3 二日目の朝

 夜が明けた。転生して二日目。ゼカ歴四九八年九月二十三日。

 「起きてしまった……」

 朝、夏の終わりの透明感のある日差しが、シエルの顔を照らし出している。

 シエルは豪奢ごうしゃな寝台の上で、上半身を起こし目をこすって、自分の身体をあらためてながめてため息をついた。その姿は昨夜と変わっていない。そっと胸に手を当ててみる。貧――華奢きゃしゃな女の子の身体つきだとシエルは思った。

 (目覚めなくても良かったのに)

 悲観的というよりは、現実逃避感あふれる思いをいだきつつ、さて今日はどうすればよいのかと考えをめぐらし始めた直後、

 「お早うございます」

 と、唐突に背後から声を掛けられ身体がびくんとねた。

 シエルが振り向くと、部屋の片隅には昨夜会った二人の侍従が頭を下げていた。

 (ま、またこのパターンか……)

 ひとりは貴人に対する完璧な礼。タタロナである。もう一人は表情が見えないが、その肩は肩は震えていた。イェーナである。


 いったい何時から、自分は寝顔を見られていたんだろう、と考えると顔が熱くなる。タタロナはすまし顔である。イェーナはまだ顔を上げておらず、肩はふるえたままである。

 シエルは寝台をぴょんと飛び降りてだだっと素早く駆け寄って、その笑いをこらえている不敬ふけい侍従じじゅうの額に、思い切りデコピンをかませてやった。

 「あだあっ」

 イェーナは額を押さえてその場にうずくまった。ふんっとシエルは勝ちほこったように胸をらせる。タタロナはそんなふたりを見て顔をしかめた。

 「姫殿下様。お行儀が悪う御座います」

 「こやつが私を笑うから、らしめてやったのよ」

 「うう……わ、笑ってないですよぅ。ひどいです姫様……」

 実は昨夜イェーナに大爆笑されたのをシエルは思い出したのだ。意外と根に持つ姫様であった。涙目なみだめで見上げてくるイェーナを見て、転生以来、久しぶりに気が晴れたシエルであった。


 そんな主従を眺めつつ、感情を表さない秘書然とした口調でタタロナが話し始める。

 「姫殿下様の御予定ですが、本日はまず第四刻から小食堂にて、御家族様との朝食となります」

 (第四刻、午前八時か……)

 シエルは第四刻と聞いて、ゲームと同じだと思った。


 第一刻(午前二時)

 第二刻(午前四時)

 第三刻(午前六時)

 第四刻(午前八時)

 第五刻(午前十時)

 第六刻(午前十二時)

 第七刻(午後二時)

 第八刻(午後四時) 

 第九刻(午後六時)

 第十刻(午後八時)

 第十一刻(午後十時)

 第十二刻(午前〇時)


 要は二時間で一刻なのである。午前三時などは「第一刻半」と表す。午前二時半とか午前三時半は「第一刻一半」「第一刻半二」と、それぞれいう。

 普通に現代表示にした方が楽なのにとシエルは思ったが、ゲームの制作スタッフが

 雰囲気にこだわった結果だそうだ。ついでにゲームでの時間単位は次の通りである。


 一日=十二刻=二十四時間

 一週=七日=八十四刻=百六十八時間

 一ヶ月=四週=二十八日

 一年=十三ヶ月=五十二週=三百六十四日プラス一日=三百六十五日


 日数にプラス一日というのは第十三月のみ日数が二十九日あるからだ。これで地球の暦と同日数になるわけだが、そこまで同じにするなら地球の暦を使えばいいじゃん(いいじゃん)と言いたくなるが、そこはやはり雰囲気でネ、という制作スタッフの意向らしかった。


