第一章 帝都にて

1 最初の夜(1)

 部屋の南側一面にめ込まれた硝子ガラス窓から月明かりが差し込んでいる。それは○○のいる寝台までは届かなかったが、代わりに蝋燭の柔らかな光がそれをおぎなって辺りを照らしていた。

 ○○の先ほどの発言は、現在部屋にいる三人から言葉を奪って、奇妙な沈黙ちんもくを作り出していた。ごくりとのどが鳴ったのは、一体誰のものだったのか。一歩前に出た狐耳眼鏡が、それを破るように言った。

 「ここはウルグルド帝国、首都スラミヤにある皇帝陛下の居城オリドールの一室です」

 一気によどみなく答える。○○の目は見開き、さらに答えを欲していた。狐耳眼鏡が続ける。

 「貴女あなた様は現皇帝ムルニッタ陛下のご息女、シエルレーネ第一皇女殿下様に御座ございます」

 「シエルレーネ……第一皇女殿下……」○○は呆然ぼうぜんとつぶやく。 「さようで御座います。そして私どもが」

 そう言って狐耳眼鏡が寝転がっている有翼紅髪をっ飛ばす。有翼紅髪は跳ね起きた。

 「貴女様の御付おつきを命じられました私タタロナと、こちらイェーナに御座います」

 以後お見知りおきを下さいませ、とタタロナは優雅に、イェーナはぎこちなく挨拶カーテシー披露ひろうした。


 「……」

 ○○(名前を得た。以後シエルと呼ぶ)はタタロナの言葉を聞いて、ひとつの結論を得た。それは本当に馬鹿ばかげた結論であったが、今のところそれを否定出来る材料がないため、さらなる情報を得ようとタタロナに質問した。ところで今日は何日かと。

 「ゼカ歴四九八年九月二十二日です」

 ゼカ歴、と聞いてはっとしたシエルは、そうか使っているこよみが違うんだと気が付いた。

 「姫殿下様は式典に参加されるために、御領地からここオリドール城に御到着なされましたが、三日前に御御足おみあしを滑らせて階段から落ちまして、その際に頭部を強く打ち今まで昏睡こんすいなさっておいででした」

 こちらのシエルも階段落ちをしていたのか。偶然かな? とシエルは思った。

 「式典とは?」

 「三月みつき前に、リフトレーア王国の首都パラスナがメルドス公爵閣下によって陥落かんらく致しまして、その凱旋がいせん閲兵えっぺい、戦勝報告、褒賞ほうしょう授与、祝賀の晩餐会ばんさんかいで御座います」

 とタタロナが答えた。


 うへえ、とシエルはうんざりした。帝族という立場上やむを得ないものであろうが、おそらく元の世界では一般人であったろうシエルには、面倒なものとしか思えなかった。

 「礼儀作法とかひとの顔も覚えていないのだが……」

 と、何とか逃げようとするシエルだった。が。

 「明日一日御座います。必要なことは不肖ふしょう私タタロナめが教え差し上げたいと存じます」

 必要なことは一日で覚えろと! シエルは戦慄せんりつした。たっときお方々とはそういうものなのかと。

 「今日まで寝込んでいたのだ。体調がすぐれぬ。休ませてもらえないだろうか?」

 「先ほどの鏡の前での所作しょさ拝見はいけんすれば、御身体の方は十分回復されたかと存じますが」 

 鬼だ、とシエルは思った。み上がりの小娘ひとりいなくても支障はないと思うのだが。

 タタロナはやれやれという雰囲気をかもし出して言った。

 「国が主催する行事に参加されないのは、帝国の権威をおとしめるだけでなく姫殿下様ご自身にも瑕疵かしを付ける振る舞いです。貴族には貴族の体面というものがあり、姫殿下様がそれをないがしろにされるというのは、今後のことを考えますと決して益になるとは思えませぬ。ご再考をたまわりたくお願い申し上げます」

 貴族社会。シエルは失念しつねんしていた。ここは貴族社会なのだということを。現代日本とは全く違った論理で動いているのだ。

 「わ、分かった。明日はよろしく教授してくれ」

 分かればよろしいのです、といったふうでタタロナは一礼した。シエルはこの狐耳眼鏡に、一種逆らわない方が良いというにおいをぎ取った。そしてそれは正しい判断だったと、しみじみと思うのである。


 ふと視線を外すとイェーナと目が合った。ぱっちりとした瞳にきりっとした眉、の筈であったが、半開きのまなこにまゆはだらしなく下がっている。眠いらしい。

 (さっきまで大笑いしてたくせにもうか! 子供かよ!)

 「何もないようでしたら、今夜はこれまでとしたく存じますが」

 タタロナが聞いてくる。シエルはとんと忘れていたが、今は真夜中だった。しかも遅い。色々と聞きたいことはあったが、それは明るくなってからで良いだろうと結論を出す。だが、ひとつだけ確認しなければならないことがあった。

 「ああ、そうそう、聖花せいか歴でいうと今年は何年?」

 「聖花歴、で御座いますか。人族が使っている暦で御座いますね――」

 どうしてそんなことをと思っているだろうが、タタロナは律儀りちぎに換算してくれている。

 「千百十二年で御座います」

 「分かった、ありがとう。おやすみ」

 「おやすみなさいませ」


 扉が開いてふたりが出ていき、また閉まった。蝋燭の火がらめく部屋の中でシエルは、今夜自分の身に押し寄せてきた出来事全てに対してのろい、かつ信じられないという思いをいだいた。

 「あーもう、寝ちゃいたい」

 しかしまだシエルは眠るわけにはいかなかった。今の状況を整理して、分析をしなければならないのだ。長く息を吸っていた。両手をおがむように面前で合わせ、それで鼻をつまむ。顔の方を小刻みに揺らし鼻の先をこする。これはシエルが深く考えるときのくせだった。

 その姿が目の前の鏡に映っている。綺麗きれいな少女だった。目が半眼なのは玉にきずであるが。

 そのまぶたをシエルは閉じる。閉じてしばらくそのままにした。

 まぶたを開き、言った。

 「ここはゲームの世界だ」

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