4 家族の食卓(1)

 皇帝陛下の居城オリドールは広大である。やたらと高い天井を持つ通路の両側には、近衛兵が等間隔で直立し、警備に当たっている。帝族であるシエルが前を通ると、カチッと敬礼してくる。その音を聞く度に、シエルは反射的にびくんとしてしまうのだが、おびえすぎなのだろうか。慣れない身体に慣れない立場、環境。

 近衛兵たちや侍女からは、自分にではなく外見であるシエルレーネ姫に、うやまいの気持ちが向いているように感じる。はっ、何を当たり前なことを。夢の国の着ぐるみだって、外面のキャラクターに子供たちは親しみを感じるのであって、それは中に入っている人に向けられたものじゃない。窓にうつる綺麗に化粧されたシエルレーネ姫を見るたびに、はことさらそう思ってしまうのだ。

 通路の窓からは帝都スラミヤの街並みが広がっている。炊煙すいえんが幾十も上がっているのが見え、そこに住まう人々の確かな生活の場だと感じられる。単なるゲームの世界だと思っていると、大きな間違いを犯しそうだ。

 あの人々はNPC(ノンプレイヤーキャラクター:人が動かすのではなく、あらかじめ与えられたプログラムにそって動くコンピューターのキャラクター)なのか本物の生き物なのか、タタロナとイェーナのふたり、侍女、兵士らと接した後でもシエルは一体どちらなのかと、いまだに判断がつきかねていた。


 小食堂の前に到着した。してしまった。二本の足を交互に動かして前に進めば、いずれ目的地に達するのは世の道理である。でも、道理が通らない日が一年に一日くらいあってもいいと思うんだ私は、とシエルは理屈に合わない理屈をこねまわしていた。相変わらずあきらめの悪い逃避だった。

 「では私は外でお待ちしております。ごゆっくりなさいませ」

 と、タタロナが後ろに下がる。シエルの逃避はわずか数秒で瓦解がかいした。

 小食堂は帝室の家族専用の私的な空間である。

 来客と会食する時は別な場所を使う。皇帝の職は激務である。家族と一緒に食事が出来るのはまれらしい。だが今日は珍しいことに家族全員がそろっていた。非常な幸運と言えよう。

 「非常な幸運なんだ。ふ~ん」

 と、シエルは誰に向かって言っているのかわからないつぶやきをした。

 ふ~ん。ふ~ん。

 「さっさとお入り下さいませ」

 心なしか威圧を感じる声で、耳元でタタロナにささやかれた。シエルは観念して扉に向かった。扉前に立つと、担当者が開けてくれた。シエルは断腸だんちょうの思い? 清水きよみずの舞台から? 意を決して? そう、意を決して中に入った!


 食堂に入ると自分以外の家族は全員揃って席に座っていた。

 (やばっ、末席の私が一番最後に到着しちゃった!)

 そう思いつつ素早くシエルは自分の両親、兄たちを観察した。


 まず一番奥に座っている父親のムルニッタ。ウルグルド帝国現皇帝。金髪、分厚い胸板、丸太のようなかいないかつい顔。筋肉。身長は二メートルを超える。威圧感半端ない。激務が続いているせいか、こころもち顔色が悪そうに見える。寝ていないのだろうか。


 そのムルニッタの向左側に座っているのが母親のイゼルネ。ウルグルド帝国皇后。白髪。今は目をつむっているけど紅い目。透き通った肌。確かアルビノだったかも。腕ききの魔術師、研究者。怜悧れいりというのがぴったりの美女。


 父の向右側、母の対面に座っているのがシエルの三人の兄。年齢順に並んでいる。

 ジャリカ兄。第一皇子。皇太子。白髪、白い肌。母親のイゼルネに最も良く似ている。美男子。かつ文武両道。美声。何故神(制作スタッフ)はこのような完璧超人を世に送りたもうたか。


 シャカル兄。第二皇子。金髪。痩身そうしん。地味な印象。武の方は不得意の文官肌。学者肌。いぶし銀の趣味(植物と鉱物)を持つ男。フィールドワークをするようには見えないけど。


 ブルセボ兄。第三皇子。金髪。壜底眼鏡びんぞこめがね。体系はぷっくり。そばかすあり。口が3。電気街でよく見かけそうな雰囲気。何か分からぬものを作るのが趣味とか。謎生物。


 シエルはさっと観察を終え、挨拶あいさつを始める。

 「父上、母上、兄上様方、御心配をおかけして申し訳ございませんでした。シエルは見ての通り元気になりましたので、今後ともよろしくお願い致します」

 ぺこりとお辞儀じぎをする。

「……」

 あれ、反応なし。食堂は静かなまま。挨拶を終えて、シエルがぽつねんとしていると、父があごをしゃくりあげた。座れ、ということらしい。ブルセボ兄の隣を指し示めされた。シエルはしずしずとそこに向かい、軽く会釈えしゃくをしてから座る。座席が高い。床から足が離れた。

 再び父が顎をしゃくる。侍従長が頷いてぱんと手を叩く。扉が開いて、料理が運ばれてきた。父と母がナプキンを広げたので、シエルもそれにならう。料理は一度に並べるようだ。並べ終わっても誰も手を付けない。ああ、そういえば毒見なんてのもあったっけ。庶民とは違う苦労にシエルはただ(めんどくさい)と思うだけであった。

 女官服を着た女性が入ってきた。シエルは横目でその姿を見てびっくりした。腰から上は人、下は蛇だったからだ。

蛇人族ラミアか!)