 「ちょっと待て。いきなりこれから家族と会食するのか」

 暦のことを考えていたシエルは、あやうくタタロナの最後の言葉をのがすところだった。

 「さようで御座います」

 とあくまでも秘書然とした態度を崩さないタタロナである。

 「難易度高くないか⁉」

 「事前説明はおえと同時に致しましょう」

 ぱんとタタロナが手を鳴らすと、扉が開いてどやどやと侍女たちが部屋に入ってきた。

 「皇女殿下様、姿見すがたみの前の椅子いすにお座り下さい」

 シエルはその通りにした。周りに侍女たちが群がる。シエルは着せ替え人形の気分になった。

 「会食なされるのは皇帝陛下、皇后陛下、皇太子様、第二皇子様、第三皇子様で御座います」

 いきなり魔王家族オールキャストでの食事会。シエルはきりきりと胃が痛くなってきた。

 「食事の礼儀作法などはどうなるのだ」

 「適当で」

 「は⁉」

 タタロナの言葉にシエルの素の声が出た。こほんとせきを払ったタタロナは言う。

 「せっかくの御家族様だけの会食なのですから、楽しむ雰囲気が重要かと存じます」

 雰囲気重視か、制作スタッフみたいだな! と、少しは気が楽になったシエルである。

 

「他には何か御座いますか」

 タタロナめ、有能でクールな秘書っぽく言いやがって、イェーナを見てみろ、窓の外を眺めて口笛なんか吹いてるぞ、見習えとシエルは訳の分からないことを考えていたが、何となしにひとつだけ聞いてみた。

 「ちゃんと私が記憶を失っていることは皆に説明してあるのだろうな」

 「……」

 はて、有能な秘書どのからの返答がないとシエルが顔を向けてみると、その有能な秘書どのの顔に一筋の汗が流れている。「ちょ、おま――」タタロナは何故なぜか言いよどんでいたが、

 「実は昨夜あの後すぐに侍従長に、姫殿下様が目を御覚おさましになられたことを伝えまして、御家族様への取次ぎを頼んだので御座います。侍従長は姫殿下様の御容態が変化したら、ただちに知らせろと陛下より申しつけられておりましたので、さっそく報告にうかがい伝えましたところ、陛下が大喜びなさいまして――」

 「て」のところでシエルの嫌な予感は爆発的にふくれ上がった。シエルはタタロナの言葉に無理矢理おおいかぶせるように言葉を投げつけた。

 「そうしてその後に私が記憶を失っていることを伝えたのだな!」

 「――あまりの陛下の喜びように、凶報は伝えがたくと侍従長に泣きつかれまして……」

 「泣きたいのはこっちだよ!」


 つまり肝心かんじんな事は何も伝わってないと理解したシエルは天をあおいだ。そんなシエルとタタロナのやりとりにも動揺せずに、シエルの身支度を黙々と整え続けている侍女たちに、シエルはプロ意識を垣間かいま見たが、いま考えることはそこではない。

 「今朝は食欲がなくて、と逃げることはできないのか?」

 「食事ではなく陛下は姫殿下様のお顔を見たいのだと存じます」

 暗に食事に顔を出さなければ陛下がこちらに来ますよ、と言っているようにも思えるが、さて。

 「……」

 シエルは計算した。食事に出なかったときのメリットとデメリットを。タタロナは黙って横にひかえている。しばらくして「わかった」と、計算し終えたシエルは言った。

 「出席しよう。売りに出される家畜の気分だが、仕方あるまい」

 タタロナはうなずいた。


 「では、父上らと会話するのに、どのような話題を出せば良いか」

 まずは天気の話からだな! とシエルは思った。え~本日はお日柄ひがらも良く――

 「申し訳御座いません。御家族の方々が好まれる話題を私は良く存じ上げません……」

 タタロナは申し訳なさそうに頭を下げてそうあやまった。シエルはあせった。

 予備知識なしで会話をするのはかなりハードルが高い。シエルはタタロナに知恵をしぼくせと厳命した。具体的には「そこをなんとか」と、セールスマンのように平身低頭へいしんていとうでお願いしたのだ。

 タタロナはやや顔をうつむかせて考えていたが、顔を上げて口を開いた。

 「陛下は武技、武具などの話を好まれるようです」

 そうだな、あいつは筋肉だからなとゲームの中で幾度いくども戦ったシエルは納得した。

 「皇后様は魔術関係の話を好まれます」

 そういえば、皇后イゼルネは【白の魔女】と呼ばれるほど魔術にけていたな。

 「皇太子様は大抵たいていの話題は出来るかと思われます」

 ジャリカ兄はイケメンかつリア充だからな。女性と話すことは大の得意技ということか。死ねッ!

