となって、和気あいあいの雰囲気づくりに一役買えたかな、と周りを見回してみると、皇帝は何やら思案顔だし、母上はしかめ面でぶつぶつとつぶやいている。ジャリカ兄はうわの空の表情でフォークをくるくる回しているし、シャカル兄は、わびが、さびがと繰り返している。

 シエルはこれはちょっとおかしいのではと思った。自分の意図したこととはまるっきり逆の光景が目に映っているではないか。おかしい、変だとシエルが悩んでいると、侍従長が皇帝に近づき何やら話し掛けている。皇帝はそれを聞いてうなずき、立ち上がって言った。

 「皆、時間になってしまった。名残惜なごりおしいが、ここまでとする。一緒の時間を作るのは難しいが、出来る限りこの様な食事の機会を持ちたいと思う。シエル」

 突然名前を呼ばれたシエルは「は、はいっ」と言ってぴょんと立ち上がった。

 「今日はシエルの新しい一面を見れて良かった。み上がりなんだから無理はするな。ではな」と言って侍従長をともない皇后共々出て行った。

 小食堂に残されたのは四人の兄妹である。四人はそれぞれ顔を見合わせ、「じゃあ」と言ってまずジャリカ兄が退室した。次いでシャカル兄が、最後のブルセボ兄は「か、会話。会話」とぶつぶつ言っていたが、結局出て行った。小食堂にはシエルだけが残された。


 食事係の侍女たちは動かずに控えている。シエルが退室しなければ片付けは出来ないのだ。シエルは肩を落として立ち上がった。家族とコミュニケーションをとろうとしたが、それはどうやら上手くいかなかったようだと察したのだ。

 シエルは部屋を出る直前に振り返った。長机には料理の皿が運ばれた時と同じように並んでいる。しかしもはや椅子には誰も座ってはいない。

 (怒涛どとうの食事会だったな……)

 シエルは今日の食事会は忘れないだろうと思い、部屋を出た。侍女たちが一斉に片付けに入る。皇帝はこのような機会をまた持ちたいと言ったが、家族一同揃っての食事会は、これが最後となるのである。

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