2 最初の夜(2)

 シエルには、かつてはまったゲームが、(後にも先にも)ひとつだけあった。

 それが、 

 『イーゼスト戦記』

 というゲームだった。テレビに繋いで遊ぶ家庭用のゲームである。

 『イーゼスト戦記』はSRPGというジャンルのゲームだった。SRPGとはシミュレーション・ロールプレイングゲームを略した言葉である。

 シミュレーションゲームとは、現実のある状況を仮想的に再現し、それをプレイヤーが色々と判断して行動を選択し、結果を体験するゲームである。車や飛行機を運転したり、会社を経営したり、軍隊を指揮する等色々な種類がある。

 ロールプレイングゲームとは、プレイヤーが割り当てられたキャラクターを演じて遊ぶゲームのことで、他の仲間とパーティを組んで、モンスターを倒して成長するのがその一例だ。

 SRPGは、このふたつの要素が組み合わさったゲームのことである。


『イーゼスト戦記』は、イーゼスト大陸で繰り広げられる人族対魔族の戦争ゲームだ。プレイヤーは人族の勇者を操作して、魔族の軍隊と戦う。最終的には魔族の本拠地にいる魔王を倒せば勝ちでゲームクリア、途中で勇者が倒されると負けでゲームオーバーである。

 とはいえ、セーブというデータを記録する機能があるので、そこから何度でも繰り返してプレイ出来るので、特別に難易度が高いわけではない。


 ゲーム開始直後の勇者の状況は厳しい。救うべき王国は、その領地のほとんどが魔族に占領されているし、勇者のレベルも低く仲間も少ない。唯一の救いは魔族がこの勇者をめて、歯牙しがにもかけていないことだ。つまり油断してくれているのである。

 初めのうちの勇者は名声が低く無名である。魔族もそんな勇者など気にもせず、本気でつぶそうともしない。まあ最初から全力でこられると、低レベルの勇者ではすぐに死んでしまってゲームにならないので、そこはお約束というやつである。

 そうして魔族の隙をついて勇者は成長していき、段々と本当の【勇者】としてふさわしい力を付けていくのだ。

 魔族に占領されていた土地もひとつひとつ解放していって、徐々に形勢を盛り返していくのがゲームの流れである。

 そのうちに魔族の方も勇者が脅威きょういであることを認識にんしきするようになり、手強い相手を投入してきて激戦が繰り返される。これが最終決戦まで続くのである。


 この戦闘の合間に、仲間との出会いがあったり、喧嘩けんかをしたり、陰謀いんぼうに巻き込まれたり、恋愛などがあったりして、物語が進行していくのだ。そしてゲームをクリアすると、勇者のそれまでの行動により、様々なエンディングを迎える。マルチエンディングというシステムである。

 勇者と王女様が結ばれる王道エンドから、仲間の一人と結婚したり、一人旅に出たり、商売を始めたり、行方不明になったりする。

 実は勇者は現代日本から召喚しょうかんされてきた日本人である、という設定になっていて、行方不明というのはつまり、勇者が日本に帰ったことを暗に示しているとか。


 この『イーゼスト戦記』をシエルは「死ぬほど」やりこんだのだ。関連商品も含めて手に入れなかったものはない、と言い切れるほどだ。後から思うと、どうしてそこまでのめり込んでしまったのかと自分でも不思議に思うのだが、「はまる」というのは元来そういうものなのだろう。

 その『イーゼスト戦記』の中へどうやらシエルは転生してしまった――らしい。


 ゲームの中に転生する? ――そんなことはあり得ない。

 あり得ないこととシエルも思ってはいるが、タタロナの口から出たキーワードは全て『イーゼスト戦記』の固有名詞である。

 ウルグルド帝国、首都スラミヤ、居城オリドール、皇帝ムルニッタ、ゼカ歴、リフトレーア王国、首都パラスナ、メルドス公爵、、聖花歴……そして先ほどシエルが出会ったふたりこそ、

 タタロナ。狐人族。のちに【蒼血の舞踏姫】と呼ばれる。

 イェーナ。有翼族。のちに【紅風の蹂躙者】と呼ばれる。

 どちらも王国兵を殺しまくったやつらであった(あくまでゲーム内で)。

 その凶悪なふたりがいきなり自分の目の前に出て来てシエルはびっくりしたが、それがふたりともシエルレーネ姫の侍従じじゅうだったという事実に、彼女は二度びっくりしたのだった。