 その女官は父の長机をはさんだ対面に立ち、何やら呪文を唱えた。光のうずが料理に降りそそぐ。十秒ほど降り注いで光はんだ。女性はぺこりとお辞儀じぎをして部屋を出て行った。


 「よし、いただこう」

 父の声により食事が始まった。低くて渋い声だ。かちゃかちゃと食器の音が鳴り始める。シエルは隣りのブルセボ兄に小声で話しかけた。

 「さっきの呪文ってなに?」ブルセボ兄はやや鼻の穴をひろげながら言った。

 「毒消しの呪文だよ、料理用のね」またブルセボ兄の鼻の穴が拡がった。

 なるほど、『料理用』の毒消しの呪文は初めて見た、とシエルは思った。ゲームでは呪文は九割が戦闘に関するものだったからだ。シエルはフォークで目の前の料理を取り、口に運ぶ。うん、不味まずくない。普通の味だった。ただちょっと大味おおあじというか――シエルがそう感じていると、隣りからふっふっふっという含み笑いが聞こえてきた。再びブルセボ兄の登場であった。毒消しの呪文の弊害へいがいさ、と得意げに教えてくれる。

 「毒消しの呪文は有用だけど、不必要なものも浄化してしまうことがあるのさ。例えば刺激のある香辛料こうしんりょうとか、毒と判断されて無効化されてしまうことがあるんだよ!」

 なるほどなるほど、ためになります兄上様凄いと、シエルはブルセボ兄をヨイショしておく。ブルセボ兄は若干胸を反らして、鼻の両穴から蒸気機関車のようにぷしゅーと息を吐きだした。(D51デコイチか、あんたは)とシエルは口に出さずに突っ込んだ。どうやらシエルはブルセボ兄なら(どんな対応をしても)大丈夫だと確信した。


 「ところでシエルレーネ、本当に身体の方は大丈夫なんだろうな?」

 と父が威圧感たっぷり(シエルの主観)に言ってきた。びくん! とシエルの身体が跳ねる。家族全員の視線がわが身に集まっているのをシエルは感じた。背中に汗が流れる。「ん?」と再び父が聞いてきた(シエルには「あ~ん?」と聞こえた)

 (何か喋らなくちゃいけない! 何か! 早く!)

 シエルは焦った。父が待っている。

 ムルニッタはまさに、我が娘を心配してたずねたのだが、シエルにはそれが詰問きつもんされているように聞こえたのだ。

 「ワタシ……」全員がシエルの言葉に耳を傾ける。

 「ワタクシ、問題御座いませんことよ、御父様おとうさま。シエルは元気溌剌げんきはつらつで御飯が美味しいことこの上なしで御座いますわ」

 おほほと笑ってからシエルは食事を再開した。緊張してちょっと口調がおかしくなってしまったが、(漫画の)貴族令嬢はこんな感じで喋っているから(先入観)、問題はないはずだとシエルは結論づけた。


 だが。

 皇帝を含むシエル以外の全員が、怪訝けげんな顔をしていた。皆、シエルの先ほどの発言を「おかしい」と思ったのだった。

 シエルの何がおかしいのか。まず口調が変であった。「ワタクシ」とは一体誰を指して言った言葉なのか。全員がお互いの顔をのぞき合った。

 次に「御飯が美味しい」などと、食事に関しての感想も初めて聞いた。本来のシエルレーネならば不愛想に、「問題ない」の一言で終わりのはずだった。

 第三に、妙に饒舌じょうぜつだった。あんなに喋ったシエルは家族でも今まで見たことがなかった。そういえば挨拶からしておかしかった。ぺこり、以前のシエルなら頭をひとつ下げて終わりである。


 今現在、食堂でかちゃかちゃとフォークとスプーンを動かしているのは、シエルだけであった。シエルはその静けさにふと顔を上げ、いまだに皆が自分を見つめていることを知り、にこやかに微笑んで、言った。

 「シエルは全然全くこれっぽっちも心配ご無用で御座いますわ御飯美味しいで御座いますし」

 御飯が美味しいということを二度言ったのは、自分の身体はご飯を美味しく食べられるほど回復しましたよ、との周りへのシエルなりの配慮であったのだが、それを聞いた他の五人はまるでパイに包まれたにしんのような表情になった。


 皇帝ムルニッタは思わず、自分の方に向けて微笑ほほえんでいる娘の顔をまじまじと見つめてしまった。

 わが娘はあんな素直でさわやかな笑顔を見せる子だっただろうかと、いぶかしんだのである。不愛想と無表情が標準で、「あ、そう」が口癖だった頃の娘は何処どこへ行ってしまったのだろうかと。昨夜侍従長からはそう聞かされたが、われのシエルは本当に回復したのだろうかと。

 ムルニッタはちらと侍従長の方を見ると、顔にだくだくと汗を流している年配の男が目に入った。ムルニッタは首を振りながら、ぼそっとつぶやいた。

 「頭を強く打ったとは聞いていたが――どうやらそのようだな……」


 その一言を機にシエルの兄弟がひそひそと喋りはじめた。母のイゼルネは無言で、誰とも目を合わせずに食事を再開した。

 (おい、どういうことだ。今日のシエルは明らかにおかしいぞ)

 (私はシエルの微笑みなんて始めてみましたよ?)

 (今の妹ちゃんはボク的にはアリだと思うな)

 ジャリカ、シャカル、ブルセボのつぶやきである。ひそひそとは言っても、すぐ隣りにいるのだからシエルには丸聞こえであった。

 シエルは自分が盛大にやらかしたことをやっと悟ったのである。

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