 「第二皇子様は植物とか鉱石に興味があると聞いた覚えがあります」

 年齢としをとると段々に有機物から無機物の方に興味が向くらしいが。シャカル兄はすでれているとか⁉

 「第三皇子様の好みは私には理解できません」

 シエルはタタロナが最後、き捨てるように言ったのが気になったが、まあよいだろうと納得した。「他には何か御座いますか」とタタロナに聞かれたのでシエルは「今は良い」と答えておいた。


 相変わらず、シエルの身支度みじたくが続いている。

 「……」

 シエルはじっと座っている。

 シエルはじっと座っている。

 シエルはじっと座っている。

 「……」(いつまでかかるんだ、これ)

 シエルは自分の世話をしている侍女の動きを観察していたが、何故何度も同じことを繰り返すのだろうか、と思わざるを得なかった。実際は同じことではなく、美しくなるように手順に従って肌や髪を整えているわけだが、以前の自分が男だか女だかはっきりしないシエルには、

 (自分が化粧に興味がなかったのは確かだ)と認識させるだけにとどまった。

 お召し替えは続いている。


 そのうちにシエルは自分がもよおしてしまったことを感じた。

 しばらくシエルは我慢していたが、遂にタタロナに小声で申し出た。タタロナはシエルの言葉を聞くと頷いて、後ろにひかえていた侍女のひとりに目配めくばせをする。それを了承した侍女は部屋から出ていく。また、何事もなかったかのように、身支度が続いている。シエルは困惑こんわくした。

 (え、こっちの話は通じているよね? トイレに案内してもらえれば、それでいいんだけど) 

 横に控えて目を伏せているタタロナに、ちらちらと視線を送っていたシエルは、先ほど部屋を出て行った侍女が何かを持って戻ってくるのを見た。その侍女は、しずしずとシエルのそばまで近寄って、持っていたものをおごそかに置いていき、また元の位置に戻った。シエルはそれを凝視ぎょうしした。

 シエルの目の前に置かれたものは桶――おけ――であった。


 「……」

 周りの侍女たちは何ら気にせずに、自分たちの作業を進めていた。桶を見てぼーっとしているシエルを見て、タタロナはすすすと近づいて声を掛けた。

 「姫殿下様、さっさと用を足して下さいませ。作業の邪魔になりますから」

 (なりますからなりますからなりますからなりますから……成増?)

 シエルの脳内ではタタロナの声が反響していた。その声は、どこか遠くで鳴り響いているようで、それを聞いたシエルの胸中きょうちゅうに、いつしかなつかしさをび起こすのだった。完。


 お召し替え担当の侍女たちは手を止めてタタロナの方を見ている。

 タタロナは小さく肩をすくめてから、放心したシエルの両脇に手を差し込み、そのまま持ち上げて無理矢理立たせた後、寝間着をまくり上げて下半身をあらわにし、しゃがみ込ませてそのまま用を足させてからくだんの侍女に桶を片付けさせ、手に持った布巾ふきんしもの後始末をしてシエルを再び椅子に座らせ、担当の侍女たちに早くしなさいと指示をして部屋を出て行った。


 シエルが意識を取り戻したときには既に着替えは終わっており、大半の侍女は引けていなくなっていた。シエルは先ほど自分の身に起ったことを丁寧ていねい梱包こんぽうし、押し入れ深くに封印しておくことにした。そして明日からは朝一で体内の液体を最後の一滴まで絞り出すことを固く誓ったのである。

 「姫殿下様。そろそろ小食堂に移動したく存じますが」

 気が付くと、いつの間にかに食事の予定時刻である第四刻に近づいていた。

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