 シエルは今も自分で頬をつねっているが、さっきからそのような行動をりっぱなしなのだ。頭をこんこんと叩いたり、鏡をちらちらと横目で見たり、豪奢ごうしゃな部屋をぐるりとながめてみたり……

 そしてこの頭に生えている二本の羊角ようかくである。シエルはしゃがみ込んで頭を抱えた。そしてそのまま後ろに倒れ込み、分厚い絨毯じゅうたんの上に大の字になった。

 (自分の個人情報は全く覚えていないのに、ゲームに関しては嫌になるくらい克明こくめいに覚えているのって、どういうことよ……)

 情報はここがゲームの世界だということをはっきりと示しているが、感情はそれを受け入れ拒否しているのが今のシエルであった。はあ、とため息をつく。


 シエルに出来ることは、現状を受け入れるか、拒否するか、無視するかの三択だ。

 もっとも拒否するにしても無視するにしても、びっくりするような状況は次から次へとシエルの身に振りかかってくるだろう。それに対して、あまりにも皇女として無責任な態度を取り続ければ、幽閉されるか、物理的に消されてしまうかもしれない。それは現実に地球の歴史でもあったことだし、基本的人権の薄そうな、また命が軽そうなこの世界では特にそうなる可能性は高そうである。

 そういうことで、最初からシエルには分かっていたが、結局、今の状況を受け入れるという選択しかないのだった。


 しかし、とシエルは思った。

 何故なぜ自分は魔族に転生したのか。さらに何故、よりにもよって帝族なのか。もしシエルが勇者として転生あるいは転移(現実世界の自分がそのまま異世界に来てしまうこと。浦島太郎とか)したならば、今よりは余程よほど楽に自分の置かれた状況を受け入れられたと思う。または単なる一般人としてならば、選択の自由度は大きく広がっただろう。

 ……たらればの話はやめよう。結論を言ってしまえば、勇者を倒してしまえばシエルに迫る脅威きょういはほぼ無くなるとみていい。彼を倒すことが出来れば、後はのんびりと過ごすことが出来るだろう。

 武器はある。膨大ぼうだいな時間をぎ込んで得たゲーム知識だ。


 聖花歴千百十二年十二月第一週第一ターン。ゼカ歴なら四九八年、つまり今年である。場所はのちに”はじまりの村”と呼ばれることになるハイド村。その郊外にこの世界に召喚された勇者が転移してくる。ゲームの始まりである。

 勇者はそこに待っていた【聖女】アンジェリカから聖剣リュミラーデを受け取り、魔王を倒す長い旅が始まる、というのが『イーゼスト戦記』のプロローグになる。

 つまり勇者が転移する場所も時間も分かっているのだから、彼が全然成長していないうちに兵を送って倒してしまえばいい、というのが最適解さいてきかいだろう。どうせこの世界に勇者が出現したならば、魔族を滅ぼそうと行動を開始するのは間違いないのだから。尤もゲームの通りに進行するならば、だが。


 簡単なお仕事である。

 ゲームでいえばプロローグを見てる間に、突然現れた魔族に無慈悲に襲撃されて勇者死亡みたいな感じが最高と思われる。プレイヤーとしてみれば、ぽかーん……だろうけど。

 「酷い話だ」と、シエルは首を振ってあらためて思った。どういう奴が転移してくるのか知らないが、聖女様から説明を受けている――ゲームで言えばチュートリアルの――最中に突然襲われて、わけもわからないうちに人生を終わらせられるのだから。もしそんなゲームがあったら、自分でもクソゲ―認定待ったなしなのは間違いなかった。金返せのレベルですらない。


 「ふぁあ」眠い、とシエルはあくびをする。

 ともかく、勇者の件についてはりうる選択肢のひとつに過ぎない。まだ全然状況が分かっていないのだ。この世界が本当に『イーゼスト戦記』の世界なのか。自分は本当に【皇女】シエルレーネ姫なのか。結論を出すには早すぎる。いまだここが”夢の中”という可能性も捨て切れていないのだ。

 シエルはむくりと起き上がった。今夜は自分の人生の中でも、格別な夜だろうと思った。


 異世界に転生した → 記憶を失っていた → ゲームの中だった → ゲームキャラに転生した → 敵役かたきやくの魔族のお姫様だった → 魔族として勇者を殺す?


 シエルはもそもそと寝台に潜り込み、毛布をかぶった。目を閉じると、すぐに眠気が襲ってきた。

 (だけどきわめつけは自分が転生したシエルレーネ姫が、実はゲームに出てこないキャラだという……)

 シエルは、起きたら現代日本に戻っていることを願いつつ、眠りに落ちるのだった。






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