勇者の対抗者
高山良康
プロローグ
プロローグ
「
○○のみた夢は暗闇の中を落ちるというものだ。どんどん落ちる。際限がない。
たいていは底に着く前に目が覚めるものであるが、今回は最後まで落ちたかもしれない。
(汗をかいてしまった)
○○は寝台から身体を起こして深く息をする。胸の
ほのかな明かりが
(蝋燭? 停電でもしてるのか?)
○○はそこではっと思い出した。自分は足を滑らせて、駅の階段から落ちたのだ。
その瞬間、階段の下に激突する寸前までは覚えていた。視界が暗転して……そして今、目覚めてここにいる。ここはどこなのか。少なくとも病院でないことは確実だった。
蝋燭。
(ふう)
○○はしばらくじっとしていた。目を
(本当にどこなんだ?)
もう何度か頬をさすったり、つねったりしていた。痛覚はちゃんと機能していた。夢ではないらしい。視覚、触覚、痛覚、聴覚あり。ぺろっと口のまわりをなめてみる。味覚あり。
指先を動かしてみる。手足の指先まで感覚あり。○○は自分の身体が
(あの世じゃないよね)
なきにしもあらずだが、可能性としては低い。○○は視界の中で知覚できる情報を並べてみた。夜。屋敷と呼ばれるような豪華な部屋に家具。家電の
(朝になればひとが来るだろう。そのひとに説明して
思い切りの良い方ではあった。○○は羊の数え歌の代わりに、明日実行するべきことを頭の中で
(まず実家に電話しないと。心配かけているだろうな。次に会社――、学校――、あれ?)
あれ、と○○は首を傾げた。自分は会社員――、学生? あれ。親父、お袋、先生――、社長?
一瞬心臓が止まったような気がした。住んでる場所。氏名。年齢。職業。家族構成。
○○は、がばと
(……思い出せない。そんな馬鹿な……)
日本。日本国。日本人。民主主義。議員内閣制。二院制。地球。アジア。太平洋。日本海。
(あ、ああ、一般知識は覚えているのか)
地球温暖化。二酸化炭素。漁業協定。経済援助。移民。難民。テロ。テロリスト。核開発。
(ん、間違いない。思い出せないのは自分の個人的情報だけだ)
再び○○は寝台に寝転んだ。記憶喪失か。記憶喪失なんて、それこそドラマのなかの出来事だと思っていたのに。それにしても記憶喪失とは、自分のことだけすぱっと切り抜かれたように
ふうと○○は深くため息をつく。ふと見ると、壁に鏡が立て掛けてあるのが見えた。
(鏡。鏡か。そういえば自分の顔も思い出せないな)
○○は毛布をはねのけて、寝台を下りた。足取りが少し
(顔を見れば思い出せるかな?)
年齢。身長。体重。性別――男。男だよね? と○○は思った。性別すら思い出せないと?
鏡に近づく。あと三歩、二歩、一歩。見た。
そこには腰まで届く長い銀髪のくせっ毛を持った少女が、眠たげな
(俺、私、アタイ、ワタクシ、は女だった⁉ で、ありんすか? かしら? しら?)
彼、もとい彼女は、じいと鏡を
(鏡かと思ったら人物画だったでござる)
そう判断したのには理由がある。人物画の彼女の両耳の上には、羊のようにくるっとひと巻きした角があったからだ。
(日本人かと思っていたら、地球人ですらなかったっちゃ)
○○は頭を
「は⁉」
素で
ふと人物画を見ると、その少女と目が合ってしまった。彼女も角を触っていた。
突然、○○の頭に
○○は視線を外したら駄目だと思った。彼女もそう思ったらしい。しばらく二人はそうしていたが、○○の方が
その次は両手を開いて腕を離す。力士が張り手をする前の動作だ。○○はこの速さでは振り切れないと思ったが、やはり彼女はなんなくついてきた。○○の心の中にはじわじわと
(もう、いい加減あきらめて、認めてしまえ)
という声が聞こえてきた。こんなありえないことを、認めろというのか。
○○が片目を閉じたら、彼女はウィンクしてくれた。
○○がベロを出したら、彼女にアカンベーされた。
お
ムンクの叫びで、にらめっこした。
「あーーーっはっはっはははははっ」
いきなり部屋の中に大爆笑の声が
ひとりは、大爆笑とは
「大丈夫ですか!」
ばあんと扉が開き、ふたりの兵士が入ってきた。その姿を見て、○○はまた目を
「いや、よい。何でもない、戻って下さい」
狐耳眼鏡の
「ここはどこ! わたしはだれ!」
「マジかよ……」
有翼紅髪が寝転がったまま、真顔になってそうつぶやいた。
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